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2014.02.06

複数のレイヤーが重なる佐村河内守問題

今朝からおおごとになっている佐村河内守氏のゴーストライター問題。

事実関係はこれから明らかにされると思うし,すでにいろいろな報道があるので短く述べたい。

クラシックに造詣の深い小生の友人がこの問題を4つのレイヤーで語っていた。

(1) オリジナリティの問題
"HIROSHIMA"に関しては似たような曲がいろいろあるとのこと。よくできたパッチワークだとすれば,オリジナリティはどこに?という疑問が生じる。
しかし,そもそも音楽にオリジナリティが存在するのか,という根源的な問題も生じる。

(2) 権利/利権の問題
"佐村河内守"名義で売れたCD等の売り上げは全て佐村河内氏のものとなっていたのか?佐村河内氏とゴーストライターとが共存共栄WIN-WIN関係であれば,このような問題は発覚しなかったのでは?

(3) 感動したがる消費者の問題
「広島市出身の被爆2世で両耳が聞こえない作曲家による奇跡」という神話に感動したい人々がいる,という問題。この人々はゴーストライター問題でショックを受けている。この人々にとっては神話に一点の瑕疵もあってはならないからだ。ただ,作曲のプロセスが嘘だったとしても,曲に感動した事実は本物なのではないか? それでいいのではないのか?

(4) そもそも佐村河内氏の曲は名曲だったのか?
これは小生には判断ができないが,よくできた曲どまりという説もある。もし本当に名曲であれば,作曲の経緯はどうあれ,今後も生き残るだろう。分野は違うが,フェルメールの贋作を作成したハン・ファン・メーヘレンは非難も浴びたが,20世紀最大の贋作者として技術の高さを称賛されてもいる。


小生の友人によれば,独学で作曲を学んだわりには佐村河内氏は非常にきれいな楽譜を書いている,という疑問が業界で広がっていたとのこと。

小生としては,感動を売るプロジェクトとして架空の作曲家・佐村河内守を仕立てて売っている,というように解釈すれば,全く腹が立たないわけで。

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コメント

(1)は(4)と密接な関係を持っていると思いました。オリジナルを本歌取りする素晴らしい真似もあれば、出来の悪いオリジナル作品もあると・・
売る立場と買う立場があり、それを媒介する立場もあります(買い付けて売る)。(2)が売る立場(3)が買う立場での問題だとすれば、(1)(4)は媒介者(メーカー、販売店、演奏家、評論家などなど所謂プロ)の問題ではないでしょうか。
媒介するものがどれだけの倫理を持って作品を取り上げてきたか、「某氏の作品は贋作だが後世に伝えるだけの価値がある!」と言い切れるだけの覚悟があったのかどうか、よくよく考えてみねばならぬところかと思いました。

投稿: 拾伍谷 | 2014.02.06 00:44

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