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2013.07.11

Hard-nosed Thai したたかなタイ

先日,チェンマイから帰ってきたところだが,チェンマイ滞在中に読んだのが,柿崎一郎『物語 タイの歴史』(中公新書1913,2007年)である。

物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)
柿崎 一郎

中央公論新社 2007-09
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以前,読んだもののいろいろと忘れていることが多かったので今回再読した。やはり現地で現地の歴史を学ぶと頭に入りやすい。


  ◆   ◆   ◆


16世紀後半,ナレースアン王はビルマのタウングー朝に隷属していたアユッタヤー朝を復興し,独立させた。

アユッタヤー朝復興以降,ビルマの再侵攻や王朝交代など変遷があったものの,基本的には現在のタイにつながる歴史の流れは,ナレースアン王に始まったと言ってよい。タイの国技ムエタイを創設したのもこのナレースアン王であるという。

ナレースアン王によるアユッタヤー朝復興は1574年で,日本では織田信長が伊勢長島一向一揆を滅ぼした頃である。

アユッタヤー朝は貿易国家として栄えるが,18世紀後半に王族同士の争いで力が衰える。

そして,ビルマにコンバウン朝が勃興すると,アユッタヤー朝はコンバウン朝に脅かされるようになる。

1767年にはビルマのシンビューシン王によって,首都アユッタヤーが陥落,アユッタヤー朝は滅亡した。日本では田沼意次が側用人として頭角を現してきた頃。

しかし,アユッタヤー陥落後半年程度で,華人系地方領主タークシン(鄭信)が登場し,旧アユッタヤー朝の領土を回復。タークシンはトンブリーの地に都をつくり,トンブリー朝を立てた。

タークシンは10年ほどで現在のラオス,カンボジアを含む広大な領域を征服した。しかし,後年,奇行が目立つようになったため,腹心だったチャオプラヤー・チャックリー将軍によって処刑される。

チャオプラヤー・チャックリーはトンブリーからチャオプラヤー川を挟んで対岸の地に新たな都を築いた。これが現在のバンコク(クルンテープ)である。チャオプラヤー・チャックリーはラーマ1世として即位した。これが現在も続くチャクリー朝(ラッタナコーシン朝)である。1782年のことであり,日本では天明の大飢饉が起こっていた。


  ◆   ◆   ◆


Flag_of_thailand_1855
(1855年~1916年のシャム(タイ)王国国旗)

ということで,現在のタイの王朝に至るまでの歴史を振り返ったわけだが,アユッタヤー朝から現在に至るまで,タイの政治的な動きには特徴がある。

物語 タイの歴史』の終章で,著者柿崎一郎はこのように書いている:

「タイは有能な人物を誰でも登用し,大国の勢力をうまく拮抗させてバランスを取り,しかも大国と運命をともにせざるを得ないときにはより有利なほうを見極めてから選択したのであった。」(285頁)

まず,アユッタヤー朝復興以来,タイの為政者は外国人であろうと有能であれば積極的に登用していた,ということにタイの歴史の特徴がある。

日本でも有名な山田長政はアユッタヤー朝で登用され,オークヤー・セーナーピムックという最高位の欽賜名を得た。

コンスタンティン・フォールコンというギリシャ人もアユッタヤー朝で登用され,外交を一手に引き受けた。

チャクリー朝でもチュラロンコーン大王(ラーマ5世)による近代化政策(チャクリー改革)の中で,大量の外国人専門家が招聘された。

そもそもタークシンもラーマ1世も中国人の血をひいており,タイ社会では民族的出自はほとんど問題にされなかった。能力主義というのが,タイのいいところである。

つぎに,近代に入って,列強間のバランスを利用して国家の生き残りを図ったというところにもタイの歴史の特徴がある。

アユッタヤー朝ではポルトガルの圧力をかわすためにオランダを利用したり,オランダの圧力をかわすためにフランスを利用したりと,バランス外交を行った。

チャクリー朝でもフランスとイギリスの双方の影響を拮抗させることにより,植民地化を防ぐ努力を続けた。

第1次世界大戦では,ぎりぎりまで参戦せず,1917年4月のアメリカの参戦を機に,連合国側での参戦に踏み切った。結果として戦勝国となったタイは,かつてフランスとの間に結んでいた不平等条約の撤廃に成功する。

第2次世界大戦では,日本と米英を天秤にかけ,初期はやむを得ず日本側に付いたという体裁で,フランス領のカンボジアやラオス,イギリス領のビルマ・シャン州に積極的に進出し,失地回復(これらの地は近代以前はタイ王国の領土だった)に努めた。

日本側が不利になると,表立っては日本との対立を避けつつ,「自由タイ」という親連合国組織を通じて連合国側と連携を始めた。日本が敗戦すると,日本側に立って連合国に宣戦布告したことを無効にしてしまい,敗戦国の立場を逃れることに成功した。

このように,タイは烈しい国際競争の中でしたたかに振る舞い,大国を手玉にとって生き残ってきたのだった。

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(現在のタイ国旗)

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