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2014.05.29

今年は(哲学における)京都学派誕生80周年

1934(昭和9)年に刊行された戸坂潤の著書『現代哲学講話』に初めて「京都学派」という言葉が登場する。これを以て哲学における「京都学派」という名称の誕生とすれば,今年は誕生80周年ということになる。

今,読んでいる竹田篤司『物語「京都学派」 - 知識人たちの友情と葛藤』(中公文庫)は,そのサブタイトルのとおり,「京都学派」を成立させた西田幾太郎田辺元,その影響下にあった哲学者たちの交友や争いを描いた作品である。

物語「京都学派」 - 知識人たちの友情と葛藤 (中公文庫)物語「京都学派」 - 知識人たちの友情と葛藤 (中公文庫)
竹田 篤司

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哲学における「京都学派」の最後の証人とも言うべき,下村寅太郎の残した莫大な記録をもとに,下村寅太郎を「進行役」として京都学派の人々の行動,人となりを描いている。

思想の細かい部分ではなく,事実関係に重きを置いた内容となっているので読んでいて面白い。やはり人間は人間の行動に興味があるのである。西田幾太郎『善の研究』に3度挫折した小生でもついていける内容。

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日本近代思想における「京都学派」の位置づけ,その思想の特色については熊野純彦編『日本哲学小史』(中公新書)がきれいにまとめている。あ,これも中央公論新社だ。

日本哲学小史 - 近代100年の20篇 (中公新書)日本哲学小史 - 近代100年の20篇 (中公新書)
熊野 純彦 編

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ビジネスとしてのエベレスト

小生,登山などしないくせに登山のドキュメンタリーがあると見てしまうし,本や記事も読んでしまう。

NHKの「世界の名峰 グレートサミッツ」の再放送とか見るし,こういうやつとか読むし:

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去る,2014年4月18日にエベレスト史上最大規模の遭難事故が発生した:

エベレストで雪崩、12人死亡4人不明 最悪の遭難事故」(2014年4月19日,日経新聞)
登山隊の撤退相次ぐエベレスト 雪崩事故の影響で」(2014年5月2日,CNN)
今のところ13人のシェルパが死亡,その他3名が行方不明ということになっている。

これをきっかけに議論が起こるか,と思ったが,そうはならない様子だ。

WSJにこういう記事が出ている:

シェルパ、運命そしてエベレストの危険なビジネス(前編)」(By Gordon Fairclough, Raymond Zhong, and Krishna Pokharel, WSJ, May 28, 2014)

危険ではあってもネパールにとっては3億6000万ドルを稼ぎ出す巨大ビジネスになっているとのこと。

ネパールのGDPは194億ドル(2012年)だから,GDP比で2%。これは大きい。

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2014.05.24

梅棹忠夫「未知への探究(desiderium incogniti),これが一番大事なことなんや」

消費税増税前にいくつかの本をあわてて買ったわけである。その顛末は「増税前,最後のあがき」という記事に書いた。

その際買った本の一つが山本紀夫『梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯』(中公新書)だが,出張の合間に読んで,先日読み終えた。著者は梅棹忠夫の弟子とも言うべき人で,梅棹忠夫の影響で生物学から民族学に転向してしまった経緯を持つ。

この本は梅棹忠夫に対する敬意と驚異に満ちあふれた伝記であり,読んでいて楽しく,とくに梅棹忠夫が華々しく活躍する前,少年・青年時代をよく描いていて面白かった。

梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯 (中公新書)梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯 (中公新書)
山本 紀夫

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梅棹忠夫はあれこれ研究テーマを変えるので,移り気なように見えるのだが,実は研究活動の根底には一つの一貫した軸があることがこの本を読むとわかる。それは「"desiderium incogniti" (未知への探究)」の精神である。誰も行っていないところ,誰も研究していないことを求め続けることが梅棹忠夫の研究活動の核となっている。それを踏まえ,著者・山本紀夫は梅棹忠夫を「終生探検家」と呼ぶ。

