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2014.07.07

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』を読んだ件

VOAの一分間米語講座で"cut to the chase"という言い回しを知った。ずばり本論に入れ,ということだ。

今回読んだエイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』(岩波文庫)は,"cut to the chase"と先を急ぐ人には全く不向きな小説である。だらだらと,どこに話が進むのか,先が読めず,要約もできない小説だからだ。

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エイモス・チュツオーラ( Amos Tutuola, 1920年6月20日~1997年6月8日)はナイジェリアのヨルバ族出身の作家である。詳細はWikipediaを見ていただくとして,本人は作家であるよりも鍛冶屋として成功したかったようである。解説によれば,アフリカでは,鍛冶屋は生活と芸術が一体化した社会的地位の高い仕事なのだそうだ。手慰みのように書いた小説が,西欧で注目される作品となったというのが面白い。


◆   ◆   ◆


<まず,訳文の文体について>

この小説の出だしはこんな感じである:

わたしは,十になった子供の頃から,やし酒飲みだった。わたしの生活は,やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は,タカラ貝だけが貨幣として通用していたので,どんなものでも安く手に入り,おまけに父は町一番の大金持ちでした。

父は,八人の子をもち,わたしは総領息子だった。他の兄弟は皆働き者だったが,わたしだけは大のやし酒飲みで,夜となく昼となくやし酒を飲んでいたので,なま水はのどを通らぬようになってしまっていた。

父は,わたしにやし酒を飲むことだけしか能のないのに気がついて,わたしのため専属のやし酒造りの名人を雇ってくれた。彼の仕事は,わたしのため毎日やし酒を造ってくれることであった。

「でした」と「だった」が入り混じる,奇妙な凸凹文体。もとの文章(ヨルバ風英文)が持つ独特の味わいを訳者の土屋哲が日本語として再現したという。

ちなみに,元の文章はこの通りである:

"I was a palm-wine drinkard since I was a boy of ten years of age. I had no other work more than to drink palm-wine in my life.

......

But when my father noticed that I could not do any work more than to drink, he engaged an expert palm-wine-tapster for me; he had no other work more than to tap palm-wine every day."

"drinkard"というのは「酒飲み」を表すチュツオーラの造語である。"no other work more than"とか"not do any work more than"とか似た表現が3回も登場している。訳者は,この冗長性というか洗練されていない原文の感じを凸凹文体の訳文で表したのだろう。

『やし酒飲み』の訳文のような文体,どこかで見たぞ,と思って,思い出したのが,猫田道子『うわさのベーコン』

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ここで改めて私は兄の死を知らされた。私は泣いてしまいました。わんわん泣いていても,母親は私をなぐさめず,自分の音楽にふけっています。それでもまだ泣いていた自分が,ふと泣くのをやめて辺りを見回すと,皆んな笑っている。(猫田道子『うわさのベーコン』より)

こういう作文・小論文ではいい点数を取れなさそうな文体を見ると,この小説には何かあるぞ,という期待が高まってくる。実際,『やし酒飲み』はそういう小説だった。


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<ストーリーについて>

『やし酒飲み』の解説として,多和田葉子が書いた「異質な言語の面白さ」という文章が巻末に収められている。多和田葉子は冒頭の文章を読むたびに笑ってしまうという。なにしろ,冒頭の文章を昭和の日本に置き換えてみれば,

「お父さんは,息子がマンガばかり読んでいて勉強しないので,マンガが不足しないように専属のマンガ家を雇って毎日息子のためにマンガを描かせました」(多和田葉子「異質な言語の面白さ」,本書232頁)

ということになるからである。父親が息子にやし酒を飲むのを禁じたり,教訓を垂れたりしないあたりで,すでにこの小説がおかしな展開をするだろうということが予感される。

やがて父が死に,そして,やし酒造りの名人が死んでしまって,主人公が十分な量のやし酒を得られなくなったところから,話が冒険譚というかファンタジーというか神話の世界へと急展開する。

死んだやし酒造りの名人はすぐに天国に行ってしまっているわけではなく,しばらくはこの地上のどこかを彷徨っている筈だというのである。死んだやし酒造りの名人を探すため,主人公の旅が始まる。

主人公は森の中を移動しながら,町々を訪ねていく。町によっては一年以上も滞在する長い旅である。

旅の経緯をメモ的に表すと次の通りとなる:

