彼らはなぜ,海を見ているのか? 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムに行った件
連休前半の4月29日,下関市(旧豊北町)の土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムに行ってきた。
土井ヶ浜遺跡は弥生時代の人骨300体以上が発掘された,日本を代表する埋葬遺跡である。
人類学ミュージアム本館では,土井ヶ浜遺跡の概要や弥生人たちの歴史,そして,日本人の骨格の変遷が紹介されている。驚きだったのは,中世人(吉母<よしも>浜遺跡出土)がものすごく出っ歯(反っ歯)だったということ。
頭骨が陳列されていたが,縄文人も弥生人も古墳人も出っ歯ではない。近世人もそれほど出っ歯ではない。中世人のみ異常に出っ歯だった。しかもこのような傾向はどの地域の中世人の骨にも見られる現象だということ。食生活に由来するという話があるが,いったい何を食べていたのか?
本館の外では「弥生まつり」というこの周辺のお祭りをやっていたが,ゲストに来ていた「吉本興業住みます芸人・山口県2代目」の「どさけん」がものすごく滑っていて元気を失っていた。
◆ ◆ ◆
それはさておき,土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムで最大の見ものは「土井ヶ浜ドーム」である:
第1次~第3次の発掘調査現場にドームをかぶせ,埋葬の様子をレプリカの人骨によって再現したものである。
いわば黄泉の世界。実際,中に入るとひんやりしている。
レプリカとはいえ,これだけ配置されていると衝撃的であるし,また荘厳な感じもする。
上の画像は1953年の第1次調査で見つかった「鵜を抱く女」という女性人骨。鵜を抱いて埋葬されたものと考えられている。
ヤマトタケルの物語でも知られているように古代,鳥は人の魂だと考えられていた。あるいは,鳥は死後の世界とこの世を結ぶ存在だと考えられていた。
そういったことから,この女性人骨はシャーマンなのではないかと考えられている。
この他にも1954年の第2次調査で出土した「英雄」と呼ばれる男性人骨のレプリカも展示されている(参考)。その男性人骨には15本もの矢じりが撃ち込まれていた。顔を潰されている一方,丁寧に埋葬されており,農耕儀礼の犠牲者とも,ムラを守った英雄とも言われている。右腕にはゴホウラ貝の腕輪が2つはめられており,それなりの身分のものだったかもしれない。
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さて,土井ヶ浜遺跡の最大の謎は,ほぼ全ての人骨が,顔を西北の海に向けて葬られていることである。
ある種の太陽信仰として日没の方向に顔を向けているのかもしれないし,これから述べるように,祖先の土地を思って,海の方向に顔を向けているのかもしれない。
『土井ヶ浜遺跡と弥生人』(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム)によると,この墓地は弥生時代前期前半(BC200年頃),前期末(BC50年頃),中期中葉(AD50年頃)の3期にわたって形成されたという。
また,土井ヶ浜弥生人は縄文人よりも面長でホリが浅く,身長が高い(男性:163cm,女性:150cm)という特徴を持っている。
解剖学者・金関丈夫(かなせきたけお)は,土井ヶ浜弥生人を朝鮮半島からの渡来者と土着の縄文人との混血であろうと考えた。
しかし,近年の調査では,中国山東省で発掘された漢代の人骨との間に類似性が見られることが報告されている。ミュージアムで上映されていた3D映画では,中国の戦国時代末期の騒乱から逃れた人々が土井ヶ浜にたどり着いたのではないかという説が唱えられていた。
いずれにせよ,土井ヶ浜弥生人は「海のかなた」から来た人々の直接あるいは間接的な子孫であると思われる。
とすれば,やはり海の向こうの祖先の土地を思って,海の方向に向けて人骨を埋葬していたのではなかろうか?
◆ ◆ ◆
最後に。
土井ヶ浜の人骨の保存状態が良好であるのは,このあたりの砂の性質によるものだとされている。
このあたりもそうだし,より北方の角島のあたりもそうだが,旧豊北町の沿岸には白く美しい浜が広がっている。
この白砂には大量の貝殻分が含まれている。
この貝殻に含まれるカルシウムが骨に浸透し,その保存を助けたのだろうと推測されている。
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コメント
貝殻と同じように骨も細かく砕かれ浜の砂になり、静かに打ち寄せる波の向こうに日が沈む。
宗教心の希薄な私にとっての死生観はこんな風景にあります。(もちろん故郷の浜辺からくるイメージで、そこは南に開けた浜なので夕日は西の山際に沈むのですが・・・)
今回はまさにそのもののようなお話、しばし土井ヶ浜の画像に見入ってしまいました。
投稿: 拾伍谷 | 2013.05.02 23:29