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2013.05.31

岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史』を読んだ件

この本,先週読み終わったのだが,感想めいたものを書かずに放置していた。

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)物語 シンガポールの歴史 (中公新書)
岩崎 育夫

中央公論新社 2013-03-22
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中公新書の「物語」シリーズはいくつか読んでいるが,聞きなれない人物名や地名がたくさん出てくると,なかなか読み進めることができない。

だが,シンガポールの歴史はわずか200年程度である。そして国土は極めて小さい。世界地図で見ればほとんど点である。つまり,覚えなくてはならない人物名や地名が限られているので,情報がスイスイ頭に入ってくる。とても読みやすい新書だった。

人物名としては2人だけ覚えておけばよい。ラッフルズリー・クアンユーだけだ。

19世紀初め,マレー半島南端のほとんど無人の島に貿易基地としての価値を見出したのがラッフルズである。そして,第二次世界大戦後,シンガポールの人々を領導し,アジア随一の豊かな国を築き上げたのがリー・クアンユーである。リー・クアンユー以後,ゴー・チョクトン,リー・シェンロン(リー・クアンユーの長男)と首相が交代していくが,リー・クアンユーの経済至上主義・能力主義は一貫して受け継がれている。


  ◆   ◆   ◆


各章の内容はこんな感じである:

序章 シンガポールの曙

ラッフルズの炯眼によって,無人島に等しかったシンガポールは貿易の中心地となった。シンガポールは旧領主(ジョホールのスルタン),新領主(英国東インド会社),住民(マレー・中国・インド等からの移民)の3者のいずれにも利益をもたらす素晴らしい土地となった。

ここで面白いのが,一般の植民地の場合,支配者によって現地の富が収奪され,現地人が苦しむ,というパターンが多いのに対し,シンガポールの場合,ステークホルダーすべてに利益がもたらされているということである。


第1章 イギリス植民地時代(1819 - 1941)

イギリスの統治下で,シンガポール住民の中に,英国志向派と中国志向派の2つの華人集団が生まれた。


第2章 日本による占領時代(1942 - 1945)

日本による統治期間は,現地人,とくに華人にとっては過酷な時代だった。しかし,イギリス人支配層がシンガポールを守りきることができず,日本に敗北していった姿をみたシンガポールの住民たちの間には,「シンガポールはシンガポール人のものである」という意識が芽生え始めた。


第3章 自立国家の模索(1945 - 1965)

第二次世界大戦後,イギリスによって自治が認められ,シンガポールは独立への道を歩む。

英語教育を受けた華人集団(英国志向派・エリート層)と中国語教育を受けた華人集団(中国志向派・労働者層)の両者の思惑により,人民行動党が誕生する。そのリーダーがリー・クアンユーである。

人民行動党によるシンガポール政府はマレーシアとの政治・経済的な結びつきによってシンガポールの生存を図る。1963年にマレーシア連邦が成立し,シンガポールはその一部となる。

ラーマン首相率いるマレーシアの中央政府にとってシンガポールは警戒すべき対象だった。というのも,華人が多く住むシンガポールがマレーシア連邦の一員であることによって,マレーシア連邦の華人の比率はマレー人の比率に匹敵するほどになっていたからである。

リー・クアンユー率いる人民行動党がマレー半島全体で政治活動を展開しようとしたことがきっかけとなり,ラーマンはマレーシア連邦からのシンガポール追放を決断する。リー・クアンユーはマレーシアからの追放・独立をシンガポール住民に報告し,ショックのあまり泣き崩れた。


――ということで,ここまでが,シンガポールの歴史・前半である。このあと,リー・クアンユー,ゴー・チョクトン,リー・シェンロンと3代の首相に率いられたシンガポールの怒涛の快進撃が始まる。


   ◆   ◆   ◆


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第4章 リー・クアンユー時代(1965 - 1990)

後背地であるマレーシアを失ったシンガポールは「生存のための政治」を選択する。ここにシンガポールの国是ともいうべき経済至上主義・能力主義が生まれる。

政治システムや教育システムは全て,シンガポールの経済発展のために整備された。人民行動党と政府は一体となっており,リー・クアンユー始めとするエリート層が国家を率いるという権威主義体制が構築された。

政府は明日のシンガポールを担う優秀な若者を早い段階から見出し,国家奨学金を与えて官僚への道を歩ませる。官僚として(とくに経済や開発に関わる政府機関の官僚として)実績を重ねた者は人民行動党の議員として迎えられ,次は政治家の道を歩む。やがてはシンガポールを率いるリーダーへと成長する。

