グレッグ・イーガン"Zendegi"再読: マイ・ライフ
Zendegiについて昨日とは別の話。
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Zendegiの第2部では「死後も息子の成長を見守りたい」という父親の願いがテーマの一つとなっている。
それで思い出したのが,マイケル・キートン主演の映画「マイ・ライフ」や井村和清の手記『飛鳥へ,そしてまだ見ぬ子へ』といった作品である。細部はもちろん違うが,「自分は死んでいくが,子供(たち)に伝えたいことがある」という内容は共通である。
「マイ・ライフ」の場合は,主人公ボブ(マイケル・キートン)が子供のためにビデオレターを残す。
Zendegiの場合は,マーティンが息子ジャヴィード(Javeed)の成長を見守るために,ネットゲーム空間"Zendegi-ye-Behtar"上に,自分の性格を移植したヴァーチャル人格を作ろうとする。
自分の模倣子(ミーム)を残したいというのは人間誰しも思うことであり,人々はテクノロジーの力を借りて,その願望をより完璧に実現しようとする。
マーティンの願望が実現されたかどうかはZendegiを読んでみてください。
あとはペルシャ語についての雑談。
Javeedという名前
上述したようにマーティンの息子はジャヴィード(Javeed)という。Javeedとはペルシャ語で不死(immortal)または永遠の生(living forever)の意味である。イーガンもなかなか意味深な名前を付けている。
Zendegi-ye-Behtarという名前
ナスィームが開発したネットゲーム空間の正式名は昨日の記事でも書いたように"Zendegi-ye-Behtar"。英語に直せば"better life"という意味である。かつてブームになった「セカンド・ライフ」というのがあったが,2027年のイラン(およびイスラム圏)では「ベター・ライフ」というのが大ブームになっているのである。
BabaとPesaram
マーティンはジャヴィードのことを"Pesaram"と呼んでいるが,これは英語に直すと"my son",日本語で堅苦しく言えば「息子よ」,いささか古いが,柔らかく言えば「坊主」「坊や」という感じ?
一方ジャヴィードはマーティンを"baba"と呼んでいる。ペルシャ語でお父さんは"pedar"だが,ジャヴィードはそうは呼ばない。"baba"はイスラム圏では年長者を尊敬して呼ぶときの呼び方であるから…と思っていたら,どうも単に「パパ」ということらしい。現代っ子というか未来っ子であり,小学校に入ったばかりのジャヴィードが「父上」と呼ぶわけがない。
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コメント
イーガンの小説ではよくテクノロジーが資本と結びつけられて語られますね。
テクノロジーと国家を結びつける話はありがちですが、イーガンのような視点で書かれたSFは、私が無知なせいだからでしょうがあまり知らなかったので、貴兄に薦められて初めて読んだときは大変新鮮な驚きを感じました。
くわえて、テクノロジー=資本によって急激に再編成される社会の中で古典的な人間性がどのように変容し、また変容しないかといった論点が、読み物としての面白さを増していると思います(やはりヒューマニティの側に立った「正義の味方」の活躍が読みたいわけです)。
近(時に遠)未来を舞台としたフィクションでありつつ極めて今日的な問題をテーマとし、かつエンターテインメントとしてまとめられているイーガンのSF。中でも、ハードボイルドな探偵小説の完璧なパロディであり、最後にブラックユーモアとグロテスクな悪夢の二段オチが見事に決まる短編「繭」がとりわけ気に入っています。
投稿: 拾伍谷 | 2013.05.11 01:47