梅棹忠夫の人生は(誰もがそうだが),必ずしも順風満帆とはいかなかった。敗戦により研究フィールドであるモンゴルから撤退せざるを得なかったり,フィールドを国内の農村に切り替えて間もなく結核で二年の療養をせざるをえなかったり・・・。人生最大の苦難としては60代半ばに失明したことが挙げられる。

そういった障害に直面しても,さらなる闘志を燃やし,あらたな研究フィールドを開拓していったあたり,やはり「終生探検家」と呼ぶにふさわしい。

ちなみに本記事のタイトルは『梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯』に引用されている梅棹自身の発言である。

梅棹忠夫が亡くなったとき,本ブログでは著書をいろいろ紹介した。参考までに。

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2014.05.18

ラオスで軍用機墜落。国防相や首都市長ら死亡

昨日5月17日現地時間午前7時(日本時間9時)頃,ラオス北部シェンクワン県でラオス空軍機が墜落し,ドゥアンチャイ・ピチット (Douangchay Phichit)副首相兼国防相や首都ビエンチャンのスカン・マハラート (Sukhan Mahalad)市長らが死亡した模様。

600pxflag_of_laos_svg


"Laos plane crash kills defence minister and senior officials" (by Martin Williams and agencies, theguardian.com, May 17, 2014)

Douangchay Phichit, his wife and three others die after air force plane crashes in forest near airport in Xiangkhoung province

ジャール平原で開かれる式典に出席するための移動中だったらしい。国防相の他にもトンバン・センアポン治安維持相ほかVIPが結構搭乗していたらしい。

17名が搭乗していて1名のみ生存という報道もあるが,正確なところはまだ不明である。

小生としては以前お世話になったナム・ヴィヤケット (Dr. Nam Viyaketh)産業商業大臣が含まれていなければ良いが,と思っている。

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2014.05.16

鞆の浦の太田家住宅(旧中村家住宅)のこと

鞆の浦の話。

Tomonouraminato
↑鞆の浦の港にある常夜燈(とうろどう)

先の連休中に鞆の浦に行ったわけだが,港の近くに立派な商家がある。「太田家住宅」である。

Ootake01

もともとは江戸期に福山藩の庇護の下,保命酒を独占販売してきた蔵元「中村家」の屋敷だった。鞆の浦随一の資産家だったという。

明治期に没落し,太田家の所有となったため,現在では「太田家住宅」と呼ばれる。

しかしそれでは中村家の歴史がまったく偲ばれなくなるということで,「旧中村家住宅」と称するべきではないか,というのが地元の一部の意見である。

Ootake03

この「太田家住宅(旧中村家住宅)」には,1863年(文久3年)8月,尊皇攘夷派の公卿7人(三条実美ら)が京都を追われて長州に逃亡した際(七卿落),宿泊先として使われたという歴史もある。

Ootake02

鞆の浦は万葉時代から栄え,幕末維新の重要な舞台ともなった。
しかし,瀬戸内の海上交通が帆船から動力船に代わるにつれ,このあたりの中心的な港は尾道へと移っていった。

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2014.05.15

超大作「覇記」更新,「美味しんぼ」騒動,その他マンガ関連

ここ数日,執筆活動とか雑用で忙しくて記事を更新していなかった。
本日はマンガ関連の小ネタ集で記事を書く。


【その1】 5月6日に超大作「覇記」更新
連休最終日,2014年5月6日に「覇記」の162話が掲載された。半年ぶりである。

前回,貞山青葉が仙台王として戴冠し,北上侵攻を宣言したが,今回はそれが本格化。貞山青葉は日向王子を新たな北上王として擁立する方針を示す。

東北の覇権を巡る争いのプロットをまとめるため,著者にとって半年間という時間が必要だったのかもしれない。


【その2】 5月14日「カンニング・スタンツ」更新
昨日5月14日に「カンニング・スタンツ」第27話中編が掲載された。季布旗下の陳平はなかなかの曲者。
あと,項籍(項羽)の重瞳(多瞳孔症)について触れている。