  • 故郷を出発
  • → 死神の家から死神を連れ出す
  • → 「頭ガイ骨」の一族から娘を救出し,妻とする
  • → 妻の親指から不死身で食いしん坊の息子・ズルジルが生まれる
  • → ズルジルによって夫婦ともにひどい目に合うが,ズルジルをドラム・ソング・ダンスの3者の許に置いて行くことで難を逃れる
  • → カヌーに変身し,渡し船の仕事をし,56ポンド11シリング9ペニー稼ぐ
  • → 6フィートを超える長身の白い生物たちに囲まれる
  • → 笑いの神に会う
  • → 幽霊島で快適に18か月過ごす
  • → 食いしん坊の森を抜ける
  • → えじきの精霊や,まぼろしから逃れる
  • → 不帰の天の町で迫害されるが,仕返しにこの町を滅ぼす
  • → 巨大な白い木の中の町に入り,誠実な母の世話になり,1年と2週間を過ごす
  • → 赤い王様と赤い住民が住む赤い町に至り,人々を脅かす赤い魚と赤い鳥を退治する
  • → 赤い町の住民の移住先・新しい町で暮らすが,揉め事により,この街を滅ぼす
  • → ある町で王子殺害の冤罪を被るが,真犯人が愚かだったため,難を逃れる
  • → 死者の町に至り,やし酒造りの名人に再会するが,連れ戻しには失敗
  • → やし酒造りの名人から不思議な卵をもらう
  • → 死者の町から故郷への帰路に就く
  • → 帰路で赤ん坊の死者に襲撃される
  • → 大きな生物の持つ大きな袋の中に異様な生物たちと共に閉じ込められる
  • → 主人公夫婦が飢えた生物に食べられてしまうが,お腹の中から飢えた生物を殺し外に出る
  • → 混血の町に至り,裁判員の仕事を引き受けるが,判決を出さずに逃げ出す
  • → 未知の山に至り,100万を超える山の生物たちと踊り,疲れ果てる
  • → 故郷に戻るが,天の神が雨を降らせないせいで飢饉が発生中
  • → 不思議な卵に祈ることによって食料を得,故郷の住民たちが救われる
  • → 住民が卵を壊してしまったことにより食料供給が途絶える。飢饉続く。
  • → 天の神に供物を捧げる
  • → 天の神が雨を降らせ,飢饉が終わる

旅の途上では様々な事件が起こるが,主人公は知恵と呪術(ジュジュ)を駆使して困難を乗り越えていく。

場合によっては,森の中の怪物を殺したり,町を滅ぼしたりと,主人公は結構残虐なことをやっているのだが,そうした模様が例の凸凹文体で描かれているので,おおらかな感じすら漂っている。


◆   ◆   ◆


<「古事記・日本書紀」との類似性>

残虐なのにおおらか,というあたり,日本の「記紀神話」を思い出させる。本書訳者・土屋哲による解説でも,

  • 「死者の町に住むやし酒造りの名人が,生者の町には帰れないこと」と「死んだイザナミが黄泉から帰れないこと」との類似性(生死の明確な区別)
  • 「主人公による赤い魚・赤い鳥退治」と「スサノヲによる八岐大蛇退治」との類似性

が指摘されている。もちろん『やし酒飲み』と「記紀神話」の両者の間には関係は無いわけだが,人類が共通して太古から持っている精神性が,両者に保存されているのかな,という気はする。

文体もまた,記紀神話を思い起こさせるようなところがある。訳者の解説によれば,オグンディペという人がチュツオーラの文体の特徴の一つとして

日本の祝詞や経文を連想させる,段落の少ない,息の長い句や文と,句読法を用いることによって,チュツオーラは,呪文的効果をあげることに成功していること(本書200頁)

を挙げているという。


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誰にでも薦められる小説ではない。だが,御用とお急ぎの方以外は,『やし酒飲み』を読んでみてはいかがかと。


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↑やしの樹液を採取する様子, Source: Wikipedia, Louis van Houtte - Flore des serres et des jardins de l'Europe volume 6 (1850-1851)

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コメント

マジック・リアリズムですな。アル中の妄想だったというオチかと思いきや全部本当なんですよみたいな、嘘か真かそんなことどうでもいいでしょ的突き抜け(あるいは非突き抜け)っぷりが素晴らしいですね。
作者が第2次大戦終結直後わずか数日で一気に書き上げたという逸話に感動いたしました。戦後派文学者なのですね。

投稿: 拾伍谷 | 2014.07.07 01:11

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