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2012.12.24

日本の農耕文化の起源:ニジェール河畔からのはるかな旅

さて,1001回目の記事である。

先日のインドネシア出張の移動中に読んでいたのが,この本,中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)である。

栽培植物と農耕の起源 (岩波新書 青版 G-103)栽培植物と農耕の起源 (岩波新書 青版 G-103)
中尾 佐助

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この本は1966年に書かれ,いまだに売れ続けているロングセラーである。一万年を超えるだろう農耕の歴史を短くわかりやすくまとめた名著である。

もちろん,この本で主張されていることのいくつかは,現在,議論の対象となっている。後でも述べるが,稲作の起源などもその一つ。

だが,ここでは,中尾説に沿って,いろいろと書いてみたい。


  ◆   ◆   ◆


この本によれば,農耕文化は高々4つである。

  • 根栽農耕文化 (東南アジア起源: バナナ,ヤムイモ,タロイモ,サトウキビ)
  • サバンナ農耕文化 (西アフリカ起源: 雑穀中心: シコクビエ,ササゲ,ゴマ,ヒョウタン)
  • 地中海農耕文化 (地中海東岸起源: オオムギ,コムギ,ビート,エンドウ)
  • 新大陸農耕文化 (多様な起源,根栽農耕+種子農耕: ジャガイモ,トウモロコシ,カボチャ等)

有史以前の日本農耕に関係あるのはこのうちの2つ,根菜農耕文化サバンナ農耕文化である。


根栽農耕文化

根栽農耕文化というのは,東南アジアに起源をもつ栽培植物を育てる文化である。この文化では種子で植物を繁殖させるのではなく,根分け・株分け・さし木のような,「栄養繁殖」のみで植物を栽培する。

代表的な栽培植物は,上に挙げたように,バナナ,ヤムイモ,タロイモ,サトウキビ等である。

下の図に示すように,バナナ(赤)はマレーシアで5000年以上前に生じたようである。その後,熱帯の各地に広がった。

Eurasia01

サトウキビ(青)はニューギニアで生まれた。これも起源は非常に古い。紀元前15000年前からあったという説もある。

上の図で「D.何とか」という緑の丸はヤムイモの起源を表している。D. alataは熱帯種,D.batatas(ナガイモ)は温帯種である。東南アジアや中国雲南省あたりで生まれたこれらの品種はやがて東西に広がっていった。

D.batatas(ナガイモ)自体は17世紀に中国から日本に移入されたものであり,根栽農耕文化としては遅い。しかし,本書には書いていないが,それ以前に日本に自生している「ヤマノイモ(自然薯,ヤムイモの一種)」を掘り出して食する文化は伝わっていたのかもしれない。

タロイモの伝播ルートについては詳しく書いていなかったが,タロイモの一種である日本のサトイモもまた,東南アジアからはるばる日本までやってきたもののようだ。


サバンナ農耕文化

サバンナ農耕文化というのは雑穀を栽培する文化であり,種子農耕文化である。この文化の指標となるのは「シコクビエ」であり,サバンナ農耕文化圏にはかならず「シコクビエ」が見いだされる。

サバンナ農耕文化が誕生したのは,紀元前5000年~4000年の頃のニジェール河畔だったようである。植物の種子を集めて食べる,という文化はエチオピア,南北インドへと広がり,さらに照葉樹林地帯や東南アジアへと広がる(下図)。

Eurasia02

雑穀栽培は照葉樹林地帯を通って日本にも伝わり,ヒエやアワの栽培がおこなわれるようになった。

ここで大事なのは,日本文化の柱ともいえる「稲作」というのは,サバンナ農耕文化の一部である,という主張である。

イネはただ湿地に生ずるだけで,農耕文化の基本複合タイプとしては,簡単に他の雑穀と同じカテゴリーにはいるものだ。

<中略>

イネは湿性の雑穀だ。

<中略>

つまり"稲作文化"などという,日本からインドまでにひろがる複合は存在しない。

(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』,116~117ページ)


  ◆   ◆   ◆


世界の農耕文化を概観するのが本書の目的なので,本書では日本の農耕文化に関する詳細な記述はない。

しかし,第三章「照葉樹林文化」と第五章「イネのはじまり」に依拠する限り,中尾佐助は日本の農耕文化を,根栽農耕文化の上にサバンナ農耕文化が乗っかったものとして見ている。

