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2013.05.31

岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史』を読んだ件

この本,先週読み終わったのだが,感想めいたものを書かずに放置していた。

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)物語 シンガポールの歴史 (中公新書)
岩崎 育夫

中央公論新社 2013-03-22
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中公新書の「物語」シリーズはいくつか読んでいるが,聞きなれない人物名や地名がたくさん出てくると,なかなか読み進めることができない。

だが,シンガポールの歴史はわずか200年程度である。そして国土は極めて小さい。世界地図で見ればほとんど点である。つまり,覚えなくてはならない人物名や地名が限られているので,情報がスイスイ頭に入ってくる。とても読みやすい新書だった。

人物名としては2人だけ覚えておけばよい。ラッフルズリー・クアンユーだけだ。

19世紀初め,マレー半島南端のほとんど無人の島に貿易基地としての価値を見出したのがラッフルズである。そして,第二次世界大戦後,シンガポールの人々を領導し,アジア随一の豊かな国を築き上げたのがリー・クアンユーである。リー・クアンユー以後,ゴー・チョクトン,リー・シェンロン(リー・クアンユーの長男)と首相が交代していくが,リー・クアンユーの経済至上主義・能力主義は一貫して受け継がれている。


  ◆   ◆   ◆


各章の内容はこんな感じである:

序章 シンガポールの曙

ラッフルズの炯眼によって,無人島に等しかったシンガポールは貿易の中心地となった。シンガポールは旧領主(ジョホールのスルタン),新領主(英国東インド会社),住民(マレー・中国・インド等からの移民)の3者のいずれにも利益をもたらす素晴らしい土地となった。

ここで面白いのが,一般の植民地の場合,支配者によって現地の富が収奪され,現地人が苦しむ,というパターンが多いのに対し,シンガポールの場合,ステークホルダーすべてに利益がもたらされているということである。


第1章 イギリス植民地時代(1819 - 1941)

イギリスの統治下で,シンガポール住民の中に,英国志向派と中国志向派の2つの華人集団が生まれた。


第2章 日本による占領時代(1942 - 1945)

日本による統治期間は,現地人,とくに華人にとっては過酷な時代だった。しかし,イギリス人支配層がシンガポールを守りきることができず,日本に敗北していった姿をみたシンガポールの住民たちの間には,「シンガポールはシンガポール人のものである」という意識が芽生え始めた。


第3章 自立国家の模索(1945 - 1965)

第二次世界大戦後,イギリスによって自治が認められ,シンガポールは独立への道を歩む。

英語教育を受けた華人集団(英国志向派・エリート層)と中国語教育を受けた華人集団(中国志向派・労働者層)の両者の思惑により,人民行動党が誕生する。そのリーダーがリー・クアンユーである。

人民行動党によるシンガポール政府はマレーシアとの政治・経済的な結びつきによってシンガポールの生存を図る。1963年にマレーシア連邦が成立し,シンガポールはその一部となる。

ラーマン首相率いるマレーシアの中央政府にとってシンガポールは警戒すべき対象だった。というのも,華人が多く住むシンガポールがマレーシア連邦の一員であることによって,マレーシア連邦の華人の比率はマレー人の比率に匹敵するほどになっていたからである。

リー・クアンユー率いる人民行動党がマレー半島全体で政治活動を展開しようとしたことがきっかけとなり,ラーマンはマレーシア連邦からのシンガポール追放を決断する。リー・クアンユーはマレーシアからの追放・独立をシンガポール住民に報告し,ショックのあまり泣き崩れた。


――ということで,ここまでが,シンガポールの歴史・前半である。このあと,リー・クアンユー,ゴー・チョクトン,リー・シェンロンと3代の首相に率いられたシンガポールの怒涛の快進撃が始まる。


   ◆   ◆   ◆


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第4章 リー・クアンユー時代(1965 - 1990)

後背地であるマレーシアを失ったシンガポールは「生存のための政治」を選択する。ここにシンガポールの国是ともいうべき経済至上主義・能力主義が生まれる。

政治システムや教育システムは全て,シンガポールの経済発展のために整備された。人民行動党と政府は一体となっており,リー・クアンユー始めとするエリート層が国家を率いるという権威主義体制が構築された。

政府は明日のシンガポールを担う優秀な若者を早い段階から見出し,国家奨学金を与えて官僚への道を歩ませる。官僚として(とくに経済や開発に関わる政府機関の官僚として)実績を重ねた者は人民行動党の議員として迎えられ,次は政治家の道を歩む。やがてはシンガポールを率いるリーダーへと成長する。

野党の存在は,経済成長,ひいてはシンガポールの生存にとって害であるとリー・クアンユーは考えている。そこで,政府は様々な妨害手段や管理手法を駆使して,人民行動党の批判勢力や対抗勢力を徹底して排除した。さらに,徹底したエリート教育によって優秀な人材を政府・人民行動党が吸い上げてしまうので,野党勢力に強力なリーダーが誕生する可能性がほとんどなくなってしまった。

