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2013.11.23

この世界はいかに生まれしや? インドの場合

前の記事「作る・生む・成る―創世神話における動詞」では次のようなことを述べた: 日本の創世神話は「成る」系の神話であり,そのような思考は,草木が自生・繁茂するような風土/自然環境に由来する,と…。

風土が思考の枠組みに与える影響について述べるのは和辻以来,日本人ばかりかと思っていたが,そうでもないようである。

オランダの生んだインド学の泰斗 J.ゴンダ (Jan Gonda, 1905-91)は,『インド思想史』の中で,ギリシャ人とインド人とを比較しながらこう述べている:

ギリシャ人は,不毛の土地,海に周囲を取り囲まれ,しかも周辺を取り巻く古代文明の傘下にある島国に移住して,この新たな居住地で高い文化に接し,勢い,あくせくした慌しい生活,交易,旅行に駆り立てられ,また,多岐にわたる国際間の交流に巻き込まれた。(ゴンダ『インド思想史』,10頁)
ギリシャ人は広く世界を見渡し,新奇なものに心を開くことに慣れ,その洞察と理解力は研ぎ澄まされた。また生得の知覚と天与の理性が,ただちに行為の重要な規範となった。宗教は何ら権威たるべき福音を与えなかった。こうしてギリシャ人には,人間が万物の尺度となったのである。

インド人は原生林に閉じ籠り,自分を取り巻く優勢な自然に捕われの身となっていた。古代文化の段階に特有な自然との連帯感が,根絶やされるより,むしろ大いに育まれた。自分と周囲との境界は明確には感じられなかった。インド人もギリシャ人と同様,心を自然と自然の諸問題に向けるが,しかし,インドでは,人間が自然に対立して独自の地歩を占めることはなかったのである。(ゴンダ『インド思想史』,11頁)

インドと一口に言ってもヒマラヤやヒンドゥークシュのような山岳地帯があり,タール砂漠があり,自然環境は多様である。だが,紀元前6正規頃に興亡を繰り広げていた十六大国が位置したガンジス川流域についていえば,緑豊かな肥沃な大地が広がっている。所によっては日本以上に草木が繁茂する大地で生まれた創世神話は「成る」系の神話ではなかろうかと期待されるのだが,果たしてそうだろうか?

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ゴンダ『インド思想史』「第二章 ブラーフマナの思弁」では古代インド人の考えた「万物原理」が紹介されている。万物…人間ももちろんのこと,神々も含めて全てのものはどのようにして生まれたのか? インドの詩聖たちは瞑想によってその究極原理にたどり着いた。有も無もない時と場所に,根本原因となる「唯一」のものが発芽したのだと。タパス(tapas)―熱によって。

この「唯一」のものは人格化されてプラジャーパティ(Prajapati, 創造主)とされたり,万物が有する潜在力―梵とされたりするわけだが,ブラーフマナでは次のように意見が分かれている:

太初の「無」(asat)が「有」(sat)たらんと欲し,この欲望が梵であった。次いでタパスにより創造活動が始まる。タパスによって煙が生じ,さらにタパスによって火が,次いで光が生じ,最後に,同じく万能のタパスによって,自己自身から「有」を創造するプラジャーパティが生じた。

この考えのかたわら,先行すべき「無」を欠く「自生の梵」(brahman svayambhu)の思想が存している。「太初において,宇宙は実に梵なりき。(すなわち,梵=宇宙)そは諸神を創出してのち,これらの世界に分置せり。……天界にはスールヤ (Surya,太陽神)を,など。」(ゴンダ『インド思想史』,43~44頁)
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(photo by cbcs)

小生から見れば,前者,「無」が「有」たらんとして創造活動が始まったという創世神話は,「成る」系の神話である。もちろん,プラジャーパティ登場以降は「作る」という活動によって,万物が作られていくわけであるが,プラジャーパティ自身は自立的に「成る」ことによって現れている。

ということで,緑豊かな風土では「成る」系神話が成立するような気がするのだが,いかがなものか?

