"WEB GOETHE"でフジコ・ヘミング・インタビュー・・・に関連してフジコ・ヘミング批判批判
WEB GOETHEでオリンピック招致の最終兵器と言われている滝川クリステルがフジコ・ヘミングにインタビューを行っている。これはこれで面白い記事だが,関連して思い出したのが,フジコ・ヘミングには強烈なアンチが多いということ。とくに技巧について。
次のブログ記事は"La Campanella"の弾き比べによってフジコ・ヘミングの技量を検証したものであり,もはや異論をはさむ余地もない:
「【音楽】ラ・カンパネラ大特集。7人による演奏。最後が、フジ子・ヘミングさんです:JIROの独断的日記ココログ版」
だが,フジコ・ヘミングに対する批判に対し,さらに批判を加えた記事があって,これがなかなか良い:
『「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?』(プリンストン発日本/アメリカ新時代 by 冷泉彰彦,Newsweek)
コアになる主張を引用する:
私はこの妙な対立の背後には深刻な問題があるように思うのです。それは、結局のところ専門家や音楽ファンは「フジ子・ヘミングの演奏に感動している人」をバカにしているという問題です。(同記事)
「アノ人の演奏はダメ。例えばショパンなら、ポリーニとか、ピレシュとか、ブレハッチを聞きなさい」という言い方では、折角ヘミング女史の演奏を聞いて「初めてピアノの音楽で感動した」人に対して、その感動の体験を否定してしまうことになります。(同記事)
つまり,単純に演奏者の批判を繰り返すだけでは,クラシックに開眼した人々を落胆させ,クラシック愛好家の裾野を拡大できないということである。
フジコ・ヘミングに関しては,技量に対する批判だけでなく,音楽と無関係のエピソードで飾りたてられていることに対する批判も寄せられている。
しかし,これについても冷泉氏は「人生物語のファンタジー」ということでは,通好みのピアニストについて音楽愛好家・専門家が評価するときの言い回しにも同じものがあると主張している。
◆ ◆ ◆
さて,ここからは商売としての芸術活動という話。調子を変えて丁寧語で書きます。
もはや古典的ともいえる考え方ですが,マーケティングというのは,買い手が欲しいと思うものを売り手が作って売る,というのが基本です。
「いいものを作ったから売れるはず」というのは作り手・売り手の思い込み。ある自信作が売れなかった場合,「客が理解していない」と,作り手・売り手が買い手に責任転嫁する場合がありますが,これはいけません。
これはビジネスとして間違いです。
フジコ・ヘミングに対するアンチの主張は「あの技量でプロか?!」ということなのだろうと思うのですが,これは高性能製品を開発したのに売れないと嘆くメーカーの人々と同じ物の考え方であるわけです。
プロの芸術活動というのは感動を売る商売。超絶技巧で感動させてコンサートチケットを売るのも,そう高くない技量と人生のエピソードとをセットにして感動させてお金をいただくのも,どちらも立派な商売です。
・・・という観点で見ると,フジコ・ヘミングは作り手・売り手視点では×なのでしょうが,マーケティング視点では○ということになります。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 唐沢俊一氏逝去の報(2024.09.30)
- 「エルガイム」TV放送から40年(2024.08.29)
- 宮内橋の話(2024.02.24)
- 嘘歴史(その2)(2023.06.07)
- 嘘歴史(その1)(2023.06.04)
コメント