松本健一『海岸線は語る 東日本大震災のあとで』を読む
先日紹介した『海岸線の歴史』(参考)の著者が,東日本大震災後,福島,宮城,岩手の海岸線を自ら歩き,思索した結果をまとめたのが本書である。
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東日本大震災当時,著者は内閣官房参与だった。
震災直後の混乱と喧騒の中,2011年3月22日に著者は菅直人首相(当時)に『復興ビジョン(案)』を提出したという。
後に著者は産経新聞に対し「復興ビジョン,首相に握りつぶされた」(産経新聞,2011年8月19日朝刊)と激白したわけだが,その『復興ビジョン(案)』に込められていた思いは次のようなものだったと本書の中で著者は語る:
西洋近代の文明観は,自然に蓋をして抑え付け,征服しようという発想が根底にある。海岸線をコンクリートで覆い,海岸線にテトラポットを敷き詰め,自然を人間の「向こう側」へと追いやった。それにより,日本人の自然観が変わり,ひいては精神風土,意識空間までもが変容してしまった。そのことに対する反省と危機感が,わたしに前著『海岸線の歴史』を書かせることになった,といってもいい。
海岸線の異常に長い日本の復興を考えるにあたっては,日本人の意識が遠ざかりつつあった海岸線との距離を,もう一度捉え直すことからはじめなければならない。近代の文明観をもう一度考え直し,海辺を「わが日本の畏<おそ>るべき自然=ふるさと」として取り戻す必要がある。東日本大震災後の復興は,海辺に暮らしてきた民族そのものの再考を意味するのである。(『海岸線は語る』187頁~188頁)
これらの文章に続けて『復興ビジョン(案)』の基本方針は次のようなものだったと著者は語る:
基本的な方針として,津波の被害を受けた地域は暮らしの手段としては海辺を利用するべきだが,そこには人は住まないようにするべきだ,と考えた。当然,それには移住や移転をともなうことになるが,いまある集落の単位を維持することが重要である。「ふるさと」とは何かといえば,風土に合わせて住む人々の共同体であり,いまふうにいえばコミュニティであるからだ。(『海岸線は語る』188頁)
「ふるさと」=「風土に合わせて住む人々の共同体」というのが,本書の最重要キーワードの一つである。
著者は福島,宮城,岩手の海岸線各所を巡り,それぞれの「ふるさと」の本来の姿を探求し,復興はその「ふるさと」の姿に応じたものにするべきだと結論付けている。本書はいわば握りつぶされた『復興ビジョン(案)』の解説書・補足資料である。
◆ ◆ ◆
小生は茨城県に住んだことはあるが,それ以北の海岸線の様子に関しては全く無知であった。本書で知ったのは,福島,宮城,岩手の海岸線の姿がまったく異なっていることだった。
大まかに見て,宮城県の海岸線は仙台平野を中心に平野が続き,岩手県の海岸線はリアス式海岸が続き,福島県の海岸線は断崖が続く。こうした海岸線の様子,そして被害の状況を著者は「第1章 宮城編」,「第2章 岩手編」,「第3章 福島編」の3章で詳細に描いている。
東北の太平洋岸に住まう人々にとっては当たり前のことなのだろうが,小生にとっては東北の海岸線がかくも多様な姿かたちを持っており,また被害の状況も様々であったということは驚きであった。
海岸線各地に住まう人々にとって「ふるさと」の姿は多様である。それを無視して一辺倒の復興ビジョンを立案しようとすること,例えば,どこにも同じように震災前よりも高い防波堤を建設しようと考えたり,シンガポールを真似た商業/サービス/娯楽特区を建設しようと考えたりすることには,著者は厳しく批判を加えている。
著者から見れば,そういった一辺倒の復興ビジョンは「天国」のようなものである。理想的なソリューションのように見えて,現地には実際には根付かないものだということである。著者はエセーニンの言葉を借りてこのように言う:
「天国はいらない,ふるさとがほしい」
◆ ◆ ◆
小生は『海岸線の歴史』(参考)に続く本書『海岸線は語る』にもまた敬意と共感を覚えたのだが,同時に前著にも似て,本書の記述にも少々難点があることを指摘しておく。
例えば,「序章 海岸線が動いた」の冒頭,著者はこのように記している:
多賀城の麓にあるという,「末<すえ>の松山」を見に行かねばならない,とおもった。貞観大地震(869年)でも波をかぶらなかった,宮城県仙台市の北にある「末の松山」は,今回の東日本大震災でも津波に襲われなかったのだろうか,と。(『海岸線は語る』13頁)
こういう出だしならば,著者が「末の松山」にたどり着き,そこで何を見,どう考えたか詳しく述べるだろうと期待するものである。
ところが,「末の松山」に関する記述は64頁から65頁にかけて短く記述されているだけ。しかも百人一首の引用だとか,「末の松山」の所在には諸説あるとか,そういった話がほとんどである。肝心の問題については「今回の津波でも,この『末の松山』までは押し寄せていない」と一行足らずの文が記されているだけである。
なんか,『奥の細道』で,松尾芭蕉が「松島の月まず心にかかりて」などと松島の情景に憧れて旅立ったにもかかわらず,実際には松島には2泊だけして,すぐほかの土地に移動してしまったという,オチのようなズッコケのようなことを思い出す。
ほかの例としては「第2章 岩手編」で
「リアス」とは,スペイン語で「潮入川」を意味する。(『海岸線は語る』87頁)
と書いた後,数ページ後にもまた
「リアス」はスペイン語で「潮入川」を意味するが,(『海岸線は語る』94頁)
と書いており,記述が重複している。前著でも同じようなことがあったが,この辺は編集者が指摘して整理した方がいいだろう。
意図するところは良くても構成や記述で評価を下げてしまう惜しい本だと思う。「神は細部に宿る」(ウィトルウィウス)という言葉を意識していただきたい。
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