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作る・生む・成る―創世神話における動詞

三浦佑之(立正大学教授)がEテレ「100分de名著・古事記」(2013年9月4日pm11:00~11:25放送)で言っていたのだが,世界各地の創世神話で使われている動詞に着目すると「作る・生む・成る」の3つがあるという。

日本の神話の場合,神々の誕生を含め,様々なものが誕生する際に「成る」が多用されているところに特長があるという。三浦は風土論によってその由来を説いていた。日本のような土地では草木が勝手に(自然に)繁茂する。そういう環境で育った古代の日本人は神々もまた自然に成るものだと考えたというのである。

これが砂漠の民の神話であればそうはいかない。オアシスのような場所を除き,砂漠では人の手が加わらない限り草木が満ち溢れることはない。厳しい環境下における創世神話では創造主によって万物が作られるという考え方になるというわけである。

残りの「生む」については何を言っていたか忘れたが,ともかく,日本神話の特徴は,神々が自然発生的に「成る」というところにあるらしい。


  ◆   ◆   ◆


確認のために,古事記の最初の部分を確認してみよう:

天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時,高天原(たかまのはら)に成る神の名は天之御中主(あめのみなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かみむすひ)の神。(『古事記』上)

たしかに神々は「成った」。

ついでにこの部分をチェンバレン (Basil Hall Chamberlain, 1850年~1935年)がどのように訳したのか見てみよう。

The names of the Deities that were born (*) in the Plain of High Heaven when the Heaven and Earth began were the Deity Master-of-the-August-Center-of-Heaven, next the High-August-Producing-Wondrous Deity, next the Divine-Producing-Wondrous-Deity. (The Kojiki, records of ancient matters, translated by Basil Hall Chamberlain)

チェンバレンは"were born"と訳しているが,本居宣長の解釈に則り,次のような注釈を加えている:

* Literally, "that became" (成). Such "becoming" is concisely defined by Motowori as "the birth of that which did not exist before."

つまり,"be born"と訳している部分は「成る」という言葉を訳したものであり,その意味は「今まで無かったものが生まれること」であると述べている。

さすが英国人チェンバレン,聖書の世界の人間である。「成る」という動詞に込められたニュアンスには鋭敏に反応している。

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2013.11.19

米国株式市場はバブルなのか?―Shiller PERによる評価

米国株はバブル状態か」(by Joe Light, WSJ, 2013年11月18日)という記事が出ている。たしかにS&P500種株価指数は2009年3月9日以来,166パーセントも上昇しており,一部では大丈夫なのかという懸念が生じている。

Stockmarket
(photo by cohdra)

同記事の結論としては,バブルではないだろうということが述べられている。その根拠となっているのが,ノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー(Yale University)が提唱している指標,"Shiller PER"の数値である。"Shiller PER"は1881年以降の米国株の平均PER(株価を利益で割った,株価収益率)値16.5倍を48%上回っているという。しかし,リーマンショック前の住宅バブル時やドットコム・ブーム時にはPERははるかに高かった。現在の株価は"Shiller PER"で測る限り,割高なだけであるようだ。

"Shiller PER"に関するより詳しい情報は,英文だが,次のサイトにある:

"Shiller P/E ? A Better Measurement of Market Valuation"

このサイトによれば,2013年11月18日のShiller PERは24.9倍である。住宅バブル時のPERは28倍ということなのでまだ余裕がありそうである。

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2013.11.15

相関と因果

社員が元気に挨拶する企業は景気が良い」という俗説がある。

この説,「社員が元気に挨拶すること」と,「企業の景気の良さ」との相関関係を述べているだけである。

「社員が元気に挨拶していると企業の景気が良くなる」のか,「企業の景気が良いと社員が元気に挨拶する」のか,因果関係について述べているわけではない。

まさかそんな経営者はいないと思うが,この俗説を「社員が元気に挨拶していると企業の景気が良くなる」ものだと解釈してしまうと,挨拶運動(小学校では「オアシス運動」とか言う)を推進すれば会社の経営状況が良くなるものだという短絡的な発想に行き着いてしまう。


