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2012.10.29

『平清盛 平家を討て!鹿ケ谷の陰謀』を見た件

今週も『平清盛』を見たわけである。

視聴率が悪いという話を聞くのだが,まあ,戦国や幕末に比べると視聴者があまり親しみを持たない時代だということが最大の理由だろう。

脚本がイマイチの回もあるが,今回の「鹿ケ谷の陰謀」の回は良かった。

どん底の境遇に置かれている頼朝政子の若い二人が(政子主導で)自分たちの明日を見出したとき,権力の頂点に君臨する清盛が明日を見失ってしまうという対照的な姿を描いていて上手いなーと感心した。つまり,今回が平家没落と源氏復活の分岐点というわけである。

あとは重盛が死に,清盛が錯乱し,と凋落が始まるはずである。猛き者も遂には滅びぬ。

ちなみに,平家物語の「猛き者も」という言葉には,「隆盛を極めた者さえ滅びるのだから,弱きものが滅びるのは当然である」という諸行無常のニュアンスが含まれている。

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2012.10.24

内田康夫『汚れちまった道』を読んでいる件

浅見光彦シリーズ30周年記念の舞台は山口県だというので,急いで宮脇書店に行き,購入したのが内田康夫『汚れちまった道』(祥伝社)である。

「防府,萩,長門,美祢,宇部……。
 山口の闇をつなぐ"道"を
 名探偵・浅見光彦が奔る!」(帯より)

浅見光彦が,山口県や中原中也に関する知識ほぼゼロのまま,地方紙記者失踪事件を追って防府に入ってくる,というのが面白い。

浅見光彦は朝9時の「のぞみ」に乗って,広島で「こだま」に乗り換えて,徳山から山陽本線で防府にやってくるのだが,到着したのは午後3時。ずいぶんな長旅である。

朝9:40羽田発のANA693便で山口宇部空港に行き(11時20分着),レンタカー借りて防府に行ったら,あるいは山口宇部空港11:35分発のバスで新山口に行き(12時10分着),山陽本線で防府に向かったらもっと早く着きそうな気がするが,それだと推理小説っぽくないか。やはり推理小説の中での移動はなるべく鉄道で,ということなのかもしれない。

ネタバレになるのであらすじには触れないが,この小説,山口県の住民としては,有名人が近所に来ましたという感じで楽しく読める。難読地名として知られる「特牛(こっとい)」とか,宇部新川駅が出てくると意味もなく「やったー」という気になる。そうそう,角島も登場。

Dscn0753
角島大橋と青く美しい海,2007年5月27日撮影


あと,小生ももともと山口人ではないのだが(もともとは清水人だ),よそ者から見ると山口県はこんな風に見えるのだ,という視点の違いも楽しい。

という訳で防府,山口,萩,長門,美祢,宇部の各市民は家庭に一冊ずつ置くこと。

汚れちまった道汚れちまった道
内田康夫

祥伝社 2012-10-10
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この小説,「世界初」「世界唯一」のミステリーを標榜しているのだが,それはなぜかというと,光文社から『萩殺人事件』というもう一冊の山口を舞台としたミステリーが同時刊行されており,『汚れちまった道』と『萩殺人事件』の二冊が関係し合うという仕掛けがなされているからである。

『汚れちまった道』と『萩殺人事件』の2つが交錯する……名付けてヤマグチ・クロス

小生が名付けたんじゃなくて,帯とチラシに書いてある。

というわけで,『萩殺人事件』も揃えなくてはいけなくなった。

萩殺人事件萩殺人事件
内田康夫

光文社 2012-10-10
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2012.10.22

アメノイワヤト神話と天孫降臨神話は直結していた

手塚治虫の『火の鳥 黎明編』ではヤマタイ国が高天原族の侵略を受け滅亡する有様が描かれている。

ヒミコ女王の弟はスサノオと言い,このことからヒミコは古事記におけるアマテラスに該当することは明らかである。そして高天原族の王はニニギと言い,天孫降臨神話のホノニニギにあたることも明らかである。

ヒミコの死をアマテラスの岩戸隠れに対応させると,『火の鳥 黎明編』は「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」とを直結し,アレンジした物語として見ることができるだろう。

火の鳥 1・黎明編火の鳥 1・黎明編
手塚 治虫

朝日新聞出版 2009-05-20
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このように「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」とを直結する,という考えは工藤隆の近著『古事記誕生』の中にも登場する。

古事記誕生 (中公新書)古事記誕生 (中公新書)
工藤 隆

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工藤隆は『古事記誕生』の中で「ホログラフィー的手法」によってアメノイワヤト神話の成立過程に迫っているのだが,同書第四章「考古学が語る誕生」の「天孫降臨の段との重なり合い」の項で

