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2014.02.28

タイの政治的混乱はチャオ・アヌの呪い

チャオ・アヌヴォン(Chao Anouvong. チャオ・アヌとも言う。在位1805-1828年)はヴィエンチャン王国最後の王である。

メコン河畔にはチャオ・アヌの巨大な像が建てられており,メコンの向こう,タイ側に手を差し伸べて建っている。

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Chaoanou01
↑メコン河畔のチャオ・アヌ像
The Statue of King Chao Anouvong on the left bank of Mekong


ラオス人たちはオカルティックな話が好きなのだが,ラオス人たちによると最近のタイ国内の政治的混乱はこのチャオ・アヌの呪いのせいらしい。

まずはチャオ・アヌはどんなことをしたのかについて簡単に述べよう:

かつて栄華を極めたラーンサーン王国(参考:「百万の田と百万の象の帝国:失われたラオ人の帝国」)も,この頃には対立しあう3つの王国,ルアンパバーン,ヴィエンチャン,チャンパサックに分裂し,いずれもタイ(シャム)の属国となっていた。

Lanexang
(↑かつてのラーンサーン王国と「兄弟国」ラーンナー王国の勢力圏。赤い線は現在のラオス人民共和国の領域)


タイ(シャム)のチャクリー朝(現在に続く王朝)に忠実に使えていたチャオ・アヌだったが,1826年,タイに反旗を翻し,タイ東北部イーサーンへの侵攻を開始する。

タイから見れば反乱,ラオスから見れば独立戦争である。当時タイはベトナムやビルマ(ミャンマー)といった周辺国,フランスやイギリスといった西欧諸国からの脅威にさらされており,チャオ・アヌにとってはチャンスだった。

初戦はチャオ・アヌが勝利するが,イーサーンのナコーンラーチャシーマー太守の妻ターオ・スラーナーリーの策略にはまり,敗走。

態勢を立て直したタイ側はヴィエンチャンに討伐軍を派遣した。1828年,チャオ・アヌとその一族が捕らえられた。このときヴィエンチャンは焼き尽くされ,廃墟と化した。タイはラオ人が再起することを防ぐため,メコン川左岸に住む15万人のラオ人をタイへと連れ去った。これでヴィエンチャンからチャンパサックまでの広い領域からラオ人はほとんどいなくなってしまった(じゃあ,今のラオス人(ラオス国民)と言われている人々はどこから来たのか?という謎は機会があったら述べる)。

捉えられたチャオ・アヌはバンコク(クルンテープ)に連行された。タイ(シャム)のラーマ三世の命により,翌年,61歳で死ぬまで鉄の檻の中で過ごすこととなった。一説には拷問を受けたとも晒し者の辱めを受けたともいろいろ言われている。


  ◆   ◆   ◆


ということで,非業の死を遂げたチャオ・アヌだが,ラオスではタイからの独立を図った英雄として尊敬を集めている。

2010年には上に示した銅像がメコン河畔に建てられたわけであるが,それ以来,物凄い呪力をタイ国内へと発しているという(ラオス人談)。

タイではタクシン元首相・インラック現首相を支援する赤シャツ隊(労働者・農民・貧困層主体)と,アピシット前首相・ステープ元副首相を支援する黄シャツ隊(王室支持,軍部・官僚・都市中間層)とがぶつかり合っているが,これを引き起こしているのは実はチャオ・アヌの呪いだとか。

タクシンの地盤はチェンマイである。チェンマイは,かつてラオ族の国ラーンナー王国,つまりラーンサーン王国の「兄弟国」の首都として栄えた。ということはタクシン派赤シャツ隊は,ラーンサーン王国からの系譜を受け継ぐチャオ・アヌの味方だということになる。

これに対する黄シャツ隊は王室(チャクリー王朝)支持派なので,チャオ・アヌの宿敵ということになる。

今,チャオ・アヌはタクシン&インラック・シナワット一族を使嗾してチャクリー王朝に復讐を遂げようとしている・・・という構図なのだそうだ(ラオス人談)。

しかし,タクシンが政権を取ったのは2001年だし,赤シャツ隊が大規模な抗議活動を行うようになったのは2009年からだし,チャオ・アヌ像を設置した2010年とはずいぶんタイミングがずれていると思うのだが,ラオス人はほとんど気にしない。面白ければいいわけである。


さて,本記事作成のため参考にしたのは次の2冊:

Creating Laos: The Making of a Lao Space Between Indochina and Siam, 1860-1945 (Nias Monographs)Creating Laos: The Making of a Lao Space Between Indochina and Siam, 1860-1945 (Nias Monographs)
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2014.02.27

ぼくのかんがえたさいきょうのラオスじん

たびたびラオスで働いているのでだいぶ平均的なラオス人の性質がわかってきたような気がする。ほかの日本人と話していてもだいたい同じような結論に行き着く。

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これから述べるのは小生が考えた平均的なラオス人像である。平均的ということは当てはまらない人もいるということである。だが,ぴったり当てはまる人も多いと思う。

だいたい「寛容」「プライド」「享楽的」という3つのキーワードで彼らの性質を把握できると思う。

「寛容」「プライド」「享楽的」という3つのキーワードから導き出される行動は次のような感じである:

  1. 「寛容」→人に強制しない→人から強制されたくない
  2. 「プライド」→恥をかきたくない→知らないと恥だと思う→なんでもイエスと言う
  3. 「享楽的」→楽しいことばかり考える→宴会大好き
  4. 「寛容」+「プライド」+「享楽的」→嫌な仕事はやりたくない→すぐ辞職する

それぞれ事例があるので紹介する。

まず1番目だが,例えば,東南アジア各国では街中の乗り物としてトゥクトゥクというものがある。ほとんどの国ではトゥクトゥクのドライバーは外国人を見つけるとしつこく乗ることを進める。カンボジアなんか,延々200~300メートルついてくる。ところが,ラオスでは「トゥク?」とドライバーが外国人に一言尋ねるだけであり,外国人が返事をしなければ,それで終わり。人に強制しないというのは美徳であり弱点である。


2番目。プライドが邪魔して,「できない」とか「わからない」とか「知らない」とか言えない。ドライバーに「○○銀行に行ってくれ」と頼むと"Yes"と答える。そのあとは街中をぐるぐると廻り,珍道中を繰り広げることになる。ドライバーはまったく関係のない建物の前に停車しては"This?"とこちらに訪ねてくる。そのたびに"No"と答える。あとはこの繰り返し。誰かに電話で聞いたらどうですかね,と思う。ところがドライバーが友人に電話したとしても,電話の相手も適当なことを答えて混乱の輪がさらに拡大するだけだったりするのでお手上げ。

住所を伝えればいいじゃないかって?残念ながらラオスやカンボジアでは住所はあてにならない。"Near Mekong River"とか「○○の隣」とかすごいことを言っていたり,名刺に堂々と書いていたりする。


3番目。すぐ楽しい方に流れる。人は誰しも楽しいことを選びたいと思うけど,仕事や勉強のときには我慢するわけである。ラオス人はある程度は働くけれども,仕事の合間に隙間が発生すると,おしゃべりが始まったりする。お菓子を食べたりもする。それがほんのひと時で終わるかというとそんなことは無く,延々と休憩時間が作業時間を侵食していく。

あるラオス人スタッフにコピーを頼んでおくと,コピー室に行ったまま帰ってこない。コピー室に行ってみると,おしゃべりをしながらくつろいでいたりする。定時前には片付けが始まり定時後はあっという間に消え去る。金曜日には宴会があり,飲んだり,歌ったり,踊ったり,延々と続く。2次会とかはなく,1次会が6時から12時過ぎまで続いたりする。やたら長い。


4番目。「寛容」と「プライド」と「享楽的」が組み合わさると,「嫌な仕事はしたくない」という考え方に至る。ラオスに進出した日系の某縫製工場を訪問した時,このことが数値として明らかになった。その工場は300人の労働者を抱えており,給料も周辺の企業よりはずいぶんと良く,寮も完備されている。しかし,労働者の定着率が悪すぎる。操業開始以来6年で延べ1300人雇ったという。定員300人のところに1300人。どんどん入ってどんどん辞めているという訳である。

同工場の日本人幹部によると,あるラオス人労働者に作業の改善指導をしたら,そのラオス人労働者が翌日から出社してこなくなり,寮からも消えてしまったという。心配になって実家(農家)を訪ねたら,普通にのんびり暮らしていたとのこと。

ちなみに,その工場,職場のリーダーにタイ人を採用していたそうで,これもまずかった可能性がある。タイ人は同じ語族ではあるがラオス人を見下す傾向があり,ラオス人はタイ人を嫌いだったりする。タイ人にちょっとお小言を頂戴しただけでもラオス人のプライドが傷つき,職場放棄をしたくなる,ということが考えられる。