相関関係と異なり,因果関係というのはそう簡単には同定できない。

ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は因果関係を同定するための4つ 5つの方法を提案した。この考え方は今も有効である。宮川雅巳『統計的因果推論』という本をもとに,ミルの方法のうちの4つを示すと次のようになる:

(1) 一致の方法 (The method of agreement)
ある現象が発生するという事例が2つ以上あるとする。それらの事例が一つの状況を共有しており,その状況のみが事例間で一致するとき,その状況は与えられた現象の原因である。

例: (事例1)α,βという状況でAという現象が発生。(事例2)α,γという状況でAという現象が発生。 → 事例1と2から,αがAの原因であると推測される。

(2) 付随変動の方法 (The method of concomitant variation)
ある現象が変動するとき,常に他の現象が変動している場合,一方は他方の原因もしくは結果である。

例: (事例1)αが上昇するとき,かならずAが下降する。(事例2)αが下降するとき,かならずAが上昇する。 → αはAの原因あるいは結果であると推測される。


(3) 差の方法 (The method of difference)
特定現象が発生した事例と,その現象が発生しない事例とがあり,一つの状況を除いて両者が共通していて,その状況が特定現象の発生時にのみ存在するとき,その状況は特定現象の結果もしくは原因の不可欠な部分である。

例: (事例1)α,βという状況ではAという現象が発生。(事例2)βという状況ではAという現象は発生しない。 → αはAの結果または原因の不可欠な部分であると推測される。


(4) 残余の方法 (The method of residues)
特定の現象からその現象の原因として知られている先行事象によって引き起こされる部分を取り除いたとき,その残余の部分は他の先行事象による結果である。

例: αという原因によってAという結果が引き起こされることが知られている。α,β,γという状況でA,Bという現象が発生した。 → Bはβおよび/またはγなどによる結果である。


ただまあ,社会科学分野では実験室科学と違って環境条件を制御しにくく,状況というのが複数の状況の重ね合わせだったりするので,なかなか因果関係を示すことは難しい。

ミルの提案した方法については,英文だが,これらのサイトの記事を読むと事例が載っているのでわかりやすい:


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『論語』のどの部分が孔子のもともとの発言を伝えているか?―『論語』原典批判

孔子はイエスやソクラテスと同じく自らは著作を残さなかった。

『論語』は儒教の根本を成す孔子の言行録とされるが,『論語』は成立までに長い年月を経ており,孔子以降の様々な思想家の考えが反映されている。

孔子の本当の声を聴きたいと思えば,『論語』の資料的検討を行わなければならない。

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白川静『孔子伝』の中で,『論語』の内容を8つに分類している。

資料種別内容
第一資料孔子亡命中の言行。
第二資料子貢関係の記述。孔子の没後,六年服喪し孔子の塚を守った子貢がまとめたものと考えられる。
第三資料子游,子夏,子張の語録。これら三者によって始まった学派は互いに対立関係にあり,『論語』の中に子游,子夏,子張の発言を残すことによって,学派の正当性を位置づけようとした。
第四資料曾子学派によるもの。
第五資料「郷党篇」ほか孔子の日常を規範としようとする意図を持つ,儀礼的記述が多いもの。
第六資料「季氏篇」ほか「稷下の学」を経たと考えられる資料。斉の儒家の手になると考えられる。
第七資料堯舜禹など古代の聖王の説話。
第八資料「微子篇」の逸民的説話。南方の儒者が加えたものと考えられる。荘周学派との関係が示唆される。

白川静『孔子伝』では,原資料の批判的検討の一例として孔子が伯夷・叔斉について述べた条を検討している(『孔子伝』273~276頁)。

これによれば,「公冶長篇」における伯夷・叔斉に関する孔子の発言は第一資料であり,「述而篇」における伯夷・叔斉に関する孔子の発言は第二資料であると推測されている。

『論語』は儒教各学派の論争によって改変が行われていると考えられ,「とても,安心してよめるものではない」(白川静『孔子伝』277頁)。


  ◆   ◆   ◆


『論語』の成立に関する問題は昔から検討されている。

吉永慎二郎氏は,「孔子の仁とは何か(上)」(※)の冒頭部分で「『論語』の中から孔子の真を伝えるテキストを選定する」という問題に関する,伊藤仁斎,竹内義雄,津田左右吉,木村英一の見解を紹介している。

