主語と述語:イェスペルセン『文法の原理』(中)を読む
イェスペルセン『文法の原理』中巻の第11章に主語と述語の話が出てくる。
イェスペルセン以前,様々な言語学者や論理学者が,「心理的主語・述語」や「論理的主語・述語」という用語を用いて,正確な主語と述語の定義を試みてきた。イェスペルセンはその事例を11も挙げているが,いずれも現実の言語の多様さを前にしてあえなく討ち死にしている。
イェスペルセンは結局のところ,「心理的」とか「論理的」とかいうことをやめ,「文法的」という範囲でのみ,主語・述語について述べることにしている。
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イェスペルセンは「一次語」「二次語」といったランクに立ち戻って主語・述語とは何か,ということを述べている。すなわち,
- 主語は一次語である(ただし,その文における唯一の一次語ということではない)
- 主語はより限定的・特定的であるが,述語はそれほど限定されていない
たとえば,
- My father is old.(父は,年とっている)
という文では"my father"はより限定された概念を表し,形容詞"old"はより一般的な概念を表すので,"my father"が主語,"old"が述語となる。
多くの言語では主語を最初に置く傾向が強く,とくに英語はその傾向が顕著であるというが,そうでない場合もある。例えば,
- A scoundrel was Tom.(トムは,悪党だった)
と言う文では,"a scoundrel"(悪党)が先に来ているが,これは一般的概念であるので述語であり,より限定的な概念である"Tom"が主語となる(世の中にはいろいろなトムがいることは確かだが,ここで話題にしているのは話し手と聞き手の間の共通の知人,唯一のトムである)。
イェスペルセンによれば,ドイツ語ではこういう書き方が良くみられ,例えば,ハイネの詩では
- König ist der Hirtenknabe.(牧童は,王様だ)
という表現があるという。"der Hirtenknabe"は"der"がついているから限定的で主語,"König"は一般的な王様という概念だから述語というわけである。
「イェスペルセンは,言語学の領域が産んだ,もっとも洞察力のある,独創的な思索家の一人であったばかりではなく,もっともおもしろい著作者の一人であるから,『文法の原理』を読むのは喜びである」
とマコーレーという人が言ったそうであるが,どの章を読んでもその通りだと思う。
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