新島襄はロシア人から英語を学んだ
今年の大河ドラマは『八重の桜』である。八重の夫・新島襄を演ずるのはオダギリジョーだが,『八重の桜』第二話では子役の演ずる幼児期の新島襄が登場した。幼名を七五三太(しめた)と言う。
その名の由来について,ドナルド・キーン『百代の過客<続>』ではこのような話を紹介している:
彼<新島襄>の説明によると,七五三太という珍しい名のおこりは,彼の祖父が,四人続けて孫娘が生まれたあと,やっと五人目に男の子が生まれたと聞いて,喜びのあまり,思わず「しめた!」と叫んだからだという。(『百代の過客<続>』,328ページ)
良くできた話なので,新島襄による作り話かもしれないし,そうではないかもしれない。
新島襄は江戸生まれで,14の頃からオランダ語を学んだ。二十歳のころ,友人から借りた日本語版の『ロビンソン・クルーソー』を読み,海外へのあこがれを強くしていった。
元治元年(1864年)4月下旬,新島襄は帆船に乗って江戸から箱館(函館)に渡った。武田斐三郎(あやさぶろう)の塾で英語を学ぶためである。しかし,武田は不在であった。
新島襄は失望したが,ある時,友人が箱館在住のロシア人司祭・ニコライを紹介してくれた。ニコライ司祭は,新島襄を日本語教師として雇い,自分のところに新島襄を寄宿させた。
そしてニコライ司祭は新島襄から日本語を学ぶ見返りに,英語のできるロシア人士官を呼び寄せ,新島襄に対する英語教育を依頼した。
こうして,新島襄はロシア人から英語を学ぶ,ということになったわけである。
ちなみに,新島襄がニコライ司祭の日本語教育に用いたテキストは,なんと『古事記』であった。
しかし,新島襄は6月には米船に乗り込み西回りで米国に向かうこととなる。
正味ひと月程度の箱館滞在中に,どの程度の英語を覚えたのか,それは甚だ怪しい。
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