【その3】 銀河声優伝説
Liontan氏が運営する"Hyper Lion tan"というサイトに「銀河声優伝説」シリーズというのがある。
アニメ版「銀河英雄伝説」に出演した声優をネタに,1,2頁モノのパロディ(?)マンガを定期的に掲載しているが,絵が達者。荒木飛呂彦だろうが,福本伸行だろうが,なんでも画ける。


【その4】 「美味しんぼ」騒動
「鼻血」描写が福島に対する風評被害だということで,騒動になっているが,言論・表現を封じちゃいけません。雁屋哲も福島県側も双方とも主張し続ければよい。

「鼻血」描写ばかり議論されるが,それは「美味しんぼ」の描写の一部であって,この作品の本当の意図はむしろ「福島の豊かな食文化に対する畏敬の念と愛情,それを育んで来た土壌・自然が失われてしまったことへの嘆き」にある,ということを舩橋淳という映画監督がハフィントン・ポストで書いている。

『美味しんぼ』の鼻血問題:敵を見誤ってはいけない」(舩橋淳,2014年5月13日,ハフィントンポスト)

いまの世の中,文脈を読まずに部分だけ取り上げて議論する傾向があるような気がするが,ネットのせい?
というかコミュニケーション手段がどんどん短文化していること(Webページ -> ブログ -> twitter -> Line)が影響しているのか?

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2014.05.09

鞆の浦名物,保命酒(ほうめいしゅ)は日本のグリューワイン

前にも紹介した(参照)が,鞆の浦の名物の一つが「保命酒(ほうめいしゅ)」である。

十六種の薬草(高麗人参,桂皮,陳皮,菊花,やまの芋,甘草,サフラン,枸杞子,黄精,丁子など)を漬け込んだ甘い薬味酒で,明治までは鞆の浦の中村家の独占製造・販売だった。

幕末,ペリーやハリスをもてなした際には保命酒が食前酒(アペリティフ)として供されたという。

中村家は明治33年に廃業。明治以降は次の4社が製造・販売を行うようになり,今もそれが続いている:

以前,小生が福山駅で購入したのは。「岡本亀太郎本店」製の500ml,1000円のものだった(↓)

Houmeishu

今回は岡本亀太郎本店で杏子を加えた「杏子姫」を,入江豊三郎本店で「十六味保命酒」を,それぞれ購入した。試飲したが,岡本亀太郎本店製のものは味が濃く,リキュールらしい味,入江豊三郎製のものは味が淡く,薬草の匂いが強い感じである。

各社のホームページからも発注できるし,アマゾンでも購入可能なので興味ある人はご購入を。

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2014.05.08

鞆の浦に行って「鯛網」を見た

この連休,倉敷や鞆の浦に行ってきた。

鞆の浦は,坂本竜馬「いろは丸沈没事件」の発生場所や「崖の上のポニョ」のロケ地としてよく知られている。万葉集にも読まれた長い歴史を持つ港町である。

ここでは5月の上・中旬に「鯛網」という伝統漁法が観光客に公開される。今回はそれを見にツマと行ってきたわけである。

パンフレットによれば,鯛は外洋で冬を過ごし,三月末から瀬戸内海に入って来て,産卵場所を求めて遊泳するという。鞆の浦近辺の海(備讃瀬戸,燧灘,備後灘)はその良い産卵場所となっている。

鞆の浦の沖合に群がる鯛を効果的に獲る漁法として1632年に考案されたのが,「しばり網漁法」の一種,「鯛網」であるという。

鯛網の観光化は1923年に始まり,太平洋戦争による中断を挟んで,1949年に再開され,今年で85回目を迎えているとのこと。

以下,鯛網観光の記録である。


  ◆   ◆   ◆


福山駅構内の福山地方観光案内所で鯛網観覧券(前売り2500円)を購入し,宿泊先「景勝館漣亭」の送迎バスで鞆の浦まで移動。

30分ほど移動した後,鞆の浦に到着。荷物を旅館に預けて,渡し船「平成いろは丸」で沖に浮かぶ「仙酔島」に渡った。

鯛網用の漁船団と鯛網観光用のフェリーは仙酔島から出る。出発までの間,地元保存会による「アイヤ節」,漁師たちによる樽太鼓,乙姫の舞が披露される。こういうのを見るの,楽しい。