この主張が詳しく展開されるのが,中尾佐助,佐々木高明,上山春平による「照葉樹林文化論」である。

実は,wikipediaの記述にもあるように,この論には近年では反論が加えられている。たとえば,稲作は種子繁殖を基盤とするサバンナ農耕文化から発生したのではなく,水田で栄養繁殖された水稲から始まったという池橋説がそれである。

とはいえ,まず,世界の農耕文化を大きくまとめ,そして世界史の大きな流れから,稲作を位置づけようとする試みは中尾によって始められたといってよく,その意味では『栽培植物と農耕の起源』は偉大な書物であるといえる。

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またバンドン(Bandung)に行ってきました

記念すべき(?)1000回目の記事は東南アジア関連である。

ここ数日インドネシアのバンドンに出張してきた。
四つ星とはいえ,格安のホテルに泊まったせいで通信事情が悪かったので,帰国してからブログ記事を書く次第。

今回は,福岡~シンガポール~スラバヤ~バンドン,というずいぶん遠回りのコースで移動した。なぜか,シンガポールからバンドンに向かう航空機が満席だったため,こんなことになった。

過去2回,バンドンに行っている(参照)が,それらはどちらもジャカルタから陸路での移動だった。空路でバンドンに入るのは今回が初である。

バンドン空港(バンダラ・フセイン・サストラヌガラ)は国際空港ということになっているが,大変小さな空港で,山口宇部空港よりも小さい。

Bandungairport

あと,この空港ではパッセンジャー・ボーディング・ブリッジ(ゲートから航空機の入り口につながる通路)が無い。したがって,航空機から歩いて空港ビルに出入りするわけである。

Bandungairport02

おかげで,乗ってきた飛行機の写真(↑ガルーダ)を撮ることができるわけだが,雨の日は傘を借りて飛行機と空港ビルの間を歩かなくてはいけない(↓傘を貸してくれるだけましだとは思う)。

Bandungairport05

帰りも,バンドン~スラバヤ~シンガポール~福岡という経路を採った。どうしてもバンドン~シンガポールという便が満席だったので。

下の写真はスラバヤ行きの便を待っているときの搭乗待合室の状況。

一時間前だと空いているが(↓),

Bandungairport03

搭乗前は混み合う(↓)。バンドンからスラバヤに向かう人々は結構多い。

Bandungairport04

あと,一人一人の荷物の多さは尋常ではない。以前,中国でも見たような光景だった。行商でもするのかと思うぐらい。

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2012.12.17

【今こそ、晋ちゃん応援菓 Part 3】安倍ちゃん,いよいよ首相に返り咲き

さて,これまで,何回か取り上げてきた,(有)小川蜜カス本舗の主力商品,「晋ちゃん応援菓」。

今こそ、晋ちゃん応援菓

第n次安倍ブーム

昨日の選挙の結果,民主党の一人負け・自公地すべり的勝利により,安倍ちゃんが首相に返り咲くことが決定した。以前は第90代内閣総理大臣だったが,今度は第96代内閣総理大臣になる。


今後,心配されるのは,「晋ちゃん応援菓」の箱のデザインである。

いったい,安倍ちゃんは山口が生んだ何人目の首相ということになるのか。前回は8人目の首相,ということだったわけで,上の写真でもわかるように,箱のデザインの中に「8人目の首相」と書かれていたわけである。

ところが,菅元首相も山口宇部出身で,山口が生んだ9人目の首相といってもおかしくない。そして,今回,安倍ちゃんの返り咲き。10人目なのか? 同一人物だからやはり8人目のままなのか?

まあ,普通は8人目のままなんでしょうね。そして,菅元首相は無視するんでしょうね。


以前の記事:

【今こそ、晋ちゃん応援菓】安倍ちゃんが自民党新総裁に」(2012年9月26日)
今こそ、晋ちゃん応援菓」(2007年9月13日)
第n次安倍ブーム」(2007年9月15日)


【蛇足】
ちなみに天皇陛下の場合は重祚した場合,新たな代としてカウントされるし,漢風諡号もそれぞれの代で違うものが贈られる(例: 第35代皇極天皇と第37代斉明天皇は同一人物)。これは,同一人物だが政治的には別人格,ということなのだろうか?

