なんでこの世は生きづらいのか――渡辺京二『近代の呪い』を読む
どの時代に生まれたとしても生きづらさを感じることはあるだろう。
とはいえ,基本的人権を認められ,物質的な繁栄を手に入れたにもかかわらず,現代でも生きづらさを感じるのはなぜか?
その根源を問うのが本書である。
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目次
第一話 近代と国民国家――自立的民衆世界が消えた
第二話 西洋化としての近代――岡倉天心は正しかったか
第三話 フランス革命再考――近代の幕はあがったのか
第四話 近代のふたつの呪い――近代とは何だったのか
つけたり 大佛次郎のふたつの魂
◆ ◆ ◆
渡辺京二の著作については以前も本ブログにて述べたことがある(「渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』読了」)
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この人の代表作『逝きし世の面影』もそうだが,「近代」の根本的な意義を問うたり,近代以降の「進歩」に疑義を呈するというのが,この人の一貫した姿勢である。
本書,『近代の呪い』は2010年から2011年にかけて熊本大学等で行われた講演をまとめたものである。平易な話し言葉で「近代」というものについて真正面から語っている。
そして,現代の生きづらさの根源は何か,という冒頭の疑問に対して明確な答えを示してる。
それは――近代化そのものである,というのが本書の答えである。
本書によれば,近代化とは自立的民衆世界の解体である。
近代以前の民衆は,天下国家と関係なく,身の回りの小さい世界で生きて死んでいった。あの会津戦争の時ですら,会津領民の中には戊辰戦争に無関心なものがいて,板垣退助はショックを受けたという。
ところが,時代が移り,世界経済における地位を国家間で争う時代,インターステイトシステムの時代,つまり近代が始まると,民衆を国民に変革することに成功しない国は没落してしまうようになる。
明治維新というのはインターステイトシステムの仕組みに気付き,危機感を抱いた武士階級による革命で,目標は民衆を国民に変えるということだった。そういう視点で見れば,先ほどの板垣退助がショックを受けたのも理解できる。
明治維新によって,国家と無関係に成立していた民衆世界は解体され,民衆は国民になるべく教育された。その結果,40年足らずでロシアと戦うことができる態勢が整った,というわけである。
◆ ◆ ◆
近代化には恩恵があるわけで,例えば,基本的人権,自由,平等というものが国民には付与された。また,科学技術の発達,分業体制により,国民全体が物質的繁栄を享受できるようになった。
でも生きづらい。なぜか? 国民となった民衆はインターステイトシステムに直結され,世界経済の中での国家の勝敗に一喜一憂し,常にプレッシャーを感じなくてはならなくなった。
また,国家間競争の中で,各国は経済効率を向上させるべく,人間を取り巻く自然環境を改造し始めた。人間は本来の自然環境から切り離された人工的環境の中で生きていかざるを得なくなった。
インターステイトシステムと世界の人工化,この2つを渡辺京二は「近代の呪い」と呼んでいる。この2つの近代の呪いこそが,現代人を生きづらくさせる原因というわけである。
もちろん,渡辺京二はインターステイトシステムと人工化された世界を捨てれば人々が幸せになる,などと短絡的な答えは出さない。衣食足りて礼節を知る,というわけではないけれど,近代がもたらした物質的繁栄はやはり重要なのである。それをわかった上で,近代の呪縛から少しずつ離れることを考えていこうというのである。
◆ ◆ ◆
ずいぶん単純化してしまったが,今年83歳の老歴史家が主張していることはこういうことだと思う。
本書の主張はシンプルであるが,その主張を裏付ける様々な歴史的傍証が本書の中ではふんだんに引用されており,それが本書の語り口を豊かなものにしている。
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コメント
「確かに私はこれを望んだが、しかしこんな事態は求めていなかった。望んでもいないものまで押し付けられるのは不当だ」
そう言うべき時が来ていると私も思いますが、そもそも問題となっている近代の両側面、「恩恵」と「呪い」が不可分であったとすればどうでしょうか。
これは極めて深刻かつ重大な問題と言わざるをえません。
投稿: 拾伍谷 | 2013.11.09 02:39
まさにそのアンビバレンツな点について論じているのが本書です。
現行の「近代システム」は真の近代システムではない,という「コレジャナイ」説などは完全に退けられています。と同時に「前近代万歳」という考えも同じく退けられています。
投稿: fukunan | 2013.11.10 01:16