英語に格はいくつあるか?
久々にイェスペルセン『文法の原理』の話題である。
(Photo by rosevita, morguefile.com)
イェスペルセン『文法の原理』中巻,第13章「格」の中に「英語に格はいくつあるか?」という問題が挙げられている。
結論から言えば,イェスペルセンは英語には属格(所有格)以外に取り立てて言うべき格を認めていない。イェスペルセンは明確には言っていないが,英語には通格と属格(所有格)しかない,という常識的なことを述べていると解釈できる。
イェスペルセンと同時代の言語学者にソネンシャインという人がいる。ソネンシャインはラテン語との比較に基づいて,英語にも対格や与格があると主張する。例えば,
Peter gives Paul's son a book. (ピーターはポールの息子に本を与える。)
という英文があったとする。
もしソネンシャインがこの文章を分析するならば,同じ意味のラテン語の文章:
Petrus filio Pauli librum dat.
との比較によって
- Petrusは主格。故にPeterは主格
- filioは与格。故にsonは与格
- Pauliは属格。故にPaul'sは属格
- librumは対格。故にa bookは対格
と分類することだろう。
しかし,イェスペルセンはソネンシャインに批判的で,ソネンシャインへの批判を通じて「格」についての自分の考え方を明らかにしている:
(1) 格というのは形式に基づいて分類するべきこと。
(2) 逆に言えば,格というのは意味に基づいて分類するべきではないこと。
まず,(1)の考え方について。
ラテン語のlibrum(本を)が対格であるというのは,次の格変化の表から明らかである。
- liber (主格)
- libri (属格)
- libro (与格)
- librum (対格)
- libro (奪格)
librumはliberでもlibriでもlibroでもないから対格だと判断できるのである。
一方,英語では"book"は"book"のまま変化しないから主格とも対格とも与格とも判断できない。めったに見られないが,"book's"という形になったとき,はじめて属格(所有格)であると判断される。
つぎに(2)の考え方について。
ソネンシャインは「格は意味のカテゴリーを表示する」と主張する。つまり,"book"という形式が変化しなくても,"book"が文章の中で「本を」という意味を表していれば,対格だと主張するのである。
しかし,イェスペルセンはこれに対して批判を加えている。対格が常に「○○を」という意味を持つことは無く,他の意味を持つこともあるからである。それぞれの格に特定の意味を求めることは不可能であり,文章中の意味を以て格を分類することはできないというわけである。
イェスペルセンは諸言語の「格」の不規則性・混乱についてこう言っている:
いくら過去にさかのぼってみても,ただひとつ明確な機能しかもたないような格は,どこにも見いだされない。どの言語でも,どの格も種々異なる目的に役立ったので,そのあいだの境界は決して明白なものではない。この事実は,格を特徴づける形式要素の不規則性や不整合と関連させると,言語史上で目撃する多数の融合(syncretism)と個々の言語に見られる混沌たる諸規則とを説明するのに役立つのである――こういった諸規則は,このようにしてもなお歴史的に説明できないものが大部分である。(イェスペルセン『文法の原理』中巻145頁)
この文に続けて,イェスペルセンは,もっとも愛着のある英語という言語をこのように賞賛する:
かりに英語がこれらの規則を単純化する点で他の言語よりも進んでいるとすれば,わたしたちは心から感謝するべきであって,それをわざわざ数世紀前の無秩序と複雑さの状態へ押し戻すべきではない。(イェスペルセン『文法の原理』中巻145頁)
「わざわざ数世紀前の無秩序と複雑さの状態へ押し戻すべきではない」というのは英語に様々な格を見出そうとしたソネンシャインの主張への手短な批判であろう。
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コメント
地の果て、海の向こう、ならず者が跳梁する辺境の土地の言語。それ故に単純化され、容易に習得できる様に変成していった、と言うことでしょうか。
それを「こころから感謝すべき」だと喝破してみせるイェスペルセン、良いですね。
投稿: 拾伍谷 | 2014.09.15 01:06
イェスペルセンは非常に実証的な言語学者であり,豊富な用例を並べたうえで,無理のない説を提示するやり方をしています。極めて帰納的。
事実に基づいて,手短に主張するので,とても説得力があります。
投稿: fukunan | 2014.09.15 15:29