「特任研究員」伝説
その1
さて,これはフィクションであるが,ある時,定年を間近に控えたA社の重役B氏が,第二の人生は研究者として生きて行こうと決意した。
B氏はX大学の某教授を訪ね,自分の思い描いた研究テーマを披露した。某教授はこの研究テーマを研究プロジェクトとして実施する企画を立案した。B氏は,この研究プロジェクトに資金を提供するよう,A社の研究管理部門を説得した。
このあと,B氏は定年を迎え,形式的な採用プロセスを経て特任研究員となった。もしもB氏が学位を持っていたら,「特任教授」におさまっていた可能性もあった。
B氏は生きがいと名誉を得,某教授は外部資金を得,X大学は間接費を得た。
その2
さて,これはフィクションであるが,コンサルタント企業の社員であるC氏は調査プロジェクトの企画立案と実施を得意としていた。
ある時,某機関が大規模な調査プロジェクトを公募した。C氏は知り合いのX大学某教授になり代わり,調査プロジェクトのポロポーザルを作成し,某機関に提出した。
某機関は某教授(実際はC氏)によるポロポーザルを採択した。某教授のもとで調査プロジェクトは開始され,C氏は特任研究員としてプロジェクトに従事することになった。
C氏はこの調査プロジェクト期間中,最高学府として名高いX大学の看板によって,さらに多くのコンサルティングの仕事を得ることに成功した。
その3
さて,これはフィクションであるが,ある時,日本有数の電機メーカーで研究開発部門のリストラが検討された。
同じ頃,教育省がX大学に対し,産学連携で世界最高水準のシミュレーション技術を開発する大型プロジェクトを委託した。
X大学は電機メーカーと共にこの大型プロジェクトを実施することにした。X大学は最新設備と研究作業者としての学生たちを,電機メーカーは専門家たちを提供することになった。
電機メーカーの研究開発部門から10人の研究者たちがX大学に派遣され,特任教授,特任研究員という地位を得た。と同時に,電機メーカーは10人分のリストラを実現した。
X大学は大型プロジェクト予算の一部を管理費として受け取り,学内施設の拡充を行った。
こうして,X大学と電機メーカーはともに大型プロジェクトの恩恵を享受した。
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