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2014.02.28

タイの政治的混乱はチャオ・アヌの呪い

チャオ・アヌヴォン(Chao Anouvong. チャオ・アヌとも言う。在位1805-1828年)はヴィエンチャン王国最後の王である。

メコン河畔にはチャオ・アヌの巨大な像が建てられており,メコンの向こう,タイ側に手を差し伸べて建っている。

Chaoanou00

Chaoanou01
↑メコン河畔のチャオ・アヌ像
The Statue of King Chao Anouvong on the left bank of Mekong


ラオス人たちはオカルティックな話が好きなのだが,ラオス人たちによると最近のタイ国内の政治的混乱はこのチャオ・アヌの呪いのせいらしい。

まずはチャオ・アヌはどんなことをしたのかについて簡単に述べよう:

かつて栄華を極めたラーンサーン王国(参考:「百万の田と百万の象の帝国:失われたラオ人の帝国」)も,この頃には対立しあう3つの王国,ルアンパバーン,ヴィエンチャン,チャンパサックに分裂し,いずれもタイ(シャム)の属国となっていた。

Lanexang
(↑かつてのラーンサーン王国と「兄弟国」ラーンナー王国の勢力圏。赤い線は現在のラオス人民共和国の領域)


タイ(シャム)のチャクリー朝(現在に続く王朝)に忠実に使えていたチャオ・アヌだったが,1826年,タイに反旗を翻し,タイ東北部イーサーンへの侵攻を開始する。

タイから見れば反乱,ラオスから見れば独立戦争である。当時タイはベトナムやビルマ(ミャンマー)といった周辺国,フランスやイギリスといった西欧諸国からの脅威にさらされており,チャオ・アヌにとってはチャンスだった。

初戦はチャオ・アヌが勝利するが,イーサーンのナコーンラーチャシーマー太守の妻ターオ・スラーナーリーの策略にはまり,敗走。

態勢を立て直したタイ側はヴィエンチャンに討伐軍を派遣した。1828年,チャオ・アヌとその一族が捕らえられた。このときヴィエンチャンは焼き尽くされ,廃墟と化した。タイはラオ人が再起することを防ぐため,メコン川左岸に住む15万人のラオ人をタイへと連れ去った。これでヴィエンチャンからチャンパサックまでの広い領域からラオ人はほとんどいなくなってしまった(じゃあ,今のラオス人(ラオス国民)と言われている人々はどこから来たのか?という謎は機会があったら述べる)。

捉えられたチャオ・アヌはバンコク(クルンテープ)に連行された。タイ(シャム)のラーマ三世の命により,翌年,61歳で死ぬまで鉄の檻の中で過ごすこととなった。一説には拷問を受けたとも晒し者の辱めを受けたともいろいろ言われている。


  ◆   ◆   ◆


ということで,非業の死を遂げたチャオ・アヌだが,ラオスではタイからの独立を図った英雄として尊敬を集めている。

2010年には上に示した銅像がメコン河畔に建てられたわけであるが,それ以来,物凄い呪力をタイ国内へと発しているという(ラオス人談)。

タイではタクシン元首相・インラック現首相を支援する赤シャツ隊(労働者・農民・貧困層主体)と,アピシット前首相・ステープ元副首相を支援する黄シャツ隊(王室支持,軍部・官僚・都市中間層)とがぶつかり合っているが,これを引き起こしているのは実はチャオ・アヌの呪いだとか。

タクシンの地盤はチェンマイである。チェンマイは,かつてラオ族の国ラーンナー王国,つまりラーンサーン王国の「兄弟国」の首都として栄えた。ということはタクシン派赤シャツ隊は,ラーンサーン王国からの系譜を受け継ぐチャオ・アヌの味方だということになる。

これに対する黄シャツ隊は王室(チャクリー王朝)支持派なので,チャオ・アヌの宿敵ということになる。

今,チャオ・アヌはタクシン&インラック・シナワット一族を使嗾してチャクリー王朝に復讐を遂げようとしている・・・という構図なのだそうだ(ラオス人談)。

しかし,タクシンが政権を取ったのは2001年だし,赤シャツ隊が大規模な抗議活動を行うようになったのは2009年からだし,チャオ・アヌ像を設置した2010年とはずいぶんタイミングがずれていると思うのだが,ラオス人はほとんど気にしない。面白ければいいわけである。


さて,本記事作成のため参考にしたのは次の2冊:

Creating Laos: The Making of a Lao Space Between Indochina and Siam, 1860-1945 (Nias Monographs)Creating Laos: The Making of a Lao Space Between Indochina and Siam, 1860-1945 (Nias Monographs)
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コメント

東南アジア版「帝都物語」ですね。
チャオ・アヌ像建立が21世紀に入ってからと言うのがポイントのように思われます。長きにわたる民族紛争もよくよく考えれば意外や最近になってフレームアップされたものだったりするという世界中で観られる現象。まあ対立はいつでもあるのですが、問題はその「質」なのでしょうね。
お馴染みの対立において何が変わらず何が変わったのか、質の変化をもたらした外在的な要因は何か、が問題なのだと思います。

投稿: 拾伍谷 | 2014.03.01 01:44

いやー,将門とチャオ・アヌの相似性には気づきませんでした。まさしくインドシナ版「帝都物語」ですね。

投稿: fukunan | 2014.03.01 20:07

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