« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013.01.28

百万の田と百万の象の帝国:失われたラオ人の帝国

かつて「百万頭の象の国(ラーンサーン)」は,偉大な王プラ・チャオ・ポーティサラート陛下のもとで繁栄を極めていたのでございます。

あるとき,隣国「百万の田の国(ラーンナー)」の王,ケートクラオ陛下のご息女,ナン・ヨットカム王女殿下がポーティサラート陛下のもとに嫁がれました。やがて,お二人の間にはご聡明なる王子,チャオ・チャイヤセット殿下がお生まれになりました。

Lanexang

(ラーンサーン王国とラーンナー王国の勢力圏。赤い線は現在のラオス人民共和国の領域)


チャイヤセット殿下が12歳になられた頃,隣国ラーンナーで悲劇が起きました。おじい様であるラーンナー王,ケートクラオ陛下が何者かによって暗殺されたのです。実はそのころ,ラーンナー王家の威光は衰えており,国の実権は官吏や貴族たちに握られておりました。ケートクラオ陛下は王家をないがしろにする者たちの手にかかったのかもしれません。

ケートクラオ陛下には男子の後継者がおられませんでした。高僧たちの意見により,ラーンナーの王位は孫でいらっしゃるチャイヤセット殿下に引き継がれることとなりました。このとき,チャイヤセット殿下のお名前がチャオ・チャイヤセーターティラートと改められました。これ以降,人々は殿下のことをセーターティラート陛下とお呼びするようになりました。

セーターティラート陛下は御父上であるラーンサーン王ポーティサラート陛下とご一緒に,ラーンナーの都,チェンマイに向かわれました。このときお二人には9人の将軍,2000頭の象,30万人の兵士が付き従ったと言われております。



セーターティラート陛下がラーンナー王に即位されて一年後,新たな悲劇が起こりました。御父上,ポーティサラート陛下が野生の象を狩りに出かけられた折,ご自分がお乗りになっていた象から落ち,押しつぶされて亡くなられたのでございます。

すぐさまセーターティラート陛下がラーンサーン王位を継ぐことになりました。すなわち,セーターティラート陛下は御父上から引き継いだラーンサーン,おじい様から引き継いだラーンナーという二つの王国を治めることとなったのです。

セーターティラート陛下は御父上の葬儀のため,ラーンサーンの都ルアンパバーンに向かうことにされたのですが,そのとき,ご懸念になったのは,王家をないがしろにするラーンナーの官吏や貴族たちによって,チェンマイへのご還御が妨げられるのではないかということでした。そこで陛下は,名高いエメラルド仏をチェンマイからルアンパバーンに移すことにしました。

セーターティラート陛下のご懸念は当たりました。陛下のルアンパバーン滞在が長引くにつれ,ラーンナーの官吏や貴族たちは新しいラーンナー王の擁立を考え始めたのです。彼らはセーターティラート陛下の遠い親戚にあたる,シャンの王子,マエ・ク殿下,またの名をメクティ殿下を新たなラーンナー王に推戴しました。

このようにして,ラーンサーンとラーンナーという二つの王国が一つになり,広大なラオ人の帝国が生まれるという唯一の機会が失われました。



この後,ラーンサーン,ラーンナー両王国は,ポルトガル人鉄砲隊を従えたビルマ王,バインナウンの脅威にさらされるようになります。そしてセーターティラート陛下もまた,バインナウンとの戦いによってお命を失うことになります。

今宵はここまでにいたしとうござりまする。
アテブレーベ,オブリガード。



ラオス史ラオス史
マーチン スチュアート‐フォックス Martin Stuart‐Fox

めこん 2010-11
売り上げランキング : 440731

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.01.22

「よいとまけ」という苫小牧の菓子がある

年末の紅白では美輪明宏先生の「ヨイトマケの唄」に物凄い反響が寄せられたわけであるが,本記事で紹介するのは,別のヨイトマケ。

苫小牧の銘菓,「よいとまけ」(三星本店)である。

生協のカタログに載っていたので,注文したところ,昨日届いた。さっそく味見。

こんなパッケージである:

