最後のハングマン,アルバート・ピアポイント没後22年
イングランドで「最後のハングマン」と呼ばれた,絞首刑執行人,アルバート・ピアポイント (Albert Pierrepoint) は1905年3月30日に生まれ,1992年の今日,7月10日に87歳で亡くなった。

(Albert Pierrepoint, Source: Wikipedia)
生涯に処刑した数は400人を超えるという。600を超えるという説もあるが,433人という説が最も有力である。
アルバート・ピアポイントの父も叔父も死刑執行人だったので,近代史では珍しい死刑執行人一家ということになる。
以下,英語版wikipediaからの情報。
1932年に死刑執行助手 (Assistant Executioner) として登録され,同年12月29日,死刑執行主任 (Chief Executioner ) だった叔父トマスの助手として,ダブリンの刑務所で初めての絞首刑を執行した。そのときに処刑されたのはパトリック・マクダモット (Patrick McDermott)という,兄弟殺しの若いアイルランド農夫だった。
死刑執行助手の給与は,一回の処刑につき1.5ギニー,現在の価値で92ポンド。さらに,処刑から2週間後,処刑が適切であったと認められた場合にはさらに1.5ギニーを与えられた。
正式な死刑執行人になったのは1944年以降のことだったが,1941年10月17日に執行したアントニオ・「ベイブ」・マンチーニ (Antonio "Babe" Mancini)というギャングの処刑が,アルバート・ピアポイントの第一号の処刑として公式に記録されている。
アルバート・ピアポイントが活躍するのは第2次世界大戦後,戦争犯罪者の処刑においてである。イギリスのファシストで,ナチスドイツに協力し,大戦中,ドイツからイギリス向のプロパガンダ放送を行っていた,ウィリアム・ジョイス,通称「ホーホー卿」の処刑をはじめ,多数の戦争犯罪者を処刑した。1946年から4年間,アルバート・ピアポイントはドイツとオーストリアに25回出張し,200名を処刑した。マスコミは,戦争犯罪者を処刑し続ける彼を英雄/セレブとして讃えた。
ピアポイントはその後,内務省と給与の問題でもめ,1956年に職を辞する。そしてイングランド北西部のサウスポートという港町で引退生活を送り,1992年に亡くなった。
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