(※)秋田大学教育学部研究紀要,人文科学・社会科学部門,vol.52, pp.1-16, 1997年

そして,竹内,木村の両説をもとに次のような見解を示している:

「孔子の言葉を伝える最も古い資料として両者の見解の重なり合うのは,上論十編のうち為政・八佾(イツ)・里仁・公冶長・雍也・述而の六篇である。したがってこれら六篇は『論語』中の最も古層のテキストと認定して大過ないであろう。」(吉永慎二郎「孔子の仁とは何か(上)」)

「篇」を単位として検討すると,こういう結論に至るらしい。

しかし,先ほどの白川静の説では,「公冶長篇」伯夷・叔斉関連部分は第一資料,「述而篇」伯夷・叔斉関連部分は第二資料,という話である。吉永氏が等しく最古層のテキストとみなした「公冶長篇」と「述而篇」の中でも条ごとに点検すると,まだ成立時期の違いが現れそうである。

『論語』についてはまだまだ原典批判を続ける必要があるようだ。

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2013.11.11

孔子の精神の正当な継承者は荘子

先日,省エネルギー関連の会議があった。その席で某企業からの委員が「省エネ」の「省」の字の意義について白川静の説を引いて論述した。ことほどさように白川静の学説は人々の間に浸透している。


  ◆   ◆   ◆


先日も紹介した白川静の『孔子伝』だが,やはり孔子に対する認識を一変させてしまうという意味で,たいへんな本である。

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以前の記事でも引用したが,

「孔子は巫女の子であった。父の名も知られぬ庶生子であった」(白川静『孔子伝』56頁)

という話は,本書刊行当時も現在も人々に衝撃を与え続けている。孔子は巫祝の伝統を継ぐ者であるという。

加地伸行が言うように,白川静の『孔子伝』は「従来の<倫理道徳としての,非合理的なものとは無縁な儒教そして孔子>という呪縛」から孔子像を解き放つ画期的な評伝である。

アカデミックな世界では議論が続いているのだろうが,読書人の間では『孔子伝』の説が定説になりつつあるのではないだろうか?


  ◆   ◆   ◆


白川静『孔子伝』が紹介されるときは,上に述べた孔子の出自ばかりが強調されるが,読み進めていくと,中国思想史の枠組みを揺るがしかねない論考が登場し,そちらの方がより衝撃的である。

そもそもの執筆の動機について,白川静は『回思九十年』所収の「私の履歴書」の中でこう語っている:

「儒教はどうして生まれたのか。孔子はどのようにしてそれを組織したのか。儒教がその教条主義にも拘わらず,滅びなかったのはなぜか。それはむしろ儒教の否定者によって,止揚されたからではないか。そのようなテーマを,私は敗戦のときから考え続けてきた。」(白川静「私の履歴書」,平凡社刊『回思九十年』所収)
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この引用文の中で重要なのは「むしろ儒教の否定者によって,止揚された」という部分である。長くなるが,少し論じてみる。


  ◆   ◆   ◆


反ノモスの人,孔子

吉田加奈子が白川静と対談した際の言葉(※『回思九十年』404頁)を借りれば,『孔子伝』で描かれる孔子は,反ノモスでピュシスの立場の人物である。

ノモスというのは法・社会制度であり,慣習と訳すこともある。ピュシスというのは人為が加わっていない,あるがままの状態であり,自然本性と訳すこともある。古代ギリシャでは「ノモス」と「ピュシス」は対立概念である。

