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2014.06.04

【六四天安門事件から25年】幻の「38軍」

「天安門事件」というのは1976年と1989年の2度発生している。今,日本で天安門事件と言えば,後者,1989年6月4日に発生した「六四天安門事件」を指すことが多い。

今日はこの六四天安門事件(以後,単に天安門事件と書く)発生から25年の日である。

この事件が起こった時,小生は阪大の1回生(1年生)で豊中キャンパスで教養課程の教育を受けていた。西洋史や政治学の先生方が,授業のマクラでこの事件についていろいろ解説してくれたことを覚えている。

「六四天安門事件」についての概説はWikipediaに書いてあるし,これからネット,テレビ,新聞などで解説記事,回顧記事が書かれることだろう。小生はここでは,天安門事件報道にまつわる,一つのミステリーについて書いてみたい。


  ◆   ◆   ◆


6月4日未明,天安門広場に集まった学生に対して,人民解放軍・戒厳部隊による武力行使が行われた。

これに対して反対の立場をとる軍の別勢力(反戒厳軍)があって,戒厳部隊との対決姿勢を強めていた…という報道があった。

当時の朝日新聞の記事にはこうある

「軍同士が衝突か、重火器の砲声響く 内戦に発展の様相も 北京」(北京・田村特派員,1989年6月6日 朝日新聞朝刊)
「市内では5日,戒厳部隊の戦車隊による威嚇行進や発砲が続いたが,夜8時すぎになってロケット砲など重火器による砲声が時折響き出した。北京市西郊では,戒厳部隊のうち楊尚昆・国家主席の子息が指揮をとるとされる27軍と,鎮圧に反対の立場をとるといわれる38軍との対峙(たいじ)状態が伝えられている。」
「中国、武力行使への抗議行動が拡大 反戒厳軍への備え? 要所に戦車」(北京・田村特派員,1989年6月6日 朝日新聞夕刊)
「北京市中心部を武力で制圧した楊尚昆国家主席直系の戒厳部隊は5日深夜から,市内数カ所の幹線道路の要所に戦車部隊と大量の兵員を配置,趙紫陽・党総書記ら改革派につながるとみられる反戒厳部隊との対決に備える構えを見せている。楊氏と李鵬首相らの武力鎮圧に対する反発は,学生,市民ばかりでなく解放軍内部にも広まっており,5日深夜から6日未明にかけて、市内では軍同士による衝突の情報も飛び交った。」


ということで,戒厳部隊の27軍と反戒厳部隊の38軍が対峙し,一部では戦闘が始まったのではないかとの情報も伝えられている。


  ◆   ◆   ◆


翌6月7日,朝日新聞はこのように伝えている:

「軍同士、各所で銃撃戦 戒厳軍が深夜移動 内戦の危機はらむ北京」(北京・田村特派員,1989年6月7日 朝日新聞朝刊)
「消息筋によると, 戒厳部隊と衝突しているのは, 当初から学生運動鎮圧への武力行使に反発, 4日未明の部隊出動に対して命令を拒否したとされる38軍(河北省保定市)や28軍などが主力。」
「38軍は6日早朝から, 市南郊の南苑軍用空港で27軍と銃撃戦を繰り広げ, 同夕には38軍が空港を包囲した模様だ。」
「一方, 28軍は4日未明の武力鎮圧の際, 市西郊から進入したが, 鎮圧命令を拒否, 大量の戦車や軍用車両を放棄, 市西部の革命軍事博物館に引きこもっていた。6日夕, この28軍と戒厳部隊は同博物館付近で衝突, 戦車砲やロケット砲が使われた模様だ。午後5時25分ごろには, 戦闘現場から15キロ近く離れた市東部でも, 「ズシン, ズシン」と響く重火器によるとみられる砲声が十数回続いた。」
「戒厳部隊の27軍は, 市中心部の第2環状線内にある, 共産党と政府中枢機関のある中南海や天安門広場付近と, 幹線道路を維持しているが, 進駐が長引くにつれ, 弾薬, 燃料, 糧食などの欠乏が目立っており, 指揮系統の通信線の維持と同時に補給線の確保が急務となっている。反戒厳軍は, こうした戒厳部隊の消耗を待ちながら, 戒厳部隊への反発が強い学生, 市民の力も借りて市街戦を展開する恐れもある。」

反戒厳派として38軍に加え28軍も参戦し,反戒厳派が有利に事を進めているかのような報道内容である。いよいよ体制転覆か?!


  ◆   ◆   ◆


と思っていたら,翌6月8日には矛盾する報道が流された:

「北京市内で軍にらみ合う 反戒厳部隊が進出 27軍, 中心部に再集結」(北京・田村特派員,1989年6月8日 朝日新聞朝刊)
「慌ただしい部隊の動きの中で, 市民らの間には反戒厳部隊の中心とみられる38軍が市中心部に入った, との情報が広まっている。標識を黒く塗りつぶしたトラックの兵士が, 沿道の市民に指で「3」「8」と示した, というもので, 市西郊から天安門広場に接近しているといわれる。しかし, 西側外交筋によると, 8日朝, 天安門広場にいた戦車, 装甲車, トラックは27軍のものだったといい, 情報は入り乱れている。」

ということで市内にいる人民解放軍が戒厳部隊なのか反戒厳部隊なのかよくわからなくなっている。

同じ記事でこのようなことも述べられている:

「8日朝の北京放送は, 人民解放軍の蘭州軍区と成都軍区が党中央と国務院, 中央軍事委員会に電報や書簡を送り, 「首都反革命暴乱平定のための果断な措置を擁護する」と表明したと伝えた。福建, 江西, 陜西の3省と最高人民検察院なども支持を表明したという。中国の7つの1級軍区が武力制圧と戒厳部隊への支持を正式に打ち出したのは初めてとみられ, 軍内部で戒厳部隊支持派が依然, 強い勢力を持つことを示している。」

7大軍区全体が武力鎮圧を支持したという話。逆に言えば,反戒厳派が不利になっているということ。ところがこの文章の直後にはこんな文章が続いている:

「当地の消息筋によると, 38軍が中心とみられる反戒厳軍は7日午後, 戒厳軍の27軍に対し, 武装解除の勧告をした。27軍の反応は明らかではない。」
少なくとも北京市内では反戒厳派・38軍が優勢ということか?

北京の田村特派員の記事の後には香港から次のような情報が伝えられている:

「8日の中国系香港紙「文匯報」は, 北京の消息筋の話として, 天安門広場などに進駐していた戒厳部隊の27軍が7日朝から北京市中心部を離れ始めたのは, 住民の憤りが激しいほか, 共産党トップが同軍部隊の行為が「あまりにやり過ぎ」と感じたためで, 天安門広場の防衛は北京軍区の38軍が引き継ぐことになろう, と報じた。
北京軍区の38軍は民主化要求運動への実力行使に反対の立場をとってきたとされる。その38軍が27軍を「引き継いで」天安門広場に展開するといういきさつについて, 文匯報は何も報じていない。 」(香港・花野特派員,1989年6月8日)

天安門広場の防衛を38軍が27軍から引き継ぐ,という内容である。衝突していたんじゃないのか?という疑問が生じてくる。

これ以降,人民解放軍同士の衝突という報道が下火になり,やがては伝えられなくなってくる。

反戒厳部隊・38軍。それは,民主化運動を担った学生や市民たちの願望が生んだ幻想だったのか?

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