野党の存在は,経済成長,ひいてはシンガポールの生存にとって害であるとリー・クアンユーは考えている。そこで,政府は様々な妨害手段や管理手法を駆使して,人民行動党の批判勢力や対抗勢力を徹底して排除した。さらに,徹底したエリート教育によって優秀な人材を政府・人民行動党が吸い上げてしまうので,野党勢力に強力なリーダーが誕生する可能性がほとんどなくなってしまった。

権威主義体制の下でシンガポールは怒涛の快進撃を遂げる。外資が活動しやすい経済環境を整備した結果,シンガポールへの投資が増大し,製造業が発展した。1963年~73年の平均成長率は12.5%に上った。工業化に成功した後は,金融・ビジネスサービス分野が成長した。シンガポールは東南アジアの金融センターとなった。


――リー・クアンユー時代に現在のシンガポールの姿が決定されたわけである。ということで,この章が,最もページ数がある。


第5章 ゴー・チョクトン時代(1991 - 2004)

リー・クアンユーは目の黒いうちに新しいリーダーを育てるべく,ゴー・チョクトンに首相の座を譲った。とは言っても,リー・クアンユーは「上級相」という新たな閣僚に就任し,院政を敷く。

ゴー・チョクトンは文化路線や政治の自由化路線を始めてみた。しかし,選挙結果が芳しくなく(といっても野党が数議席獲得しただけで,人民行動党政権は揺らぎもしないのだが),また,リー・クアンユーからのお小言を頂戴したこともあって,元の路線に戻ることとなった。

ゴー・チョクトン時代の大事件としては,閣僚の給料引上げという話がある。

シンガポールはエリートによって領導される権威主義体制であるということはすでに述べたが,そのエリートがもっと高給を求めて民間企業などに移ってしまうと,この権威主義体制が壊れてしまう。実際,ゴー・チョクトン政権の有力閣僚が2名,転職するという事件が発生した。

そこで,ゴー・チョクトンは閣僚の給料引上げを決定する。シンガポールの高給取り24人の平均年収を計算し,その2/3を閣僚の最低給与とする。そして,首相はその2倍を給与として受け取る,というルールを作った。これで,シンガポールの閣僚は,政治家としては世界一の高給取りとなった。


第6章 リー・シェンロン時代(2005 - 現在)

リー・クアンユーは目の黒いうちにさらに新しいリーダーを育てるべく,長男をリー・シェンロンを首相とする。ゴー・チョクトンは上級相に,リー・クアンユーは新設の「顧問相」に就任した。院政はまだ続く。

当然のことながら,「リー王朝」に対する批判が集まる。いつから王政になったんだと。これに対し,人民行動党は「リー・シェンロンは優秀だから首相になった。もし,リー・シェンロンがリー・クアンユーの長男でなければ,もっと早くに首相になった」と強弁する始末。

シンガポールは相変わらず繁栄を続け,一人当たりGDPでは日本を抜いた(2011年現在)。アジア随一の繁栄と言っても良い。

しかし,権威主義体制に陰りが見えてきたのも事実である。2011年の選挙では野党が国会の87議席中の6議席を獲得する結果となった。明らかに政府批判が高まってきた。

原因はいろいろあるが,本書で示されているのは「生活環境の悪化」である。政府は経済至上主義によって,(優秀な)外国人移民奨励策を採ってきたが,これがシンガポールの中間層の雇用機会を奪うこととなった。また,海外投資家によって不動産が買い占められ,シンガポールの住宅価格の高騰を招いた。

建国以来続いてきた権威主義体制の曲がり角がついに来たようである。リー・クアンユーも総選挙後に顧問相を辞任し,政治の世界から引退した。


――さて,これからシンガポールはどうなるのか?というところだが,まだ権威主義体制,経済至上主義・能力主義は続くだろうというのが著者の見解。

シンガポールには人民行動党に代わるような優秀な政治集団が存在しないというのは国民も良くわかっていて,野党の伸長は,政府・人民行動党を戒める意味合いに過ぎない。

また,そもそも「生存のため」に経済発展を続けているのだから,シンガポールが経済至上主義を放棄することは考えられない…というわけである。

最終章はこれまでの章の総まとめ。シンガポールの宿命(生存が最優先事項)と特殊性,リー・クアンユーという人物の影響などについてコンパクトにまとめている。


   ◆   ◆   ◆


ここからはシンガポールから離れて日本のことに話題を移す。

シンガポールの歴史を見ていると,明治維新以降の日本の近代史,いやむしろ日本の戦後史と重なるものを感じる。

結局,シンガポールほどではないにせよ,日本もまた「生存のための政治」を選択してきたと思う。明治維新~戦前は軍事力,戦後は経済力の増強のために様々なリソースを傾注してきた。

