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2014.11.30

シンガポールに寄った件

マレーシアに行ったり,インドネシアに行ったりすることが多いが,飛行機の乗り換えで立ち寄るシンガポールには一度も入国したことが無かった。

現在,インドネシア出張中なのだが,飛行機の乗り換えまでの時間を利用してシンガポールに寄ってみた。

チャンギ国際空港では利用者に対するサービスとして2時間足らずのフリーツアーが準備されている。このツアーを利用してシンガポール名物マーライオンを見てきた:

Marlionandmarina

ちなみにマーライオンは2つあり,このおとなしい(水を吐かない)ライオンの方が本家だそうだ。

水を吐く巨大なマーライオンの正面にはシンガポール繁栄の象徴「マリーナベイサンズ」が建っている。逆光で見えにくいかもしれないが,マーライオンが水を浴びせているように見えて面白かった。

Marlionandmarinabay2


それにしても赤道のすぐ近く。シンガポールは暑い。

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2014.11.29

松本健一死す。『海岸線の歴史』,『海岸線は語る』再読

松本健一の訃報があった。

評論家の松本健一さん死去」(NHK)

近代思想の研究家だが,小生にとっては,海岸線と近現代日本人の関係を研究していた人,という印象である。

というのも,この人の著書で小生が目を通したのはミシマ社から出版された次の2書だからである:

海岸線の歴史海岸線の歴史
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海岸線は語る 東日本大震災のあとで海岸線は語る 東日本大震災のあとで
松本健一

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海岸線の歴史』は大震災前に書かれた本で,前にも書いたが(参照),日本の海岸線は自然的条件と人為的条件によってどのように変わってきたのか。また日本人は海とどう向き合ってきたのか。そういった関心のもとに書かれている。

雰囲気としては藤原書店から出ているアナール学派の歴史書っぽい。


そして『海岸線は語る 東日本大震災のあとで』は,『海岸線の歴史』の延長上にはあるものの,東日本大震災後,東北の海岸線を自ら歩き,思索した結果をまとめたもので,より現代的な(喫緊の)問題に迫った書籍である。

この本は「首相に握りつぶされた」という『復興ビジョン(案)』の解説書・補足資料でもある(参照)。そして「天国はいらない,ふるさとがほしい」(エセーニン)という主張がこの本の根底に一貫して流れている。


著者の訃報に接し,読み直しをしているところだが,海外出張があるので一時中断。

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2014.11.26

うろ覚え。高倉健エピソード

手元に資料がなく,記憶だけで書くので不正確だが,先日亡くなった高倉健のエピソードを一つ。

横尾忠則がANA機内誌「翼の王国」に書いていたエピソードである。

あるとき,高倉健の自宅が火事になった。
「健さんの家が火事だ」と聞いた横尾忠則が駆けつけると,消火作業の横で,見舞客にコーヒーをふるまう高倉健の姿が。
「お忙しい時にすみません」と。

コーヒーをどうやって調達したのか等,いろいろと疑問があるが,自分の不幸を脇に置きながらの行動。人々への気の使いようはけた外れであった。

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2014.11.25

カンニング・スタンツ第28話は更新され,『乙女戦争』は新刊が出た

ご存じのとおり,小生は歴史漫画好きである。まあ諸兄がご存じでなくてもいいことだが。

待ちに待っていた,十段先生のWeb漫画『カンニング・スタンツ』第28話「流魂 」の後編が11月23日に掲載された:

カンニング・スタンツ』(十段,新都社)

以前にも紹介したが,この漫画は季布を主人公に,秦末・楚漢戦争を描いた作品である。野球やプロレスのネタが満載。今回のは「プライベート・ライアン」か?

あと,日本人にとっては超マイナーな「フス戦争」を舞台とするコミック,『乙女戦争』の新刊も上梓された:

乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ(3) (アクションコミックス(月刊アクション))乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ(3) (アクションコミックス(月刊アクション))
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言うまでもないがチェコ語でディーヴチー(dívcí)は「少女の」,ヴァールカ(válka)は「戦争」である。

かつて小生が習ったロシア語ではお嬢さんのことをдевушка(ジェーヴシュカ)と言っていたなあとスラブ語つながりで思い出した。戦争のことはロシア語ではвойна (ヴォイナー)だったけれど。

かのカレル・チャペックの『山椒魚戦争』の原題は"Válka s mloky"であった。

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2014.11.24

「ダウントン・アビー」が面白い

今度,第2シーズンが始まるので,それに合わせてアンコール放送が流されているのだが,「ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館」が面白い。

時代は1910年代。タイタニック号が沈み(1912年),第一次世界大戦(1914年~1918年)が迫る頃。

イギリスの田園地帯にある邸宅 「ダウントン・アビー」を舞台に,貴族や使用人たちによって愛憎劇が繰り広げられる。このころの貴族は食事するのにも散歩するのにも着替えが必要なんですね。

未見の人はこのトレイラーを見て雰囲気を味わってください。

脚本家のジュリアン・フェローズ自身も爵位(Baron Fellowes of West Stafford)を持つ貴族。保守党に属する上院議員。

「ダウントン・アビー」として登場している城館は「ハイクレア城」というハンプシャー州に実際にある城館である。ちなみにハイクレア城はカーナーヴォン伯爵家の邸宅であり,5代目当主はツタンカーメン王墓発掘の資金提供者として知られる「カーナヴォン卿」。

まあとにかく,本物の貴族が本物の城館を使って作った,何もかも本物の貴族志向のドラマである。


ここで思うのが日本と英国の貴族階級の違い。

日本では公家にしても大名(武家貴族)にしても領地は所有物ではなく国家からの借り物であった。それに対して英国では貴族は基本的に大地主であった。

日本では公家も大名も豪勢な生活はできなかったのに対して,英国貴族はそれができた。子孫に関しても,日本では家柄のみが残る場合が多いのに対し,英国では資産家としての貴族が今も大勢いる。

ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館:シーズン1・2公式ガイドダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館:シーズン1・2公式ガイド
ジェシカ フェローズ ジュリアン フェローズ

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使用済み天ぷら油をバイオディーゼル燃料に

宇部市では使用済み天ぷら油を回収してバイオディーゼル燃料にリサイクルし,市バスの燃料として利用している(参考)。

ディーゼルエンジンはもともと植物油を燃料として駆動することを考えて開発されたので,現行の軽油よりはバイオディーゼル燃料の方が本家本元の燃料であると言える。

宇部市内で回収された天ぷら油からバイオディーゼル燃料への変換(メチルエステル化などにより軽油に近い物性にする)は「アースクリエイティブ」という地元企業がやっている。先日,とあるシンポジウムでそこの若い経営者によるお話を聞いた。

その話に刺激を受けて,うちでも天ぷら廃油をペットボトルに貯めてバイオディーゼル燃料生産に微力ながら協力することにした。

これがうちで出た天ぷら廃油である(↓)

Biodiesel


「生活協同組合コープやまぐち」で回収しているので,そこに持ち込んだ。下の写真は回収ボックスである(↓)

Biodiesel2

自己満足かもしれないが,地球環境に貢献した気分。

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2014.11.23

雪舟庭や瑠璃光寺五重塔を見に

昨日は絶好の行楽日和。
紅葉の具合を確認しに,隣の山口市まで出かけてみた。

まず訪ねたのは常栄寺雪舟庭

Sesshuutei01


Sesshuutei02


常栄寺は室町時代に大内政弘が別邸として建て,庭を雪舟に作らせたという伝承がある。
常栄寺が建てられた頃,雪舟は山口におり,この伝承には真実味がある。

次に訪ねたのは瑠璃光寺である。

これもまた室町時代に大内氏によって建てられた五重塔が有名。
日本に現存する五重塔の中では10番目に古いという。

Rurikoji01

Rurikoji02

瑠璃光寺で冷やし飴を飲んでしばし休憩した後,帰路に着きましたとさ。

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2014.11.21

アベノミクス終了(?) 生活防衛のため,豆苗を育てています

つい先日,「遠慮のない海外紙:日本が不況/景気後退に陥っていると報道」(11月17日)と題する記事の中で,GDP速報値ショックに対する海外メディアの反応を書いたが,国内でも「アベノミクス終了」とのたまわっている経済学者の方々がおられる。

今後,景気が持ち直すことを期待したいが,そうはならない場合も考えて,小宅でもささやかな生活防衛を図って豆苗を育てている。

Dsc_2971

買ってきた豆苗を刈り取っては2度,3度育てなおしているわけである。

水はまめに取り換えないと腐ったりカビが生えたりする原因になるので要注意。


「Yahoo!知恵袋」を見ると,もっと本格的に,土質改良剤ハイフレッシュを入れて水耕栽培している人がいたので感心した:


豆苗を買ったら、二回も三回も食べる!-水耕栽培

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2014.11.20

『バーブル・ナーマ』 文武両道のムガル帝国初代皇帝による人間らしい回想録

ムガル帝国に造詣が深いわけではないが,時々関心が向く。

数年前には本ブログでジョン・ブルックス『楽園のデザイン イスラムの庭園文化』という本を取り上げた(2011年1月17日記事)が,その記事の中で,とくにムガル朝の歴代皇帝たちが庭園造りに励んでいたという話を紹介した。

また,ゲームの話になるが,この冬,「EU3」で遊んでいた。このゲームの中でムガル帝国(イベント成立前はティムール帝国)をプレイし,西はウクライナから東は中国沿岸部にまで至る大帝国を築くのに成功した。

そして今回,ムガル帝国に目を向けたのは,平凡社「東洋文庫」から『バーブル・ナーマ』の日本語訳第2巻が上梓されたからである。

バーブル・ナーマ 2: ムガル帝国創設者の回想録 (東洋文庫)バーブル・ナーマ 2: ムガル帝国創設者の回想録 (東洋文庫)
バーブル 間野 英二

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訳したのは『バーブル・ナーマ』研究の第一人者,間野英二先生。

本記事ではバーブルについてあれこれ長く書くつもりはないが,中央アジア・サマルカンドからアフガニスタン,アフガニスタンから北インド(ヒンドゥスターン)へと拠点を移しつつ,ついに16世紀初めに「インドにおけるティムール王朝(「ムガル」は他称である)」を開いた人物である。

始祖といえば,1世紀後の日本で江戸幕府を開いた徳川家康が思い浮かぶのだが,バーブルの生涯ときたら,家康公が涙を流さんばかりの苦難の連続である。故郷サマルカンドから追われたり,せっかく得たヘラートを失陥したり。その半生を自ら著述したのが『バーブル・ナーマ』である。

記述は簡明で,最初の出だしはこんな感じである:

In the name of God, the Merciful, the Compassionate.

In the month of Ramzan of the year 899 (June 1494) and in the twelfth year of my age, I became ruler in the country of Farghana. (The Babur-nama in English, Memoir of Babur, translated by Annette Susannah Beveridge, Vol.1, p. 1, Luzac & Co., 1922)

慈悲深く,慈愛あまねき,アッラーの御名において

ヒジュラ暦899年ラマザーン月(1494年6月),私は12歳にしてフェルガナ地域で支配者となった。

このあと,フェルガナの描写,父ウマル・シャイフ・ミールシャーのこと,サマルカンドを支配してきた者たちに関する記述が続き,やがてサマルカンド支配をめぐる攻防戦へと話が展開していく。

