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2014.06.30

グノーシス主義に関する最良の入門書:大貫隆『グノーシスの神話』

つい最近,講談社学術文庫入りしたばかりの大貫隆『グノーシスの神話』は,一冊でグノーシス主義の全貌が把握できる,凄い本である。こういう本が税込1200円以内で手に入るというのは素晴らしいことだ。

グノーシスの神話 (講談社学術文庫)グノーシスの神話 (講談社学術文庫)
大貫 隆

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グノーシスとは何か,ということを高校生の時に使っていた世界史辞典だの実家の古い辞書だので調べてみると,こんなことが書いてある:

グノーシス派 Gnosis キリスト教の異端の一派」 1~4世紀ごろ,ギリシア・小アジア・エジプトなどに広まり,グノーシス(ギリシア語で「知識」の意)により神を認識しようとしたが,その理性的な態度は教会側から異端として攻撃され,衰えた。(歴史教育研究所編『世界史辞典』旺文社,改訂版発行1978年,重版発行1987年)

グノーシス派 《the Gnostics < ギリシア gnosis(知識)》 初期キリスト教徒の一派。ギリシア哲学を信仰と結びつけようとした。2~3世紀に,ローマ・ギリシアに流布。のち,異端として弾圧された。(三省堂編集所編『広辞林 第5版』三省堂,1973年)


間違ってはいないが,「グノーシス主義」ではなく,より狭く,キリスト教の一派としての「グノーシス派」についての記述しかない。何よりも,教義内容には触れず,歴史的経緯のような表面的なことしか述べられていない。まあ,辞書の限られたスペースではこんなものだろう。

これらに対し,『グノーシスの神話』では,「はじめに」の部分で,グノーシス主義について簡潔にわかりやすく述べている:

グノーシス主義とは,人間の本質は至高の神の一部であり,その本質を絶対的に超える存在はない,という思想(略)
ただし,現実の人間は居場所を間違っている。本来の場所へ立ち帰らねばならない。このことの「覚知」(あるいは「認識」,ギリシア語でグノーシス Gnosis)こそが,その立ち帰りの途を開く。これがグノーシス主義のメッセージである。(本書3頁)

間違った居場所とはこの世界であり,そしてこの肉体のことである。

そして,本来の場所とは,プレローマーとも永遠のアイオーンとも呼ばれる,至高神の思惟で充満した領域である。

つまり,神の一部でありながら,この腐敗した世界で生きていかざるを得ない人間,という鬼束ちひろ的世界観・人間観,これがグノーシス主義の中核というわけだ。

え,この世界や人間(の肉体)は間違って作られたの? 神の一部がなぜ,人間の中に入っているの? 等々の疑問が発生するはずだが,グノーシス主義に属する宗教はそれらについて壮大な神話を以て回答する。


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グノーシスの神話は,上エジプトで発見されたナグ・ハマディ文書,エジプトやトゥルファンで発見されたマニ教関連文献,キリスト教グノーシス諸派やマニ教を論駁する古代・中世の文書,現在もメソポタミアに細々と伝承されているマンダ教の経典「財宝(ギンザー)」など,様々な文書に記されている。だが,これらの文書の記述内容には大きなばらつき,時として記述の混乱や矛盾点が見られ,「この経典を読めば,グノーシス主義の全貌が分かる」というようなものとはなっていない。

しかし,著者はグノーシス主義の文献の重要箇所を断章として取り出し,それらを神話の展開過程に沿って整理して読者に提示することにより,原典をしてグノーシス神話の全貌を語らせることに成功している。

グノーシスの神話は3類型に分かれる。一つはヴァレンティノス派・シモン派・セツ派などに代表される「シリア・エジプト型」あるいは「西方型」と呼ばれる類型で,具体的な内容は本書第II章「ナグ・ハマディ文書の神話」で示される。

「西方型」は端的に言えば一元論の世界観による神話である。至高神の,そして人間の真の姿としての「光」が全ての根源となっている。著者の説明を引用する:

(西方型)では,「光」そのものの中に一つの「破れ」が発生して,それが原因となって,やがて「闇」の領域の中に造物神が生成する。さらには彼によって目に見える宇宙万物が創造され,その中に人間が「心魂」と肉体から成るものとして造られる。その心魂的および肉体的人間の中に光の部分が至上の原理として宿ることとなったのは,その「破れ」を修復しようとする光の勢力が造物神の知らぬ間にそれを注入したことによる。個々人の救済は,このことを認識して,それにふさわしく生き,肉体の死後,造物神の支配する領域を突破して,その彼方の光の世界へ回帰することにある。(本書31ページ)


グノーシスの神話の別類型は,マニ教に代表される「イラン・マニ教型」あるいは「東方型」と呼ばれる類型で,具体的な内容は本書第IV章「マニ教の神話」で示される。

「東方型」は善悪二元論による神話で,「光」と「闇」の対立を主軸としている。著者の説明を引用する:

人間の真の自己の隠喩としての「光」,その対立原理としての「闇」をそもそもの初めから設定し,互いに対立させると同時に,二つの原理が混合し合う事件を考える型である。宇宙生成以前に起きたその事件によって光の一部が闇の中に失われた。光の側は失われた部分を取り返そうとし,闇の側はそうはさせまいとする。目に見える宇宙万物と人間の肉体は,その角逐の中であくまでも戦略的に創造される。人間の救済は,闇の中に捕縛された光の部分の濾過回収がどこまで成功するかに懸かっている。(本書30~31ページ)


グノーシスの神話の最後の類型はマンダ教である。これは「西方型」と「東方型」の混合した類型である。その具体的な内容は本書第III章「マンダ教の神話」で示される。


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グノーシス神話では至高神と造物神は同一ではない。

例えば,「西方型」の神話では至高神から流出したソフィアというアイオーン(神的存在)が起こした過失によって,無知蒙昧な造物神ヤルダバオートが生まれる。ユダヤ教徒にせよキリスト教徒にせよ,自分たちが崇めている全能の神が低位の無知蒙昧な神に貶められたらたまったものではない。だからこそ,キリスト教内部のグノーシス派は最大の異端とされ迫害されたわけである。

グノーシス主義の宗教のほとんどが滅んでしまった理由の一つには,こうした正統主義キリスト教会との戦いがあるだろう。

しかし,グノーシス主義の宗教はキリスト教に対して,悪はどこから生じたのか,という難問を突き付けた。グノーシス側,例えば「西方型」の神話ではソフィアの過失が悪の由来となっている。「東方型」マニ教では,そもそも「光」=「善」に対する「闇」=「悪」という存在を前提としている。複雑な神話体系となってはいるが,グノーシス主義の宗教側は悪の由来についての答えを持っているわけである。

キリスト教会側は,「予定論」と「原罪論」という教義によってこの難問を解決したというが,キリスト教神学の知識を持たない小生にとってはこれらの教義は難解でよくわからない。だが,グノーシス主義が論争を通してキリスト教の教義を深化させる役割を担ったのだろうということはわかる。ブレーメンベルクから見れば,それらの教義は「超克されずに移植されただけのグノーシス主義」だということだ。それが正しいのならば,グノーシス主義はキリスト教の中でimplicitに生き延びていると言えるだろう。


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本書の「結び グノーシス主義と現代」ではニューエイジ運動とグノーシス主義,「終わりなき日常」(by 宮台真司)とグノーシス主義など,興味深い話が展開されているが,そのあたりは稿を改めて紹介する。


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