反ノモスでピュシスの立場というのはソクラテスの立場であり,『孔子伝』ではしばしば孔子がソクラテスと比して論じられている。

『孔子伝』では孔子をロゴスの人であると言ったり,イデアの人であると言ったりして,読者をやや混乱させる。何故かというと,ストア派の枠組みではロゴスはピュシスとも表現されるのでまあいいが,イデアとピュシスは異なるものだからである。だが,白川静が言いたいことが「孔子は反ノモス」ということであると理解すれば,ロゴスやイデアという言葉で表したかったことが,ピュシスのことであろうと推測できる。そしてまた,ソクラテスと孔子とを並べてみる理由もわかる。

ソクラテスはデルフォイ(デルポイ)の神託をきっかけに,求道者として生涯,問いを発し続けた。孔子もまた後半人生の大半を占める亡命生活の中で,求道者として問いを発し続けた。

孔子(とソクラテス)にとって重要なのは,答えを述べることではなく,問いを発し続けるという求道者としての不断の行為である。

「孔子は最も『固を疾(にく)』〔憲問〕み,教条主義者を度しがたいものとした。」(『孔子伝』170頁)

孔子は自らの求道者としての行為を受け継ぐものとして,弟子の顔回(顔淵)に期待した。しかし,顔回は孔子よりも前に死ぬ。顔回の死を知った孔子は慟哭する:

顔淵死,子曰,噫天喪予,天喪予 (論語・先進編)
顔回が死んだ。先生はおっしゃった。「ああ,天は私を滅ぼした。天は私を滅ぼした」

顔回が死に,孔子が死んだ後,行為者としての伝統は失われ,教団は教条主義に陥った。儒教は,本来の反体制的な姿勢を失い,ノモス的秩序,いわば俗世的秩序を維持するものへと変貌する。その仕上げを行ったのが,孟子であり荀子であると白川静は語る:

「儒教のノモス化は,孟子によって促進され,荀子によって成就された。それはもはや儒家ではない。少なくとも孔子の精神を伝えるものではないと思う。儒教の精神は,孔子の死によってすでに終っている。そして顔回の死によって,その後継を絶たれている。」(『孔子伝』270頁)


  ◆   ◆   ◆


孔子の精神の正当な継承者は荘子

荘子(荘周)は道教の始祖とされ,また,儒教の批判者とされている。

荘子(荘周)は『荘子』の中で,しばしば孔子と顔回とを対論させて教条化した儒教への批判を行っている。儒教側から見れば,孔子の権威を貶める行為である。しかし,上述したように,白川静によれば,儒教の教条化,ノモス化を拒み,主体的な行為によって儒教を超越することを望んでいるのは孔子自身である。

「おそらく荘周は,この孔子の願望を見ぬいていたと思われる。それで,荘周は孔子と顔回の対論という寓話形式を以て,これを実現してみせたのである。」(『孔子伝』215頁)

このように,孔子の精神の正当な継承者を荘子とする説は,実は白川静以前に,郭沫若(Guo Moruo)が唱えたことであるが,白川静もこれに賛同している。

ということで,儒教には大きく2つの流れがある,ということになる。一つは孟子・荀子に受け継がれたノモス化した儒教,もう一つは孔子の精神を受け継いだ,荘周による反ノモス儒教である。

『論語』はこの両派の考え方が反映されていて,全体といては一貫性を欠いたものとなっていることが『孔子伝』では述べられているのだが,その件については別の記事で書きたいと思う。

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2013.11.09

『覇記』第161話青葉戴冠!北伐開始

恒例(いや,不定期か)のお気に入りweb漫画更新情報である。

11月9日,『覇記』第161話掲載。
貞山青葉が戴冠し,北上侵攻が宣言される。

前回と同様,ほぼひと月ごとの更新ペース。
ひょっとすると新章開幕に備えて,また長いお休みが始まるのではないかという予感もある。


そうそう。
カンニング・スタンツ』も11月7日に第24話「擁立」が開幕したところである。
前話から亜父范増が出てるが,クリント・イーストウッドがモデルらしい。十段先生は本当に自由。

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2013.11.08

なんでこの世は生きづらいのか――渡辺京二『近代の呪い』を読む

どの時代に生まれたとしても生きづらさを感じることはあるだろう。

とはいえ,基本的人権を認められ,物質的な繁栄を手に入れたにもかかわらず,現代でも生きづらさを感じるのはなぜか?

