中村禎里『胞衣の生命』を読む
胞衣と書いて「えな」と呼ぶ。胞衣とは後産として産み落とされる胎盤・羊膜・臍帯のことである。近年,美容・健康の分野でプラセンタがもてはやされているが,プラセンタとはこの胞衣のうちの胎盤のことである。
胞衣はけがれたものと見なされる一方で,母体内で胎児を守ってきたという経緯から,赤ん坊の分身,そして守護者とも見なされてきた。そんなアンビバレント(ambivalent)な存在であることから,胞衣の取り扱いには様々なバリエーションが生じた。
本書は,縄文時代から近代に至るまでの日本における胞衣の取り扱いや習俗などについてまとめた本である。
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平安時代から近代(大正時代)まで続く胞衣の取り扱い(胞衣納法)の基本形を簡単にまとめると次の通りになる:
1. 胞衣を洗う
2. 胞衣を容器に収める
3. しかるべき場所に胞衣を収納した容器を埋める
もちろん,時代・場所・階級によってこの基本形は大きく変化する。
例えば,崇徳天皇の胞衣の場合,多くの医師・陰陽師が胞衣の埋蔵を主張したにもかかわらず,陰陽師・加茂光平の意見により,家屋の高所に置くことが決定された。
また例えば,室町時代の足利将軍家は吉方の山中の日当たりの良いところに胞衣を埋蔵していたのに対し,江戸時代の庶民は敷居下・床下のような日当たりの悪いところに胞衣を埋蔵していた。
山中の日当たりの良い場所を胞衣の埋蔵場所に選ぶというのは,日陰,住居・門戸の近く等々を避けるという中国の医書の教えに従ったものだが,江戸時代の庶民の間ではこれに従わない埋蔵方法が広がっている。
敷居下・床下に埋蔵するというのは,新生児の分身ともいうべき胞衣の生命力によって新生児を守るという論理であると著者・中村禎理は解釈している。
江戸時代の庶民の間では,今述べたように敷居下・床下への胞衣の埋蔵が行われていたが,その他に,道端への埋蔵ということも行われていた。
道端は人々が踏む場所であり,江戸の医師たちは埋蔵場所として不適切であると主張していたが,庶民の間では「人々が胞衣の埋蔵場所を踏むことで,胞衣および新生児は人々の愛を受ける」という論理が広まっていたらしい。中村禎理はこの論理について,胞衣を遺棄する行動が先にあり,それを正当化するための後付けの論理として成立したものだとみている。
本記事のはじめに述べたことに戻るが,結局のところ,胞衣をけがれたものと見るか,神聖なものとして見るかという両極の間で人々の心は揺れ動き,ある者は胞衣を道端に遺棄して後付けの論理を構築し,ある者は赤ん坊の守護者として家屋のそばに埋蔵するのである。
◆ ◆ ◆
本書の後半では,アジア各地の胞衣納法との比較,胞衣納法と葬法の比較,縄文時代の胞衣納法など,興味深いテーマが展開されている。
ややショッキングな話題としては胞衣食の話が出ている(第九章「胞衣納法と葬法」)。
胞衣納法の第一段階として「胞衣を洗う」という作業があるが,アジア各地では単に水で洗うだけでなく,塩・灰・石灰・レモン汁の添加など胞衣の保存を目的とした作業が加わっている場合がある。日本でも平安時代から江戸時代にかけて水だけでなく,酒で洗うという,胞衣の保存を目的とした作業が行われていた例がある。
こうした胞衣の保存には,胞衣を薬とする,あるいは胞衣を食する目的があったという説もある(池田敏雄説)。中国・フィリピン・日本では胞衣食の事例が報告されている。
中村禎理は胞衣食から族内死人食を連想している。族内死人食とは,一族の死者の遺体を食べることにより死者が生者の血肉となって保存されるという考え(大林太良)に基づくものである。メラネシアでそういう習慣があることが知られているが,古くは東アジア・東南アジアにもそのような例があったという。
本記事のはじめの方に「美容・健康の分野でプラセンタがもてはやされている」と書いたが,よくよく考えれば,ヒトプラセンタの摂取もまた,胞衣食の現代版であるような気がする。
◆ ◆ ◆
『胞衣と生命』は日本人と胞衣の関わり合いをまとめた,非常に面白い本である。
残念なのは難しい漢字に振り仮名がないこと(例えば,「杙上家屋」という言葉は広辞苑にも載っていない。「杙」が「杭」であることが分かれば意味は分かるのだが……),引用した古文の現代語訳がないこと,索引がないこと等である。新しい読者を得るためには面倒でもそういった工夫が必要だろう。
とはいえ,そういった面倒事を差し引いても,読む価値のある本だと思う。
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