シンガポールと違うのは,日本の方が若干,食糧・資源の余裕と歴史の長さがあったため,文化面にもエネルギーを注ぐことができたことである。

「生存のための政治」という考えの下,日本では長らく権威主義体制が維持されてきた。2009年には批判票が多くなりすぎてしまって,政権交代が起こったが,残念ながら,民主党には自民党ほどの政権担当能力が無かったようである。日本国民も「生存のための政治」ということを思いだして,それが,現在の自民党政権へとつながっているように思う。ようするに,安倍政権というのは帰ってきた権威主義体制なのだと思う。

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2013.05.30

そういえば,松下村塾を見てきたのだった

昨晩(2013年5月29日)はNHKで「歴史迷宮 二人の糸 吉田松陰×高杉晋作」というドラマとトークで構成された歴史番組を見た。

「明治維新の精神的起源」(by ハインリヒ・デュモリン)である吉田松陰と,その弟子であり,明治維新を実際に起動させた高杉晋作

この二人の出会いと短い生涯を,袴田吉彦(松陰役)と夕輝壽太(高杉晋作役)によるドラマで再現。さらに幕間を精神科医:名越康文と日本教育史家:海原徹のトークでつなぐという構成だった。


で,この番組を見ながら思い出したのは今月初め,5月5日に萩焼祭りに行った際に,松陰神社にも行っていたということである。

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そこには松下村塾があった。

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↑松下村塾の建物は想像していたものよりも小さかった

Shokasonjuku02

↑しかし,この塾に高杉晋作,伊藤博文,山縣有朋,…といった錚々たる人物が集まっていたのだった。

Shokasonjuku03

↑この部屋で彼らは熱い議論を戦わせていたのだった。


山口県に住んでいてつくづく思うのは,今でも県民の精神的支柱として明治維新が存在していること。そして,そのコアの部分には吉田松陰という人物がいることである。

小生は清水生まれなので,家康や次郎長や山岡鉄舟などに親しみを覚えるのであるが,精神的支柱というほどには感じていない(家康からは処世訓として学び取るべきことがいろいろあるのだが)。

それに比べると,山口県民の精神形成における吉田松陰の影響というのは凄まじく大きい。今でも「松陰先生」と呼ぶ人がいる。萩の明倫小学校の生徒なんか,毎朝,「松陰先生」の言葉を朗誦している。


  ◆   ◆   ◆


小生が吉田松陰の言葉として好んでいるのが

百年一瞬耳(ひゃくねんはいっしゅんのみ)
君子勿素餐(くんしそさんするなかれ)

という一文である。

香月泰男は「一瞬一生」という言葉を残した。「一瞬に一生をかけることもある。一生が一瞬に思える時があるだろう」と香月泰男自身が解説している。

いずれも,短い生を充実せよと迫る言葉で,ダラダラと暇を持て余しているときに思い出すとドキッとする。

山口県に住んで10年余りになるが,かなり「明治維新胎動の地」の精神性に毒されてきた模様。

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2013.05.27

「もち病」の怪

うちの庭のサツキが「もち病」に襲われている。今度薬剤を散布する予定だが,その前に病変部を除去した。

これが「もち病」に罹った部位である。

Mochi01

Mochi02

もち病」とは,ツツジ類、ツバキ類だけに発生する病気で,カビが新芽に寄生し,葉を異常肥大させる病気である。春・秋に降雨が続き,日照時間が短いと発生しやすくなるという。

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うちのツマは「気持ち悪い」という。グロテスクな造形を見る限り,その通りだと思うが,見慣れてくると,つやのある淡緑色や淡赤色の病変部がゼリーのように美しく見える。


話は飛ぶが,澁澤龍彦『高丘親王航海記』に「真珠は貝の病」という話が出てくる。

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美しく見えるものというのは尋常ではないもの,端的に言えば,病気の一種なのかもしれない。


  ◆   ◆   ◆


「もち病」にはこれ:

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2013.05.23

山野井泰史・妙子夫妻「夫婦で挑んだ 白夜の大岩壁」(BSプレミアム)をまた見た件

2年以上前に,沢木耕太郎の小説『凍』を紹介した(「沢木耕太郎『凍』を読む」,2010年10月24日)。

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この本を読むきっかけとなったのが,「夫婦で挑んだ 白夜の大岩壁」というNHKのドキュメンタリーである。

世界的クライマー:山野井泰史・妙子夫妻が,グリーンランドの未踏の大岩壁(通称:オルカ)に挑む,という内容。

すでにこのドキュメンタリーを一度見たことがあるわけだが,今日の午前中,BSプレミアムで再放送していたので,またもや拝見してしまったのである。小生,山なんか登らないくせに,登山関係のドキュメンタリーはじっくり見る。

この夫妻は二人ともヒマラヤのギャチュンカン北壁にアタックした時に凍傷で手足の指を失っている。そのときのことを詳しく書いたのが,上に挙げた『凍』。

2002年秋,ギャチュンカン下山時に,妙子氏は凍傷を負い,手の指全てを根元から切り落とすことになった。山野井泰史氏は右手中指・薬指・小指,左手薬指・小指,右足の指5本全てを失った(※)。

そんな肉体的ハンディキャップを背負った状態で,2007年8月,夫妻はグリーンランドの岩山にチャレンジした。

登山中,かなり大変な状況に置かれても夫妻は冷静に判断し行動する。ときには笑みまで浮かべている。明らかに小生らとは違う。


  ◆   ◆   ◆


このドキュメンタリーの放送後,2008年9月17日,山野井泰史氏は倉戸山登山道をジョギング中に熊に襲われ重傷を負った。しかし,その翌月からはトレーニングを開始している。そして12月には夫婦そろってオーストラリアでクライミングを楽しんでいる。なんというタフさ。(参考:【山野井通信】2008

ちなみに小生の母親は大の山好き。もちろん山野井泰史氏の名前も知っていて,小生に本を送ってきたことがある。これ:

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山野井泰史氏のクライミングは今もなお続いている(参考:「山野井通信」)。

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※注
凍傷に関して。別のクライマーだが,凍傷になると,こういう経過を辿る:「凍傷の切断治療を拒否している栗城史多さんの症状が酷くなって見える件

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2013.05.21

グストロフ号の悲劇

日帰りの東京出張が続いている。その合間に浜松町の本屋で買って読んでいるのが,この本,池内紀の新刊,『消えた国 追われた人々― 東プロシアの旅』である:

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東プロシア(オストプロイセン)というのはかつて存在したドイツの飛び地。プルーセン人という人々が住んでいた地をドイツ騎士団が開拓して作ったのがプロシア(プロイセン)という国。

西プロシア東プロシアに分かれ,西プロシアは時によって,ポーランド領になったり,ドイツ領(プロイセン王国)になったりしていた。第1次世界大戦後,西プロシアはポーランド領となり,東プロシアはドイツの飛び地になった。

第2次世界大戦が始まり,ポーランドはドイツ(とソ連)に敗れた。西プロシアは再びドイツ領となり,東プロシアはドイツと地続きになった。

しかし,その後,独ソ戦が始まった。ドイツはソ連との戦いで敗退し,第2次世界大戦末期には東プロシアはソ連軍に包囲されてしまった。

そのとき,東プロシアには200万人を超えるドイツ人が住んでいた。ドイツ海軍の総司令官であるデーニッツはヒトラーには内緒で東プロシアからドイツ西部へとドイツ人を避難させる大作戦を開始した。1945年1月23日から5月8日までのことである。

グストロフ号はその海上避難作戦に使用された豪華客船の名前である。『消えた国 追われた人々― 東プロシアの旅』の最初の章に,このグストロフ号の悲劇が描かれている。


  ◆   ◆   ◆


実はデーニッツによる海上避難作戦とグストロフ号の悲劇については別のところで読んだことがあった。

学士会会報第856号(平成18年1月号)竹野弘之第二次大戦末期のドイツ客船『ヴィルヘルム・グストロフ号』の悲劇」という講演記録がそれである。竹野弘之氏は日本郵船歴史博物館元館長で,豪華客船の沈没事故に関する専門家である。

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竹野氏の講演によると,平時の豪華客船の事故としてはタイタニック号の悲劇が有名だが,平時でもそれより大きな事故もあったし,戦時に至っては何倍も大きな事故(というより事件)が起こっているという話である。講演で取り上げられていた事故・事件を並べると,次のようになる(洞爺丸の話は講演に出ていなかったが,ここではリストに加えておく)。


