工藤隆『古事記の起源』を読む
広島への出張の合間に工藤隆の『古事記の起源』(中公新書1878)を読んだ。
神話の本来の姿は,メロディーに乗せ声に出して歌う歌だ,というのが本書の主張である。
そして,イ族・ヌー族・ハニ族・ペー族といった中国少数民族に残る「歌う神話」の調査をもとに,口誦(こうしょう)表現モデルを作り,古事記に記された神話の原型(古層)を推測しようというのが,本書の試みである。
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著者の考えに従えば,古代と言っても,縄文・弥生・古墳時代という無文字時代と飛鳥・奈良時代という漢字文化の時代に分けて考えなくてはならない。著者は
古代の古代: 縄文・弥生・古墳時代(無文字)
古代の近代: 飛鳥・奈良時代(漢字文化)
というように分けて考える。そして,古事記を「古代の古代」にあった「歌う神話」(別の表現では「生きている神話」あるいは古層)の部分と「古代の近代」に書かれた部分(表層)とに腑分けしながら,古事記の成立過程を把握しようと試みている。
従来の古事記に対するアプローチとしては例えば,構造主義的・記号論的アプローチがあった。
例えば,以前「西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)を読む」(2011年5月13日)で紹介したように,西郷信綱が『古事記の世界』で展開したのは,古事記・日本書紀等の言葉遣いについて注意を注ぎつつも,記述の細かな違いにとらわれるのではなく,それらに共通する「構造」の発見に努める,という手法であった。
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また先月の記事「吉田敦彦『日本神話の源流』を読む」(2012年9月9日)で紹介したように,吉田敦彦はデュメジルの「三機能的構造」説を日本神話に適用して,日本神話とギリシャ神話・ナルト叙事詩との構造的類似性を示した。
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しかし,工藤隆が『古事記の起源』で示すのは全く新しいアプローチである。
イ族・ペー族等の中国少数民族(工藤は「原型生存型民族」と呼んでいる)の「生きている神話」や琉球の神歌などをもとに,口誦表現モデルをつくり,古事記の古層を推測しようというのである。
本書の第二部,第4章から第10章は,口誦表現モデルによって古事記の古層を推測した実例集である。本記事では一例だけ紹介しよう。
◆ ◆ ◆
古事記本文は「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時,……」という言葉で始まり,このあと,アメノミナカヌシの神から始まってイザナギ・イザナミまで17柱の神々が登場する。
工藤隆は神田秀夫の「葦かびの序歌」をヒントとして,この神々の名前は実は天地創成の情景を擬人化(擬神化)したものではないかとみている。そしてまた,琉球やリス族の神歌における「同内容別表現の対」をヒントとして,神々の名は本来は対で登場しているのではないかと考えている。
こうしてできた口誦表現モデルによる古事記冒頭の部分の再現版が下の表である。ここで,「神」や「命」などの尊称は外している。また,神名A~D,表現A~Cは古事記の中では消滅している神の仮名や表現である。
セット | 神名 | 意味 |
---|---|---|
1 | アメノミナカヌシ 神名A(例えば,クニノミナカヌシ) |
真ん中に主のように 同内容別表現 |
2 | タカミ ムスヒ カミ ムスヒ |
生れ出た 生れ出た |
3 | 国稚(わか)く 表現A |
大地が稚く 同内容別表現 |
4 | 浮きし脂の如くして 表現B |
浮いている脂のようであり 同内容別表現 |
5 | くらげなすただよえる 表現C |
クラゲのように漂っていた 同内容別表現 |
6 | 葦牙(あしかび)の如く萌えあがる ウマシアシカビ |
葦の芽のように萌え出てきた うるわしい葦の芽が |
7 | アメノ トコタチ クニノ トコタチ |
しっかりと立った しっかりと立った |
8 | トヨクモノ 神名B(例えば,トヨカブノ) |
根が豊かに組み合わさった 同内容別表現 |
9 | ウヒヂニ 妹スヒヂニ |
泥土に 泥土に |
10 | ツノグヒ 妹イクグヒ |
杭を打ち込んだ 杭を打ち込んだ |
11 | オホトノヂ 妹オホトノベ |
立派な門あるいは戸,または処(場所),または性器 立派な門あるいは戸,または処(場所),または性器 |
12 | オモダル 妹神名C(例えば,オモテダル) |
(建物あるいは顔)が整った(完成した) 同内容別表現 |
13 | 神名D(例えば,アナカシコネ) 妹アヤカシコネ |
同内容別表現 なんとまあ畏れ多いことだ |
14 | イザナギ 妹イザナミ |
いざ(さあ,どうぞ) いざ(さあ,どうぞ) |
古事記では,アメノミナカヌシ,タカミムスヒ,カミムスヒを三柱の独神(ひとりがみ),さらにウマシアシカビとアメノトコタチとを加えて五柱の別天つ神(ことあまつかみ),そしてクニノトコタチからイザナギ・イザナミに至る神々を神代七代(かみよななよ)とまとめている。
このように3, 5, 7という数字で整理するのは,古事記編纂の時代,つまり「古代の近代」に入ってきた陰陽思想に基づくものであろうという。
つまり,古事記編纂時には「同内容別表現の対」という口誦表現は厳密には守られなくなり,神々の名も整理統合され,「古代の近代」的な意識で神話が整理されたというわけである。
◆ ◆ ◆
本書のコアの部分は「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」であり,それだけでも刺激的な内容であるが,本書の「はじめに」「序論」「結」「おわりに」では,古事記研究における本アプローチの意義,さらに古事記の古代的意義と現代的意義とが熱く語られている。その点については稿を改めて紹介したい。
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