Yoitomake01

そして,こんな感じの菓子である:

Yoitomake02


ロールケーキの外周をハスカップジャムでコーティング,さらにオブラートで覆った,これでもかー,という感じの強烈なスウィーツ。

物凄く甘い。食べる時にはコーヒーか紅茶の準備(もちろんノンシュガーで)が必要である。


じつは,この菓子のことはある漫画で知っていた。

青林工藝舎刊行の漫画誌『アックス』50号に掲載されていた,三本美治『スラップ*ショッ太』に出ていたのである:

Mikiyoitomakeax

三本美治『スラップ*ショッ太』(『アックス』50号,2006年4月,128ページより)


同漫画の登場人物が「暴力的な甘さ」と述べているが,まさしくその通り。

アマゾンでも扱っているので,是非,その甘さをご堪能ください。

よいとまけ 1本よいとまけ 1本

三星
売り上げランキング : 125855

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.01.21

【天変地異の前触れか?】続々と現れるリュウグウノツカイ

新潟県上越市では1月2日に,山口県長門市では1月16日に,富山湾では1月17日に,というように続々と幻の魚・リュウグウノツカイが捕獲されている。

参考
珍魚リュウグウノツカイ捕った 新潟、標本で展示へ」(朝日新聞,2013年1月15日)
リュウグウノツカイを公開 山口」(産経新聞,2013年1月19日)
リュウグウノツカイ 定置網に 富山湾再来にギョッ」(中日新聞,2013年1月20日)


「すわ、天変地異の前触れか!」

ということで,長門市で獲れたリュウグウノツカイが下関の海響館で公開されるというので,この日曜日(2013年1月20日),ツマと一緒に海響館に行ってきた。

公開は1月19日と20日の13時~15時限定。この機を逃すと,一生見ることはできないものと思いながら,宇部から車を走らせ,13時過ぎには海響館に入館。

ついにお目にかかることができました。これがリュウグウノツカイです:

Regalecusglesnehead

Regalecusglesnehead02

Regalecus glesne (head)


頭だけだとその大きさが分からないと思うので,引いて撮った写真をお見せする。子供ら,大喜びである:

Regalecusglesnewholebody01

Regalecusglesnewholebody02

Regalecus glesne (whole body)


このリュウグウノツカイ,長門市沖で定置網にかかっていたもので,全長4.3m,体重30キロのもの。網内では生きていたものの,1月16日の水揚げ時に残念ながら死んでしまったという(参考)。


この特別展示ではリュウグウノツカイの体を触ることができた:

Regalecusglesnebody

Regalecus glesne (skin)


表面には無数の突起があり,結構堅い。しかし,表面のすぐ下の層は柔らかそうである。タチウオを触っているような感じである。

あと,頭部の表面は結構ぶよぶよしていて,ゼリー状のものがあったりする。これは頭部を正面から見たものだが,口からぶよぶよした何かが出ている:

Regalecusglesnehead03

Regalecus glesne (head, front)


というわけで,今回,一生に一度というぐらいの貴重な体験をさせていただいたわけである。

ちなみに,リュウグウノツカイは,アカマンボウ※の仲間である。

※アカマンボウと言うのはマンボウとは全く別の魚だが,マンボウのように扁平で丸い体をしている。回転寿司のネギトロの材料ともなっている(回転寿司のネタとして代用魚が大活躍しているのは周知の事実)。

リュウグウノツカイが本来生息しているのは陸から遠く離れた外洋の深海であるというから,定置網にかかったというのは極めて稀な事例のはず。

といいながら今月になって続々と捕獲されているのは何事だろうか?