<平時>
第1位 1987年 ドニャ・パス号事件(フィリピンのタンカー・フェリー衝突事故) 4341人
第2位 1912年 タイタニック号の氷山衝突 1517人
第3位 1954年 洞爺丸事件 1155人
第4位 1914年 エンプレス・オブ・アイルランド号(カナディアン・パシフィック社)と貨物船との衝突 1012人

<戦時>
第1位 1945年 ヴィルヘルム・グストロフ号(ドイツ) 9343人
第2位 1945年 ゴヤ号(ドイツ) 6666人
第3位 1945年 カップ・アルコーナ号(ドイツ) 5000人以上
第4位 1945年 ゲネラル・シュトイベン号(ドイツ) 4000人以上


これを見ればわかるように,第2次世界大戦末期には集中的にドイツの客船が沈められている。捕虜・政治犯など収容所収容者を運んでいたカップ・アルコーナを除き,いずれも避難民輸送の最中のことだった。どの船も避難民を詰め込められるだけ詰め込んでいた。それが犠牲者の増加につながった。

グストロフ号の定員は1400名程度。しかし,撃沈時には10582人が乗船し,このうち8割強が女性と子供だった。そのほとんどが命を失った。


  ◆   ◆   ◆


グストロフ号を沈めたのはソ連の潜水艦S-13である。S-13はグストロフ号に続き,翌月,ゲネラル・シュトイベン号も撃沈している。

S-13の艦長はアレクサンドル・マリネスコという人物だったが,この人も数奇な運命に振り回される。

マリネスコは上官たちにこれらの戦績を報告したが,上官たちはだれも信用しなかった。マリネスコは素行不良でKGBに睨まれていたらしい。また,撃沈対象が不適切だったのではないかという議論も起こった。そういうこともあって,マリネスコはあまり評価されなかった。

竹野氏によると,マリネスコは終戦後,KGBに逮捕され,シベリアの強制収容所(コリマ)送りとなった。1953年,スターリンの死後,解放された。1963年に戦友たちの働きかけによって名誉回復され,その三週間後に亡くなった。


  ◆   ◆   ◆


デーニッツの海上輸送作戦によって200万人ものドイツ人が避難できた。しかし,その過程でグストロフ号始めとする避難民の悲劇が生じた。ドイツ人たちがいなくなり,東プロシアという国は完全に消滅した。

旧東プロシアの街々を訪ね歩き,現在の住民の生活と重ね合わせながら,いなくなったドイツ人たちの生活や文化を幻視する,それが『消えた国 追われた人々― 東プロシアの旅』の内容である。


  ◆   ◆   ◆


まだ未読だが,ドイツの作家ギュンター・グラスが『蟹の横歩き;ヴィルヘルム・グストロフ号事件』という本を書いている。これを訳したのが池内紀である。

蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件
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2013.05.16

ベッカム引退だそうで

The Guardian見てたら,デビッド・ベッカム引退の報道が。

"David Beckham to retire from football after turning down new PSG deal" (guardian.co.uk, Thursday 16 May 2013 15.19 BST)

38歳ですか。

思えば,2002 FIFAワールドカップの時の人気っぷりは凄かった。

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2013.05.10

グレッグ・イーガン"Zendegi"再読: マイ・ライフ

Zendegiについて昨日とは別の話。

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Zendegiの第2部では「死後も息子の成長を見守りたい」という父親の願いがテーマの一つとなっている。

それで思い出したのが,マイケル・キートン主演の映画「マイ・ライフ」や井村和清の手記『飛鳥へ,そしてまだ見ぬ子へ』といった作品である。細部はもちろん違うが,「自分は死んでいくが,子供(たち)に伝えたいことがある」という内容は共通である。

「マイ・ライフ」の場合は,主人公ボブ(マイケル・キートン)が子供のためにビデオレターを残す。

Zendegiの場合は,マーティンが息子ジャヴィード(Javeed)の成長を見守るために,ネットゲーム空間"Zendegi-ye-Behtar"上に,自分の性格を移植したヴァーチャル人格を作ろうとする。

