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2014.01.05

松本健一『海岸線の歴史』を読む:好著だが誤記の修正や文章の整理が必要

先日,東京出張の折,文教堂浜松町店で買ったのがこの本:松本健一『海岸線の歴史』である。ミシマ社という「自由が丘のほがらかな出版社」を名乗る,だが野心的な書肆から出ている。

海岸線の歴史海岸線の歴史
松本 健一

ミシマ社 2009-05-01
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日本の海岸線は自然的条件と人為的条件によってどのように変わってきたのか。また日本人は海とどう向き合ってきたのか。そういった著者の関心のもとに書かれた本である。

ある物や現象の歴史的変遷を記述している,ということでは藤原書店原書房作品社などから出ている,アナール学派っぽい書籍(アリエス『「教育」の誕生』,アラン・コルバン『レジャーの誕生』,ロジャ・ダブ『 香水の歴史』,ロミ『おなら大全』)の系列に入ると思う。


  ◆   ◆   ◆


本書で描かれる日本の海岸線の歴史は,端的に言えば「日本人の精神から海岸線が失われていく歴史」である。

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     (清水・三保の海岸から伊豆半島を望む)

古代から近代にいたるまで日本人は沿岸の海の幸によって育まれてきた。遠洋に出るわけではないから底の浅い船(著者の言い方では「お椀型の船」)で漁が行われてきた。江戸時代に海上交通が発達するが,これも海岸沿いに移動するので喫水の浅い「お椀型」の船で十分。結局,「水深が浅く,円形の小さな入り江が,潮待ち,風待ちの港として,かつては大いに役立ったのである」(『海岸線の歴史』23ページ)。本書でよく取り上げられる「鞆の浦」はその代表例である。

海はいわゆる海岸を介してのみ人とつながっていたわけではない。底の浅い船は引き綱によって川を遡上し,山中にまで登ってきた。例えば岡山県の高梁川では昭和の初めまで曳き船があり,瀬戸内海と中国山地の山あいとの間の物流を支えていた。かつて精神的な海岸線は山中まで伸びていたのである。

しかし,近世・近代に海外との貿易が盛んになってくると,喫水の深い大型船(著者の言い方では「樽型の船」)が接岸できるような,水深の深い港が栄えてくる。たとえば,開国まで見向きもされなかった横浜が注目され,大都会へと変貌を遂げる。引き換えにかつての遠浅の港町が寂れてくるわけである。

貿易や産業拠点としての港が発達してくると,今度は港湾施設を保護するためにコンクリートで護岸工事が行われるようになる。これによって,海は人家から遠ざけられる。

港ではなく,一般の海岸でも人と海との距離は遠のいて行った。

白砂青松」の風景は江戸時代の水田開拓の結果としてできあがったものだと著者は述べている。江戸時代,諸藩は米の増産のため,海辺を干拓し,水田を広げた。そして水田を保護するために海岸に松を植えた。こうして日本人の原風景ともいえる「白砂青松」の風景が誕生したわけである。

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       (清水・三保の松原)

ところが,近代に入り,沿岸が産業拠点としての役割を担うようになると,近代港の場合と同様に護岸工事が行われ,コンクリートの防潮堤ができ,テトラポットが置かれ,それが逆に砂浜の喪失へとつながっていった。

いまや海と人とは隔てられ,日本人の意識から海岸線が急速に失われていった。

それを象徴するのが安岡章太郎の『海辺の光景』以来,海岸線が印象的に出てくる小説がほとんどなくなってしまったことだと著者は言う。

著者は「海岸線の意味が経済や産業に限定され,極端にいうと人間の精神生活や文化(文学)に及ぼす意味がきわめて低下」(『海岸線の歴史』240頁)していると指摘する。

そして,本書の最後に伊藤静雄の詩「有明海の思ひ出」を引用し,「わたしたち日本人はこの伊藤静雄の『有明海の思ひ出』のような詩を,二度と持つことができないのだろうか」と痛切な思いを吐露している。


  ◆   ◆   ◆


ということで,本書『海岸線の歴史』は海岸線が日本人のアイデンティティ形成に重要な影響を与えてきた歴史を記述し,さらにその海岸線が日本人の意識から急速に失われつつあるという危機感を訴えた好著である。

好著だが記述に少々難点があることを指摘しておく。

文章が整理されていない部分が見られる。

例えば,こういう文章が「はじめに」に出てくる:

日本の海岸線は,四方が海に囲まれた島嶼国家であるうえに,多く曲線によって成り立っている。その長さは,約三万五〇〇〇キロメートルに達しているほどだ。その日本の海岸線がいかに長いかは,国土面積が日本の二五倍近くもある大陸国家アメリカの海岸線の一・五倍に及び,同じく国土面積が日本の二十六倍ちかくもある大陸国家中国の海岸線の二倍以上に達していることでも明らかだろう。(『海岸線の歴史』18~19頁)

そして十数ページ後,第一章の文中にもこういう文章が出てくる:

日本の海岸線をぜんぶ合わせると,アメリカの海岸線よりも長く,一・五倍,中国の海岸線よりもはるかに長く,二倍に達するのである。(『海岸線の歴史』30頁)

さらに百数十ページ後,第五章の文中にもこういう文章が出てくる:

日本の海岸線は総計三万五〇〇〇キロあり,これはアメリカの一・五倍,中国の二倍にあたる。(『海岸線の歴史』164頁)

このあと,あとがきにも「アメリカの一・五倍,中国の二倍」の話は登場するわけで,日本の海岸線の長さに対する著者の驚き,そして思い入れの強さが強調されているのだろうけれど,あまりにもしつこく感じる。こういうのは編集者が整理をするべきではないだろうか? おかげで,「三万五〇〇〇キロ,アメリカの一・五倍,中国の二倍」という数値を暗記してしまいました。ありがとうございました。

このほかにも同じような表現の繰り返しが多くみられ,もうちょっと整理したらどうかと思うところが多々あった。


誤記の可能性がある部分も指摘しておく。

第四章の長崎の平戸港とインドネシアのジャカルタとのつながりを記述した文章(152~154頁)の中で,「じゃがたら文」の話が出てくる。

じゃがたら文」というのは江戸初期にジャカルタに追放された日本人たちが望郷の念に駆られて日本に宛てて出した手紙のことであり,本ブログでも以前取り上げたことがある(参考)。

問題は,その「じゃがたら文」を書いた女性の名前を本書では「こしょう」と記していることである。小生の知っている限りこれは「こしょろ」の間違いではないかと思われる。平戸オランダ館でも「じゃがたら文(コショロ)」として展示している。

崩し字で書いてある「」と「」は似ているので区別がむずかしいが,平戸オランダ館で公開している写真の字体を見る限り「」だろうと思う。このあたり,編集者はよく確認するべきだろう。

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