◆   ◆   ◆


『バーブル・ナーマ』は多くの人を魅了しているようだ。ライフネット生命保険代表取締役会長兼CEOの出口治明氏もその一人。

この人は大変な読書家(とくに歴史書の)として知られているが,先月初旬(2014年10月8日)「誠ブログ」で『バーブル・ナーマ』を取り上げていた(参考)。

出口氏の書評の最後の段落がとても良い。少し長くなるが引用しよう。

「バーブル(1483~1530)は、フランス王フランソワ1世(1494~1547)、イングランド王ヘンリー8世(1491~1547)やローマ皇帝カール5世(1500~1558)とほぼ同時代人であった。しかし、他の3人の君主が、このように率直で鋭い観察眼を持つ優れて近代的な自伝を書く能力を有していたかどうかは極めて疑わしい。誰よりも勇猛な軍人であったバーブルの肖像はそのほとんどが書物を手にして描かれている。この時代、経済力のみならず、人間個人の文化的洗練度(成熟度)の面でも実は東風が西風を圧していたのだ。」(書評:『バーブル・ナーマ 1』,ライフネット生命会長兼CEO出口治明の「旅と書評」,2014年10月8日)


◆   ◆   ◆


『バーブル・ナーマ』は英訳版であれば,トロント大の電子図書館で読むことができる:

"The Babur-nama in English (Memoirs of Babur) Vol.1"
"The Babur-nama in English (Memoirs of Babur) Vol.2"

上下巻いずれも500頁を超える大著だ。

日本語による部分訳は,京都大学学術情報リポジトリ(KURENAI)から間野英二先生の業績を調べれば見つけることができる。

京都大学学術情報リポジトリ(KURENAI)

しかし,手許に置いてゆっくり読もうと思えば,やはり平凡社「東洋文庫」版だろう。


◆   ◆   ◆


蛇足。

ジョン・ブルックス『楽園のデザイン イスラムの庭園文化』を紹介したときに作ったバーブルからアウラングゼーブに至るムガル帝国皇帝の系図を再掲しておく:

Mughalgardens

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2014.11.18

ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン(上)』を読む

だいぶ前に出て評判になった本,ナシーム・ニコラス・タレブ(略してNNT)の『ブラック・スワン』を図書館で借りてきて,ここ数日読んでいる。

実証的懐疑主義者を自称するナシームは,限られたデータによって社会経済の予測を行うことの危険性について(人を食ったような語り口で)語っている。

とりあえず上巻を読み終えたところだが面白い。

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質
ナシーム・ニコラス・タレブ 望月 衛

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ブラック・スワン/黒い白鳥」というのは外れ値,予想されずに起こる重要な現象である。911のテロもその一つだし,この本が書かれた頃には発生していなかった東日本大震災もその一つである。

ナシームはわれわれの周りの環境を2分する。「月並みの国」と「果ての国」だ。「月並みの国」は物理法則に縛られた環境,「果ての国」は物理的制限のない環境を指す。我々が住んでいるこの世界は今や「果ての国」に属する。そして「果ての国」では時折ブラック・スワンが舞い降りて人々を振りまわし,あらたな状況を生み出す。

数世紀前の世界は「月並みの国」だった。おおざっぱに言って富の量は耕作可能な土地の広さで把握できた。コンピュータやインターネット(これら自体もブラック・スワンである)が普及した現在の世界は違う。ネット上の富には物理的制限はない。ビル・ゲイツやザッカーバーグを見ればいい。彼らの富に匹敵するほどの富を得た王侯貴族が数世紀前にいただろうか?そしてまた彼らの登場と「一人勝ち」を誰が予想できただろうか。我々にできるのは,後づけの決定論による解釈であり,しかもその解釈は後々,別のブラック・スワンの登場によって否定されてしまう。

社会経済(とくに金融)の現象はおしなべて「果ての国」に属している。この国の中で予測を行うことの愚かさについてナシームは語っている。

ヒュームが語ったように,過去の出来事をいくら積み上げても,因果関係を明らかにすることはできない。経験則は突然現れたブラック・スワンによって突き崩される。

まぐれが支配する環境であることを知ってか知らずか,経験則に基づいて経済予測や市場予測をしてお金を得るのは職業倫理にもとることだとナシームは非難する。ナシームのデータによればプロの経済予測の精度は素人の経済予測の精度とたいして変わらないらしい。

「予測という営みには最初から構造的に組み込まれた限界がある」(『ブラック・スワン(上)』245~246頁)

にもかかわらず,我々は経験的(帰納的,ヒューリスティック)思考によって未来を予測してしまう。ナシームによれば,これは世界が単純だったころ(「月並みの国」だったころ)の遺産のようだ。

本書(上巻)では,ナシームは行動経済学経済物理学の成果を踏まえて,ブラック・スワンを無視しがちな我々の行動特性を描き出している。

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2014.11.17

遠慮のない海外紙:日本が不況/景気後退に陥っていると報道

GDP速報値ショックの件。

日本国内の報道では「7~9月期のGDP速報値で景気失速の懸念」というように,「懸念」と控えめな表現が用いられているのだが,海外紙はしがらみがないので容赦ない。

夕方に書いたようにガーディアン紙は

"Japan drops into recession" (by Agence France-Presse, The Guardian, Nov. 17, 2014)

との見出しを示しているが,ウォール・ストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズ紙やロイターやBBCなども"recession"つまり「不況」または「景気後退」の表現を用いている:

"Japan Falls Into Recession: GDP Declines 1.6%, Setting Stage for Delay in Sales-Tax Increase" (Wall Street Journal, Nov. 17, 2014)
"Defying Expectations, Japan's Economy Falls Into Recession" (By Jonathan Soble, New York Times, Nov. 16, 2014)
"Japan's slip into surprise recession paves way for tax delay, snap poll" (By Leika Kihara and Linda Sieg, Reuter, Nov. 17, 2014)
"Japan's economy makes surprise fall into recession" (BBC, Nov. 17, 2014)

