今野浩『工学部ヒラノ助教授の敗戦』を読んだ件
今野先生といえば,「金融工学者」として紹介されることもあるが,どちらかと言えば線形計画法の専門家である。
『カーマーカー特許とソフトウェア 数学は特許になるか』(中公新書,1995年)とか『役に立つ一次式 整数計画法「気まぐれな王女」の50年』(日本評論社,2005年)とか,線形計画法に関する一般向けの本を書くことでも知られている人である。
今回紹介するのはその人が昨年出版した,筑波大学設立時のドロドロの内部抗争を描いた本である。
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1977年に開設された筑波大学の情報学類は世界最大規模の「ソフトウェア学科」になるはずだった。しかし,学類の内部抗争と物理帝国の猛攻(植民地化)によって,その構想はもろくも崩れ去った…という内容である。
もちろん小説※である。しかし,今野先生を知っている某先生が「よくもまあ抜け抜けと…」と言うのを小生は直接お聞きしたので,かなり本当の話(あくまでも今野先生視点だが)が書かれていると考えていいだろう。
筑波大学第3代学長の福田信之や,ヒラノ青年の師匠にあたる森口繁一などの故人は実名で登場する(敬称略)。存命の人物はイニシャルや仮名で登場するが,調べれば誰のことなのかすぐにわかる※※。
アマゾンの批評などを見ると,大学の内情がわかって面白い,という評価が見られる。小生もそう思う。
だが本記事では,「ヒラノ助教授」の心情を描写した記述に注目したい。というのも,そこには典型的な学者の「物事の考え方」が反映されているからである。
一般教養蔑視
「研究者は,自分の分野に深くコミットしている。彼らにとって大事なものは専門教育と大学院教育であって,”その他大勢の”学生を対象とする一般教育はやらずに済ませたいと考えるものである」(117~118頁)
田舎蔑視
「バスを降りた時に頭をよぎったのは,キャロル・リードの『文化果つるところ』という映画のタイトルだった」(37頁)
「いくら頭が良くても,井口助教授と比べれば白貝氏は田舎の秀才の域を出ない。これが,都会の名門高校を出たヒラノ青年が考えたことだった」(97頁)
優秀な研究者で一般教養に燃える人もいるので,大学教員がヒラノ助教授タイプばかりかというと違う。だが,「教育嫌い・田舎嫌い」という研究者は結構いる。
内部抗争と物理帝国の侵略によって,ボロボロになったヒラノ助教授は東工大に転出するのだが,ここで言うのが
…エンジニアの本拠地 "東京工業大学"…(173頁)
小生の知り合いの元エンジニアに各地の高専・大学を転々としつつ東工大の教授になる夢を追い続けているのがいるが,そんなにあこがれの地なのかね,東工大。ヒラノ助教授の場合は,筑波大学での8年があまりにも過酷だったから,そして東工大で厚遇されたから,こういうセリフが出てしまったのだろうが,他の工学系大学関係者は鼻白むことだろうと思う。
大学の内情と学者個人の価値観とを「抜け抜けと」描き出したあたり,稀に見る小説だと思う。名著か迷著かはさておき。
※ 小説ではある。しかし,内部暴露ものとしての面白さが重要であって,文学的価値はない。そんなものは誰も求めていないと思うが…。同僚とヒラノ助教授とを三銃士(ヒラノ助教授はアトス)に例え,さらに福田副学長をリシュリューに例え,何か物語を予感させつつも,ダルタニャンもミレディーも登場せず,伏線めいたものは不発のままである。
※※ 例えば「有馬俊一」は甘利俊一,「井口正彦」は伊理正夫,「白貝茂夫」は五十嵐滋,白貝グループの「Y2助教授」は八杉満利子・・・というように(敬称略)。
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コメント
>ダルタニャンもミレディーも登場せず,伏線めいたものは不発のままである。
爆笑いたしました。
学者先生とは言え人間ですから恨みつらみを吐露したくなることだってあるでしょう。それは構わないと思いますし精神衛生のためにも溜め込まずそうするべきとすら言えましょう。
しかし、それを小説にするとは・・・限りなく事実に即しモデル特定も容易であるにもかかわらずフィクションであるという、どっちつかずの器に展開する情念の劇。我が国における私小説という呪縛、なかなかに強固と言わざるをえません。
ぺったりとしたウェットな文系的感性は感動的ですらあると思うのですが、しかし理系の学者先生がそんなことで良いのでしょうか、などとコテコテの文系人間である私などは心配になってしまうのでした。
投稿: 拾伍谷 | 2013.04.06 01:07
「ヒラノ教授」シリーズは情報工学系の「黒い報告書」シリーズだと思います。週刊新潮の本家「黒い報告書」のようにドギツイ描写はありませんし,ベテランの書き手が書いていませんけど。
読み手としては,普段垣間見ることのできない,高尚だと思われている世界のスキャンダルを知りたいのでしょうし,書き手としては閉ざされた世界の実情を暴露したいという誘惑から逃れることができなかったのでしょう。
米国だと各界のリーダーは「自伝」という形で本をまとめますし,日本でもトップクラスと目される人々は「私の履歴書」という日経新聞の御大層なシリーズに回顧録をまとめるのですが,そういう形で取り上げてもらえず,にもかかわらず自らの来し方を公にしたいという願望を持つ人は,小説に仮託して自らの過去を吐露せざるをえないのでしょう。
投稿: fukunan | 2013.04.09 22:07