権威主義体制の下でシンガポールは怒涛の快進撃を遂げる。外資が活動しやすい経済環境を整備した結果,シンガポールへの投資が増大し,製造業が発展した。1963年~73年の平均成長率は12.5%に上った。工業化に成功した後は,金融・ビジネスサービス分野が成長した。シンガポールは東南アジアの金融センターとなった。


――リー・クアンユー時代に現在のシンガポールの姿が決定されたわけである。ということで,この章が,最もページ数がある。


第5章 ゴー・チョクトン時代(1991 - 2004)

リー・クアンユーは目の黒いうちに新しいリーダーを育てるべく,ゴー・チョクトンに首相の座を譲った。とは言っても,リー・クアンユーは「上級相」という新たな閣僚に就任し,院政を敷く。

ゴー・チョクトンは文化路線や政治の自由化路線を始めてみた。しかし,選挙結果が芳しくなく(といっても野党が数議席獲得しただけで,人民行動党政権は揺らぎもしないのだが),また,リー・クアンユーからのお小言を頂戴したこともあって,元の路線に戻ることとなった。

ゴー・チョクトン時代の大事件としては,閣僚の給料引上げという話がある。

シンガポールはエリートによって領導される権威主義体制であるということはすでに述べたが,そのエリートがもっと高給を求めて民間企業などに移ってしまうと,この権威主義体制が壊れてしまう。実際,ゴー・チョクトン政権の有力閣僚が2名,転職するという事件が発生した。

そこで,ゴー・チョクトンは閣僚の給料引上げを決定する。シンガポールの高給取り24人の平均年収を計算し,その2/3を閣僚の最低給与とする。そして,首相はその2倍を給与として受け取る,というルールを作った。これで,シンガポールの閣僚は,政治家としては世界一の高給取りとなった。


第6章 リー・シェンロン時代(2005 - 現在)

リー・クアンユーは目の黒いうちにさらに新しいリーダーを育てるべく,長男をリー・シェンロンを首相とする。ゴー・チョクトンは上級相に,リー・クアンユーは新設の「顧問相」に就任した。院政はまだ続く。

当然のことながら,「リー王朝」に対する批判が集まる。いつから王政になったんだと。これに対し,人民行動党は「リー・シェンロンは優秀だから首相になった。もし,リー・シェンロンがリー・クアンユーの長男でなければ,もっと早くに首相になった」と強弁する始末。

シンガポールは相変わらず繁栄を続け,一人当たりGDPでは日本を抜いた(2011年現在)。アジア随一の繁栄と言っても良い。

しかし,権威主義体制に陰りが見えてきたのも事実である。2011年の選挙では野党が国会の87議席中の6議席を獲得する結果となった。明らかに政府批判が高まってきた。

原因はいろいろあるが,本書で示されているのは「生活環境の悪化」である。政府は経済至上主義によって,(優秀な)外国人移民奨励策を採ってきたが,これがシンガポールの中間層の雇用機会を奪うこととなった。また,海外投資家によって不動産が買い占められ,シンガポールの住宅価格の高騰を招いた。

建国以来続いてきた権威主義体制の曲がり角がついに来たようである。リー・クアンユーも総選挙後に顧問相を辞任し,政治の世界から引退した。


――さて,これからシンガポールはどうなるのか?というところだが,まだ権威主義体制,経済至上主義・能力主義は続くだろうというのが著者の見解。

シンガポールには人民行動党に代わるような優秀な政治集団が存在しないというのは国民も良くわかっていて,野党の伸長は,政府・人民行動党を戒める意味合いに過ぎない。

また,そもそも「生存のため」に経済発展を続けているのだから,シンガポールが経済至上主義を放棄することは考えられない…というわけである。

最終章はこれまでの章の総まとめ。シンガポールの宿命(生存が最優先事項)と特殊性,リー・クアンユーという人物の影響などについてコンパクトにまとめている。


   ◆   ◆   ◆


ここからはシンガポールから離れて日本のことに話題を移す。

シンガポールの歴史を見ていると,明治維新以降の日本の近代史,いやむしろ日本の戦後史と重なるものを感じる。

結局,シンガポールほどではないにせよ,日本もまた「生存のための政治」を選択してきたと思う。明治維新~戦前は軍事力,戦後は経済力の増強のために様々なリソースを傾注してきた。

シンガポールと違うのは,日本の方が若干,食糧・資源の余裕と歴史の長さがあったため,文化面にもエネルギーを注ぐことができたことである。

「生存のための政治」という考えの下,日本では長らく権威主義体制が維持されてきた。2009年には批判票が多くなりすぎてしまって,政権交代が起こったが,残念ながら,民主党には自民党ほどの政権担当能力が無かったようである。日本国民も「生存のための政治」ということを思いだして,それが,現在の自民党政権へとつながっているように思う。ようするに,安倍政権というのは帰ってきた権威主義体制なのだと思う。

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