「嫌な仕事はしたくない」というので思い出したのが,建築現場のこと。ラオス人も皆無ではないが,大規模な建築現場で黙々と働いているのはベトナム人だったりする。なんでわかるかというとノンラー(ベトナムの笠)をかぶっているから。中国資本の建築現場では中国人が働いている。なんでわかるかというと大声で中国語で叫んでいるから。建築現場は危険でつらいですからね。それにしてもベトナム人と中国人は勤勉。


というわけで,小生のフィルターがかかったラオス人像はこんなものである。ラオス人と付き合う時に肝要なのは,今述べたような性質を理解して行動することである。特に大事なことは次の2点:

  1. とにかく怒っちゃダメ
  2. とにかく慣れる

「とにかく怒っちゃダメ」というのは最も大事かもしれない。とくに他の人の前では絶対にダメ。これはラオスでもそうだしタイでもそう。この上ない屈辱だと受け止められる。怨恨沙汰に発展する可能性も大。

「とにかく慣れる」というのはおおらかな気持ちで彼らと付き合うということである。異文化というのはそんなに簡単に融合しない。他のASEAN諸国と比べてもしょうがない。

インドネシアに行くと華僑はもちろんのこと,スンダ人もジャワ人もキビキビとよく働いている。熱帯ではみんなのんびりしているかというとそんなことは無い。このあいだ紹介したが,バンドンなんか,スンダ人たちが猛烈な勢いで起業している(参照)。カンボジアも凄い。みなギラギラした目で新たなビジネスチャンスを探っている。ラオスは違うなーと思うがしょうがない。これが文化である。

ちなみに,ラオス人全員が上に紹介したような性質ではないことはおわかりだと思う。ナンプー・コーヒーの親父や店員なんか暑い中,キビキビ働いている。まあ,明らかに華僑なんですけどね。

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2014.02.26

カオ・ピアック値上がりの件

ラオスに来たら,飽きもせず毎日お昼に食べるのがラオプラザホテルの向かい側にあるナンプーコーヒー(Nampu Coffee)のカオ・ピアックである。鶏スープのうどんだと思って下さい。米の麺だけど。


↓ナンプーコーヒーのカオ・ピアック(2012年2月18日記事より)
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去年の記事では大きい碗で16,000kipと書いていたが,インフレが起こっているらしく,大きい碗で20,000kip,小さい碗で15,000kipになっていた。日本円で換算すると大碗:260円,小碗:200円といったところ。

一人あたりGDPが1200ドル=12万円強の国にしては高くないか,という気がするが,ナンプー・コーヒーにはラオス人客もぞろぞろ入っている。ヴィエンチャンで働いている人は結構金持ちなのかもしれない。

ラオスのモニュメントブックスで買ったRobert Cooper"LAOS: work in progress"(2014, Lao Insight, ISBN 978-9932-02-063-8, 113,000kip)によれば,GDPの成長よりは低く抑えられているものの,年7.5~8%程度のインフレが起こっているそうである。また,2009年から2012年までの間にkipに対するユーロやドルの価値は25%程度下がっているという話。

ラオスは旅行者の懐に対してはあまりやさしくない国になってきたかもしれない。

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2014.02.18

ダルモン&カリエ『石油の歴史―ロックフェラーから湾岸戦争後の世界まで』を読む

東日本大震災以来,日本でも再生可能エネルギー導入への意欲が高まっているが,それでも世界のエネルギー市場が石油を中心に動いているのは変わっていない。成長著しいアジア各国では石油への依存がますます高まっている。

石油の歴史,より正確には石油産業の歴史は1859年,ドレーク「大佐(通称)」がペンシルベニアのタイタスビルで石油を掘り当てたことから始まる…とダルモンとカリエは『石油の歴史』(文庫クセジュ)に記している。

石油の歴史―ロックフェラーから湾岸戦争後の世界まで (文庫クセジュ)石油の歴史―ロックフェラーから湾岸戦争後の世界まで (文庫クセジュ)
エティエンヌ ダルモン ジャン カリエ Etienne Dalemont

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まあ,それ以前から石油の存在は知られていて,日本でも日本書紀にそれらしきものが宮廷に献上されたという記録が残っている。だが産業として成立するのは19世紀後半からである。