ウォール・ストリート・ジャーナル紙なんか,ご丁寧に"Setting Sun"(=落日)などと題した日本のGDPの推移を描いたグラフまで示している。

日本の「景気後退」が,アジア各国の株価や石油価格の下落,金価格の上昇に影響を与えているとまで報道されている。

こういう報道によって,今後しばらくは海外投資家が日本市場から手を引くんじゃないかという懸念がある。今の株価は海外投資家によって形成されているのでまずいことである。まあ,こういう危機をも巧みに利用して利益を得るファンドもあるのだろうが。

消費税延期は当然のこととして,追加策として安倍首相が指示したのが「商品券の配布」だそうである。あと,「エコポイント」の復活。

なんかいつか見た政策といった感じで・・・。

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【7~9月期GDP速報値の衝撃】ガーディアン紙は「景気後退」だと言ってのけた

7~9月期のGDP速報値が「年率マイナス1.6%」だったことで,市況は大荒れだった。

速報値が出る前に「日本経済研究センター」がまとめた民間のエコノミスト42人の予測値は「年率プラス2.47%」だった(NHK11月14日報道)から誰もが腰を抜かした。

小生が常日ごろ師と仰いでいるカブドットコム証券山田勉さんも「7-9月GDP▲1.6%の瞬殺」と言うぐらいの有様である。

Stockexchange
(Photo by dhester

国内紙では「安倍首相,正念場」等と希望を残した表現をしているが,海外紙は国内紙と違って遠慮が無く,ガーディアン紙などは「不況に陥っている」などと表現している:

"Japan drops into recession"
Shrinking of economy surprises analysts and spells trouble for Shinzo Abe, who is expected to call election for next month (by Agence France-Presse, The Guardian, Nov. 17, 2014)

この月曜日まで株屋の世界では,7~9月期のGDP速報値が多少悪くても,消費税延期期待+景気浮遊策(そして総選挙で与党の強さを再確認)でポジティブな変化が訪れるという甘いシナリオが広がっていたのだが,あまりの数値の悪さに全てが一気に吹き飛んだ感がある。選挙やっている場合か?

後知恵で考えると,景気が悪くなっている証拠はいろいろ挙がっていた。専門家はそれを見ないようにしていたというのが本当のところだろう。ナシームが『ブラック・スワン』で言っていたところの「物言わぬ証拠の問題」である。「セレクション・バイアス」と言っても良い。

それにしてもメディアのみならず甘利大臣までが「台風などによる天候不順」を理由の一つに挙げ続けるのはいかがなものかと思う。

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2014.11.16

フィリップ・ジャンティの『忘れな草』を見てきた

この日曜日(2014年11月16日),フィリップ・ジャンティの作品『忘れな草』の公演を見るために,ツマと一緒に北九州芸術劇場まで出かけてきた。

Campagnie Philippe Genty Ne m'ouble pas:

これは,ダンサーと等身大の人形とが共演する不思議な舞台である。

見ているうちに,どちらがダンサーでどちらが人形かわからなくなってくる。ダンサーが巧みに人形を操っているということもあるが,むしろ,ダンサーがうまく人形の動作を真似ているということの方が大きい。

内容は……というと,とても説明できない。様々な夢/思い出/イメージを重ね合わせた美しい舞台である。評論家はよく「フィリップ・ジャンティの魔法」というが,その通りとしか言いようがない。

この舞台を見て数時間経った現在,もし同系統の印象を与えるような作品を挙げよと問われれば,ラウル・セルヴェ『夜の蝶』(1998年)やユーリ・ノルシュテイン『話の話』(1979年)といった映像詩(アニメーション)を挙げることになるだろう。

『忘れな草』は畏まった作品ではない。ダンサーの身体能力は驚異的だが,ユーモラスな動きもあって笑いながら見ても良い作品である。ひたすら美しさと不思議さを鑑賞し続ければよい。

見たものにどうしても意味を見出して講釈しようとするのは人間の性(さが)であるとナシームは『ブラック・スワン』で述べていた。本作品は上に挙げた映像詩たちと同様に,講釈から完全に自由である。


本作は1993年に評判を呼んだ同名の舞台のリニューアル版である。フィリップ・ジャンティは2012年からノルウェーの演劇学校の学生たちと『忘れな草』を再演するプロジェクトを進めていた。途中,フィリップ・ジャンティは脳梗塞に倒れるが,復活後,演劇学校の学生たちが持っていた声の魅力や雪に覆われたノルウェーの景色に着想を得て,50パーセントを作り替えたという。

Kitakyushuperformingartscenter
↑「リバーウォーク北九州」。この6階「北九州芸術劇場」で『忘れな草』を見た。

私の中の漂泊の風景 フィリップ・ジャンティ全記憶私の中の漂泊の風景 フィリップ・ジャンティ全記憶
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2014.11.14

森鴎外『椋鳥通信』を読む

先月半ば,森鴎外の『椋鳥通信』(上)が岩波文庫に入ったというので買ってきた。今,読んでいるところであるが,面白い。

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『椋鳥通信』というのは,森鴎外,石川啄木,木下杢太郎,北原白秋らが発行していた文芸誌「スバル」に明治42年/1909年3月から計55回に渡って連載された,海外ニュース欄である。

ヨーロッパの新聞・雑誌から収集した雑多な情報を手短に報告している。一つ一つのニュースは数行程度の「短信」といった感じで,今ならばツイッターに近い。

ツイッターをまとめてブログ程度の長さにしたものを毎月「スバル」誌上で発信していたのである。鴎外発ツイッター。1909年3月12日発の記事から一部分を抜き出してみる:

○二月二十二日にはCharlottenburg〔シャルロッテンブルク〕でFriedrich Spielhagen<フリードリヒ・シュピルハーゲン>が八十の誕生日を祝った。首相も賀客の中に見えた。○二月二十四日には巴里の女優Irene Muza<イレーヌ・ミュザ>が酒精のはいっている水で髪を洗わせていて,その水に火がうつったので大火傷をした。○今年の春から夏にかけての巴里の流行色はBleu electric〔緑がかった青〕である。緑を帯びた青で,濃淡はいろいろある。伯林では青い男の帽がはやる。(『椋鳥通信』(上)25ページ)

実に淡々と,しかし要約の名手として知られる森鴎外らしい簡明な文体で海外のニュースが伝えられている。

編注者である池内紀が巻末に付した解説によると,鴎外はドイツ留学中から新聞・雑誌を読むのが好きだったようである。この楽しみを活かしたのが『椋鳥通信』である。

ちなみに鴎外によるこれらの海外ニュースは,当時としては日本で最も早いニュースだったらしい。

池内紀の推測によれば,鴎外が海外情報を手に入れるのが早かった理由は2つあるようだ。

ひとつはシベリア鉄道の利用。シベリア鉄道ができる前は,ヨーロッパから日本まで人や物が移動するのに一月半程度かかっていたのが,シベリア鉄道によって,二週間程度に短縮された。

もうひとつは,ドイツ系通信社ヴォルフの存在。陸軍軍医総監の立場からヴォルフ通信日本支局長を呼び出すのは容易だっただろうと編注者は想像している。

先ほど海外情報を淡々と伝えている,ということを書いたが,鴎外もときどきアツくなることがあったらしく,例えば,イタリアの詩人マリネッティが「未来主義(Futurismo)」を宣言した時には,宣言文の全てを訳出し,数十行にわたってこの運動を紹介している。

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2014.11.11

鳥居哲男『倍尺浮浪(ばいじゃくはぐれ)』を読む

清らの人』や『折口信夫&穂積生萩 性を超えた愛のかたち』など,折口信夫の人物像に迫る著作を送り出してきた鳥居哲男氏が2011年に上梓した小説『倍尺浮浪(ばいじゃくはぐれ)』を読んだ。とても面白い小説だった。


まず,倍尺とは何か。

標題紙を繰るとこのような一文が書かれている。

「倍尺とは,新聞を作る場合にだけに使われる特殊なモノサシのことである」

本書83頁に説明があるのだが,倍尺の「倍」というのは,かつての新聞で用いられていたベタ活字の縦の長さ,0.088インチを1倍とする単位である。当時の新聞の世界だけで通用する特殊な単位である。

この小説のタイトルである「倍尺浮浪(ばいじゃくはぐれ)」とは,新聞社や出版社に属さず,倍尺だけを持って出版の世界を渡り歩き,どんな割付の仕事でも成し遂げる男たちのことを指す。

この小説は,紙面づくりに魅了された主人公の成長を描く青春記としての側面もあるし,昭和50年代から始まった紙面制作電算化の中で消えて行った技能職たちへの挽歌という側面もある。

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新聞の紙面づくりが手作業だった時代,紙面は割付,採字(文選),植字を行う男たち,いわば倍尺使いたちの技術によって作られていた。

新聞社では,発行期限ぎりぎりで記事全面差し替えなどの危機がたびたび生じる。この危機に直面して,色めき立つ,いやむしろ意欲・能力が最高潮に達するのが主人公の師である六さんら倍尺使いたちである。本書では彼らの超絶技巧によって,ごく短時間に奇跡のように完成度の高い紙面が作られる場面が描かれている。

とくに六さんと大岩による「ぶっつけ本番のナマ組」によって業界紙の紙面が作られていく情景(本書6章,236頁~247頁)など,まるで目の前で繰り広げられているような生き生きとした描写である。

以前,ヒストリーチャンネルで「職人の道具」という番組があったが,そこである職人が言っていた言葉を本書を読みながら思い出した:

「芸術は綺麗でしょ。職人は綺麗で速い」


◆   ◆   ◆


この小説で描かれるのは紙面づくりのことばかりではない。主人公の交友関係・恋愛関係も描かれている。また,折口信夫/釈迢空の歌がときおり小道具のように登場したりする。

それでも小生にとってはこれは「職業小説」であるという印象が強い。

この小説を読み終わった後で思い出したのが小関智弘の『春は鉄までが匂った』という,1970年代終わり頃の町工場を描いたルポルタージュである。

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当時,コンピュータ搭載の工作機械が登場し,職人不要の時代が来ると言われた。いわゆる「ME(マイクロエレクトロニクス)革命」の到来である。しかし,町工場は無人にはならなかった。熟練工は今もなお活躍し続けている。

それはなぜか。ある程度自動化が進むにせよ,今のところ,人間が創意工夫をする余地が残っているからである。逆に言えば,自動化で済む程度の技能は不要になったわけである。トップレベルの職人はME革命後も必要とされた。

ある町工場のオヤジの言葉:

「数値制御の機械がどんなに進んでも,人間の手と頭よりすぐれた制御能力はないってことが,あなたにもいまにわかりますよ」(『春は鉄までが匂った』34頁)


鳥居哲男『倍尺浮浪』でも紙面作成電算化(CTS)の流れが押し寄せてきて,旧時代の倍尺使いたちは姿を消していく。しかし,『春は鉄までが匂った』の町工場と同じように,新たな芽が兆すところも描かれている。

エピローグでは,齢を重ね,今や六さんの衣鉢を継ぐ紙面作成の名人となった主人公が,コンピュータシステムを駆使して紙面作りに挑戦する若者と出会うところが描かれている。

時代が移り,道具が変わろうとも紙面づくりの遺伝子は受け継がれていくのだ。そしてまた,主人公自身もコンピュータを新たな倍尺として使おうと,一歩踏み出す。倍尺使いたちへの挽歌だけで終わらず,希望を抱けるようなエンディングとなっているのが実にいい。