「この〔B〕部※に登場する神々の多くは,のちの天孫降臨(アマテラスの孫のホノニニギのみことが地上に降臨する)の段に登場する神々と共通している。」(『古事記誕生』172ページ,※〔B〕部=アメノイワヤト神話後半のこと)
「もともとはアメノイワヤト神話と天孫降臨神話は,一続きの物語であったと考えてよいだろう」(『古事記誕生』174ページ)

と述べている。

ここで,工藤隆は同じ主張が以前からあったことには触れていないが,実は大昔からそういった主張はあった。

38年前,松前健が『日本の神々』において「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」の連続性についてこのように述べている:

「天石窟戸説話と天孫降臨説話とは,従来,もともと一つづきの説話であったことが推定されている。倉野憲司氏や三品彰英氏によると,『古事記』の両説話には,その間に出雲神話が介在しているのを取りのぞいてみると,かつて一連の物語であった証拠が数々存する。両説話とも五部神が登場しており,その他,トコヨノオモヒカネやダヂカラヲなどの神々の登場も共通であるし,神器も両話に出てきている。」(『日本の神々』115ページ)
日本の神々 (中公新書 (372))日本の神々 (中公新書 (372))
松前 健

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ここで五部神というのはアメノコヤネ,フトタマ,アメノウズメ,イシコリドメ,タマノヤの5柱の神々である。

また,ここで松前健が触れている倉野憲司三品彰英はそれぞれ戦前から活躍していた著名な国文学者や歴史学者である。

ということで,「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」が一続きの話というのは,定説ではないにしても,古くからよく知られた説だといえよう。


  ◆   ◆   ◆


「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」の連続性に触れている点では工藤隆も松前健も同じであるが,両神話に登場する神器に関する意見は大きく異なっている。

古事記および日本書紀のアメノイワヤト神話では神々が作った神器は勾玉と鏡の2つだけであるが,天孫降臨神話では勾玉と鏡と剣の3つが揃っている。

この神器の数の違いについて松前健は倉野憲司の説を引いてこのように述べている:

「倉野氏の説いているように,古くは剣の制作の部分があったのに,のちの,スサノヲの八岐大蛇退治による草薙剣献上の話が出てくるため,わざと削られた形跡がある。」(『日本の神々』116ページ)
「すなわち,『天の安河の河上の堅石を取り,天の金山の鉄を取りて,鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)を求(ま)ぎて,伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に科(おは)せて,鏡を作らしむ』とある,『古事記』の文の,「天津麻羅を求ぎて」のつぎに,本来「剣をつくらしむ」という言葉があったのを,意識的に削り,後の草薙剣の奉呈のための伏線としたのである。」(『日本の神々』同ページ)

これに対し,工藤隆は,勾玉と鏡のセットの方が古い伝承であるとする水野祐『改訂増補 勾玉』の意見や,古墳から三種の神器がセットで見つかることは極めて稀(一件だけ)であるという考古学の知見などをもとに,「勾玉と鏡だけというのが古層の伝承」という意見を述べている(『古事記誕生』179~188ページ)。

勾玉勾玉
水野 祐

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  ◆   ◆   ◆


一見すると,神器の数に関して両者の意見が対立しているように見えるが,小生は両者の意見を融合することは可能だと思っている。つまり:

  1. 古層(青銅器文化流入後)の伝承では,勾玉と鏡だけが神器であったが,古代の近代(飛鳥・奈良時代)に近づくに従って,剣も神器に加わった。
  2. この時点では「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」のいずれにも三種の神器がセットで登場していた。
  3. しかし,「アメノイワヤト神話」と「天孫降臨神話」の間に出雲神話群(スサノオの八岐大蛇退治~オオクニヌシ)が挿入され,草薙剣の奉呈の話が入ったため,つじつま合わせのため,「アメノイワヤト神話」から剣の制作の部分が削られた。
  4. しかし,剣の制作部分のみを削って,「天津麻羅を求ぎて」を削らなかったため,不自然な文章になってしまった。

というプロセスがあったのではないかと思っているがいかがなものだろうか?

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2012.10.20

ココナッツクッキーの値段が上がっている件

某大学生協で手作りっぽいココナッツクッキー(某社会福祉法人謹製)を買ってみたわけである。

Dsc_1414

100グラム230円なので,手作りっていうのは割高やなぁ,そんなものかと思っていたら,値札シールの下に値札シールが貼ってあるのを発見。

上の値札シールをはがすと,

Dsc_1415

175円?!

値上がっとるやないけ!


普通,店頭で値札シールが重ね張りしてある場合は,値下がりするものではなかったでしょうか?

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2012.10.16

工藤隆『古事記誕生』を読む

先日紹介した工藤隆『古事記の起源』(中公新書)に続き,同じ著者の『古事記誕生』を読んでいる。

これもまた「古事記誕生1300年」を記念して出版された書籍の一つである。

前著『古事記の起源』では「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」という新しいアプローチによって,古事記の内容,成立過程に迫っていたが,それから数年を経て本書では何か新しい展開が示されているのだろうか?

古事記誕生 (中公新書)古事記誕生 (中公新書)
工藤 隆

中央公論新社 2012-03-23
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前著との共通部分

結論から言えば,本書は,前著の強化増補版である。古代を

 古代の古代: 縄文・弥生・古墳時代(無文字)
 古代の近代: 飛鳥・奈良時代(漢字文化)

に分け,古事記を「古代の古代」にあった「生きている神話」(古層)の部分と「古代の近代」に書かれた部分(表層)とに腑分けしながら,古事記の成立過程を把握しようと試みるという姿勢は揺るぎない。

本書ではこのアプローチを「ホログラフィー的手法」と呼んでいるが,呼び名が新しくなっただけで,前著と本書のアプローチに差はない。また,このアプローチがなぜ必要なのかという意識や背景にも違いはない。

それ故に,前著と本書の内容は似ざるを得なくなる。前著とほぼ完全に重複する記述も多々見られる。例えば,第1章第3節の「政治的リアリズムの強化」の項(33~36ページ)や,「『記序』全文を解読する」の項(45~56ページ)は,前著の該当箇所とほぼ同じ文章である。

手抜きのような気がしないでもないが,前著『古事記の起源』を読んでいない者に対する親切として受け止めておく。

前著との違い

前著と違うのは,「古事記の誕生」を「点としての誕生」と「線としての誕生」に分け,本文の約三分の一を前者の議論に充てているところである。

点としての誕生」とは,古事記が和銅5年正月28日(712年3月13日)に誕生したというのは本当かどうかという「時点」を限定した議論である。

線としての誕生」とは著者が前著から展開しているような,古事記が無文字時代から漢字文化の時代にかけてどのように成立していったのかという「過程」の議論である。

著者の本領が発揮されるのは「線としての誕生」に関する議論である。

しかし,近年「古事記偽書説」や「少なくとも序文は偽書」説などを唱える書籍が登場していることに対して,反論を加える必要があると著者は考え,第1章ほぼ70頁を割いて「点としての誕生」について議論している。

著者・工藤隆が論争相手として選んでいるのは三浦佑之『古事記のひみつ』(吉川弘文館)・『古事記を読みなおす』(ちくま新書)である。

古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)
三浦 佑之

吉川弘文館 2007-03
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古事記を読みなおす (ちくま新書)古事記を読みなおす (ちくま新書)
三浦 佑之

筑摩書房 2010-11-10
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三浦佑之は古事記の序文,すなわち太安万侶が書いたとされる『記序』の偽書説をとっている。『記序』偽書説の論拠として

  • 『記序』が全く出雲神話に触れていないこと
  • 古事記本文中の取るに足りない事跡が『記序』の中で重要な事跡として取り上げられているという齟齬
  • 『記序』の記述を信じるとすると,天武天皇が古事記と日本書紀という方向性の全く異なる史書の編纂事業を同時に行おうとしていたことになるという問題

等を示しているが,工藤隆はそれぞれについて反駁している。どちらの理が通っているか,については読者諸氏が判断するべきことだが,こういう議論があるから,古事記の話は面白い。

アメノイワヤト神話に対する集中的考察

前著『古事記の起源』では古事記の様々な部分に対して「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」という手法(本書では「ホログラフィー的手法」と呼んでいる)を適用していた。

これに対し,本書では「点としての誕生」の議論を終えたのち,第3章から第5章に渡ってアメノイワヤト神話を対象に,集中的にこの手法を適用して議論を展開している。

アメノイワヤト神話というのは,イザナギの両目と鼻から三貴子(アマテラス,ツクヨミ,スサノオ)が誕生する場面から,アマテラスが「天岩戸」に隠れてしまうという事件に至るまでの神話である。

著者は「ホログラフィー的手法」によってアメノイワヤト神話を詳細に分析し,縄文・弥生・古墳各時代の文化を含んだ古層を発掘している。

そしてさらに第5章において中国少数民族,すなわち原型保存型民族の神話の中にアメノイワヤト神話に含まれる神話素の源流を見出している。

折口信夫への尊敬の念

前著のあとがきにもあったことだが,本書のあとがきにも折口信夫への尊敬の念が記されていた。

著者・工藤隆が「五十の手習い」で中国語を学習し,中国の奥地まで「生きた神話」の収集に行き,自動車転落事故に遭遇しながらも調査活動を継続している,という話には,感嘆のみならず感動すら覚える。

しかし,著者の頭の中にあるのは,時代の制約の中で沖縄・台湾にまで調査に行った折口信夫への尊敬の念である。

「もし折口が現代に壮年期を生きていたら,間違いなく,長江流域の少数民族の村にまで足を踏み入れたことであろう。そして折口が,長江流域少数民族の,生きている歌垣や神話の現場や,アニミズム・シャーマニズム系の呪術の現場に身を置いたら,どれほど心を動かされ,それがその後の彼の理論展開にどれほど多くの変化をもたらしたことであろうか。」(本書253ページ)

著者は折口信夫の幻視を追い,さらに先へと歩を進めていく。アカデミズムのあるべき姿なのかもしれない。

折口信夫――いきどほる心 (再発見 日本の哲学)折口信夫――いきどほる心 (再発見 日本の哲学)
木村 純二

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「特任研究員」伝説

その1

さて,これはフィクションであるが,ある時,定年を間近に控えたA社の重役B氏が,第二の人生は研究者として生きて行こうと決意した。

B氏はX大学の某教授を訪ね,自分の思い描いた研究テーマを披露した。某教授はこの研究テーマを研究プロジェクトとして実施する企画を立案した。B氏は,この研究プロジェクトに資金を提供するよう,A社の研究管理部門を説得した。

このあと,B氏は定年を迎え,形式的な採用プロセスを経て特任研究員となった。もしもB氏が学位を持っていたら,「特任教授」におさまっていた可能性もあった。

B氏は生きがいと名誉を得,某教授は外部資金を得,X大学は間接費を得た。


その2

さて,これはフィクションであるが,コンサルタント企業の社員であるC氏は調査プロジェクトの企画立案と実施を得意としていた。

ある時,某機関が大規模な調査プロジェクトを公募した。C氏は知り合いのX大学某教授になり代わり,調査プロジェクトのポロポーザルを作成し,某機関に提出した。

某機関は某教授(実際はC氏)によるポロポーザルを採択した。某教授のもとで調査プロジェクトは開始され,C氏は特任研究員としてプロジェクトに従事することになった。

C氏はこの調査プロジェクト期間中,最高学府として名高いX大学の看板によって,さらに多くのコンサルティングの仕事を得ることに成功した。


その3

さて,これはフィクションであるが,ある時,日本有数の電機メーカーで研究開発部門のリストラが検討された。

同じ頃,教育省がX大学に対し,産学連携で世界最高水準のシミュレーション技術を開発する大型プロジェクトを委託した。

X大学は電機メーカーと共にこの大型プロジェクトを実施することにした。X大学は最新設備と研究作業者としての学生たちを,電機メーカーは専門家たちを提供することになった。

電機メーカーの研究開発部門から10人の研究者たちがX大学に派遣され,特任教授,特任研究員という地位を得た。と同時に,電機メーカーは10人分のリストラを実現した。

X大学は大型プロジェクト予算の一部を管理費として受け取り,学内施設の拡充を行った。

こうして,X大学と電機メーカーはともに大型プロジェクトの恩恵を享受した。

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2012.10.15

こうの史代『ぼおるぺん古事記』を読む

今年は古事記誕生1300年の年である。そのため,古事記に関する書籍が多数出版されている。

数多くの古事記関連書籍の中で,最高傑作ともいえるのは,こうの史代『ぼおるぺん古事記』(平凡社)ではないかと思う。

ぼおるぺん 古事記 一ぼおるぺん 古事記 一
こうの 史代

平凡社 2012-05-27
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ボールペンで丁寧に書き込まれた漫画。

漫画だが,古事記本文を忠実に正確に描き出している作品である。

古代にこんなキャラいるかよ,という服装の神々も登場する(オオゲツヒメが割烹着を着ていたり,オオコトオシヲがモーニングを着ていたりする)が,それぞれちゃんと役割に応じた服装なので,理屈は通っている。

アマテラスの顔が真ん丸だったり,ツクヨミの顔が三日月形だったりするのも極端な表現かもしれないが,日月を司るという役割をすぐに思い出させてくれ,便利なインデックスの役割をしている。