アメリカで石油が採掘されるようになってからの展開は早い。一気に石油産業が成長する。石油は最初は照明用に利用されるが,しばらくしてエジソンによる白熱灯に駆逐される。しかし,今度は自動車や船舶などの動力源として使用されるようになり,需要はますます伸びていった。

急成長する石油産業の中で頭角を現してきたのがロックフェラー,マーカス・サムエル,デターディングといった人物である。

ロックフェラー「スタンダード石油 (Standard Oil company)」を率い,利益を計画的に再投資しながら一大帝国を築くことに成功した。石油産業最初の50年はスタンダード石油を中心に動く。

マーカス・サムエルはロスチャイルド一族の盟友であり,カフカスなどロスチャイルド家が利権をもつロシア産石油の輸出を手掛けていた。1892年にマーカス・サムエルは「シェル」を設立する。

東南アジアのスマトラ島でも石油が発見され,1890年にオランダ資本の「ロイヤル・ダッチ」が設立されていた。このロイヤル・ダッチを率いていたのがデターディングである。

世界市場を手中に収めつつあるスタンダード石油に対抗すべく,マーカス・サムエルとデターディングが手を結んだ結果誕生したのが「ロイヤル・ダッチ・シェル」という巨大企業である。

石油産業の初期はまるで三国志のように企業間の競争が展開される。「石油英雄伝説」とでも言おうか。


  ◆   ◆   ◆


英雄たちの時代はやがて終わる。アイダ・ターベルが1904年に著した『スタンダード・オイルの歴史(The History of the Standard Oil Company)』は,政財界に大きな影響を与え,スタンダード石油による市場支配への批判が高まってきた。結局1910年に米国最高裁がスタンダード石油の解散を命じ,ロックフェラーの帝国は解体された。エクソンとかモービルとかいう石油企業はいずれもスタンダード石油の解体後の姿なのである。

ただ,面白いのは帝国解体はロックフェラーの資産に悪影響を与えなかったということである。反トラスト法により会社が分割された結果,むしろ市場は活性化し,株価は上昇。ロックフェラーの資産はむしろ増加したという。


  ◆   ◆   ◆


初期の石油は主としてアメリカ,ロシア,インドネシアなどで採掘されたが,戦間期(1914年~1945年)には中東での開発が進んだ。また,メキシコやベネズエラなど中南米でも開発が始まった。この結果,戦後は中東の情勢が世界のエネルギー市場に影響を与えるようになる。このあたりが描かれているのが本書の第2章。

戦後,1970年までは欧米の石油メジャーとよばれる巨大企業群が石油の利権を掌握しており,産油国側にはあまり力はなかった。イラン危機(モサデグ),スエズ危機(ナセル),イラク危機(カセム→フセイン)など中東では様々な政治危機が起こったが,石油メジャーはうまくこれらの危機に対処した。まさしく「大企業の絶頂期(第3章タイトル)」である。

状況が変わるのは1973年の第1次オイルショックからである。これ以後は産油国側の発言力が強くなり,石油企業,産油国,消費国が入り乱れての「激動の時代(第4章タイトル)」に突入する。このへんは日本も翻弄されており,よく知られていることである。

本書の本編は湾岸戦争あたりで記述が終わっているが,さらに,補遺として湾岸戦争以降2005年までの情報も加えられている。

もちろん本書ではその後の石油の金融商品化と価格高騰などは触れられていない。また,フランス人が書いたということもあって,フランスが中東の石油開発にどのようにかかわってきたのかという話は出ているが,日本のことについてはごくごくわずかしか触れられていない。まあ,その辺は百田尚樹の『海賊と呼ばれた男』でも読めばよいことか。

しかし,わずか160頁足らずで石油の歴史を通観することができるのはすごいことである。


  ◆   ◆   ◆


小生は一応,エネルギー問題を専門としているので,本書でカバーされていない,ここ十年ほどの石油価格の推移について情報提供してみたいと思う。

下の図はDOE(アメリカエネルギー省)の一部局であるEIA(Energy Information Administration)等が公表している原油価格(1バレルあたり何ドルか)の推移を示している。

Photo

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第1次オイルショック以前の石油メジャー絶頂期,石油価格は1バレル(159リットル)あたり2~3ドル程度で安定していた。しかし,第1次オイルショック時には11.7ドル,第2次34ドルというように約3倍ずつ上昇した。

