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2014.10.31

加賀藩・小幡宮内家の近世

ツマの先祖に小幡嘉十郎信清(おばたかじゅうろうのぶきよ)という加賀藩士がいた。禄高500石というから平士,加賀藩では中級の武士である。手元の資料では生年がわからないが,幕末の文久元年(1861年)4月2日に父・治部助から家督を継いでいる。そして明治18年(1885年)8月4日に没している。


◆   ◆   ◆


加賀藩士としての小幡氏は小幡宮内長次(おばたくないながつぐ)に始まる。微妙(みみょう)公,つまり前田利常に仕え,家老,金沢城代を歴任した。禄高は10,950石に達した。小大名並みである。

長次の兄,右京もまた微妙公に仕え,10,000石の知行取となった。この兄弟が厚遇されていたのは異父妹・阿千代保(おちよぼ)が前田利常の生母,寿福院だったことによる。

兄・右京の家は7,000石の家と3,000石の家に分かれ,7,000石の家は当主が早世し途絶えた。3,000石の家は幕末まで続く。

弟・宮内長次は寛文4年(1664年)にリタイアし,寛文8年(1668年)に没した。宮内長次の屋敷は現在の金沢市役所の位置にあった。家の前には小さな橋があり,後に宮内橋(くないばし)と呼ばれるようになる。その橋は今も,市役所と金沢21世紀美術館の間の道を下ったところに残っている(参考)。

宮内長次は,犀川を越えたところ,現在の千日町と白菊町の一帯にも広大な下屋敷を構えていたが,後に述べる事件によって,この屋敷は失われる。


◆   ◆   ◆


宮内長次の家は長次の次男・宮内長治(くないながはる)に継がれた。

長治には長男・宮内立信(くないたつのぶ),次男・大学(だいがく),三男・治部丞(じぶのじょう)という三人の息子がいた。家督は長男・立信が継いだ。知行10,950石のうち,300石を叔父の又助に譲ったので,禄高は10,650石となった。

次男・大学は分家として新たに知行500石を得たが,早世した。三男の治部丞が大学の後を継いだ。この治部丞の子孫が冒頭の小幡嘉十郎信清である。

さて,本家・宮内立信の家だが,そのまま順調にいけば幕末まで1万石級の上級藩士,加賀藩で言えば人持組の一員として藩行政の要職に就く人材を輩出していたかもしれない。しかし,宝永3年に事件が起こった。


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立信は元禄年間に火消役,神護寺請取(うけとり)火消役などを歴任していたが,あるときから精神を病んだ。

一族によって下屋敷に幽閉されていたのだが,宝永3年(1706年)のある夏の日の夕刻,こっそりと家を抜け出してしまった。そして,金沢城下を流れる犀川のほとりを彷徨っているところを町方役人に捕えられた。この事件が原因で立信は禄を召し上げられてしまった。

この事件,『加賀藩史稿巻之十二,列伝第十』ではこのように記している:

「宝永三年夏夕。潜(ひそか)に幽室を出でて,城西犀川の涯を徜徉(しょうよう)し,邏卒の捕うる所となる。諊(きく)するに及びてその名氏を白す。事聞す。その喪心者たるを以て特旨(とくし)死一等を減じ,十一月,禄を奪い,籍を削る。」

川原をぶらぶらしていただけで死罪になりかかったというのが解せないのだが,何か他にもトラブルを起こしたのかもしれない。そのあたり,重臣小幡氏の名誉のため伏せられているのかもしれない。

知行没収により,下屋敷も取り上げられ,足軽五十人組の組地となり,後に五十人町と呼ばれるようになった。その五十人町も昭和になって,千日町と白菊町に編入されてしまい,小幡宮内下屋敷の名残は無くなる。

なお,『角川日本地名大辞典(旧地名編)』では,知行没収の年を寛永3年(1626年)としているが,それだと立信の祖父,宮内長次の若いころということになってしまう。執筆者は宝永の旧字,寶永を寛永と読み間違えたのだろう。