  ◆   ◆   ◆


ここからは蛇足。

以前,「タル・ベーラ監督『ニーチェの馬』を見てきた件」で書いたように,古来より草木虫魚に異常が見つかるのは,天変地異の前触れなのである。

古代中国の歴史書・春秋経では魯の哀公14年に神獣・麒麟が捕獲されたことを記している:

十有四年,春,西狩獲麟。(春秋)

この簡潔な記述によって,春秋経は,周王朝を中心とした政治体制の終了(春秋時代の終了)あるいは魯国の衰退を告げている。

さて,リュウグウノツカイの登場はいかなる異変を告げるのだろうか?


立体図鑑リアルフィギュアボックス ディープシーフィッシュ (深海魚)立体図鑑リアルフィギュアボックス ディープシーフィッシュ (深海魚)

カロラータ株式会社
売り上げランキング : 28594

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

●【海中散歩inナイトツアー】おともだちマスコット リュウグウノツカイ 1匹(154860)(内藤デザイン研究所)●【海中散歩inナイトツアー】おともだちマスコット リュウグウノツカイ 1匹(154860)(内藤デザイン研究所)

内藤デザイン研究所
売り上げランキング : 139579

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (1)

情熱大陸『田中慎弥』のディレクターは大島渚監督の次男

昨年『共喰い』が芥川賞を受賞して以来,本ブログでは何回か,田中慎弥のことを取り上げてきたわけである。

『共喰い』<-イマジネーションの勝利」(2012年2月14日記事)など。
共喰い共喰い
田中 慎弥

集英社 2012-01-27
売り上げランキング : 24

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

で,この日曜日,『情熱大陸』で田中慎弥が取り上げられた。

地元下関のバーでのインタビューや,アキバで発生した「加藤の乱」の取材風景など,興味深いことがいろいろと流されていたのだが,番組の終わりのテロップを見てハッとした。

ディレクターが,あの大島渚監督の次男,大島新氏だったのである。


『情熱大陸』を見る前にBS朝日で『追悼特別番組・大島渚の闘い! 映画に賭けた熱き戦いの日々』を見ていた。

その直後に見た番組がご子息が担当したドキュメンタリーだったとは。

なんたる偶然!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.01.15

新島襄はロシア人から英語を学んだ

今年の大河ドラマは『八重の桜』である。八重の夫・新島襄を演ずるのはオダギリジョーだが,『八重の桜』第二話では子役の演ずる幼児期の新島襄が登場した。幼名を七五三太(しめた)と言う。

その名の由来について,ドナルド・キーン『百代の過客<続>』ではこのような話を紹介している:

彼<新島襄>の説明によると,七五三太という珍しい名のおこりは,彼の祖父が,四人続けて孫娘が生まれたあと,やっと五人目に男の子が生まれたと聞いて,喜びのあまり,思わず「しめた!」と叫んだからだという。(『百代の過客<続>』,328ページ)

良くできた話なので,新島襄による作り話かもしれないし,そうではないかもしれない。

新島襄は江戸生まれで,14の頃からオランダ語を学んだ。二十歳のころ,友人から借りた日本語版の『ロビンソン・クルーソー』を読み,海外へのあこがれを強くしていった。

元治元年(1864年)4月下旬,新島襄は帆船に乗って江戸から箱館(函館)に渡った。武田斐三郎(あやさぶろう)の塾で英語を学ぶためである。しかし,武田は不在であった。

新島襄は失望したが,ある時,友人が箱館在住のロシア人司祭・ニコライを紹介してくれた。ニコライ司祭は,新島襄を日本語教師として雇い,自分のところに新島襄を寄宿させた。

そしてニコライ司祭は新島襄から日本語を学ぶ見返りに,英語のできるロシア人士官を呼び寄せ,新島襄に対する英語教育を依頼した。

こうして,新島襄はロシア人から英語を学ぶ,ということになったわけである。

ちなみに,新島襄がニコライ司祭の日本語教育に用いたテキストは,なんと『古事記』であった。

しかし,新島襄は6月には米船に乗り込み西回りで米国に向かうこととなる。

正味ひと月程度の箱館滞在中に,どの程度の英語を覚えたのか,それは甚だ怪しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.01.11

柴咲コウってタイ語できるんや

柴咲コウのツイート見ました?