その後,北海油田の開発やソ連の石油供給増加などがあって,1986年ごろに「逆オイルショック」が発生し,原油価格の低下が起きる。湾岸戦争時には若干のピークがあったものの,2000年までは1バレルあたり20ドルで推移するようになる。

ところが2000年以降は石油が先物取引の対象,つまり金融商品化され,需要供給以外の要因で価格が変動するようになる。歴史上最大のピークを迎えたのがリーマンショック直前の2008年7月で147ドルまで上昇した。この辺の話はダルモン&カリエ『石油の歴史』ではカバーされていない話である。

リーマンショックが起きたとき,投資家たちは現金を手にするために石油を投げ売りした,それが原油価格の急激な低下を招いている。しかし,世界経済がリーマンショックから立ち直るにつれ,再び投資が始まり,さらに中国・インドなどの新興国需要が加わり,原油価格は再上昇した。最近は高水準,だいたい1バレル100ドル近辺で安定しているところである。

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好調期こそ用心: 安倍首相や小保方博士

安倍首相に対する「天ぷら野郎」騒動とか,小保方博士のSTAP論文に対する疑義浮上とか,好調かと思われた人々の前途に暗雲が立ち込める事態が起こっているようだ。

まあ,いずれの場合も結局は晴れ渡るかもしれないが。

タイではインラック首相に新たな危機が。別にこの人好調ではないけど。

コメ農家支援プログラムが今月で終了するということで,今までインラックを支えてきたコメ農家が一転して反政府勢力に加わる可能性が出てきた。

これでタクシン&インラック・シナワトラ一家はもう駄目でしょう,というのがタイ在住数十年の専門家のお話。

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2014.02.16

Climate Change, Heavy Snow. What should Prime Minister Abe do?

I’m in Vientiane, Lao PDR now. I thus know little about the heavy snow disaster in Japan. But Japanese news sites told that Yamanashi and other prefectures met the serious situation.

Some people say that this disaster was caused by the climate change. Recently, it is very cool in Vientiane. Some Lao people also say that this may be caused by the climate change. If these views are true, political leaders in Asian countries should give more attention to the global warming and greenhouse gases emission.

However, the global warming is a long-term issue. The political leaders should address a current important issue. What is the current important issue for Prime Minister Abe? It may not be to offer congratulations to the gold medalist in Sochi Olympic. At the 2011 Thailand floods, Prime Minister Yingluck rented a private helicopter, Eurocopter EC130 (66,000 baht/hour), for seeing damages (See: 「インラック,私費でヘリ視察」2011年8月15日 ). What should Prime Minister Abe do?

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2014.02.14

ヴィエンチャン市中レート:1円=76.37kip

ラオスの首都ヴィエンチャンに来ております。

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思ったよりも涼しく,日中でも28℃までしか気温が上がらない有様。
ラオス人によれば,ここんところ「寒い」ということで,ジャンパーを羽織っている人も多い。

ちなみに今日はこの国でもバレンタインデーで,男性が女性にチョコレートやら花やらを贈るという話。日本とは逆だが,どの国からこの風習が入ってきたのかは不明。ラオスの菓子業界の陰謀だと思う。


さて,本日の記事のタイトルにもあるように,現在のヴィエンチャン市中の円-キップ交換レートは1円=約76kipとなっている。

昨年の記事では「ヴィエンチャン市中レート:1円=82kip」と書いていたが,それに比べると,円が弱くなっている。円安の影響でしょう。

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2014.02.12

今年もラオスに行きます

明日から毎年恒例の出稼ぎで,ラオスに行ってまいります。

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何回も行っていると,準備がいい加減になってくるので,そろそろ気を引き締めないといけない。

「偽ベートーベン」の研究なんてしている場合じゃない。

どうでもいいけど,『カンニング・スタンツ』の第25話が面白い。快速・章邯(Zhang Han)の進撃を斉王・田タン(Dian Dan)は食い止めることができるか?