自分の模倣子(ミーム)を残したいというのは人間誰しも思うことであり,人々はテクノロジーの力を借りて,その願望をより完璧に実現しようとする。

マーティンの願望が実現されたかどうかはZendegiを読んでみてください。


あとはペルシャ語についての雑談。

Javeedという名前
上述したようにマーティンの息子はジャヴィード(Javeed)という。Javeedとはペルシャ語で不死(immortal)または永遠の生(living forever)の意味である。イーガンもなかなか意味深な名前を付けている。

Zendegi-ye-Behtarという名前
ナスィームが開発したネットゲーム空間の正式名は昨日の記事でも書いたように"Zendegi-ye-Behtar"。英語に直せば"better life"という意味である。かつてブームになった「セカンド・ライフ」というのがあったが,2027年のイラン(およびイスラム圏)では「ベター・ライフ」というのが大ブームになっているのである。

BabaとPesaram
マーティンはジャヴィードのことを"Pesaram"と呼んでいるが,これは英語に直すと"my son",日本語で堅苦しく言えば「息子よ」,いささか古いが,柔らかく言えば「坊主」「坊や」という感じ?

一方ジャヴィードはマーティンを"baba"と呼んでいる。ペルシャ語でお父さんは"pedar"だが,ジャヴィードはそうは呼ばない。"baba"はイスラム圏では年長者を尊敬して呼ぶときの呼び方であるから…と思っていたら,どうも単に「パパ」ということらしい。現代っ子というか未来っ子であり,小学校に入ったばかりのジャヴィードが「父上」と呼ぶわけがない。

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2013.05.09

グレッグ・イーガン"Zendegi"再読: 人間を要約する話

グレッグ・イーガンの"Zendegi"(ゼンデーギー/ゼンデギー,ペルシャ語で「生命・生活」の意味)を再読した。

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おそらく山岸真先生が訳してハヤカワか創元推理文庫から日本語版を出してくれるだろうが,それまでは辞書を引きながら原著を読むしかない。

この作品の全体的なあらすじは,板倉充洋先生が触れているし,第1部については小生もあらすじをまとめたことがある(Greg Egan: Zendegi (The Life) Part Oneのまとめ)ので,ここでは繰り返さない。

ここでは"Zendegi"の全体を通して重要なキーワードは「要約」だということを述べておきたい。


  ◆   ◆   ◆


第1部第1章にはこんなエピソードが描かれている。

2012年,主人公,オーストラリアのジャーナリスト,マーティン・セイモア(Martin Seymour)はイランの総選挙取材のため,テヘランに向かった。

この取材旅行の前に,マーティンは大量のLPレコードコレクション(80年代POPS)をディジタル化(mp3変換)し,オリジナルのLPレコードを全部処分した。で,テヘランに向かう機上でディジタル化した曲を再生してみたらノイズが酷くてとても聞けないものになっていた。せっかく集めていたコレクションがゴミの山に・・・。

ここで行っている音楽のディジタル化というのは,オリジナルのアナログ情報の不要だと思われる部分を削除して,必要と思われる部分だけを再現する作業である。いわば「要約」の作業だと言える。

ディジタル化の際に「切り捨てたところに大事なものが…」「切り捨てたら大変なことが…」というのがこのエピソードの重要な教訓。


この「要約問題」は第4章にも出てくる。それは上述の板倉先生のブログでも引用されている「文学作品の要約技術」の話。


で,一番大事な「要約問題」は第2部(2027~2028年)のヴァーチャル人格:Proxy問題である。

本作のもう一人の主人公,ネットゲーム空間"Zendegi-ye-Behtar (ゼンデギー・イェ・ベフタル※1)"の開発者,ナスィーム・ゴレスタニ(Nasim Golestani※2)が,ネットゲーム上で活動するNPC(Non player character※3)をより人間らしくしようと,機能を限定したヴァーチャル人格:Proxyを開発した。

  ※1 Better Lifeの意味
  ※2 ペルシャ語でNasimは「そよ風」,Golestaniは「バラ園」の意味
  ※3 人間が操作しないキャラクター

このヴァーチャル人格Proxyは,かつてナスィームが参加していたHCP(ヒト・コネクトーム・プロジェクト)の成果を利用して作られるもので,人間の神経回路のうち,必要なところだけをモデル化して作られる。Proxyたちは長期記憶を持たないが,限定された範囲で,人間のように感情を示したり,話したり,判断したり,行動したりする。いわば「要約人間」である。

マーティンは,ある理由によって,自分の人格の一部を要約してProxyに移植しようとするのだが,そこでいろいろと問題が生じる。反対運動なども発生する。人間を要約していいのかどうか,それが第2部の核心的問題である。

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2013.05.07

ハフィントンポストというのが上陸した

"THE HUFFINGTON POST"というソーシャルニュースメディアが今日(5月7日)日本に上陸した。

ネット上に健全な言論をもたらすことが目的であるという。

翻訳記事が多いところなどは,WIRED.jpと似ていると思ったが,日本版編集長の松浦茂樹氏がかつて,WIRED.jpの責任者だったということで納得(WIRED.jpのインタビュー記事)。

翻訳記事だけでなくて,国内の独自記事もある。例えば,こんなの:

みんな、民主主義に飢えている」:小平市で東京都初の住民投票に挑む哲学者、國分功一郎さん

ハフィントンポストは米国ではリベラル層のよりどころとなっているが,リベラル層壊滅状態の日本ではどうなるだろうか?


話は変わるが,雑誌版のWIREDは今回も面白い:

WIRED VOL.7 GQ JAPAN.2013年4月号増刊WIRED VOL.7 GQ JAPAN.2013年4月号増刊

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問題はうちの近所の宮脇書店ではいつもどこに陳列されるか不明だということ。Courierの隣におかれることもあるし,GQの置かれている「男性誌」コーナーに置かれることもある。

WIRED,次の号は6月発売ですよ:

WIRED VOL.8 GQ JAPAN.2013年7月号増刊WIRED VOL.8 GQ JAPAN.2013年7月号増刊

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2013.05.06

萩焼まつりに行ってきた

連休後半の5月5日は「萩焼まつり」に行ってきた。
萩焼の窯元が一堂に会する一大イベントである。

小郡萩道路」という地域高規格道路が2010年にできたので,宇部からの移動は非常にスムーズになった。

「第23回萩焼まつり」の会場は萩市民体育館。

Hagiyaki01

体育館の前では地元海産物が販売されている。烏賊が4杯で1000円,安いですね。

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萩のマスコット,「萩ニャン」もご来場。萩ニャンは奇兵隊のイメージらしい。

Haginyan

中に入ると,陶器を買い求める人々で熱気に包まれている。

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俗に「一楽二萩三唐津」と呼ばれ,茶の世界では他の陶器と共に萩焼が愛好されている。

萩焼の起源は1000年以上も昔のことらしいが,工藝としての萩焼は関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が萩に移ってからのことである。毛利輝元は文禄・慶長の役の時に陶工:李勺光・李敬を朝鮮から連れてきており,萩城下で彼らに窯を開かせたことが現在の萩焼につながっている。


さて,今回,購入の品々は次の通り:

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後列左から1つ目と2つ目の碗は豊北町の一佳窯(いっけいがま,宮田佳典)の作品。「鬼萩」と言われる,荒々しい土で作られているのが特徴。

後列右のものは御台場窯(渋谷泥詩)の焼酎カップ。見た目よりも軽くて使いやすい。

そして前列の皿は萩華山窯(小野光龍)の刺身皿。萩焼の代表的な色合いである淡いピンク色が出ている。この大きさで平らに仕上げるのは大変な技量だと思う。

あと,贈り物用に陶華山窯(とうかざんがま)の茶碗のセットも購入。

普段使いに萩焼を使ってみるのは乙なものでございます。

この日は東光寺,松陰神社,伊藤博文邸も回ったけど,その話は別記事で。

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2013.05.02

彼らはなぜ,海を見ているのか? 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムに行った件

連休前半の4月29日,下関市(旧豊北町)の土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムに行ってきた。

土井ヶ浜遺跡は弥生時代の人骨300体以上が発掘された,日本を代表する埋葬遺跡である。

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人類学ミュージアム本館では,土井ヶ浜遺跡の概要や弥生人たちの歴史,そして,日本人の骨格の変遷が紹介されている。驚きだったのは,中世人(吉母<よしも>浜遺跡出土)がものすごく出っ歯(反っ歯)だったということ。

頭骨が陳列されていたが,縄文人も弥生人も古墳人も出っ歯ではない。近世人もそれほど出っ歯ではない。中世人のみ異常に出っ歯だった。しかもこのような傾向はどの地域の中世人の骨にも見られる現象だということ。食生活に由来するという話があるが,いったい何を食べていたのか?