後日,立信の子,満清に新たに2,000石が与えられた。宮内長次以来の小幡氏は継続することとなった。これで,小幡宮内長次の子孫は宮内立信流と治部丞流の2家が幕末まで続くこととなる。

Photo_2

     (↑小幡宮内家家系略図)

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2014.10.27

わらの犬:「天地不仁,以萬物為芻狗。聖人不仁,以百姓為芻狗」について考えてみる

サム・ペキンパーの映画に「わらの犬 (Straw Dogs)」というのがある。この「わらの犬」というのは老子の作と言われる『道徳経』の「天地不仁,以萬物為芻狗」に由来する。「芻狗(すうく)」というのが祭儀に用いる「藁の犬」のことである。

今一度,『道徳経』の一説を引用すると,こんな内容である:

天地不仁,以萬物為芻狗。
聖人不仁,以百姓為芻狗。

天地にはいつくしみの心は無い。だから天地にとって万物は藁で作った犬のようなものだ。
聖人にもいつくしみの心は無い。だから聖人にとって人々は藁で作った犬のようなものだ。

この世は無情ということか? そういう意味だったらサム・ペキンパーがこの映画のタイトルを「わらの犬」とした理由が分かるような気がする。

だが,ちょっと待て。「この世は無情」という解釈でいいのか? 小生の誤読じゃないのか?


◆   ◆   ◆


映画「わらの犬」のタイトルの由来については,実ははるか前に,故・瀬戸川猛資(せとがわ・たけし)が『夢想の研究』(創元ライブラリー)の中で考察している。しかし,結局のところ,サム・ペキンパーの映画のタイトルが,「わらの犬」という思わせぶりなものになっているのか,さっぱりわからないと降参している。

瀬戸川猛資は,湯川秀樹と小川環樹という碩学たちが『老子』について「わからない」と述べている会話を引用した後,「わらの犬」タイトル問題についてまとめている。

「湯川や小川にもよくわからないものが,ペキンパーやメルニックにわかるわけがないではないか。ハリウッド人の浅はかな東洋趣味め――と勝手に結論づけたのだが,実は浅はかななのはこちらであった。わからないからこそイイのだ,ということがよくわかっていなかったのである。反省しなくてはならない」(『夢想の研究』「26 東の風」226頁)
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もはや「天地不仁,以萬物為芻狗」を「この世は無情」というように単純に解釈してはいけないような気になってくる。

もうちょっと考えてみることにしよう。


◆   ◆   ◆


ずいぶん前,高校生の頃に買った本だが,老子の思想に関して,こういう入門書がある:

高橋進『人と思想 老子』(清水書院)

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この本では魏の学者であり政治家であった王弼(おうひつ)の解釈に基づいて老子の思想を解説している。

そもそも老子の思想では「無為」ということが尊ばれる。「無為」の反対が「作為」である。「無為」とは自然に従うということで,今年のはやり言葉で言えば,「ありの~ままの~」ということになる。

「仁」すなわち「いつくしむ」ことは作為である。何事も無為であるべきだとすれば,「不仁」こそが正しいことになる。

そうすると,「天地不仁,以萬物為芻狗」というのは,「天地は作為せず,手を加えず,万物をあるがままにしておく」ということになる。

そうすると,先ほどの「この世は無情」という解釈は,老子の思想の全体像を踏まえないままに字面だけで理解しようとした誤読ということになる。


◆   ◆   ◆


正統派・王弼の解釈に基づけば,小生の「天地不仁,以萬物為芻狗」の読み方は誤読と言うことになるのだが,敢えて誤読してみる,という手もあるかと思う。

だいたい,現代人からすれば「芻狗 (straw dog)」という言い方には「張子の虎 (paper tiger)」のような否定的なニュアンスが感じられる。

小生が「天地不仁,以萬物為芻狗」という言葉を思い出したのは,実は先日の御嶽山噴火のニュースを聞いた時だった。自然の脅威の前に,無辜の人々はなすすべもない。大震災をはじめ,数々の自然災害もしかり。災害を拡大しているのは人為,すなわち作為だとする意見もあるかもしれないが,それでも自然は人々を芻狗のようにあしらっているという印象を受ける。