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2012.12.10

博多の「ぴぴ」ちゃんと宇部の「ピッピ」ちゃんについて

先日,博多に出張の折,博多駅を巨大なひよこが練り歩いていた。

先日,銘菓「ひよ子」の100周年記念マスコットとしてデビューした「ぴぴ」ちゃんである:

Pipi01

ご存知の諸兄もおられると思うが,「ひよ子」はもともとは炭鉱地帯・飯塚のお菓子だったが,やがて博多の名物として名をはせるようになった。そして東京オリンピックをきっかけに東京に進出。東京土産としても知られるようになった。つまり,東京ひよ子は博多ひよ子の兄弟というかクローンなのである。

「ぴぴ」ちゃんの頭についている羽のようなモノはアンテナだそうである。

Pipi02

後姿にはなんとなく哀愁が。中には吉野堂の商品企画部の部長が入っていたりして。そんなことはないか。


ところで,宇部には名前がよく似た菓子がある。宇部・厚南の洋菓子店「パティシエ セーナ」のケーキ「ピッピ」ちゃんである。

Pippi

この写真の「ピッピ」ちゃんは目が ( >Θ< ) の状態になっているが,他のバージョンもある。気になる人は「セーナ」に行ってみてください。

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2012.12.08

下関市立美術館で「ポール・デルヴォー展」を見てきた件

下関市立美術館ポール・デルヴォー展をやっているので,ツマと一緒に見てきた。

今回の展覧会ではデルヴォーの最初期の作品から最晩年の作品までが展示されていた。

最初期(20代)は,写実的で印象派のような作品を描いていたのだが,1923年あたりから表現主義の影響が出てきてモディリアニ風の人物を描くようになる(例えば,『森の中の裸体群』,Suite de personnages nus dans une foret, 1927-28)。

次にシュルレアリスムの影響を受けるようになるのだが,ここで大事なのはアンドレ・ブルトン等の「主義主張」の影響を受けるのではなく,デ・キリコのような詩情漂う雰囲気の影響を強く受けている(例えば,『夜明け』,L'aube, 1944)。

ポール・デルヴォーは以後,研鑽を積みながら,自分の絵画世界を確立。『トンネル』(Le tunnel, 1978)『エペソスの集い II』(Le rendez-vous II, 1973)のような大作を生み出していく。

これらの作品に繰り返し登場するのは,機関車あるいはトラム,石油ランプ,女性たち,古代ギリシャの神殿等であり,ポール・デルヴォーが終生愛してやまなかったものばかりである。

ポール・デルヴォーが描いたのは彼にとっての心地よい空想の世界なのである。本展覧会のカタログにも引用されている彼の言葉:

「私が創造したいのは,その中に自分が生きている,生きることができる寓話的な絵画なのです」


  ◆   ◆   ◆


小生がポール・デルヴォーの作品を直接見るのは初めてなのだが,彼の作品には間接的には2度出会っている。

一回目は,高校生の頃。

当時の小生はいっちょまえに浅田彰なんぞを読んでいたのだが,浅田彰『ヘルメスの音楽』(筑摩書房,1985年)所収の「デルヴォー あらゆる終わりのあと永遠の黄昏の中にたたずむ」という書き下しの文章の中に『海は近い』(La mer est proche, 1965)『エペソスの集い』(上述)『ローカル線』(Le vicinale, 1959)『ジュール・ヴェルヌへのオマージュ』(Hommage a Jule Verne, 1971)の4作品が挿絵として納められていた。

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浅田彰はデルヴォーの世界を,事件ひとつ起こらない永遠の閉域,終わりなきメビウスの輪の如き世界としてとらえている。

しかし,そうではあるまい。デルヴォーの世界には,時折,使者/訪問者がこの世界を訪れるのだ(『訪問者 IV』(La visite IV, 1944)『夜の使者』(La messangere du soir, 1980)を参照)。デルヴォーの世界は機関車やトラムを通じて外の世界とつながった,開かれた世界なのである。


  ◆   ◆   ◆


二回目に出会ったのは,ベルギーのアニメーション作家ラウル・セルヴェのアニメーション作品『夜の蝶』。ポール・デルヴォーへの素晴らしいオマージュである。

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  ◆   ◆   ◆


というわけで,今日は下関市立美術館に行ってきたわけだが,ここのシンボルともいえる彫刻を紹介しておく。

この美術館の入り口につながるスロープは,ある彫刻を巡るようにらせん状に回転している。その彫刻とはカール・ミレス『人とペガサス』(1949)である。カール・ミレスはロダンの助手をつとめた経験もある,スウェーデンの作家である。

Dsc_1497s

今日の空模様と重なって,なんともすごい情景になっている。

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2012.12.07

ランダムサンプル選挙の可能性

今発売されている"WIRED"ではなくて,前の号(Vol.5)で「ランダムサンプル選挙」というアイディアが紹介されていた:

民意2.0 ランダムサンプル選挙で民主主義はもっと正しく機能する

2人の学者が,時を同じくして提案する,古くて新しい選挙の方法。かつて古代ギリシアのアテネ市民が採用していた「少人数選挙」で,「民意」は,より正確に「民意」を反映したものとなるか。("WIRED Vol.5", pp. 38 - 39)

全ての人に投票に行くように促すよりも,投票権を持つ人々の中から一部の人たちを投票人として無作為に選んだ方が,より多くの人の意見を反映する結果が得られる…というアイディアである。

投票人には熟考する時間が与えられ,その結果として投票を行うというわけである。裁判員制度と似ている。

膨大な数の人々が,聞きかじりの知識や思い付きで投票するよりも良いだろう,というわけである。

最近は投票率が回復してきたとはいえ,それでも30%以上の人々は選挙を棄権している:

2000年総選挙 62.49%
2003年総選挙 59.86%
2005年総選挙 67.51%
2009年総選挙 69.28%
(総務省選挙部「目で見る投票率」(2012年3月)より)

3割の人が投票しないという時点で,一人一票の原則が崩れているといえる。また,低投票率の場合,組織化され,動員された人々の意見が強く反映されるということになる。

さらに,世代間格差の問題もある。20代(20~29才)の投票率は低く,これからの日本を担う人材の意見が十分に反映されていない:

2009年総選挙の場合
20~24歳 46.66%
25~29歳 52.13%
……
65~69歳 85.04%


2005年総選挙の場合
20~24歳 43.28%
25~29歳 48.83%
……
65~69歳 83.69%
(総務省選挙部「目で見る投票率」(2012年3月)より)

ランダムサンプリングであっても,3万人ぐらいの規模になれば地域や年齢構成など,様々なデモグラフィック属性を反映することができるだろう。

「ランダムサンプル&熟考」選挙の方が民主主義が適切に機能するという可能性はある。

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2012.12.05

産経の誤植は愛嬌があると思います

ネットニュースを眺めていると,たまに誤植を発見する。

産経の誤植は愛嬌があると思います。


「アッポレ」 2012年8月1日

20120801

かっぽれのようだ。正式にはアレッポ(Aleppo)もしくはハラブ(Halab)


「愛用監視機関」 2012年12月5日

20121205

ベトナム政府がどれだけ大事に使っているか,ということです。

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2012.12.02

東京は武蔵野の原野に浮かんだみんなの想念

今日(2012年12月2日)の午後10時から,ETV特集『東京という夢』という番組を見た。

杉浦日向子『YASUJI東京』『江戸アルキ帖』からの引用や東京に住む人々へのインタビューで構成された,不思議なテイストの番組だった。

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幕末生まれの絵師・井上安治の作品は,絵でも写真でもなく百数十年前の東京を見せる「窓」だった。そして,漫画家/時代考証家・杉浦日向子の作品もまた,江戸を見せ,空気を伝える「窓」だった。

さらに言えば,井上安治や杉浦日向子が見ていたのは百数十年前の東京あるいはそれよりも前の江戸だけではなかった。東京/江戸の向こうに透けて見えたのは武蔵野の原野だ。

「東京というのは,この地,この気で
 地表に貼り付いている私たちの生活は
 粗末な被衣にすぎない。」
   (『YASUJI東京』,91ページ)
「雲ひとつない快晴の空が
 大気の向こう側の宇宙の闇を
 感じさせるように
 安治の残した百数十葉の
 <透明な窓>から
 東京の向こう側が見えて来る。」
   (『YASUJI東京』,97ページ)
「見渡す限りの葦の原。
 耕作に適さない辺境の地。

 <中略>

 この原野の上に
 今現在展開されている
 <東京>という現象は
 人々の想念のカタマリだ。

 <中略>

 原野が私たちに夢を見つづけさせる。」
   (『YASUJI東京』,98~99ページ)


「東京というのは武蔵野の原野に浮かんだみんなの想念に過ぎない」というと,「色即是空」とか「砂上の楼閣」とか,そういった空しさを感じさせる言葉がまず最初に浮かんでくるが,杉浦日向子が感じ取ったのは,それとはもっと違った感興だ。

「踏みしめる
 アスファルトの下の
 <原野>を想う時
 嬉しくて懐かしくて
 身ぶるいがする。」
   (『YASUJI東京』,100ページ)

東京の街という表面的なものの下に存在する武蔵野という実体(仏教的に見ればそれもまた幻想にすぎないのだが)。そこにつながっているという意識が東京人・杉浦日向子に静かな喜びをもたらす。

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