Shibasakithai

タイ語ができるって言ったらワッキーだけだと思っていたのだが…。柴咲コウもタイ語できるんか。大した人やで。


一番上のツイートは訳すとこんな感じ?

そう。私,やられたの RT @AiPurusa: @ko-shibasaki コウさん,この猫,皮膚病みたいだよ。手を洗ってね~。

誰か,タイ語の上手い人,この訳でよいですか?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2013.01.08

ユナイテッドビーズ製の会議用ノート

年を取ってくると物事を覚えきれなくなるので,会議用ノートとスケジュール管理用手帳は不可欠。

で,小生がここ数年使っている会議用ノートがこれ:

Meetingnotebook0001

ユナイテッドビーズ製のB5 MEETING NOTEBOOK (ミーティングノート),NOTE-B5F-07である。

近所の文房具屋"CrossLand"宇部店で購入し続けている。

中身はこんな感じ(中表紙にある,使い方の図解を引用)

Meetingnotebook0003

左上側にタイトル(会議名)・日付・場所・参加者を記入する。
左下側は議題(アジェンダ)と決定事項(Decision)を記入する。

右側はノートで追記事項などその他のことを記入する。


小生の使い方は違っていて,議題のところに予定を書く。
つまり,AgendaではなくてTo doを書いてしまうわけである。
そして,議題は内容とともに右側ノート欄に記入する。

まあ,自分のだから使い方がちがってたっていいじゃないか。人間だもの。


青い色が非常にきれいで,愛用しているのだが,クロスランド宇部店では辺鄙なところに陳列されている。取り扱われなくならないか心配だ。


【2015年10月15日追記】

最近はA5スリム版(高さ210ミリ×幅120ミリ)を使っている:

"Ca.crea"みたいで使いやすい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013.01.07

民主党政権と「平清盛」は無かったことになっている

年末年始にかけて日本の将来について語る番組を見て,さらに昨晩は「八重の桜」第1話を見たわけである。

それで思ったのは,人々の期待を背負いながら,結局3年3か月迷走した民主党政権と,凝った演出にもかかわらず,視聴率低迷が続いた大河ドラマ「平清盛」と,いずれも今や「そんなものは無かった」かのような扱いになっているということである。

悪評が続くならまだ存在感がある。

そうではなくて,年が明けるや否や,話題にも上らなくなった。まあ,すさまじいことである。

風の前の塵に同じ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013.01.05

SLで津和野に行ってきた

2013年1月3日,新山口(旧小郡)から津和野までSLで日帰り旅行をした。

以前,津和野に行ったとき,ちょうどSLが来ていた(「【お蔵出し】先月、津和野に行ったわけで【その3:SL C56 160】」,2010年4月12日)。そのときはSLを外から見る側だったのだが,今回は乗る側になった。

まず,10時48分新山口発のSL津和野稲成号に乗る。SL C56 160が3両の客車を牽引するのだが,パワーが足りないので,ディーゼルカーがC56の後ろに接続されている。

