チェンマイ雑記
先日行ったチェンマイだが,「百万の田」ランナー王国の首都だった都市である。13世紀にメンラーイ王が建設した。メンラーイ王自身はこの年には住まず,チェンラーイに住んでいたそうである。
下の地図はチェンマイの道路と河川・堀の略図である。右側の道路と堀で四角く囲まれた範囲が旧市街である。
旧市街は堀だけでなく煉瓦壁にも囲まれており,都城だったことがわかる。
地図上の"T"は都城の東門(Tha Phae Gate)跡である。
チェンマイではインペリアル・メーピン・ホテルに泊まった。上の地図では"M"で位置を表している。
メーピンホテルはやや古いが立派なホテルである。リーズナブルな価格で泊まれる。ネット環境も整っている。小生が泊まった時には,大勢の中国人観光客が押しかけていた。もちろん欧米人(ファラン)や日本人の観光客もいた。
メーピンホテルの裏側にはビアバーが立ち並んでいる。日中はこんな感じで閑散とした有様である。
メーピンホテルからさほど遠くないところにいくつかの市場がある。
夜に賑わうのが,上の地図で"N"という記号を付したオレンジ色の四角部分でナイトバザーと呼ばれるところである。白人(ファラン)の観光客が大勢練り歩いている。
売っている物はファラン目当ての土産物やパッチモンばかりである。あまり買いたいとは思わない。
上の地図で"A"という記号を付したオレンジ色の四角部分はアヌーサン・マーケット(Anusan Market)と呼ばれる,露店が集合しているところ。ここもファランが大勢来る。
上の地図で"W"という記号を付したオレンジ色の四角部分はワローワット・マーケット(Warowat Market)と言い,わりと現地の人たちでにぎわう市場である。果物など食材が豊富である。ここではドライフルーツを買った。
東南アジアに行くたびに思うのは,果物が豊富であることだ。「寝ててもバナナが口に入る」というのは冗談だが(※),普通に暮らしていけば,飢えることはあまりなさそうである。
※梅棹忠夫『東南アジア紀行(上)』(中公文庫)122頁参照
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