今から十数年前に「本とコンピュータ」という本づくりを多面的に考える雑誌があった。その雑誌が出ている頃に『倍尺浮浪』が出ていれば,きっと評判になっただろうな,と若干残念な気もする。

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2014.11.07

(続)加賀藩・小幡宮内家の近世

加賀藩・小幡氏シリーズ第3弾。

なお,前2弾は次のとおりである:


小幡宮内長次(おばたくないながつぐ)に始まる,加賀藩・小幡宮内家。

家中の最大の事件は,宝永三年の小幡宮内立信(長次の孫)の乱気・改易騒動であった。

先日取り上げた怪異譚「浅野の稲荷」では小幡宮内家はお家断絶ということになっているが,実際には立信の子,満清に新たに2000石が与えられ,家は再興されている。

また,立信の弟,治部丞は別に家を立て,500石の知行を得ている。ツマのご先祖で幕末の武士・小幡嘉十郎信清(おばたかじゅうろうのぶきよ)サンは治部丞の子孫である。

治部丞から信清サンに至るまでの間,小幡治部丞家は平穏無事だったかと言うと,そんなことはない。大事に至らなかったものの,『加賀藩史料』(石黒文吉,昭和4年~17年)に残る事件を起こしている。安永8年11月の「鳥構事件」である。


◆   ◆   ◆


鳥構」をどう読むのかはよくわかないが,城の造りに「惣構(そうがまえ)」というような言葉があるので,とりあえずここでは「とりがまえ」と呼んでみる。

山本充という研究者が「北陸地方における鳥猟文化の変遷に関する研究」という論文の中で,「鳥構」について説明しているので,引用してみる:

江戸時代の加賀藩では,1659(万治2)年に金沢で,そして1665(寛文5)年に石川・河北郡で天之網禁止令がだされたように,初期の頃にすでに,網を用いた鳥猟が行われていたことが明らかである。この天之網は,いわゆる霞網とは異なりものと推察されるが,その実態は明らかではない。その後も,藩士によって,「鳥構」という名称のもとに鳥猟が行われていたことが知られる。武士による鳥猟は,生業と言うより武芸としてなされており,1823(文政3)年に,鳥構の禁止令がだされたことをはじめとして,たびたび禁止令が発布されており,実際には,盛んにそれが行われていたことを示していよう。(山本充「北陸地方における鳥猟文化の変遷に関する研究」,2007年度日本海学研究グループ支援事業,2~3ページ)

ということで,「鳥構」とは詳しい形態はわからないものの,鳥猟の一種であり,武芸と見なされていたということがわかる。

さて,この知識を得たところで,『加賀藩史料』の安永8年(1779年)11月13日の項を読んでみる:

十一月十三日。小幡右膳,禁止区域に於いて鳥構場を設けたるを以て戒飭(かいちょく)せらる。

〔御馬廻頭手留〕 小幡勘太夫せがれ右膳儀,石川郡大桑村領之畠之内に有之候(これありそうろう)松木に,はりの木結付名札を付,鳥構場を切立置候に付,御鳥見之者見付,名札等下させ為持遣(もたせつかわし)候段及断候。野田山峯よりこなたは御留場之儀,其上御郡奉行えも断におよばず構場切立候段,不調法千万之儀に候。急度相咎申候得共,鳥構候儀は見届不申由に付,其儀には不及候條,以来之儀急度相心得候様被申渡,叱置可被申渡候事。

ようするに,小幡勘太夫の息子・小幡右膳という武士が,加賀藩の禁猟区に鳥猟の仕掛け,つまり「鳥構」を設置していたのが発覚し,戒告処分を受けたという話である。

名札や鳥構の設置場所を準備していたものの,鳥構自体は見つからず軽い処分で済んだらしい。ギリギリセーフ。改易にならず,ようございました。


ここで,勘太夫や右膳が誰なのかを確認するために,系図を見てみよう。

小幡宮内長次以降の系図を示す:

2_2

戒告処分を受けた小幡右膳というのは治部丞から見るとひ孫で,信清サンから見ると大伯父にあたる。

当たり前だが,勘太夫は治部丞の孫,信清サンの曾爺さんである。

その後,右膳はトラブルを起こさなかったようで,寛政12年(1800年)に御普請奉行加役(代理),享和2年(1802年)に御普請奉行に就任している。

しかし,文化元年(1804年)4月27日に56才で頓死し,弟の多門信道が家を継ぐこととなった。

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2014.11.06

小幡宮内拾遺: 小幡宮内立信はお稲荷さんの祟りで乱気したという怪異譚

ツマのご先祖,小幡宮内のことを調べているのだが,柳田国男『一つ目小僧その他』の中で小幡氏がお稲荷さんの祟りで没落したという怪異譚について触れている文章が見つかった:

一つ目小僧その他』(Googleブックス)

その他にも金沢の「淺野神社」のウェブページでも「淺野稲荷社」の由来記として,小幡氏とお稲荷さんの祟りの話が書かれている:

淺野稲荷社

これらの文章をそのまま引用しても良いのだが,柳田国男の文章の元ネタ(そして淺野稲荷社の文章の元ネタでもあると思われる)になった『三州奇談』という本が国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにあるので,そちらをまるごと引用してみる。仮名遣いや漢字は適当に直した。


◆   ◆   ◆


日置謙・校『三州奇談』 (石川県図書館協会, 1933年(昭和8年))

浅野の稲荷

浅野山王権現は金沢の北にあり。一條院長徳三年のご鎮座なり。名に負う浅野川を御手洗として,神ざいたる社頭なり。この別殿に稲荷の社あり。これは武州浅草の境内弥三右衛門稲荷を移して祭れる地なり。そのいわれは,明暦の頃太守・利常公の家中に,熊谷弥三右衛門という射手ありき。(本性渡辺。禄三百石)