本館の外では「弥生まつり」というこの周辺のお祭りをやっていたが,ゲストに来ていた「吉本興業住みます芸人・山口県2代目」の「どさけん」がものすごく滑っていて元気を失っていた。


  ◆   ◆   ◆


それはさておき,土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムで最大の見ものは「土井ヶ浜ドーム」である:

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第1次~第3次の発掘調査現場にドームをかぶせ,埋葬の様子をレプリカの人骨によって再現したものである。

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いわば黄泉の世界。実際,中に入るとひんやりしている。
レプリカとはいえ,これだけ配置されていると衝撃的であるし,また荘厳な感じもする。

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上の画像は1953年の第1次調査で見つかった「鵜を抱く女」という女性人骨。鵜を抱いて埋葬されたものと考えられている。

ヤマトタケルの物語でも知られているように古代,鳥は人の魂だと考えられていた。あるいは,鳥は死後の世界とこの世を結ぶ存在だと考えられていた。

そういったことから,この女性人骨はシャーマンなのではないかと考えられている。

この他にも1954年の第2次調査で出土した「英雄」と呼ばれる男性人骨のレプリカも展示されている(参考)。その男性人骨には15本もの矢じりが撃ち込まれていた。顔を潰されている一方,丁寧に埋葬されており,農耕儀礼の犠牲者とも,ムラを守った英雄とも言われている。右腕にはゴホウラ貝の腕輪が2つはめられており,それなりの身分のものだったかもしれない。


  ◆   ◆   ◆


さて,土井ヶ浜遺跡の最大の謎は,ほぼ全ての人骨が,顔を西北の海に向けて葬られていることである。

ある種の太陽信仰として日没の方向に顔を向けているのかもしれないし,これから述べるように,祖先の土地を思って,海の方向に顔を向けているのかもしれない。

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『土井ヶ浜遺跡と弥生人』(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム)によると,この墓地は弥生時代前期前半(BC200年頃),前期末(BC50年頃),中期中葉(AD50年頃)の3期にわたって形成されたという。

また,土井ヶ浜弥生人は縄文人よりも面長でホリが浅く,身長が高い(男性:163cm,女性:150cm)という特徴を持っている。

解剖学者・金関丈夫(かなせきたけお)は,土井ヶ浜弥生人を朝鮮半島からの渡来者と土着の縄文人との混血であろうと考えた。

しかし,近年の調査では,中国山東省で発掘された漢代の人骨との間に類似性が見られることが報告されている。ミュージアムで上映されていた3D映画では,中国の戦国時代末期の騒乱から逃れた人々が土井ヶ浜にたどり着いたのではないかという説が唱えられていた。

いずれにせよ,土井ヶ浜弥生人は「海のかなた」から来た人々の直接あるいは間接的な子孫であると思われる。

とすれば,やはり海の向こうの祖先の土地を思って,海の方向に向けて人骨を埋葬していたのではなかろうか?


  ◆   ◆   ◆


最後に。

土井ヶ浜の人骨の保存状態が良好であるのは,このあたりの砂の性質によるものだとされている。

このあたりもそうだし,より北方の角島のあたりもそうだが,旧豊北町の沿岸には白く美しい浜が広がっている。

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この白砂には大量の貝殻分が含まれている。

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この貝殻に含まれるカルシウムが骨に浸透し,その保存を助けたのだろうと推測されている。

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2013.05.01

中東の危機は中国を利する

Financial Timesからの翻訳だが,JBPressにこういう記事が出ている:

シリア危機でオバマ大統領のアジア戦略に暗雲」(2013年5月1日JBPress,元記事:Financial Times,2013年4月30日)

オバマ大統領としては,アジア新興国との関係強化に力を注ぎたいところだが,シリア危機やイラン核開発問題に引きずられて専念できないという。

アメリカの不在中に勢力を伸ばすのが中国。

つまり,アサドは間接的に中国の手助けを行っているという構図である。困ったね。


  ◆   ◆   ◆


で,先ほどのCNNのニュースによると,シリアで化学兵器使用の可能性が高まってきたため,米国による介入が始まるかもしれないという話:

米国防総省、シリア軍事介入の作戦を検討 政権高官が語る」(CNN.co.jp,2013年5月1日12時17分)

軍事介入するにしても,アサド政権を倒してしまうと,政権を掌握している国内少数派・アラウィー派が多数派のスンナ派からの逆襲を受ける可能性がある。シリアにはクルド人もおり,キリスト教徒もおり,民族間・宗教間の対立がさらに先鋭化して国家崩壊に向かう可能性もある。

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