アメノイワヤト神話と天孫降臨神話は直結していた
手塚治虫の『火の鳥 黎明編』ではヤマタイ国が高天原族の侵略を受け滅亡する有様が描かれている。
ヒミコ女王の弟はスサノオと言い,このことからヒミコは古事記におけるアマテラスに該当することは明らかである。そして高天原族の王はニニギと言い,天孫降臨神話のホノニニギにあたることも明らかである。
ヒミコの死をアマテラスの岩戸隠れに対応させると,『火の鳥 黎明編』は「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」とを直結し,アレンジした物語として見ることができるだろう。
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このように「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」とを直結する,という考えは工藤隆の近著『古事記誕生』の中にも登場する。
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工藤隆は『古事記誕生』の中で「ホログラフィー的手法」によってアメノイワヤト神話の成立過程に迫っているのだが,同書第四章「考古学が語る誕生」の「天孫降臨の段との重なり合い」の項で
「この〔B〕部※に登場する神々の多くは,のちの天孫降臨(アマテラスの孫のホノニニギのみことが地上に降臨する)の段に登場する神々と共通している。」(『古事記誕生』172ページ,※〔B〕部=アメノイワヤト神話後半のこと)
「もともとはアメノイワヤト神話と天孫降臨神話は,一続きの物語であったと考えてよいだろう」(『古事記誕生』174ページ)
と述べている。
ここで,工藤隆は同じ主張が以前からあったことには触れていないが,実は大昔からそういった主張はあった。
38年前,松前健が『日本の神々』において「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」の連続性についてこのように述べている:
「天石窟戸説話と天孫降臨説話とは,従来,もともと一つづきの説話であったことが推定されている。倉野憲司氏や三品彰英氏によると,『古事記』の両説話には,その間に出雲神話が介在しているのを取りのぞいてみると,かつて一連の物語であった証拠が数々存する。両説話とも五部神が登場しており,その他,トコヨノオモヒカネやダヂカラヲなどの神々の登場も共通であるし,神器も両話に出てきている。」(『日本の神々』115ページ)
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ここで五部神というのはアメノコヤネ,フトタマ,アメノウズメ,イシコリドメ,タマノヤの5柱の神々である。
また,ここで松前健が触れている倉野憲司,三品彰英はそれぞれ戦前から活躍していた著名な国文学者や歴史学者である。
ということで,「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」が一続きの話というのは,定説ではないにしても,古くからよく知られた説だといえよう。
◆ ◆ ◆
「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」の連続性に触れている点では工藤隆も松前健も同じであるが,両神話に登場する神器に関する意見は大きく異なっている。
古事記および日本書紀のアメノイワヤト神話では神々が作った神器は勾玉と鏡の2つだけであるが,天孫降臨神話では勾玉と鏡と剣の3つが揃っている。
この神器の数の違いについて松前健は倉野憲司の説を引いてこのように述べている:
「倉野氏の説いているように,古くは剣の制作の部分があったのに,のちの,スサノヲの八岐大蛇退治による草薙剣献上の話が出てくるため,わざと削られた形跡がある。」(『日本の神々』116ページ)
「すなわち,『天の安河の河上の堅石を取り,天の金山の鉄を取りて,鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)を求(ま)ぎて,伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に科(おは)せて,鏡を作らしむ』とある,『古事記』の文の,「天津麻羅を求ぎて」のつぎに,本来「剣をつくらしむ」という言葉があったのを,意識的に削り,後の草薙剣の奉呈のための伏線としたのである。」(『日本の神々』同ページ)
これに対し,工藤隆は,勾玉と鏡のセットの方が古い伝承であるとする水野祐『改訂増補 勾玉』の意見や,古墳から三種の神器がセットで見つかることは極めて稀(一件だけ)であるという考古学の知見などをもとに,「勾玉と鏡だけというのが古層の伝承」という意見を述べている(『古事記誕生』179~188ページ)。
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◆ ◆ ◆
一見すると,神器の数に関して両者の意見が対立しているように見えるが,小生は両者の意見を融合することは可能だと思っている。つまり:
- 古層(青銅器文化流入後)の伝承では,勾玉と鏡だけが神器であったが,古代の近代(飛鳥・奈良時代)に近づくに従って,剣も神器に加わった。
- この時点では「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」のいずれにも三種の神器がセットで登場していた。
- しかし,「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」の間に出雲神話群(スサノオの八岐大蛇退治~オオクニヌシ)が挿入され,草薙剣の奉呈の話が入ったため,つじつま合わせのため,「アメノイワヤト神話」から剣の制作の部分が削られた。
- しかし,剣の制作部分のみを削って,「天津麻羅を求ぎて」を削らなかったため,不自然な文章になってしまった。
というプロセスがあったのではないかと思っているがいかがなものだろうか?
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コメント
古事記をめぐる諸説の紹介、毎回楽しく拝読しております。
今回とくに興味深かったのは『剣の制作部分のみを削って「天津麻羅を求ぎて」を削らなかった』のくだり。
なぜ削らなかったのか?
うっかり忘れていたのか、あるいは神話編纂者の意図的な黙説法だったのか、後者だとすればそれによって何を暗示しようとしたのか。
あれこれ思いめぐらせた次第。
そう言えば、三種の神器のうち草薙剣は壇ノ浦合戦で失われ、ついに発見されなかったとする説がありましたね。
投稿: 拾伍谷 | 2012.10.22 21:12
天津麻羅が何かを製作したにもかかわらず,その何かの製作に関する記述が抜け落ちているという説ですが,小生は単なるケアレスミスではないかと思っております。
ちなみに,本居宣長は『古事記伝』において『日本書紀』第七段第一の一書の記述を参考に,「天津麻羅が矛を製作した」というのが本来の記述で,矛の製作部分が抜け落ちたのだろうと解釈しております。
「此記は矛をば別に此天津麻羅に造らせたりといふ伝なるべくや,然ば此名の下に,矛を作らしむることの有しが,脱たるなるべし」(古事記伝)
投稿: fukunan | 2012.10.23 00:27