利常公,山科高雄に遊猟ありしに,白狐一匹追い出すを,弥三右衛門に射よと仰せあり。弥三右衛門追いかけしが,白狐仰向けになりて腹を指示す。これ子を孕めるを示すなり。弥三右衛門不憫に思いて助けしに,利常公ご立腹ありて改易ありき。

この時小幡正次という人,弥三右衛門に懇意なるにより,路銀など合力ありし。そのほか知音・弓の弟子など,少々の贈り物ありしほどに,越前に知音あれば,この方へ立ち越さんと思いしに,ある夜の夢に,かの白狐女になり来たり,告げて曰く,わが故のご不幸是非なし。我が夫狐は東国の秩父にあり。ただ江戸へ赴きたもうべし。命にかけて富貴となすべしと言う。これによりて弥三右衛門,江戸へ行きて,浅草に居す。その後,白狐夢に来りて,御符を教えて,これを用いて療治なされそうらえと言う。弥三右衛門,教えの如くなすに,数百人の異病を直し,礼謝の金銀満ちみてり。その後,仙台の太守・伊達光宗卿のご簾中は,台徳院殿のご息女なりしが,ご異病ありて治せず。ついに弥三右衛門,加持を以てご本復ありしが,殿中の眉目ひとかたならず。ついに先主加州公へお聞き合わせありて後,仙台伊達侯へ召し抱えられ,禄五百石をたまわり,本名に立ち帰り,渡辺弥三右衛門という。

すなわち江戸にての金銀をもって,浅草観音の境内に一宇の稲荷堂を建立す。これ今言う弥三右衛門稲荷なり。土俗語り伝えて,おびただしく繁盛せり。その後,加州・小幡正次へ,前に恵まれし黄金を返し,合力の礼謝す。小幡正次かつて請けず。弥三右衛門曰く,さあらば,ご境内に祠を一つお建て下さるべく候。その料にお用い下さるべしとなり。よりて小幡氏の境内に一社を建て,毎年祭て崇敬の礼を尽くさる。

然るに子息宮内の代に,この小社を打ち捨ておかれ,あまつさえ知らぬ国の野狐の類,わが境内に置くこそ心得ぬと,ついにこぼち捨てられけるが,程なくして乱気して引きこもり居らるるうち,また夜歩行きなどうち重なり,ついに知行一万六百石を取り放ち,改易になりけり。全くこの一事にぞありける。

その同姓小幡治部の百姓浅野村の者,にわかに狂気して口ばしり,われは宮内屋敷に祭られし狐なり,早くわれを山王別殿に移しなば,永く守護神たらんと言いけるを,小幡治部家士岡島某をして実否を糺し,ついに宝永四年四月二十八日に,小幡治部願主となり,神主厚見隠岐に遷座の儀式を執行しける。その夜金沢中光さして神変を示す。これより永くこの国の守護神たりと言う。

短い逸話だが,整理すると弥三右衛門興隆の話と小幡宮内没落の話の2つに分かれる。

パート1: 弥三右衛門が白狐を助け,そのお礼に不思議な治癒能力を得る。それによって富を得,さらに仙台伊達家の家臣となる。

パート2: 弥三右衛門を援助していた小幡正次が弥三右衛門のすすめで屋敷にお稲荷さんを祭ることにする。しかし,正次の子,小幡宮内はお稲荷さんの祠を取り潰す。そうしたら祟りがあって,精神を病み,知行召し上げとなった。

そして,パート2の後日談として,小幡治部があらためてお稲荷さんを浅野山王権現の別殿に祭る,という話で締めくくられる。

なお,『三州奇談』は石川県図書館協会が1933年に発行したものの他に,中島亀太郎が1895年に出版した『加越能三州奇談』がある。そこでは「熊谷弥三<>衛門」は「熊谷弥三<>衛門」,「小幡<>部」は「小幡<>部」となっている。


◆   ◆   ◆


さて,この怪異譚を先日調べた小幡宮内家の話(「加賀藩・小幡宮内家の近世」)と照らし合わせながら読み直してみる。

小幡「正次」という人物が出てくるが,弥三右衛門とともに前田利常に仕えていたとすると,小幡宮内「長次」のことだろう。「正」は「長」に通じ,"masa"は"naga"と音韻が似ている。伝聞による間違いか,あるいは本名を用いることに差し障りがあるので「長次」を「正次」としたのかもしれない。

また,正次の子として登場する「小幡宮内」だが,乱気して知行召し上げ,と言えば,長次の孫,小幡「宮内立信」のことだと思われる。

そして最後に出てくる小幡「治部」とは小幡宮内立信の弟,小幡「治部丞」のことだろう。ツマのご先祖,小幡嘉十郎信清サンの家の始祖である。

お稲荷さんが浅野山王権現に改めて祭られたのが宝永4年4月だが,宮内立信の知行召し上げが宝永3年11月だから,時系列的には問題はない。

小幡宮内家の家系図を再掲しておく:

Photo_2


「浅野の稲荷」の話は伝説・昔話の類だが,その割には史実によく沿って書かれている。

加賀藩の正史とも言うべき『加賀藩史料』(石黒文吉,昭和4年~17年)には宝永3年の小幡宮内立信の乱気・知行召し上げの話は出ていない。藩主あるいは寿福院ゆかりの者ということで記述がはばかられたのかもしれない。

しかし,一万石を超える大身の武士の改易は金沢城下では一大事件として知れ渡ったはずである。乱気とは狐憑きであったと,当時としては合理的な解釈をして事態を収拾したのかもしれない。


◆   ◆   ◆


ついでだが,柳田国男が『一つ目小僧その他』の中で要約している『三州奇談』「浅野の稲荷」の話にはちょっと記述のおかしいところがある。

『三州奇談』「浅野の稲荷」で,小幡宮内改易後,小幡治部が改めてお稲荷さんを浅野山王権現の別殿に祭る件(くだり)をこのように書いている:

祟りを受けて小幡の家は断絶,それで本家小幡氏の領地浅野村の百姓たちが,そのことあってから五十年の後,宝永四年四月に,再び祀ったのがこの山王権現のお稲荷さまだということになっております。(柳田国男『一つ目小僧その他』)

「本家小幡氏」と書いているが,『三州奇談』では「同姓」である。また「そのことあってから五十年の後」と書いているが,『三州奇談』ではそんなことは書いていない。小幡正次が屋敷に稲荷社を祀ってから50年程度経ったということなら辻褄は合うが。いずれにしても,柳田国男は『三州奇談』に書いてないことを加筆している。資料の取り扱いに関して厳密だった柳田国男らしからぬことである。


さらについでだが,金沢の「淺野神社」の「淺野稲荷社」の由来記にも異論が無くはない。

この由来記も『三州奇談』「浅野の稲荷」を参照していると思われるが,お稲荷さんを浅野山王権現の別殿に祭った願主を「浅野村の長老」としている。神社に伝わる別伝があるのかもしれないが,『三州奇談』「浅野の稲荷」では「小幡治部」である。

怪異譚の伝わり方についていちゃもんをつけても仕方がないが,こうやって怪異譚は変化していくのだろうとも思う。

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2014.11.05

「消費税先送り」を争点にした解散・総選挙との話もちらほら

12月に解散・総選挙,いや今月中に,などと様々なうわさが飛び交っております。

「消費税先送り」を争点にした解散・総選挙説もあります:

消費増税有識者と衆院解散」(by 高橋洋一・株式会社政策工房 代表取締役会長,2014年10月30日)

こういう記事読んでの妄想だが,首相が,経済再生のため,消費税は先送りにしたいと述べ,その考えに対する賛否を問うという形で選挙を実施。与党圧勝で,野党焼野原。というシナリオもアリかな?

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円とドルと株価の大雑把な関係

黒田ショックで株価が急上昇し,円が急落している。

以前から為替と日経平均株価との間には関係があると言われているので,粗っぽく調べてみた。

ファイナンスの専門家から見たら噴飯ものだろうが,お遊びの範囲のことである。


◆   ◆   ◆


毎日のデータを扱うのは面倒なので,月ごとのデータで試してみた。

まず,「Yahoo!ファイナンス」で2012年1月から現在に至る為替と日経平均株価の月別データを収集する:

「始値」,「高値」,「安値」,「終値」があるが,面倒なので,各月の終値を使うことにする。すると,こんなデータが揃う:


さて,このデータを用いて,米ドルと株価の散布図を作ってみるとこのようになる:

Stockdolleryen

ご覧のように,わりと強い相関がみられる。大雑把に言うと,1ドルを円に換算して250倍し,10500を引くと日経平均株価になる,という関係が出てくる。

そこで,

日経平均株価予測値 = 250 × 円/ドル - 10500

としてグラフを書くと次のようになる:

Stockprediction

本当の日経平均株価(赤)の線から,為替からの予測値(緑)の線が外れることは多いが,大雑把な傾向はあっていると言えるのではないだろうか?

なお,これは円とドルと株価の大雑把な「相関」関係を表しているのであって,「因果」関係を表しているのではない……ということは言うまでもないか。

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2014.11.02

宇部祭り前夜祭に行った(2014年版)

宇部井筒屋の「秋の北海道物産展」で買い物をした後,例によって宇部祭り前夜祭に行ってきた。

例年通り,市役所の駐車場に中央ステージが設けられ,市長挨拶や太鼓の演奏などで前夜祭が始まった。山口県2代目住みます芸人として知られるどさけんが眼前を横切るのを目撃したりしたが,今日はあいにくの雨空で,昨年よりは来場者が少なかったように思う。

以前の記事でも書いたが,小生が宇部祭り前夜祭に行く最大の目的は屋台村「ワールドキッチン」での食べ物の調達である。

今年は「8 1/2 (ハッコニブンノイチ)」という店のイスラエル風サンドイッチを購入した:

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Ubematsuri20141101israel02

サンドイッチにはひよこ豆のファラフェル(コロッケ的なもの)を挟んでもらった。小生はひよこ豆が好きなので,とてもおいしかった。

イスラエルサンドイッチの他にも他の屋台でB級グルメ料理を調達したので,ミッション完了。遅くならないうちに会場を後にした。

Ubematsuri20141101

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宇部祭り前夜祭に行く・・・その前に井筒屋の北海道物産展に行ってきた

宇部では11月の初めに毎年恒例の宇部祭りがある。以前も本ブログの記事でとりあげた:

同じ時期に開催されるのが宇部井筒屋の「秋の北海道物産展」である。

この土曜日(2014年11月1日)の夕方,宇部祭り前夜祭を見に行くついでに,夫婦連れだって「北海道物産展」に行ってきた。

帯広「柳月」の三方六(チョコレート味)だの札幌「桃花堂」の特製スイートポテトだの,いろいろ購入したのだが,今回特に紹介したいのが,次の2点である。


網走「網走ビール」の流氷ドラフト

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330ml,535円。

天然色素クチナシを使用した,青色の発泡酒。流氷を仕込水に使っているという。平成20年に発売開始以来,すでに100万本のヒット作であるとか。

アルコール分5.0%。苦味少なくすっきりとした味わい。色合いのせいか,スッとした清涼感がある。


流氷ドラフト6本セット流氷ドラフト6本セット

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札幌「あすなろ」のオリゴ糖

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250g,1080円。

オリゴ糖は,腸内善玉菌(ビフィズス菌など)を増やす効果があり,健康食品として知られている。

販売担当のおじさんの話だと1日2粒ぐらいが良いという。それ以上だとかえってお腹を壊すとか。

ほのかな甘さがある。玉ねぎから精製したという。だから黄色みがかっているのだろうか?なんとなく玉ねぎの風味がある。

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