誤読バージョンの方が,昨今の状況にフィットしているかも。小川環樹は老子の言っていることがわからない,としていたが,『道徳経』は時代時代に合わせて解釈しなおし得る開かれた書だからこそ「わからない」のではなかろうか。

今回はあまり深く触れなかったが,「聖人不仁,以百姓為芻狗」の部分も「聖人」を為政者と読み替え,誤読バージョンで解釈すれば,やはり昨今の状況をうまく表しているように思う。

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2014.10.21

Rで宇部市の町丁字別の人口密度を塗り分ける(making a choropleth map)

久々にRの話をする。

今回はRを使った地図の塗り分け(階級区分図,コロプレス図,choropleth map)を行う話。

実はだいぶ前にも同じ話題を取り扱った(「Rでカンボジアの塗り分け地図を作る」2011年11月28日)が,今回は自作コード(青木繁伸先生作成のコードを改造したもの)を利用するのではなく,Rのパッケージ"foreign","maptools","sp"を利用する。


◆   ◆   ◆


準備

コロプレス図を作成するためのデータを,あらかじめ政府統計の総合窓口にて入手するところから始める。

政府統計の総合窓口/地図で見る統計(統計GIS):
http://e-stat.go.jp/SG2/eStatGIS/page/download.html

  • 「Step1:統計調査(集計)を選択」の中から「平成22年国勢調査(小地域)2010/10/01」を選択する。
  • 「Step2:統計表を選択」の中から,人口密度が求められそうなデータを選ぶ。「男女別人口総数及び世帯総数」がいいだろう
  • 「統計表各種データダウンロードへ」をクリック

ここまで進むとまた新たなページ「統計表各種データダウンロード」に移動する。

  • 「Step3:地域選択」で都道府県と市区町村を選択する。今回は山口県,35202宇部市の組み合わせで選択
  • 「検索」ボタンを押すと統計データと境界データが表示される
  • 境界データには町丁字の境界データ(形状データ,ポリゴン)と国勢調査による町丁字別人口,世帯数などのデータがまとめて入っている。どんなデータが含まれているのかは「定義書」をちゃんと読むこと
  • 今回は「日本測地系緯度経度・Shape形式」の「宇部市(620KB)」を選択(クリック)してzipファイルをダウンロードする

zipファイルをダウンロードしたら,解凍して適当なところに保存する。

小生の場合はRによる作業のディレクトリとして"c:/rtemp/"というフォルダを使っているので,"c:/rtemp/JapanGIS/"というフォルダを作って,解凍したものを保存している。

正確に言うと,"c:/rtemp/JapanGIS/A002005212010DDSJC35202/"というのが宇部市のshapeデータを含むファイル群が保存されているフォルダとなる。


◆   ◆   ◆


ここからがRでの作業になる。

あらかじめRのパッケージ"foreign","maptools","sp"を入手しておくこと。

そうしたら以下のコマンドを打ち込んでいく。

いよいよ宇部市のshapeデータの取り込みである。

するとこういう図が登場するはず(↓)

Ube01

困ったことに海面まで含まれている。「定義書」を読むとこれを削るためのヒントが得られる。

今作ったデータセット"maptemp"には"HCODE"という陸地と水面とを区別する変数が入っているので,これを利用すれば海面を取り除くことができる。HCODE=8154が水面調査区であるから,

とやれば,海面が消えたことがわかるだろう。

Ube02

次にデータセットmaptemp1に人口密度のデータを加える。「定義書」によれば,変数"AREA"が町丁字の面積[m^2],変数"JINKO"が町丁字別人口を表しているから,新たに人口密度を表す変数"DENS"を作って,データセットmaptemp1に加えてやればよい:

ここで,"* 1000000"としたのは人口密度の単位を[人/km^2]にするため。

さて,ついに町丁字別人口密度の塗り分けを行う。

Ube03

・・・なんかうまくいっていませんね。色の違いが判らない。全面的に真っ赤。

これは極端に人口密度が高い場所が生じているため。思い切って,表示する人口密度の上限を10000人/km^2とする処理を加えてみる。

Ube04

はい。ましになりました。

このあと,塗り分けのカラーパレットをいろいろと変えてみる。

"terrain.colors"を使ってみた結果は次のようになる(↓):

Ube05

小生としては"terrain.colors"の方が"heat.colors"よりも気に入っている。

というわけで,結構楽にコロプレス図が書けることがわかった。

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林田憲明『火山島の神話』を読む

先日,御嶽山が噴火し,我々に日本が火山列島であることを思い出させた。

本書『火山島の神話』は御嶽山噴火よりも数か月前に刊行された本であるが,時宜を得たものであると思う。

火山島の神話―『三宅記』現代語訳とその意味するもの火山島の神話―『三宅記』現代語訳とその意味するもの
林田 憲明

未知谷 2014-07
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火山島の神話』は『三宅記(みやけき)』と呼ばれる伊豆諸島の神話・伝承の全訳と解説をまとめたものである。

三宅記』の成立時期には諸説あるが,著者は室町時代(文明年間)に成立したものと推定している。ここには,薬師如来が三島神に姿を変え(本地垂迹),焼き出し(噴火)によって伊豆諸島を生み出したという「噴火造島神話」が語られている。そしてまた,三島神を中心とする神々の序列,祭祀,支配者である壬生氏の位置づけが述べられている。

伊豆諸島は平安初期に次々と噴火をした(838(承和5)年神津島天上山,886(仁和2)年の新島向山。三宅島は記録にあるのは1085(応徳2)年のものが最古でそれ以後は約50年おきに噴火)。三島神による噴火造島のイメージはこれらの出来事がもとになっていると考えられている。

火の民族仮説」を中心に据えた,星野之宣『ヤマトの火』や『ヤマタイカ』を読んだ時のような興奮が蘇る。


『三宅記』については成立時期だけでなく,制作者や制作意図についても様々な謎があるのだが,著者は地理学・歴史学に基づく綿密な論考によって,その解明に挑戦している。

著者は元東京都庁の職員で,1970年代に三宅島など伊豆諸島で勤務した経験を持つ。このような刺激的かつ浩瀚な書物を世に送り出すことがあるから,市井の研究者はあなどれない。

未知谷という出版社は時々驚くような本を出す(参考:【この日本語がすごい】吉野せいアンソロジー『土に書いた言葉』)が,本書もそうした一冊である。

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2014.10.20

【キュレーション】今週の注目記事(2014年10月第4週)

世の中は経産相辞任の報道で大賑わいですが,関係ありそうな話題と関係ない話題をいくつか取り上げてみま
す。

蓮舫氏に首相感嘆

安倍首相,松島みどり法相を追及した蓮舫氏に『うちにも…』」(<元記事>週刊ポスト2014年10月31日号,Livedoor News 2014年10月20日)

松島法相を追及する蓮舫氏の舌鋒の鋭さに,首相も感嘆したとか。

松島法相のうちわ問題。民主党側もうちわみたいなの配っていたじゃないか,という話もあるが,扇ぐための穴が開いてたり持ち手がついてたりするかしないかが,うちわか否か,贈り物かどうかという大きな分かれ目になる模様。有権者への配布物に関しては,面倒でも事前に総務省や選挙管理委員会に相談するのが重要だということ。


「江戸しぐさ」は都市伝説の類との話

“偽物の歴史”を教育に用いるのは,倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー」(BLOGOS編集部,2014年10月15日)

江戸の人々のマナーを現代に生かそうという運動がここ数年続いている。小生も「傘かしげ」などの話を聞いて,江戸時代というのは人への思いやりに満ちた優れた文明だったのだなあと『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』(渡辺京二)を思い出したりしていたのだが,どうも違うようだ。

詳しくはBLOGOS編集部によるインタビュー記事を読んでもらいたいが,原田氏によると

「和傘であれば,かしげるのではなく,すぼめる方が早い」
「江戸の家の造りというのは,路地に土間が面していて,大きく外にむけて開いている構造になっているんですよね。その構造のところで,傘かしげをやると,下手をすると,店頭や人の家の台所に水をぶちまけることになってしまう」

