わらの犬:「天地不仁,以萬物為芻狗。聖人不仁,以百姓為芻狗」について考えてみる
サム・ペキンパーの映画に「わらの犬 (Straw Dogs)」というのがある。この「わらの犬」というのは老子の作と言われる『道徳経』の「天地不仁,以萬物為芻狗」に由来する。「芻狗(すうく)」というのが祭儀に用いる「藁の犬」のことである。
今一度,『道徳経』の一説を引用すると,こんな内容である:
天地不仁,以萬物為芻狗。
聖人不仁,以百姓為芻狗。
天地にはいつくしみの心は無い。だから天地にとって万物は藁で作った犬のようなものだ。
聖人にもいつくしみの心は無い。だから聖人にとって人々は藁で作った犬のようなものだ。
この世は無情ということか? そういう意味だったらサム・ペキンパーがこの映画のタイトルを「わらの犬」とした理由が分かるような気がする。
だが,ちょっと待て。「この世は無情」という解釈でいいのか? 小生の誤読じゃないのか?
映画「わらの犬」のタイトルの由来については,実ははるか前に,故・瀬戸川猛資(せとがわ・たけし)が『夢想の研究』(創元ライブラリー)の中で考察している。しかし,結局のところ,サム・ペキンパーの映画のタイトルが,「わらの犬」という思わせぶりなものになっているのか,さっぱりわからないと降参している。
瀬戸川猛資は,湯川秀樹と小川環樹という碩学たちが『老子』について「わからない」と述べている会話を引用した後,「わらの犬」タイトル問題についてまとめている。
「湯川や小川にもよくわからないものが,ペキンパーやメルニックにわかるわけがないではないか。ハリウッド人の浅はかな東洋趣味め――と勝手に結論づけたのだが,実は浅はかななのはこちらであった。わからないからこそイイのだ,ということがよくわかっていなかったのである。反省しなくてはならない」(『夢想の研究』「26 東の風」226頁)
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もはや「天地不仁,以萬物為芻狗」を「この世は無情」というように単純に解釈してはいけないような気になってくる。
もうちょっと考えてみることにしよう。
ずいぶん前,高校生の頃に買った本だが,老子の思想に関して,こういう入門書がある:
高橋進『人と思想 老子』(清水書院)
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この本では魏の学者であり政治家であった王弼(おうひつ)の解釈に基づいて老子の思想を解説している。
そもそも老子の思想では「無為」ということが尊ばれる。「無為」の反対が「作為」である。「無為」とは自然に従うということで,今年のはやり言葉で言えば,「ありの~ままの~」ということになる。
「仁」すなわち「いつくしむ」ことは作為である。何事も無為であるべきだとすれば,「不仁」こそが正しいことになる。
そうすると,「天地不仁,以萬物為芻狗」というのは,「天地は作為せず,手を加えず,万物をあるがままにしておく」ということになる。
そうすると,先ほどの「この世は無情」という解釈は,老子の思想の全体像を踏まえないままに字面だけで理解しようとした誤読ということになる。
正統派・王弼の解釈に基づけば,小生の「天地不仁,以萬物為芻狗」の読み方は誤読と言うことになるのだが,敢えて誤読してみる,という手もあるかと思う。
だいたい,現代人からすれば「芻狗 (straw dog)」という言い方には「張子の虎 (paper tiger)」のような否定的なニュアンスが感じられる。
小生が「天地不仁,以萬物為芻狗」という言葉を思い出したのは,実は先日の御嶽山噴火のニュースを聞いた時だった。自然の脅威の前に,無辜の人々はなすすべもない。大震災をはじめ,数々の自然災害もしかり。災害を拡大しているのは人為,すなわち作為だとする意見もあるかもしれないが,それでも自然は人々を芻狗のようにあしらっているという印象を受ける。
誤読バージョンの方が,昨今の状況にフィットしているかも。小川環樹は老子の言っていることがわからない,としていたが,『道徳経』は時代時代に合わせて解釈しなおし得る開かれた書だからこそ「わからない」のではなかろうか。
今回はあまり深く触れなかったが,「聖人不仁,以百姓為芻狗」の部分も「聖人」を為政者と読み替え,誤読バージョンで解釈すれば,やはり昨今の状況をうまく表しているように思う。
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