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2012.11.27

笠井潔『8・15と3・11―戦後史の死角』を読む

本の帯の著者近影を見て「猪瀬直樹,ずいぶん精悍な顔立ちになったな」と思ったら笠井潔だった。

というわけで宮脇書店で新書コーナーをうろついていた時に発見したのがこの本である。

8・15と3・11―戦後史の死角 (NHK出版新書 388)8・15と3・11―戦後史の死角 (NHK出版新書 388)
笠井 潔

NHK出版 2012-09-07
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8・15とは例の1945年の敗戦のこと,そして3・11とは言うまでもなく福島原発事故のことである。

本書では,先の大戦における敗北と,今回の原発事故に共通する原因として,戦争指導者たちや原発関係者たちの間に「最悪の事態を考えたくない。考えなくても何とかなる」という判断停止にも近い,無責任な姿勢あるいは「空気」があったことを指摘している。これは他書で他の論者たちが指摘していることでもある。

これに加え本書では,戦争指導者たちや原発関係者たちが,大戦への参戦や原発導入が世界および日本の将来に何をもたらすのかという明確な歴史認識を持って判断・行動したわけではないということも指摘している。どちらかというと,この歴史認識の欠如こそ8・15と3・11に共通して核心的な問題である,と著者笠井潔は見ている。

笠井潔は,このような「『空気』の支配」と「歴史認識の欠如」を二本の柱とする観念体系を「ニッポン・イデオロギー」と名付け,激しく糾弾している。

そして,このニッポン・イデオロギーにとらわれていたのは戦争指導者たちや原発関係者たちだけではなく,一般大衆もまた含まれる,というのが笠井潔の認識である。

8・15と3・11はいずれもニッポン・イデオロギーがもたらした結果だが,単純に並列に置かれるものではない。8・15の「終戦」いや「敗戦」を直視せず,反省もしなかった日本人の大多数は,戦後「平和と繁栄」を謳歌していたが,その繁栄の中で無自覚に核エネルギーの「平和利用」を支持し,やがて3・11:福島原発事故という災厄を引き起こすに至ったのである……というのが笠井戦後史観である。

本書の第五章「原子力ムラの最新層」で展開される「ニッポン・イデオロギーの基層には,古墳時代から続く頽廃したアニミズムが存在する」という主張は面白いとは思うが,にわかには賛成できない。また終章「原発批判の思想的根拠」で述べられているように,親鸞から鈴木大拙に至る思想家がニッポン・イデオロギーと死闘を繰り広げてきたと言えるのかどうか,小生にはよくわからない。

だが,8・15と3・11の背景には,笠井潔が「ニッポン・イデオロギー」と名付けた観念や思考形式が存在することは確かだと思うし,また,「ニッポン・イデオロギー」から脱するためには,過去を直視・反省し,未来を想像することが必要だと思う。

そういう考え方によれば,「電力不足を回避するためには原発が必要である」とか「危険だから原発はいらない」というような主張は,素朴だが,歴史認識を欠いた,そして「空気」に流された主張であると言えるだろう。

原発問題に関して言えば,困難であるとはいえ,外交・安全保障・経済・地球環境・エネルギー・テクノロジー,様々な要素を含んだ歴史認識の下で論理的にこの問題を検討していかなければならない,ということである。いや,大変です。山本義隆『福島の原発事故をめぐって』とか,もう一度読まないと。


福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと
山本 義隆

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