のだそうだ。

江戸しぐさは現代人の想像による偽史だそうで。

あっと,今,松島法相も辞任の意向を示したというニュースが・・・。

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2014.10.16

頭のおかしいオランダ系ニュージーランド人がアンコール遺跡群バイヨンの仏像を破壊した件

今,カンボジアで話題になっているのが,このニュース。

先週,ニュージーランド在住のオランダ人女性Willemijn Vermaat (40歳)がアンコール遺跡群のひとつ,バイヨン(ヒンドゥー・仏教混交寺院)の仏像を破壊したという。

壊されたのは12世紀後半,ジャヤバルマン7世の治世に作られた仏像。1988年に修復され,バイヨンに設置されていた。

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↑写真は小生が2007年に撮影したバイヨンの南大門。壊したのはこれではない。


現地英字紙カンボジアデイリーの記事はこれ:

"Tourist Wanted for Breaking Buddha Statue" (by Aun Pheap, Cambodia Daily, October 13, 2014)

同記事ではこのようなことが述べられている:

  • Vermaat(フェルマート)容疑者は10月9日晩にバイヨン内で行方不明になった
  • 翌朝,修復作業員がフェルマート容疑者を発見し,警察が拘留・尋問
  • 金曜日の夜,警察がフェルマート容疑者を解放した直後,フェルマート容疑者が発見された場所で仏像が破壊されていたことが判明
  • 警察はフェルマート容疑者を再拘留しようとしたが,すでに出国
  • アンコール遺跡群を管理するアスパラ・オーソリティのトップ,ソク・アン副首相はニュージーランド当局と協議すると述べた

この記事の時点ではフェルマート容疑者からの発言はなかったが,その後,米紙デイリーメイルがフェルマート容疑者のどうかしている発言を報じている:

"Tourist who smashed Buddha statue while 'hearing voices' inside Cambodia's Angkor Wat says it was fake and didn't belong there" (By Chris Kitching, MailOnline, 14 October 2014)

この記事によると,フェルマート容疑者は

「バイヨンで何かが自分に呼びかけた」 「バイヨンは仏陀ではなくイナンナという女神にささげられたものである」 「仏像は本来,バイヨンにあるべきでなく,除去されなくてならない」

などとおかしな主張をしているとか。


イナンナはシュメール神話の金星の女神。

まさかとは思うが,フェルマート容疑者はシュメールとクメールがごっちゃになるぐらいの知識しかないのでは?

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2014.10.15

The western model has broken...西側モデルは壊れてしまった

こういう長文の記事が"The Guardian"に掲載されていた。

"The western model is broken" (by Pankaj Mishra, Oct. 14, 2014, World news, The long read, The Guardian)

「西側(米国と西欧諸国)はイメージ通りに世界を形成する力を失ってしまった。最近のウクライナやイラクの情勢を見ればそれは明らかである。にもかかわらず,なぜ西側は,全ての社会が西側と同じように発達しなくてはならないという悪質な作り話をし続けるのか?」

腹をくくったプーチンによる大胆不敵な行動,シリア・イラク近辺におけるイスラム国の台頭,さらに一応民主主義国家ということになっているインドやタイやトルコにおける権威主義の興隆は,西側モデルの普及を担ってきた西側の政治エリート層やメディアを茫然自失の状態に追い込んでしまったようだ。

Pankaj Mishraは1969年生まれのインドのエッセイスト。実に広範な知識を駆使して西欧諸国が直面している問題を論じている。

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2014.10.05

『物語 ベルギーの歴史-ヨーロッパの十字路』を読んだ

インドネシアとは何の関係もないが,ジャカルタ滞在中に松尾秀哉『物語 ベルギーの歴史-ヨーロッパの十字路』(中公新書)を読んだ。

物語 ベルギーの歴史 - ヨーロッパの十字路 (中公新書)物語 ベルギーの歴史 - ヨーロッパの十字路 (中公新書)
松尾 秀哉

中央公論新社 2014-08-22
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小生の視点で内容をあっさりまとめるとこういうことになる:

  • ベルギーは1830年に独立した新興国
  • ベルギーはフランデレン(北部・オランダ語)とワロン(南部・フランス語)という地域・言語に根差した2大勢力がせめぎ合う国
  • 両者の争いをなだめながら一つの国にまとめているのが国王
  • 他の立憲君主制国家と大きく違うのが,国王の政治主導権が強いこと
  • 従って国王のパーソナリティが国政を左右する

正確に言うと,ベルギーにはドイツ語圏もあるし,ブリュッセル(外資系の連中はブラッセルと言う)は両語圏なので,もっと複雑な政治状況だが,基本的にはフランデレン vs ワロンという構図でこの国の政治は揺り動かされている。

かつてはCVP・PSC(キリスト教人民党/キリスト教社会党,これで一つの政党)のような全国をカバーする政党が存在したのだが,1999年の選挙で地域主義が台頭し,政党の多くがフランデレンかワロンに基盤を置く,地域政党となった。

地域主義が過激になってくると,分離独立主義に発展する。それを代表するのがフラームス・べラング(VB)のようなフランデレン独立を掲げる政党である。

フランデレンとワロンの争いをなだめながら国家としての一体性を維持しようと努力しているのが,歴代国王である。

国王は組閣担当者を指名する権限を持つ。このような仕組みは初代のレオポルド1世の頃から始まっており,ベルギーは他国よりも君主が政治に関わる度合が強い。

国王はこの権限を用いて分離独立主義者を排除しつつ,各政党を説得し,妥協させ,組閣を促し,国家分裂の危機を乗り切ってきた。著者はこの状況を「『合意の政治』と国王」(216頁)と総括している。

国王の存在は,ベルギーがベルギーであり続けるための重要な要素なのである。しかし,それにしては歴代の国王のオランダ語学力が必ずしも高くないのはいかがなものか。レオポルド2世しかり,現国王フィリップしかり。(ちなみに,本書では「フィリップ1世」と書いているが,それは今後,フィリップ2世が即位した場合に付く名称である)


◆   ◆   ◆


本書に手を出した理由の一つに,先日のスコットランド独立騒動がある。一応,独立しないということで収まったが,他のヨーロッパの国々では分離主義が台頭しており,今回の独立騒動はスコットランド独立には至らなかったものの,各地の分離主義者を煽り立てることとなった。

有名どころではスペインのカタロニア,バスク両自治州の独立の話が持ち上がっている。しかし,もっとリアリティーがあるのが,ベルギーにおける分離独立の可能性である。本書を読んだ限り(2014年選挙結果までフォローされている)では「合意の政治」の伝統はまだ崩れておらず,当分はベルギーはベルギーのままであると思われる。しかし,チェコとスロバキアが分かれたように,ベルギーもフランデレンとワロンに分かれる可能性は常にある。


◆   ◆   ◆


本書を読みながら湧き起こったのが,なぜ,ベルギーはバイリンガル政策をとらないのだろうか,という疑問。まあ学習の苦労はわかるが,国家の統一性のためには必要なのではないかと思う。

同じ多言語国家であるスイスの場合,フランス語圏やイタリア語圏など,ドイツ語圏以外では標準ドイツ語を習っている(とはいえ,スイス風ドイツ語は標準ドイツ語と異なるのでフランス語圏の人が標準ドイツ語を使うと,今度はドイツ語圏の人が会話に困るという現象があるらしいが)。とにかくスイスでは違う言語圏とコミュニケーションをとろうという努力がなされている。

今,インドネシアにいるので思い出したが,インドネシアは多民族国家なので,人々はそれぞれの民族の言葉を使っている。しかし同時に共通語であるインドネシア語も話す。これによって,インドネシアという広大な国の統一性が保たれているわけである。

やっぱりフランデレンとワロンが歩み寄るためには,バイリンガル政策は必要だろうと思うが,やらないのだろうか?


◆   ◆   ◆


著者の松尾秀哉先生は1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業後,東邦ガス(株)や(株)東海メディカルプロダクツに勤務していた。「あとがき」から推定すると,東海メディアプロダクツ時代に業務の関係でベルギーの医療行政や福祉行政を調べているうちにベルギーに興味を持ったらしい。

「あとがき」の話が本当だとすると,最初は「ベルギー語ってあるのか?」と部下に訪ねる程度の知識だったらしい。そこからスタートしてベルギー現代政治の専門家になるんだから大したものです。

その後,会社を辞して,1997年に東京大学大学院総合文化研究科に入る。2007年に同大学院の国際社会科学専攻博士課程を修了し,博士(学術)の学位を取得した。

以後,聖学院大学政治経済学部政治経済学科准教授を経て,現在は北海学園大学法学部教授となっている。

科研のデータを見ると,研究者になりたての2007年度には「政治制度と市民的自己決定の間の齟齬-ベルギー型連邦制の脆弱性-」という課題名で「若手研究(スタートアップ)」に採択され,その後は途切れることなく科研費を獲得しているのだから,かなり優秀な研究者である。


◆   ◆   ◆


最後に隴を得て蜀を望むような事を述べる。

本書ではもうちょっと図版が欲しかったと思う。

序章の扉の前,2ページに付されたベルギー王国の略図は主要都市名が記載されているものの,州名が書かれていない。そのため,例えば97~98頁の「大ベルギー構想」の件で出てくる「リンブルフ州」がどこなのかよくわからない。よく読むと「州都ハッセルト」と書いてあるので,多分ここだろうと推測ができる。州名は実は後になって195頁の「ベルギーの連邦構成体」に記載されているのでわかるのだが,できれば,最初の方のページで示すべきだろうと思う。

あと,総選挙後の政党別議席数の状況も知りたかった。2014年の選挙結果については215頁に表が示されているが,他の主要な選挙の結果については余り情報が無い。○○党が台頭…,○○党が議席を失う…という記述だけではなく,議席数の円グラフ(パイチャート)があった方が分かりやすい。

同じ中公新書で言えば,林健太郎『ワイマル共和国』は事細かに議席数のデータを示していた。読者が政党間の争いや民意の動向を追跡するためにはそういった図表もいるのではないかと思う。

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2014.10.04

明日はインドネシアはイドゥル・アドハ(Idul Adha,犠牲祭)です

今日もジャカルタにおります。

明日はインドネシアはイドゥル・アドハ(Idul Adha,犠牲祭)。

イドゥル・アドハはアラビア語ではイード・アル=アドハーと呼ばれ,Eid al Adhaとも,Eid ul Adhaとも書かれる。イスラム教の祝日の一つである。

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イブラーヒーム(アブラハム)が息子のイスマーイールをアッラーフへの犠牲として捧げた事に由来しており,ヒジュラ暦の12月10日がイドゥル・アドハの日となる。

ヒジュラ暦はご存じのとおり,太陰暦なので,ヒジュラ歴12月10日は太陽暦上ではどんどん移動する。

最近はこんな感じである:

2010年11月16日
2011年11月6日
2012年10月26日
2013年10月15日
2014年10月5日

だいたい10日ずつ繰り上がってくる感じである。

ヒジュラ暦では日没から一日が始まる。
したがって,今日の夕方からがヒジュラ暦12月10日である。

すでにいろいろと儀式が始まっているらしく,夜になって長い祈りがどこからか聞こえてくる。あと,ジャカルタ市内では休業になっている店も多々見られる。

ちなみにヒジュラ暦のお正月は今月25日。
つまり2014年10月25日がヒジュラ暦1月1日になる。

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2014.10.02

ジャカルタに来ております

本日よりジャカルタに来ております。

800pxflag_of_indonesia_svg

今日の到着時のジャカルタの気温は32℃。
まあちょっと前まで日本もそのぐらいの気温だったので,ヒートショックは受けなかったけど。
相変わらずジャカルタの道は混んでいます。

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