「STAP細胞問題」,"Nature"ではどのように取り上げられているか?
コスモ・バイオ社 (3386 JQS) の画像を博士論文に盗用したのではないかとの情報も流れており,ますます混迷の度を深めている「STAP細胞問題」。
本家本元,STAP細胞論文の掲載元である"Nature"ではこの問題をどのように取り上げているのかチェックしてみた。
そうしたら,最新のものとして,こんな記事が出てきた:
Call for acid-bath stem-cell paper to be retracted (March 10, 2014, by David Cyranoski)
要約するとこんな感じ:
- 理研の小保方博士率いる研究チームによって,驚異の論文2編が公開されてから40日弱だが,共著者の一人を含め,日本の研究者達が論文撤回を訴えている
- STAP論文が公開されたのは1月30日だが,その週のうちに掲載された画像の不自然な重複が指摘された
- 膨大な数の研究者たちがSTAP細胞の再現に取組んだが,成功しなかった
- これに対し,理研の研究チームはSTAP細胞作製の手引きを公開した
- しかし,さらに2つの深刻な問題が浮上した
- Nature掲載の論文の画像に,小保方博士の博士論文からの明確な流用があることがわかった
- しかも,全く別の実験の結果を報告しているのに,同じ画像が使われていた
- 共著者の一人,山梨大学の若山教授は,NHKのインタビューに対し,論文の正統性を確認するため,論文の撤回をするべきだと答えている
- 理研はまだ調査中だと述べている
ということで,日本での報道の程良い要約となっている。しかし,日本で沸騰している小保方博士論文の諸問題にまでは踏み込んでいない。そういえば,Natureも独自調査をしているんじゃなかったっけ?その話は?
今紹介した"Nature"の記事を読んだ後,気になったのが,同記事に対するSteve Jackmanという人のコメントである。
この人はアメリカ人で日本に住んでおり,日本の企業で働いてきた経験があるらしい。
この人のコメントを要約すると,こういう内容になる:
- 日本国外では,日本人は徹底して細部にこだわる几帳面な性格であると認識されている
- しかし,私が日本企業に勤めていた経験を踏まえると,これは全く逆である。
- 日本人は
- 杜撰さや不注意による失敗をしでかすことが多い
- 自分で批判的に考えることができず,質問もできない
- 日本人は規則や上下関係に盲従する
- チームプレーを乱すトラブルメーカーとして見られることを恐れている
- こういう性質を踏まえると,日本の企業でなぜ,規則が重視されるかがわかる
- 「規則に従う」というやり方は日本の製造業ではうまくいっている
- しかし,このやり方は研究者の世界ではうまくいかないようようだ
- 今回のSTAP細胞問題はそういうことを思い起こさせる
まあ,ちょっと偏った見方だと思う。
しかし,日本の製造業でのルールの浸透,日本の研究者の世界でのルールの不徹底,という指摘は傾聴に値すると思う。
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コメント
遅まきながらコメントを…
Jackmanさんの意見は一企業人として大いに首肯できるところのものですが、同時にそれは近代日本社会の古典的な特色と言えると思えます。
今回の件が興味深いのは、「トラブルメーカー」的な人物を御神輿にして、直接間接的に様々な人物が一連の出来事の演出に関わっている構図が見え隠れする点ではないでしょうか。
ことの是非は無論明確にされねばならないと思うのですが、わたくしがどうにも気になるのはこの一件の「演出」の仕方にあります。科学、芸術、スポーツ、さらに政治もでしょうか、同じ演出法が内容を入れ替えるだけで繰り返されているような印象を覚えるのです。
広告代理店方式とでも言いましょうか、昔からあった話ではありますが、昔の代理店はもっと巧妙だった様にも思えます。いつのころからか酷く安っぽいものを毎日頬張らせられている様な気が…
投稿: 拾伍谷 | 2014.03.15 14:31
ご指摘のように,全聾の作曲家の件と言い,今回の件と言い,同じ演出方法が繰り返されているように思います。
達成された仕事の中身の議論は少なく,とりあえずそれを「偉業」として祭り上げ,「偉業」を達成した人物の半生を,何パターンかの典型的な「物語」によって彩る。
感動ビジネスとでも申しましょうか。しかし,その感動を生む源泉である「物語」があまりにも陳腐なことには辟易します。
投稿: fukunan | 2014.03.15 16:51