プラットフォームは記念撮影をするSLファンや家族連れで大賑わいである。

C56160ogoori

乗ったのは2号車で内装はこんな感じ↓。

C56160inside

小生とツマが乗ったのはこの席の向かいの席(進行方向に向かって座る席)↓。

C56160inside2

途中,いくつかの駅に停車して,

C56160niho

12時46分に津和野に到着。


晴れていた新山口と違い,津和野の山々はすっかり雪景色。
津和野は山陰なのだということを実感。

帰りの列車が出るのは15時20分。
あまり時間がないので,今回の津和野観光は「安野光雅美術館」だけに絞った。

下の写真は安野光雅美術館の概観。「山陰の小京都」津和野の街並みに調和した,立派な美術館である。

Annomuseum

安野光雅の絵本の原画が展示してあったり,アトリエを再現した部屋があったり,結構楽しめた。

見学の後,安野光雅の絵本「木のぼりの詩(うた)」なんぞをミュージアムショップで購入。

木のぼりの詩木のぼりの詩
安野 光雅

日本放送出版協会 2008-11
売り上げランキング : 704390

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

この絵本の原画もいくつか展示されていた。どのページも味わい深い文章と絵で構成されている。

安野光雅が10歳の少年に戻ったような調子で書かれているのだが,山口弁に似た津和野弁で子供ならではの面白い事件がつづられている。猿の形をした水差しをかわいがって,綿の布団を敷いた箱に入れて大事にする話とか,宮島でお土産に買った福禄寿のマトリョーシカを開けり閉めたりしていたら中の人形が列車の窓から飛び出てしまって残念だった話とか。

安野光雅の本にはずれは無いので読んでみてください。


美術館を出た後は近所の喫茶店で休憩。そして今度は帰りの便に乗り込む。

C561601

昼になって雪が解けてしまったとはいえ,枕木に雪が残っているのが見えるでしょう。

そして汽車は定刻通りに出発。

C56160tsuwano

さよなら津和野。また来るけえ。

津和野ではだいぶ雪が解けてしまっていたが,途中の県境あたりの駅になると,こんな雪景色である。

C561602

篠目駅では雪はだいぶ解けていた。

C56160shinome

ディーゼルカーの向こうには古い貯水等が見える。

そして17時4分に新山口駅に到着。

Ogoori

楽しいSLの旅もこれでおしまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.01.02

新春企画・『中国は東アジアをどう変えるか』を読む (後編:言語への着目)

前編:『海の帝国』から12年 何か変わったか?
中編:アングロ・チャイニーズとは何か?
後編:言語への着目

と,三回にわたって,白石隆,ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』(中公新書2172,2012年)を読み解いているわけである。今回がラスト。「後編:言語への着目」というテーマで読み解いてみたい。

中国は東アジアをどう変えるか ? 21世紀の新地域システム (中公新書 2172)中国は東アジアをどう変えるか ? 21世紀の新地域システム (中公新書 2172)
ハウC・S 白石 隆

中央公論新社 2012-07-24
売り上げランキング : 14359

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


  ◆   ◆   ◆


白石隆は言語の習得が社会集団に与える影響について深く検討する。これは前著『海の帝国』でも本書『中国は東アジアをどう変えるか』でも同じである。「言語への着目」ということが,白石隆の研究手法の大きな特徴である。

ある言語の習得というのは,その言語の背景にある価値観・生活様式をも習得することである。たとえば,イヌイットの言語では,雪を表す言葉は一つではなく,雪質に応じていくつも存在する。ということはイヌイットの言語を習得することはイヌイットの雪に対する認識構造を受け入れるということである。つまり,言語習得は社会集団に価値観の変容をもたらすわけである。白石隆はそのことを重視する。


  ◆   ◆   ◆


前著『海の帝国』第5章「文明化の論理」では,西欧の植民地支配によって東南アジアの住民の間に近代的自我意識が植え付けられたプロセスが語られている。そのことについてはすでに本ブログで記事を書いたが,改めてここでも取り上げる。

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)
白石 隆

中央公論新社 2000-09
売り上げランキング : 79521

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

インドネシアがオランダ領だったころ,ジャワ人の上流階級にカルティニという若い女性がいた。彼女はオランダ語教育を受け、西欧的なものの考え方を身につけ、自己の中に「わたし」という自我意識を醸成した。

カルティニはオランダ語の一人称"ik"を学ぶことによって,近代的な意識を獲得するというショッキングな体験を得たのだが,これを民族教育運動の指導者であるスワルディがムラユ語(現インドネシア語)の一人称"saya"に訳した時,カルティニの受けたショックはインドネシア全土に広がった。つまり,今,インドネシア人と言われる人々の間に,近代的なものの考え方を広めることとなったのである。

