宮本常一『塩の道』と『絵巻物に見る 日本庶民生活誌』を読む
前記事で紹介した10冊の中に宮本常一『塩の道』がある。
これは民俗学の巨人が最晩年に行った講演録であり,宮本常一自身が平易な言葉によって,思想の全体像を展開している。
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この本には3つの講演録が収められている:
- 塩の道 『道の文化』(講談社・昭和54年9月)
- 日本人と食べもの 『食の文化』(講談社・昭和55年9月)
- 暮らしの形と美 『日本の知恵と伝統』(講談社・昭和56年4月)
宮本常一は昭和56年1月30日,胃癌によって亡くなったのだから,上述の「暮らしの形と美」は死後にまとめられ公表された講演録ということになる。
宮本常一はその最晩年まで講演・執筆に熱心で,中央公論社から『絵巻物に見る 日本庶民生活誌』という新書も刊行している。
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巻末の「あとがき」の日付は昭和55年10月28日であり,初版は翌年3月25日に刊行されている。書き上げて間もなく著者は無くなり,そして死後間もなく出版された。つまり,本書は遺著である。
最晩年にまとめられたということもあって,『塩の道』所収の「日本人と食べもの」や「暮らしの形と美」と『絵巻物に見る 日本庶民生活誌』とでは同じ話題がいくつか取り上げられている。
例えば竪穴住居と高床式住居との対比。『塩の道』では「暮らしの形と美」173~176頁で,『日本庶民生活誌』では152~154頁で取り上げられている。
竪穴住居は縄文時代以来,日本に住んでいた人々の住まいで,高床式住居は日本に稲作と稲作に伴う祭祀をもたらした外来の人々,後の支配階級のものであろうと推測している。この外来の人々はどこから来たか,ということについて,宮本常一は,中国の越人が秦帝国成立時に国を滅ぼされ,海を越えて朝鮮南部(任那)や西日本にたどり着いたものだろうと推測している。
この推測には中尾佐助らの照葉樹林文化論などが影響しているようであるが,小生などは土井ヶ浜遺跡の人々のこと(参考)を思い出す。
土井ヶ浜で大量に見つかった弥生人の骨は中国山東省で発掘された漢代の人骨との間に類似性が見られるという。これを根拠に中国の戦国時代末期の騒乱から逃れた人々が土井ヶ浜にたどり着いたのではないかという説があるが,『塩の道』によれば山東省の付け根,琅邪のあたりまで越人が住んでいたというから,土井ヶ浜弥生人もまた越人の後裔なのかもしれない。
土井ヶ浜遺跡の最大の謎として,ほぼ全ての人骨が顔を西北の海に向けて葬られていることが知られているが,これは祖先の土地を思って,海に顔を向けているのかもしれない。
話しがやや脱線したが,高床式住居に関連した話として,南方由来の高床式住居に暮らしているがゆえに平安貴族は冬の寒さに耐えるため着ぶくれをせざるを得なかったという話が『塩の道』と『日本庶民生活誌』の両方に出ている。
他にも,桶や樽の利用は今から600年ぐらい前のことで,『福富草子』という絵巻にその最初の姿が見える,ということも両書に記されている。
このように両書では重複する話題がいくつか取り上げられているが,『塩の道』と『日本庶民生活誌』とは互いに補完し合う本であり,読み比べる(シントピカル読書)ことによって宮本常一が語ろうとしていたことをより深く理解することができるだろう。
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