あと,『パペラキュウ』も良い。著者,捕まったらしいけど。

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2014.02.10

NHKは新垣隆氏を"Schola 音楽の学校"に招け:「偽ベートーベン」こと佐村河内守のゴースト,新垣氏の人望が半端ない

偽ベートーベンとも称される佐村河内守のゴーストライターを務めた新垣隆氏についてあれこれ調べてみると,その人望が半端ないことに驚かされる。

教え子やその父母からは新垣氏への同情や信頼の気持ちを表明するツイートが寄せられている。

キャンペーン | 新垣先生に寛大な対処をお願いします。 | Change.org

というサイトまでできている。

いろいろ読んだ中でとても良い記事だと思ったのは指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督の伊東乾氏による次の記事だ:

偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏」 (2014年2月8日,JBPress)

この記事の大事なところは,今回の事件を「売れない現代音楽家がお金目当てで曲を代作した」というような陳腐なスキャンダルとしてマスコミが取り扱おうとしていることに対して,音楽家としての立場から批判を加えているところである。

伊東乾氏の見解では,新垣氏にとって代作は金目当てではなく,「作曲課題の<実施>」に過ぎないということである。だからこそ,新垣氏は著作権放棄を宣言しているわけである。


新垣氏は2月6日の記者会見で

「指示のままに曲を書き続けた。私は共犯者です」

と述べた。これはジェームス三木の「だからおれ,汚いです」発言(1993年)や有森裕子の夫だったガブリエル・ウィルソン氏の"I was gay"発言(1991年)以来の記憶に残る潔い発言だ。

だが,この「共犯者」発言があるからと言って,新垣氏を「偽ベートーベン」――この言い方は伊東乾氏の記事に倣ったものだが――と同レベルで取り扱うことには疑問を感じる。

上述したように,生徒,保護者,そして,新垣氏をよく知る音楽家は新垣氏の音楽家および教育者としての能力を高く評価している。

マスコミは「偽ベートーベン」の追及をするだけでなく,新垣氏の周りの人々の心情を忖度して新垣氏の名誉を回復するべきではないだろうか?

で,とりあえずは「偽ベートーベン」の提灯番組を制作したマスコミ筆頭のNHKが,「クローズアップ現代」あたりで「なぜ我々は偽ベートーベンに騙されたか」というような検証番組を作るとともに,「Schola 音楽の学校」に現代音楽家である新垣氏を招聘して,その才能の片鱗を開示していただいたらどうだろうか?

まあ,記者会見や新垣氏に近い人々の証言を踏まえると,新垣氏はそんな企画には乗らないような真面目な方であるとは思うが。


【関連話題】 昨年(2013年)10月に,すでに今回の事件を予見していた,音楽家の野口剛夫氏の慧眼には頭が下がる。

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2014.02.06

複数のレイヤーが重なる佐村河内守問題

今朝からおおごとになっている佐村河内守氏のゴーストライター問題。

事実関係はこれから明らかにされると思うし,すでにいろいろな報道があるので短く述べたい。

クラシックに造詣の深い小生の友人がこの問題を4つのレイヤーで語っていた。

(1) オリジナリティの問題
"HIROSHIMA"に関しては似たような曲がいろいろあるとのこと。よくできたパッチワークだとすれば,オリジナリティはどこに?という疑問が生じる。
しかし,そもそも音楽にオリジナリティが存在するのか,という根源的な問題も生じる。

(2) 権利/利権の問題
"佐村河内守"名義で売れたCD等の売り上げは全て佐村河内氏のものとなっていたのか?佐村河内氏とゴーストライターとが共存共栄WIN-WIN関係であれば,このような問題は発覚しなかったのでは?

(3) 感動したがる消費者の問題
「広島市出身の被爆2世で両耳が聞こえない作曲家による奇跡」という神話に感動したい人々がいる,という問題。この人々はゴーストライター問題でショックを受けている。この人々にとっては神話に一点の瑕疵もあってはならないからだ。ただ,作曲のプロセスが嘘だったとしても,曲に感動した事実は本物なのではないか? それでいいのではないのか?

(4) そもそも佐村河内氏の曲は名曲だったのか?
これは小生には判断ができないが,よくできた曲どまりという説もある。もし本当に名曲であれば,作曲の経緯はどうあれ,今後も生き残るだろう。分野は違うが,フェルメールの贋作を作成したハン・ファン・メーヘレンは非難も浴びたが,20世紀最大の贋作者として技術の高さを称賛されてもいる。


小生の友人によれば,独学で作曲を学んだわりには佐村河内氏は非常にきれいな楽譜を書いている,という疑問が業界で広がっていたとのこと。

小生としては,感動を売るプロジェクトとして架空の作曲家・佐村河内守を仕立てて売っている,というように解釈すれば,全く腹が立たないわけで。

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