『旅する巨人』に見る柳田国男の人望の無さ
『旅する巨人』は偉大な民俗学者である宮本常一と,そのパトロンであり生涯の師である渋沢敬三とを描いた大部のノンフィクション小説である。この二人を際立たせるための演出かもしれないが,本書の中で一種のヒール(悪役)として配されているのが柳田国男である。
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柳田の学問は「一将功成りて万骨枯る」(↓参考)如きもので,柳田が全てを掌握し,柳田に師事する者たちは全てデータ提供者として柳田の研究に奉仕するというのが実情であった。
水木しげる『神秘家列伝 其ノ四』 (角川文庫ソフィア) 308頁より
そもそも柳田国男の代表作『遠野物語』にしてからが,序文に「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり」とあるように,鏡石佐々木喜善の話を自分のものにした作品である。
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柳田国男は日本民俗学の創始者というだけでも偉大な人物である。もちろん『蝸牛考』で示した「方言周圏論」のように,非常に鋭い理論を生み出すことのできる優れた学者でもある。
しかしながら,柳田国男は人望が厚いとは言い難い人物だった。
「大正二年の『郷土研究』創刊以来,柳田の許には数多くの門弟が参集していた。だが,最後まで柳田の許に残る門弟はほとんどいなかった。」(佐野眞一『旅する巨人』150頁)
佐野眞一『旅する巨人』「第6章 偉大なるパトロン」には柳田の人望の無さを示す事例がいくつか紹介されている。
こんな例がある。柳田は門弟をデータマンとしてしか見ておらず,その不満から早川孝太郎という研究者は柳田の許を離れた。
またこんな例もある。後に日本の民族学と文化人類学を主導することになる岡正雄は,柳田とともに民族学雑誌『民族』を編集していた。ある時,岡正雄が折口信夫から預かった「常世及びまれびと」という論文を『民族』に掲載しようとしたところ,柳田はこれを拒否した。非科学的だという理由だが,折口の台頭を妨げようとする意図があったようだ。これが原因で柳田と岡との関係がこじれ,『民族』は廃刊に追い込まれる。
柳田の許を離れた早川孝太郎や岡正雄はその後,どうなったかというと,渋沢敬三の庇護をうけることとなった。
早川孝太郎は後に柳田が激賞することとなる『花祭』という本を上梓するが,その執筆期間の生活を支えたのは渋沢敬三だった。
岡正雄は,ウィーン大学のヴィルヘルム・シュミットのもとで民族学を学び,帰国後は日本の民族学の理論的指導者となるが,その留学資金を与えたのも渋沢敬三だった。
柳田の偏狭さは優れた学者にありがちな気質と言えるかもしれない。しかし,その気質のまま振舞っていたのでは後進が育たず,民俗学やそこから派生した民族学,文化人類学などの芽が摘まれてしまったことだろう。渋沢敬三というパトロンが柳田の許を離れた優秀な人材に支援を与えることによって,各学問分野は発展を遂げた。
この偉大なるパトロンのもとで手塩にかけて育てられた最大級の研究者こそ,旅する巨人・宮本常一だった。
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