オランダ語の一人称"ik"からムラユ語の一人称"saya"への翻訳は「もしわたしがオランダ人であったならば」,「もしわたしがオランダ東インド総督であったならば」という政治的な問いを生み出し,やがて独立運動へとつながっていく(白石隆の議論では,"saya"という言葉の漂流はやがて「警察国家」の成立へと結びついていくのだが,ここではその話は省略)。


  ◆   ◆   ◆


本書『中国は東アジアをどう変えるか』では言語について2つの話題が登場する。

一つは言うまでもなく,「アングロ・チャイニーズ」に関する話題である。

すでに別記事で述べたように,タイ,マレーシア,インドネシアといった国々で生まれ育った,彼ら中国人の子孫は,英語を習得するとともに,アングロ・サクソン的(英米的)な思考様式とビジネスマナーを身に着けている。

アングロ・チャイニーズは英語の習得を経て,アメリカ人と価値観を共有できるようになった人々なのである。

もう一つは,はるか昔の中国を中心とする朝貢貿易体制に関する話題である。

朝貢貿易というのは,中国語(漢語)による貿易体制であり,中国語の背景にある中華思想の受け入れが前提となる。しかし,その言語秩序を受け入れない場合,たとえば,徳川将軍家が「日本国王」ではなく「日本国大君」を名乗ったときには,朝貢貿易体制は破綻する。

英語が英米人だけのものではなくなり,国際的な標準語となっている今,そして,アングロ・チャイニーズにとっては母語となっている今,中国語がアジアにおける標準語となる可能性はほとんどない。まして,中国の台頭をきっかけに21世紀版の朝貢貿易体制が誕生する可能性は全くない…というのが本書の結論の一つである。


  ◆   ◆   ◆


結局,「中国の台頭」とはいっても国際標準語が英語であり,また国内はともかく,国際的な舞台に移ると,アングロ・サクソン的な価値観に迎合しなくてはいけないというのが実情である以上,中国もまたそうしたルールに従わなくてはならないだろう,というのが本書を読んでの感想である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新春企画・『中国は東アジアをどう変えるか』を読む (中編:アングロ・チャイニーズとは何か?)

白石隆,ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』(中公新書2172,2012年)は,日本からASEAN諸国までを含む広い領域(東アジア)における政治経済秩序の現状と,興隆する中国の影響力についてまとめた本である。

中国は東アジアをどう変えるか ? 21世紀の新地域システム (中公新書 2172)中国は東アジアをどう変えるか ? 21世紀の新地域システム (中公新書 2172)
ハウC・S 白石 隆

中央公論新社 2012-07-24
売り上げランキング : 14359

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

この本の中で最も重要なのは,アジアの政治経済秩序に影響を与える重要なプレーヤーとして登場する,わりと古くて新しい集団「アングロ・チャイニーズ」に関して触れた第4章だろう。

「アングロ・チャイニーズ」について,山崎正和は毎日新聞の書評で「この新しい民族の興隆はそれ自体、文明史的に見て私には胸躍る事件である」と興奮気味に記しているのだが,それはどういう集団なのだろうか?

端的に言えば,「アングロ・チャイニーズ」とは,これまで華僑,華人,華裔(かえい),中国系などと呼ばれてきた人々のうち,英語を流暢に話す人々のことである。

前著『海の帝国』では単に「華僑ネットワーク」という言葉で扱われていたものが,本書では新たに「アングロ・チャイニーズ」という定義を与えられ,そして重要なプレーヤーとして取り上げられるようになった。

彼らはタイ,マレーシア,インドネシアといった国々で生まれ育った,中国人の子孫であり,アングロ・サクソン的(英米的)な思考様式とビジネスマナーを身に着け,英語のみならず中国語(北京語)や現地語にも堪能である。