Ferrytomonoura
↑鯛網観光用のフェリー

Gyosentomonoura
↑鯛網漁船団

Gyosen2tomonoura
↑鯛網漁船団(手前の2隻が「真網」「逆網」と呼ばれる親船2隻)

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↑漁師の神・弁天様の使いである乙姫様


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↑アイヤ節保存会によるアイヤ節(その1)

Aiyabushi02
↑アイヤ節保存会によるアイヤ節(その2)

Otohimemai
↑乙姫様による大漁祈願・弁天竜宮の舞


さて,13:30。いよいよ出発である。フェリーも漁船も出航する。乙姫様の船も付いていく。

Gyosendeparture
↑出航する鯛網漁船団

Otohimefollows
↑乙姫様も豊漁を祈願し続ける


出漁,網入れ,網しばりと一連の作業が進み,いよいよ網の引き上げである。引き上げが終わったら,フェリーを親船に横付けし,観光客が乗り込んで鯛の即売会開始。

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↑引き揚げ作業(その1)

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↑引き揚げ作業(その2)

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↑引き上げられた鯛

Redseabream02
↑観光客が親船に乗り込んで見物・買付。「一枚(一匹)1000円」という漁師の掛け声のもと,どんどん鯛が売れていく。

Otohimeworks
↑乙姫様も漁の応援を続けます


ということで,とても楽しく珍しく勇壮な鯛網見物だった。

鯛網観光の後,フェリーは鞆港に到着。このあとは地元のガイドによる鞆港の街並み見物が行われるわけだがそのことはまた別記事で書く。


今年度(2014年)の観光鯛網は5月3日(祝)から18日(日)まで毎日開催。平日は午後1回のみ,日曜祝日は午前午後の2回。見てない人は福山・鞆の浦までお越しを。

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2014.05.02

樋口一葉生誕142年

樋口一葉は1872年5月2日(旧暦3月25日)に生まれた。生誕142年だということはGoogleのトップ画面で知った。

Wikipediaにも書いてあるが,樋口一葉と署名したケースは1例だけだそうである。小説家としては「一葉」とのみ記しているとのこと。

実は一葉の作品,ちゃんと読んだことが無い。そういう人は多いと思う。多くの人にとっては単に5000円札の人でしかないのでは?

生誕日ということをきっかけに,一葉の初期の作品である「闇桜」(初出「武蔵野 第一編」,1892(明治25)年3月23日)を青空文庫で読んでみた。

あらすじは単純で中村千代という少女が幼馴染の園田良之助への恋いに苦しみ病没するという話。

出だしはこんな感じである:

へだては中垣なかがき建仁寺けんにんじにゆづりてくみかはす庭井にはゐみづまじはりのそこきよくふか軒端のきば梅一木うめひとき両家りやうけはるせてかほりもわか中村なかむら園田そのだ宿やどあり園田そのだ主人あるじ一昨年をとゞしなくなりて相続さうぞく良之助りやうのすけ廿二の若者わかもの何某学校なにがしがくかう通学生つうがくせいとかや中村なかむらのかたにはむすめ只一人たゞひとり男子をとこもありたれど早世さうせいしての一つぶものとて寵愛ちやうあいはいとゞのうちのたまかざしのはなかぬかぜまづいとひてねがふはあし田鶴たづよはひながゝれとにや千代ちよとなづけし親心おやごゝろにぞゆらんものよ

120年以上前の文語はこんなもんだったんだね,という印象。今の人々にとっては古文である。
声に出して読まないと切れ目がわからない。昔の人は声に出してみんなで読んでいたのではないだろうか?

