イェスペルセン『文法の原理』(上)を読む
高校の三年間,担任だった松永先生は学究肌の英語の教師だった。英語だけでなく,フランス語とドイツ語もこなしていた。あるときデンマーク語にも興味があるという話を聞いた。なぜかと尋ねると,イェスペルセンという言語学者の著書を読んでみたいのだと言った。そのとき,イェスペルセンという名前を初めて聞いた。
それから幾星霜。そのイェスペルセンの『文法の原理』上中下3巻が小生の本棚に鎮座している。2006年に岩波書店から刊行されたものである。訳者は英語・英文学者の安藤貞雄先生。
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解説によれば,デンマーク語では「イェスパスン」のような感じで発音されるそうだが,日本での通例に従って,本書ではイェスペルセンと記述されている。
言語学者というとチョムスキーがまず挙げられるだろうが,第二次世界大戦前は少なくとも英語の領域ではイェスペルセンが最高の権威だったという。
権威というと権威を振りかざしているような良くない印象を受けるが,イェスペルセンに関してはそういう話は聞かない。イェスペルセンの研究スタイルは,言語を何か独立した有機体と見るのではなく,人間の活動として見て,言語の使われ方(言語事実)に即して研究を行うという,篤実かつ堅実なものである。演繹的ではなく,帰納的というべきか。
イェスペルセンの研究スタイルは古臭く見えるが,チョムスキーはイェスペルセンを高く評価している。言語研究の基本として,つまり古典として,この文法の原理は現代的な価値があるのだ。そのわりにはWikipediaの記述が少ないのはいかがなものか。
ここ2,3週間,断続的にイェスペルセンの『文法の原理』上巻を読んでみたのだが,悪い意味でなく,良い意味で面喰うような内容だった。
我々が中学高校で学ぶ「5文型」とか,あれは形容詞・これは副詞というような品詞の種別とか,そういった固定され出来上がった英文法などは書かれてはいない。本書では,言語事実を踏まえて,文法の根底にある原理を浮かび上がらせようという意図の下,ラディカルでダイナミックな思索が展開されている。
で,あるから,通常の英文法の枠組みを破壊するような新しい見方が次々に登場する。
そもそも本書の英文タイトルは"The Philosophy of Grammar"であり,文法の「哲学」を語ろうという意思が看取される。
イェスペルセンは言語の本質を人間の活動として捉えている。特に,会話が重要であって,読み書きは二次的なものとしている。
言語とは,「ある個人の側では,自分の考えを相手に理解させるための活動であり,べつの個人の側では,相手が考えていることを理解するための活動」である(上巻27ページ)。言語研究を行う時にはこのことを忘れてはいけないとイェスペルセンは強調する。
「自分の考えを相手に理解させるための活動」というのは,概念を言語に直して伝達していく作業で,言ってみればエンコードの作業である。
これに対して「相手が考えていることを理解するための活動」というのは,受け取った言語を概念に置き換えていく作業であり,言ってみればデコードの作業である。
こうした言語に関する2つの活動に対応して,言語研究のアプローチとして2つの方法が生まれる。一つは内部の意味(inner meaning, I)から外部の形式(outer form, O)に向かうもの(I -> O)であり,統語論(統辞論,Syntax)と呼ばれるものである。もう一つは,外部の型式から内部の意味に向かうもの(O -> I)であり,形態論(Morphology)と呼ばれるものである。
人工言語の場合は,"O -> I"だろうが"I -> O"だろうが,同じ文法規則が見出されることだろう。しかし,自然言語の場合はそうはいかない。同じ文法的事実を,"O -> I"と"I -> O"の2種類の方法によって研究することによって,はじめて,言語活動を理解できるというのがイェスペルセンの主張である。
言語学の専門家にとってはイェスペルセンの主張は当たり前なのだろうが,門外漢の小生にとっては新鮮でである。
ここら辺までが第3章までの内容で,以後,品詞,ランク,ネクサスについての議論が展開される。
本書の文章は難解ではないものの,記述内容は多岐にわたっているため,読んでいると迷子になりそうである。
だが,訳者の安藤貞雄先生が解説の中で,注目するべきイェスペルセンの見解として,本書の見どころを教えてくれる(上巻393~399頁)ので,非常に助かる。安藤貞雄先生の解説とイェスペルセンによる本文を往復して読むと理解が進む。
イェスペルセンの独自の見解にはいろいろなものがあるが,一例として品詞の分類がある。
通常,名詞,形容詞,動詞,前置詞,…などという分類が行われるが,これらは必ずしも明確に定義されていない,とイェスペルセンは言う。
イェスペルセンは,型式上の基準を適用することによって,語類を,
- 実詞 (substantive)
- 形容詞
- 代名詞
- 動詞
- 不変化詞 (particle)
の5つに分類する。実詞というのは,通常は名詞(naun)と呼ばれているものである。
副詞,前置詞,接続詞,間投詞はどこに行ったのかというと,不変化詞にまとめられている。
副詞,前置詞,接続詞,間投詞。これらは互いに違うものだろうと思うかもしれないが,イェスペルセンは次のような例を示して(上巻209頁),従来の分類法を批判している:
- Put your cap on. (帽子をかぶりなさい)
- Put your cap on your head. (帽子を(頭に)かぶりなさい)
従来の分類法では1番目の例の"on"は副詞であり,2番目の例の"on"は前置詞とされる。だが,見かけの上で区別のつかない(しかも"Put your cap on"まで全く同じ形式の)"on"を副詞と前置詞にわざわざ分ける必要があるだろうか。
"on"を一つの品詞にまとめて,「あるときにはそれだけで完全であり,あるときには補足語(あるいは目的語)を伴う,と言うほうが自然ではないだろうか」(上巻209頁)
言われてみれば,ごもっとも。
品詞についてはさらに面白いことを言っている。安藤貞雄先生が解説の中で「品詞は,語について用いられる用語だが,語群になると品詞の区別は役に立たない」(395頁)と要約している主張である。
例えば,辞書を見ると"poor"は形容詞であり,"poor people"というように用いられる。しかし,"the poor"と言った時には名詞のような役割をする。
「"poor"は形容詞であるが,名詞的にも使われる」などと説明すると,実詞 とか形容詞とか品詞の分類をした意義が無くなる。
イェスペルセンは,品詞の分類上,"poor"は形容詞であるとする。そして,"poor people"と言った場合には"people"という「一次語 (Primary)」に結び付いた「二次語 (Secondary)」であり,"the poor"と言った場合には「一次語 (Primary)」であるというように,使われ方によって一次語,二次語という「ランク」付けを行う説明をしている。
一次語は主要な概念を表し,二次語は一次語を規定(制限,修飾)する。二次語は付加詞(Adjunct)とも呼ばれる。二次語を規定する単語が付属する場合には,その単語は三次語(Tertiary)あるいは従接詞(Sub-adjunct)と呼ばれる。三次語を規定する四次語(Quarternary),四次語を規定する五次語(Quinary),…というようにどんどん規定する単語が登場する場合もありうるが,いずれにしても,ある単語を規定する語が現れた場合には,品詞に関わらず,今述べたようなランク(規定関係)を定めることができる。
こういうランクを導入することによって,ある場合には形容詞が実詞になるとか,ある場合には実詞が形容詞になるとか苦しい説明をしないで済むようになる。
例えば,小生が読んでいるチャーチルの"マラカンド野戦軍物語"(参考)のタイトルの一部は
The Malakand Field Force (マラカンド野戦軍)
で,"Malakand"も"Field"も"Force"も名詞だが,"Force"が一次語,"Field"が二次語,"Malakand"が三次語,というようにランクを用いて説明することができる。
こうしたランク概念の導入によって,単語同士の規定関係が整理できるようになったが,このあと,その規定関係にも複数の種類があるということをイェスペルセンは述べている。そこで新たに出てくるのが,連接(Junction)とネクサス(Nexus)という概念だが,それについては稿を改めて書くことにしたい。
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