イェスペルセンのネクサス
イェスペルセンが提案したネクサス (nexus)という概念は,一般には文の一部が「主語―述語」関係になっているものを指す。
ネクサスという語は『文法の原理』上巻の235頁に登場するが,例を挙げた詳しい説明はその後の第8章「連接とネクサス」に記されている。
- a furiously barking dog (激しくほえたてるイヌ)
は連接 (junction)と呼ばれる。"dog"という一次語を"barking"という二次語が規定(修飾)し,"barking"という二次語を"furiously"という三次語が規定するという形式である。
この例に対して,
- The dog barks furiously. (そのイヌは,激しくほえたてる)
という文はネクサスと呼ばれる。では,ネクサスは文だけを指すのか,というと,そうではなく,もっと広い概念である。
- She is alarmed when the dog barks.(イヌがほえると彼女はびっくりする)
という文を見るとき,従属節である"when the dog barks"には"the dog"と"barks"の「主語―述語」関係が見られる。
ここまではまだ,ネクサスはやはり文を指しているだけなのでは,と思われる。しかし次の例からは,文ではないものに「主語―述語」関係が見出される。
- He painted the door red. (かれは,ドアに赤いペンキを塗った)
ここでは,"the door"と"red"の間に,「主語―述語」関係が見出される。イェスペルセンはその「主語―述語」関係について詳しく書いていないが,小生なりに解釈すると,「ドアが赤く塗られた」あるいは「ドアが赤くなった」あるいは「ドアが赤い」という「主語―述語」関係が見出されるわけである。
これに対して"the red door"というような語句は,連接の一例である。
もう一つネクサスの例を示すと,こういうものがある。
- I saw the Doctor's arrival. (医者の到着を見た)
"the Doctor"と"arrival"の間には明らかに「主語―述語」関係がある。
連接とは一次語,二次語,三次語というように単語を組み合わせることによって,一つの概念を表現するものである。
これに対して,ネクサスとは,別々の概念を連結するものである。
イェスペルセンは連接とネクサスを次のように例える:
「連接は一枚の絵のようであり,ネクサスは過程もしくは劇のようである」(『文法の原理』上巻,302~303頁)
イェスペルセンは連接を硬直し固定した結合と呼び,ネクサスを柔軟で有機的な結合と呼ぶ。また,ネクサスは「すでに名前を挙げられたものに,何か新しいものを付加する」(上巻302頁)ものとも言っている。
『文法の原理』上巻の第9章では,様々なネクサスの例が示されている。例えば,306頁:
- I like quiet boys. (わたしは,おとなしい男の子が好きだ)
- I like boys to be quiet. (わたしは,男の子がおとなしいのが好きだ)
1の文では,二次語"quiet"が一次語"boys"を規定(修飾)しており,"quiet boys"は連接である。"like"の目的語は,"quiet boys"という一つの概念である。
これに対して2の文では,"boys"と"to be quiet"の間に「主語―述語」関係が見出される。"like"の目的語は「男の子がおとなしくしていること」というネクサスである。2の文を書き換えると,
- I like that boys are quiet.
ということになる。
ネクサスの利点は複雑な思想を洗練された形で表すことができるというところにある。『文法の原理』中巻の18ページにはこのような例が示されている。
- The Doctor's extremely quick arrival and uncommonly careful examination of the patient brought about her very speedy recovery. (医師のきわめてすばやい到着と,患者に対するすこぶる念入りな診察とが,彼女の非常に急速な回復をもたらした)
同じことをネクサスを使わずに表現すると,次のようになる。
- The Doctor arrived extremely quickly and examined the patient uncommonly carefully; she recovered very speedily. (医師のきわめてすばやく到着し,すこぶる念入りに患者を診察した。彼女は非常に急速に回復した)
後者の文はわかりやすいかもしれないが,拙い感じもする。
仕事文では後者の方が好まれるかもしれない。しかし,格式が必要とされる場では,前者のようにネクサスを駆使した文章が求められることだろう。
ちなみに,連接とネクサスの概念を用いて漢文を理解する試みもあって(参考:「日本漢文へのいざない」),読んでみると,連接とネクサスの概念は印欧語以外でも役に立つということがわかる。
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コメント
なるほどネクサスは劇ですか。
「ここに少年がいる、この人を見よ」で始まり、彼の性格が演じられるわけですね。…彼はおとなしい少年だった…
チョムスキーの生成文法に大きな影響を与えているというのも納得できます。イェスペルセン自身、ニーチェから影響を受けていたりするのでしょうか?
投稿: 拾伍谷 | 2014.08.02 01:36