アングロ・チャイニーズは東南アジア諸国でそれなりの政治経済的地位を占め,国際社会と現地社会とを結ぶインターフェースとして活躍する。中国(中華人民共和国)が台頭する状況の中,アングロ・チャイニーズは第二外国語として中国語(北京語)を習得し,今度は現地社会と中国とを結ぶ役割を担う。

ここで重要なのは,アングロ・チャイニーズは中国人の子孫であり,その文化的伝統を受け継いでいるものの,中国(中華人民共和国)本体の中国人たち,とくに貧しい内陸部農村の人たちと価値観を100%共有しているわけではないということである。

中国(中華人民共和国)が台頭し,アジアの政治経済秩序に影響を及ぼしていることは事実である。また,それに伴って,中国語(北京語/普通話)を学ぶ人々が増加していることも事実である。だが,中国が一方的にアジアの政治経済秩序を変化させるのかというとそうではない。中国も変容する。それは,中国沿岸部大都市の中産階級がアングロ・チャイニーズ化するということである。

国境を越えて,ますます多くのヒト,モノ,カネ,情報が交流するようになれば,中国本土においても,とりわけ沿岸部の都市の豊かな人たちは,教育,ライフスタイル,生活習慣,価値規範等において,農村に住む貧しい人たちとではなく,東アジアの都市の教育を受けたアングロ・チャイニーズをはじめとする中産階級の人々と,ますます多くのものを共有するようになるだろう。(『中国は東アジアをどう変えるか』,222ページ)

本書では中国沿岸部中産階級のアングロ・チャイニーズ化が中国(中華人民共和国)に何を引き起こすか,ということには触れていないが,前著『海の帝国』の第8章ではこういうことが述べられていた:

  • 中国は伝統的に農本主義社会である
  • 中国の過去の歴史を振り返ると,東アジアにおける貿易が盛んになり,商業が興隆した時代には,国家の基盤である農村が脅かされ,社会が不安定化したことがわかる

この見方を踏まえれば,(1)中国(中華人民共和国)の台頭は,東アジアにおけるアングロ・チャイニーズの価値を高める。(2)しかし,その一方で,中国国内においては中国沿岸部中産階級のアングロ・チャイニーズ化を引き起こし,(3)さらにそれが中国国内の不安定化を招くという逆説的な結果を生む…ということになりそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新春企画・『中国は東アジアをどう変えるか』を読む (前編:『海の帝国』から12年)

あけましておめでとうございます(誰に言ってんの?)。

年末年始にかけて,白石隆,ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』(中公新書2172,2012年)を読んだ。著者が言う東アジアとは日本からASEAN諸国までを含む広い領域を指すのだが,この広い領域における政治経済システムの現状と,興隆する中国の影響力についてまとめたのが,本書である。

この本を読んでいるといろいろなことが頭に浮かんでくるので,3つに分けて記事を書くこととした。

前編:『海の帝国』から12年 何か変わったか?
中編:アングロ・チャイニーズとは何か?
後編:言語への着目

今回は白石隆の前著,『海の帝国』で主張されていたこととの違いを考える。


  ◆   ◆   ◆


以前,EU3に嵌っていた2009年夏,白石隆『海の帝国 アジアをどう考えるか』(中公新書1551,2000年)を読んだわけである(参考)。同書から,東南アジアの社会経済システムの成立過程,将来の見通し,そして日本の立ち位置について知見を得ることができた。

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)
白石 隆

中央公論新社 2000-09
売り上げランキング : 79521

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

同書が書かれてから干支が一回り。新たに出たのが白石隆・ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』(中公新書2172,2012年)である。

「中国が経済大国として台頭し,世界中に影響力を行使し始める中,著者の東アジア(日本からASEAN諸国まで)の将来に対する見通し,とくに東アジアにおける米中の影響力に関する見通しは前著から変化したのだろうか?」という疑問を持ちながら同書を読んだ。

中国は東アジアをどう変えるか ? 21世紀の新地域システム (中公新書 2172)中国は東アジアをどう変えるか ? 21世紀の新地域システム (中公新書 2172)
ハウC・S 白石 隆

