国家緊急権――国家のクライシス・マネジメント
<本題に入る前に>
よく混同されるが,経営学の世界ではリスクとクライシスを分けて取り扱う。どちらも経営に悪影響を及ぼすことに違いないが,リスクは想定でき,ある程度コントロールできるに対し,クライシスは全く想定外のことで,事前に対応策を練ることができない。
例えば,わが国は毎年台風に見舞われる。これに備えて,工場の屋根を補修しておいたり,窓ガラスを補強しておいたり,台風直撃時の通勤規制をあらかじめ定めておいたりするのはリスク・マネジメントである。
これに対して,飛行機が工場に落ちてきて,工場長他幹部たちが亡くなってしまったらどうするのか,ということを考えるのがクライシス・マネジメントである。いろいろな答えがあると思うが,あらかじめ決めておけるのは次のようなことだろう:
- 責任者の序列を決めておく(工場長,副工場長,○○部長,○○課長,○○係長,○○班長,・・・というように上から順に,一般の社員,パートに至るまで)
- 現場で生き残っている一番上の責任者が,被害を最小限に留めることを目的として,必要な措置を講ずる
ようするに,クライシスの内容や対応策はあらかじめ定めることができない(定めることができたら,それはクライシスではなくリスクである)ので,「緊急時の責任者を定め,必要な行動をとらせる」ことのみ事前に定めておくということがクライシス・マネジメントのポイントである。
◆ ◆ ◆
<さて,本題>
先ごろ出版された橋爪大三郎『国家緊急権』(NHKブックス)を読んで,国家緊急権について考えることは,要するに国家のクライシス・マネジメントを考えることに他ならない,と理解した。
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本書「まえがき」で,著者は
- 政府→獰猛な番犬
- 人民→飼い主
- 憲法→鎖
- 緊急事態→悪漢
の例えをもって,国家緊急権の説明を行っている。
飼い主の手におえないような悪漢が家に侵入してきたときどうするべきか。獰猛な番犬を鎖から解き放して悪漢に立ち向かわせるのが,合理的ではないかと。この鎖を解き放つことが国家緊急権にあたる。
それがうまくいくかどうかはわからない。番犬は悪漢に向かわず飼い主を噛むかもしれない。二度と鎖に繋がらないかもしれない。
国家緊急権は劇薬であり,危険性がある。だから,憲法学では最大のタブーとされ,触れられない。だが,議論まで封じるのはいかがなものだろうか,というのが著者の意見である。
現憲法と法体系には「緊急時」の考え方が無い。これは致命的な弱点だと著者は言う。
緊急時とは戦争に限らない。このあいだの原発事故もあるし,パンデミックもありうるし,経済危機もありうる。現憲法と法体系で対応できない事態に対し,公共の福祉を守るため,主権者たる人民に代わって政府が行動をとるのが国家緊急権である。
緊急時には,必要があれば,政府は行動すべきです。必要があれば行動するのが正しい,と憲法に書いてあるかのように行動する。これは形式的には憲法違反ですが,実質的には合理性をもっている。(本書 55~56頁)
国家緊急権は緊急時に発動されるが,目的はもとの憲法秩序に戻ることにある。その戻し方が重要なのだが,失敗すると実質独裁制に移行する可能性がある。だから,議論したくない,緊急時については考えたくない,現憲法はそのままにしておきたい,そういう意見が生ずる。国家緊急権は民主主義と憲法秩序をよく理解したものだけが取り扱える難問,「上級問題」なのである。
しかし,著者はこのように述べる:
「日本の人びとは過去半世紀あまり,民主主義と憲法秩序に慣れ親しみ,充分に国家緊急権を理解できる下地ができていると思うのです」(本書 172頁)
国家緊急権について考えることは現憲法の重要性や限界について考えることである。そしてまた,政治家を選ぶ際には,ひょっとしたらその人物が国家緊急権の担い手になるかもしれない,という緊張感をもって臨む必要があるだろう。
◆ ◆ ◆
<ついでに>
かつて,高校生だった頃,橋爪大三郎先生の著書でインパクトを受けたことがある。それは『はじめての構造主義』(講談社現代新書)だった。
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構造主義やポスト構造主義の思想家の著書はもちろんのこと,浅田彰先生による解説本『構造と力』,『逃走論』をよんでもイマイチ,現代思想についての理解が深まらなかった頃,『はじめての構造主義』によって,ようやく霧が晴れたような気がした。
その後,竹田青嗣『現代思想の冒険』(毎日新聞社 1987年),笠井潔『ユートピアの冒険』(毎日新聞社 1990年)と読み進めてなんとか現代思想に関する基礎知識が身に付いたと思う。
橋爪先生による一般向けの文章は平易かつ明晰で,今回の『国家緊急権』もその例に漏れない。
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