最近,朝日新聞が夏目漱石「こころ」連載開始百年を記念して,「こころ」(1914(大正3)年)を再掲しているのだが,その文章は今の文章との差が小さい。

120年前~100年前の間に現代につながる文語が形成された,と思えるのだがどうだろう?

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2014.05.01

研究ノートはいつまで保存するべきか?

STAP細胞問題は何だかわけのわからないことになってきて,ノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授にまで飛び火していたりする。

京大 山中教授が自身の論文巡り会見」(NHK, 2014年4月28日)

14年前(平成12年)に発表したES細胞に関する論文に用いられている画像の一部が切り貼りされたのではないかとかいう指摘に対する記者会見が行われた。論文の内容は正しいが,当時の研究ノートが残っていない,という会見内容だった。

そのうち,野依理事長を含めすべての日本のノーベル賞受賞者の過去の論文にまで飛び火するんじゃないかと思えてきた。

で,さらに思ったのは根拠となるべき研究ノートはいつまで保存するべきか,という問題である。


<公文書の場合>

公文書の場合は「公文書等の管理に関する法律」という法律があって,公文書の保存の仕方が定められている。

公文書は行政文書,法人文書,特定歴史公文書等に分類される。

行政文書の保存期間については第5条にこのように書かれている:

第五条  行政機関の職員が行政文書を作成し、又は取得したときは、当該行政機関の長は、政令で定めるところにより、当該行政文書について分類し、名称を付するとともに、保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。

<中略>

5  行政機関の長は、行政文書ファイル及び単独で管理している行政文書(以下「行政文書ファイル等」という。)について、保存期間(延長された場合にあっては、延長後の保存期間。以下同じ。)の満了前のできる限り早い時期に、保存期間が満了したときの措置として、歴史公文書等に該当するものにあっては政令で定めるところにより国立公文書館等への移管の措置を、それ以外のものにあっては廃棄の措置をとるべきことを定めなければならない。

つまり,行政文書については行政機関ごとに保存期間を設定し,それが終わったら,歴史的意義に応じて公文書館への移管か破棄かを決定するということである。

法人文書に関しても同じような措置が取られる。

特定歴史公文書に関しては,一応永久保存が定められているが,第25条により,「歴史資料として重要でなくなったと認める場合には,内閣総理大臣に協議し,その同意を得て,当該文書を廃棄することができる。 」

というわけで,歴史的価値をもつ文書以外は寿命がある。

公文書等の管理に関する法律施行令」を見ると,別表という形で行政文書の保存期間が示されている。

例えば,法律や条約や予算などを定める際に使用された文書類は30年,「個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯」に関する文書類は5年または10年となっている。


<一般企業の場合>

東京都中小企業団体中央会が文書保存期間の目安を示している。こまごまと分けられているが,総会議事録や役員会議事録などは10年(法律による),業務日誌は5年ということである。慶弔に関する文書なんかは1年。


<研究ノートはいつまで保存するべきか>

公的性格が強い文書ほど長期保存,私的性格が強い文書ほど短期保存,ということになると思うが,それは当然。

研究ノートを企業の業務日誌程度のものだと考えると,保存期間は5年でいいのではないかと思うが,およそ数多くの研究機関が公的資金で運営されていると考えると,倍の10年ぐらいかなあ?

本家本元,米国研究公正局 (ORI)の手引きをみると,

  • 一般的には研究終了から5年
  • 特許が絡む場合には特許の存続期間プラス6年

と記されている。

これを踏まえて,山中先生の当該論文が掲載された時点を研究終了時点とみなせば,研究ノートが無くても仕方ないのではないだろうか?

もちろん,当該研究がその後も続いているとか,特許が絡んでいるとか言えば別だが。


  ※  ※  ※

ちなみに,研究ノートを知的財産権保護のための証拠資料として使うためには,研究者本人だけじゃなくて確認者のサインも必要なのであしからず。

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