中央公論新社 2012-07-24
売り上げランキング : 14359

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

結論から言えば,前著からほぼ変わっていない。

前著においては(参考:『海の帝国』第8章「アジアをどう考えるか」),「アメリカのヘゲモニー」について,このように語っていた:

  • アジアがアメリカのヘゲモニーの下にあるかぎり,アメリカをナンバー1,日本をナンバー2とするアジアの地域的な政治経済秩序が崩壊することはありえない(『海の帝国』,191ページ)
  • アメリカのアジア政策にあっては,アジアにおいて(アメリカに代わる)いかなるヘゲモンの存在も許さない,ということがその基本となっている(同192ページ)
  • アメリカがアジアにおけるヘゲモニーを放棄する,あるいはヘゲモニー維持の能力を喪失する,といった事態はまだ当分,考えなくてよいだろう(同ページ)
  • (東アジアにいうて中国がヘゲモニーを掌握すること)はまったくないとは言わない。しかし,これも当分は考えなくともよいだろう(同ページ)

本書においてはこのように語っている:

中国がいかに台頭しても,中国がこの地域において圧倒的な力をもつヘゲモンとして登場することはなかなか考えられない。これから10~20年で,中国の経済規模は購買力平価で見れば,米国を凌駕するだろう。しかし,それでも,米国とその同盟国,パートナー国が連携すれば,力の均衡が圧倒的に中国に有利になることはありえないし,まして,中国が東アジアにおいてみずから新しいルールと制度を作り,それを周辺の国々に押しつけることができるとは思えない。(『中国は東アジアをどう変えるか』,219ページ)

つまり前著においても本書においても,当分は米国主導の東アジア政治経済秩序が維持され,中国がヘゲモニーを掌握することはないだろうという見通しを示している。

しかし,本書においては上述の文章の後に,次のような「但し書き」が加えられていることには注意するべきだろう:

そこで注目すべきは,米国が長期的にヘゲモンとして東アジアの平和と安定と繁栄に関与する意思と能力を持ち続けるかどうか。またそのリーダーシップの下,この地域の国々が「動的均衡」維持のために連携できるかどうかにある。(『中国は東アジアをどう変えるか』,219ページ)

前著における「アメリカがアジアにおけるヘゲモニーを放棄する,あるいはヘゲモニー維持の能力を喪失する,といった事態はまだ当分,考えなくてよいだろう」という主張からは幾分弱気になっているように見える。

昨年からオバマ政権は中国の軍事的台頭への対処を強調している(参考)ので,少なくとも第二期オバマ政権の間は米国がアジアにおけるヘゲモニーを放棄することは無いと思われる。しかし,前著からの12年の間に急速に進行した,中国の経済・軍事大国化は,著者の予測を凌駕するものであり,米国のヘゲモニー放棄の可能性をぼんやりと予感させるほどのものだったのかもしれない。


  ◆   ◆   ◆


前著との相違をもう一つ。

前著の最終章「アジアをどう考えるか」では日本の立ち位置に触れていたが,本著ではそういったことに関する記述がない。

前著では「アメリカをナンバー1,日本をナンバー2とするアジアの地域的な政治経済秩序」の安定をはかり,その下で日本の行動の自由を拡大していくことを目指すべきである,という提言を行っていた(参考:『海の帝国』,198ページ)。

しかし,本書ではこういった提言は無い。12年の間に,日本の国際的プレゼンスの相対的な没落,また鳩山政権における日米同盟の危機などがあった。これらの状況から,著者たちは日本をアジアの政治経済秩序における重要なプレーヤーとは見なせなくなってきたのかもしれない(日本に対する失望?)。

もし,日本が,もはやアジアの政治経済秩序における重要な役割を担えないとすれば,誰が,その役割を担うことができるのだろうか?

その疑問に対する答えとして浮上してくるのが「アングロ・チャイニーズ」である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »