グストロフ号の悲劇
日帰りの東京出張が続いている。その合間に浜松町の本屋で買って読んでいるのが,この本,池内紀の新刊,『消えた国 追われた人々― 東プロシアの旅』である:
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東プロシア(オストプロイセン)というのはかつて存在したドイツの飛び地。プルーセン人という人々が住んでいた地をドイツ騎士団が開拓して作ったのがプロシア(プロイセン)という国。
西プロシアと東プロシアに分かれ,西プロシアは時によって,ポーランド領になったり,ドイツ領(プロイセン王国)になったりしていた。第1次世界大戦後,西プロシアはポーランド領となり,東プロシアはドイツの飛び地になった。
第2次世界大戦が始まり,ポーランドはドイツ(とソ連)に敗れた。西プロシアは再びドイツ領となり,東プロシアはドイツと地続きになった。
しかし,その後,独ソ戦が始まった。ドイツはソ連との戦いで敗退し,第2次世界大戦末期には東プロシアはソ連軍に包囲されてしまった。
そのとき,東プロシアには200万人を超えるドイツ人が住んでいた。ドイツ海軍の総司令官であるデーニッツはヒトラーには内緒で東プロシアからドイツ西部へとドイツ人を避難させる大作戦を開始した。1945年1月23日から5月8日までのことである。
グストロフ号はその海上避難作戦に使用された豪華客船の名前である。『消えた国 追われた人々― 東プロシアの旅』の最初の章に,このグストロフ号の悲劇が描かれている。
◆ ◆ ◆
実はデーニッツによる海上避難作戦とグストロフ号の悲劇については別のところで読んだことがあった。
学士会会報第856号(平成18年1月号)竹野弘之「第二次大戦末期のドイツ客船『ヴィルヘルム・グストロフ号』の悲劇」という講演記録がそれである。竹野弘之氏は日本郵船歴史博物館元館長で,豪華客船の沈没事故に関する専門家である。
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竹野氏の講演によると,平時の豪華客船の事故としてはタイタニック号の悲劇が有名だが,平時でもそれより大きな事故もあったし,戦時に至っては何倍も大きな事故(というより事件)が起こっているという話である。講演で取り上げられていた事故・事件を並べると,次のようになる(洞爺丸の話は講演に出ていなかったが,ここではリストに加えておく)。
<平時>
第1位 1987年 ドニャ・パス号事件(フィリピンのタンカー・フェリー衝突事故) 4341人
第2位 1912年 タイタニック号の氷山衝突 1517人
第3位 1954年 洞爺丸事件 1155人
第4位 1914年 エンプレス・オブ・アイルランド号(カナディアン・パシフィック社)と貨物船との衝突 1012人
<戦時>
第1位 1945年 ヴィルヘルム・グストロフ号(ドイツ) 9343人
第2位 1945年 ゴヤ号(ドイツ) 6666人
第3位 1945年 カップ・アルコーナ号(ドイツ) 5000人以上
第4位 1945年 ゲネラル・シュトイベン号(ドイツ) 4000人以上
これを見ればわかるように,第2次世界大戦末期には集中的にドイツの客船が沈められている。捕虜・政治犯など収容所収容者を運んでいたカップ・アルコーナを除き,いずれも避難民輸送の最中のことだった。どの船も避難民を詰め込められるだけ詰め込んでいた。それが犠牲者の増加につながった。
グストロフ号の定員は1400名程度。しかし,撃沈時には10582人が乗船し,このうち8割強が女性と子供だった。そのほとんどが命を失った。
◆ ◆ ◆
グストロフ号を沈めたのはソ連の潜水艦S-13である。S-13はグストロフ号に続き,翌月,ゲネラル・シュトイベン号も撃沈している。
S-13の艦長はアレクサンドル・マリネスコという人物だったが,この人も数奇な運命に振り回される。
マリネスコは上官たちにこれらの戦績を報告したが,上官たちはだれも信用しなかった。マリネスコは素行不良でKGBに睨まれていたらしい。また,撃沈対象が不適切だったのではないかという議論も起こった。そういうこともあって,マリネスコはあまり評価されなかった。
竹野氏によると,マリネスコは終戦後,KGBに逮捕され,シベリアの強制収容所(コリマ)送りとなった。1953年,スターリンの死後,解放された。1963年に戦友たちの働きかけによって名誉回復され,その三週間後に亡くなった。
◆ ◆ ◆
デーニッツの海上輸送作戦によって200万人ものドイツ人が避難できた。しかし,その過程でグストロフ号始めとする避難民の悲劇が生じた。ドイツ人たちがいなくなり,東プロシアという国は完全に消滅した。
旧東プロシアの街々を訪ね歩き,現在の住民の生活と重ね合わせながら,いなくなったドイツ人たちの生活や文化を幻視する,それが『消えた国 追われた人々― 東プロシアの旅』の内容である。
◆ ◆ ◆
まだ未読だが,ドイツの作家ギュンター・グラスが『蟹の横歩き;ヴィルヘルム・グストロフ号事件』という本を書いている。これを訳したのが池内紀である。
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コメント
現在のカリーニングラードは長らく停滞してしていたが今世紀に入ってから経済成長順調に転じ、
ロシアの飛び地領ということもあり本国離れの気風が急激に進んでいるという話を何年か前に聞きました。
もちろんカリーニングラード市民はほとんどロシア人です。
投稿: 拾伍谷 | 2013.05.22 19:00
いろいろな民族が入り乱れつつ,まあ仲良くやっていたのがオストプロイセンでした。
カリーニングラードの成長目覚ましいのは良いことですが,かつてのような魅力には欠けるのでしょうね。
投稿: fukunan | 2013.05.23 13:01