その根源を問うのが本書である。

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目次
第一話 近代と国民国家――自立的民衆世界が消えた
第二話 西洋化としての近代――岡倉天心は正しかったか
第三話 フランス革命再考――近代の幕はあがったのか
第四話 近代のふたつの呪い――近代とは何だったのか
つけたり 大佛次郎のふたつの魂


  ◆   ◆   ◆


渡辺京二の著作については以前も本ブログにて述べたことがある(「渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』読了」

黒船前夜 ~ロシア・アイヌ・日本の三国志黒船前夜 ~ロシア・アイヌ・日本の三国志

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この人の代表作『逝きし世の面影』もそうだが,「近代」の根本的な意義を問うたり,近代以降の「進歩」に疑義を呈するというのが,この人の一貫した姿勢である。

本書,『近代の呪い』は2010年から2011年にかけて熊本大学等で行われた講演をまとめたものである。平易な話し言葉で「近代」というものについて真正面から語っている。

そして,現代の生きづらさの根源は何か,という冒頭の疑問に対して明確な答えを示してる。

それは――近代化そのものである,というのが本書の答えである。

本書によれば,近代化とは自立的民衆世界の解体である。

近代以前の民衆は,天下国家と関係なく,身の回りの小さい世界で生きて死んでいった。あの会津戦争の時ですら,会津領民の中には戊辰戦争に無関心なものがいて,板垣退助はショックを受けたという。

ところが,時代が移り,世界経済における地位を国家間で争う時代,インターステイトシステムの時代,つまり近代が始まると,民衆を国民に変革することに成功しない国は没落してしまうようになる。

明治維新というのはインターステイトシステムの仕組みに気付き,危機感を抱いた武士階級による革命で,目標は民衆を国民に変えるということだった。そういう視点で見れば,先ほどの板垣退助がショックを受けたのも理解できる。

明治維新によって,国家と無関係に成立していた民衆世界は解体され,民衆は国民になるべく教育された。その結果,40年足らずでロシアと戦うことができる態勢が整った,というわけである。


  ◆   ◆   ◆


近代化には恩恵があるわけで,例えば,基本的人権,自由,平等というものが国民には付与された。また,科学技術の発達,分業体制により,国民全体が物質的繁栄を享受できるようになった。

でも生きづらい。なぜか? 国民となった民衆はインターステイトシステムに直結され,世界経済の中での国家の勝敗に一喜一憂し,常にプレッシャーを感じなくてはならなくなった。

また,国家間競争の中で,各国は経済効率を向上させるべく,人間を取り巻く自然環境を改造し始めた。人間は本来の自然環境から切り離された人工的環境の中で生きていかざるを得なくなった。

インターステイトシステムと世界の人工化,この2つを渡辺京二は「近代の呪い」と呼んでいる。この2つの近代の呪いこそが,現代人を生きづらくさせる原因というわけである。

もちろん,渡辺京二はインターステイトシステムと人工化された世界を捨てれば人々が幸せになる,などと短絡的な答えは出さない。衣食足りて礼節を知る,というわけではないけれど,近代がもたらした物質的繁栄はやはり重要なのである。それをわかった上で,近代の呪縛から少しずつ離れることを考えていこうというのである。


  ◆   ◆   ◆


ずいぶん単純化してしまったが,今年83歳の老歴史家が主張していることはこういうことだと思う。

本書の主張はシンプルであるが,その主張を裏付ける様々な歴史的傍証が本書の中ではふんだんに引用されており,それが本書の語り口を豊かなものにしている。

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2013.11.05

防府の毛利博物館に雪舟「四季山水図」を見に行く―いよいよご対面,毛利氏庭園へ

さて,前記事の続き。

防府天満宮を後にして,レンタサイクルで毛利氏庭園に向かう。移動時間,約15分。

毛利氏庭園内には重要文化財に指定されている旧毛利家本邸がある。そしてその旧毛利家本邸の一角には毛利家代々のコレクションが展示してある毛利博物館が設置されている。

そのコレクションの中の白眉ともいえるのが,国宝 雪舟筆「四季山水図(山水長巻)」である。

Sansuichoukansummers
(雪舟筆 四季山水図(山水長巻) 夏景部分を絵葉書から再構成。もちろん現物はもっとカラフル)


  ◆   ◆   ◆


山水長巻は毎年11月ごろに限定して公開される。

はやる気持ちを抑えつつ,旧毛利家本邸に入る。

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↑旧毛利家本邸玄関

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↑本邸外観

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↑客間・大広間

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↑同じく客間・大広間である。掛け軸の書は「百万一心」と書いてある。「一回一力一心」ではない。

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↑大広間の天井は,「格天井(ごうてんじょう)」で江戸の伝統を受け継いでいるが,シャンデリアを設置しているあたりが,和洋折衷を感じさせる。

Mourishigarden06
↑長い廊下・・・。


さて,毛利邸一階を巡り,かつての華族の素晴らしい邸宅の作りを堪能しているうちに,本題の雪舟「四季山水図」のことを忘れそうになったのだが,内部を巡っていくうちに,一階の奥まったところにある「毛利博物館」に到着した。

そこで,ついに雪舟「四季山水図」にご対面したわけである。

ほかにも国宝 古今和歌集 巻八(高野切)も展示されていた。毛利家のコレクションは本当にすごい。


  ◆   ◆   ◆


・・・毛利家のコレクションに驚嘆した後は再び毛利家本邸を見物して回る。

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↑これが2階から見た毛利氏庭園である。庭園の向こうに市内が一望できる。

Mourishigarden08
↑二階の広間である。

Mourishigarden09
↑二階の広間の電燈は和洋折衷の面白いデザインになっている。

Mourishigarden10
↑襖に描かれているのは毛利家の家紋の一つである「抱き沢潟(だきおもだか)」である。

Mourishigarden11
↑おなじみの家紋「一文字三つ星」「抱き沢潟」を組み合わせた衝立のデザイン。

Tsuwabuki
↑庭園には膨大な数のツワブキ(石蕗)が咲いていた。

ということで,念願の「四季山水図」に対面できただけでなく,毛利邸の凄さにも触れることができた。

ついでながら毛利邸見物で得た豆知識。

(1) 廃藩置県時の山口県(防長二国)の人口は82万人強だった(日本の人口に占める割合は今よりも大きかった)。
(2) 毛利家は明治新政府に70万両を進呈した(超大金持ち)。

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防府の毛利博物館に雪舟「四季山水図」を見に行く―まずは防府天満宮へ

せっかくの連休なので,防府の毛利博物館に雪舟筆,国宝「四季山水図(山水長巻)」を見に行くことにした。

これまでまともに防府の観光をしたことがないので,今回は,毛利博物館に行くだけでなく,防府天満宮や周防国分寺も見物することにした。

宇部から防府までは車で1時間程度の距離である。

まずは防府天満宮。

Houfutenmangu2013

防府天満宮は菅原道真公が亡くなった翌年,延喜2年(904年)に創建されたため,日本初の天満宮として知られる。

境内にはこんな石碑も建立されている:

Houfutenmangu20132

扶桑菅廟最初」と刻まれている。「扶桑」とは日本のこと。「菅廟」とは菅原道真公を祭った社(やしろ)の意味である。

訪れた時はちょうど,七五三のお参りに来ている家族でにぎわっていた。

本殿・拝殿から離れた別の社殿である客殿には子猫が住み着いていた。

Houfutenmangu2013neko

Houfutenmangu2013neko2

親猫はどこかにいるのか?

それはそうと,春風楼という楼閣に菅原道真公の故事を描いた額が奉納されていたのだが,ちょっと味わい深いというか,画力が素朴絵風というか・・・。

Hounougaku


防府天満宮参拝ののち,参道脇の「まちの駅 うめてらす」で腹ごしらえをして,次はいよいよ毛利氏庭園の中の毛利博物館に向かう。


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2013.11.04

土曜日は宇部祭り前夜祭に行ってきた

土曜日(2013年11月2日),仕事を済ませたのち,毎年恒例の宇部祭り前夜祭に行ってきた。目的はワールドキッチン

2010年の記事(「宇部まつりに行った」)にも書いたが,ワールドキッチンというのは市役所の駐車場に設営された屋台村である。地元の飲食店が屋台を出すほか,ギリシャ,トルコ,ペルシャ,インド,中国など,約10か国の料理の屋台も登場する。

Ubematsuri2013

で,今回はギリシャ料理屋に行き「ギロ(参照)」を食べたわけである。

Greecefood

ギロ500円也を食べただけでお腹がそれなりに満たされた。

ギリシャは過去3回ほど行っていてわりと親しみのある国である(参照)。久々にギリシャ料理を食べ,懐かしく思った。

「よしもとお笑いライブin宇部まつり」など前夜祭の目玉イベントが近づくにつれ,会場の混雑が極まってきたので,他の屋台で「のどぐろの寿司」などを買い足したのち,早々に撤退した。

Ubematsuri20132

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2013.11.01

山本太郎議員は平成の田中正造のつもりなのか?

栃木生まれのうちのツマは,明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴して捕まった田中正造のことを連想したという。

田中正造は当時,衆議院議員を辞職した後だったし,その他,細部に関しては違う点があるが,構図は似ている。山本太郎議員は平成の田中正造のつもりで今上陛下に手紙を渡したのか?


【追記】

――と思っていたら,下村文科相も「田中正造に匹敵」ということを言っていた。やはり,皆同じことを連想したようである。

ネットゲリラによると,児玉誉士夫以来,84年ぶり5度目の直訴だそうで。

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巫祝(シャーマン)の系譜に連なる孔子: Confucius in a genealogy of shamans

白川静『孔子伝』によれば,孔子巫祝(ふしゅく)の伝統を受け継いだ人物である。巫とは女性,祝とは男性のシャーマンである。

『史記・孔子世家』によれば,孔子は士大夫の男・叔梁【糸乞】(しゅくりょうこつ)と顔徴在の野合によって生まれたという。野合とは正規の結婚を経ずに生まれたということである。『孔子家語』等を手掛かりに,顔徴在は顔氏の末娘であり,家の祭礼を司る巫女だったのであろうと白川静は述べる。巫女に男女関係は禁物である。ゆえに,顔徴在が孔丘すなわち孔子を生んだことは野合と見なされたというわけである。

儒教の「儒」という文字の旁(つくり)である「」は雨乞いをするシャーマンを描いたものだという。

儒教の最重要テキストの一つである『論語』には葬礼に関する記述が多いが,それもそのはず,儒教とは葬礼を司った巫祝の伝統を受け継いだものだからである。

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孔子が野合の結果生まれた子供だったとしても,それはなんら孔子を貶めることにならない。巫祝の系譜に連なる孔子はやがて偉大な思想家として立ち上がることとなる。

孔子は巫女の子であった。父の名も知られぬ庶生子であった。尼山に祈って生まれたというのも,世の常の事ではなさそうである。あのナザレびとのように,神は好んでそういう子をえらぶ。孔子は選ばれた人であった。それゆえに世に現れるまでは,誰もその前半生を知らないのが当然である。神はみずからを託したものに,深い苦しみと悩みを与えて,それを自覚させようとする。それを自覚しえたものが,聖者となるのである。(白川静『孔子伝』56頁)

さて,ここで急展開。孔子および儒教のシャーマニックな側面を強調していくとどうなるかというと,諸星大二郎『孔子暗黒伝』に結実する。

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この作品の中で,孔子の発言の多くは『論語』に依拠しているが,元の文脈から切り離されて自由にコラージュされ,別の意味を孕むようになっている。

『孔子暗黒伝』では孔子と陽虎との対立が一つの重要な柱となっているが,白川静『孔子伝』でも,孔子は生涯のほとんどにわたって,陽虎の幻影に翻弄され続ける。陽虎については稿を改めて書くことにする。

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