ぼおるぺん古事記 (二): 地の巻ぼおるぺん古事記 (二): 地の巻
こうの 史代

平凡社 2012-09-27
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古事記をやさしく書き直した本や解説本では,古事記の文章を一部カットしていることが多いが,本書はほぼ完璧に原文通りに再現している。古事記に造詣が深い人でも忘れてしまうような細かいことも描かれているので,座右に置いても良い。というか置くべきである。

11月には3巻目が出るので,待ち遠しい。

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東京大学特任研究員というお仕事

本家・京大山中教授のノーベル賞受賞のニュースより大きくなってしまって,ネット上では「京大に対する東大の刺客」とも言われている森口某先生の一連のニュース。

マスメディア関係の人々が森口某先生を信用してしまった理由の一つとして,「東京大学特任研究員」や「東京大学特任教授」といった肩書があったことは確実である。

「東京大学」というのは今もなお確固たるブランド。東京大学の先生ともなれば雲の上の存在であるかのように思う人もいる。

しかし,東大というのは意外にオープンなところで,「特任教授」はややハードルが高いが,「特任研究員」ならわりと簡単になれる(参照:「「客員」「特任」研究員とは何者か 実は比較的簡単に得られる肩書きだった」J-CASTニュース,2012年10月15日)。

  ◆   ◆   ◆


東大の特任研究員というのは「東京大学特定有期雇用教職員の就業に関する規程」に定められた教職員で,この規定の中で:

第7条 特任研究員とは、プロジェクト等において、専ら研究に従事する者をいう

と定義されている。「プロジェクト等」というのは,民間企業や政府機関などからの「外部資金」による共同研究,受託研究,あるいは寄付講座等のことである。

特任研究員の採用の仕方だが,これは同規定の中ではとくに決められていない。

同規定の中で「特任教員」つまり特任教授・特任准教授……の選考の仕方として「東京大学教員の就業に関する規程」第3条の適用,つまり,

第3条 大学教員の採用及び昇任の選考は、教授会が行う

ことが定められているので,常識的にはこれに準じて選考するのだろう。

小生の見聞と上述の規定とを踏まえると,東大の特任研究員採用の常識的プロセスは次のようなものとなる:

  1. 民間企業/政府機関による資金によって研究プロジェクトが立ち上げられる
  2. 同研究プロジェクトに専念するための特任研究員が公募される
  3. 応募者の中から適任者が選ばれ,教授会で採用が決定される

実際,東大では一年を通じて大量の特任研究員の公募が行われている。大多数の特任研究員はこういったプロセスを経て採用され,業績を蓄積し,やがてテニュアを獲得していくのだろう。

だが,「東京大学特定有期雇用教職員の就業に関する規程」において特任研究員の採用の仕方が定められていないということは,今述べたような常識的プロセスによらず,わりと自由に採用できる,ということでもある。

朝日新聞はこのように報道している:

「特任」とは,特定の研究を目的とする寄付講座や研究プロジェクトのために雇われるポストで,何もつかない「准教授」や「教授」に比べると選考基準がかなり甘い。国立大学の法人化や定員削減の影響で寄付講座が増え,「特任」や「客員」も増えている。森口氏はそうした「肩書バブル」をうまく活用していたようだ。(2012年10月14日,朝日新聞)


  ◆   ◆   ◆


「特任制度」のあまりの自由度の高さが森口某先生に利用されてしまったような感じの一連の事件である。森口某先生がどのようにして特任研究員,特任教授になられたのか,そのあたりのプロセスはマスコミの方々が明らかにしてくれるものと思う。


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2012.10.13

工藤隆『古事記の起源』の特徴

昨日の記事で紹介したように,工藤隆『古事記の起源』(中公新書)の中核を為すのは,「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」の実例紹介である。

このアプローチが古事記冒頭部分の神々の系譜や,イザナギの黄泉降り,ヤマトタケルの死など古事記の各エピソードに適用されるとき,我々は無文字時代の日本神話の姿を垣間見ることができる。

こうした実例を見せてくれるだけでも刺激的であるが,本書は(1)「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」というアプローチ手法の意義や,(2)古事記の古代的意義と現代的意義を熱く語っているという点でも,特異な本であるといえるだろう。

古事記の起源―新しい古代像をもとめて (中公新書)古事記の起源―新しい古代像をもとめて (中公新書)
工藤 隆

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口誦表現モデルによるアプローチの意義

著者は第1章において,従来型の研究,例えば古事記に関わる事実資料の参照や古事記の言語表現の諸関係に力点をおいた「基礎研究作業」はほぼやり尽くされ,もはや飽和状態になりつつある,と述べている。つまり,従来型のアプローチを続ける限り,もはや新しい成果は生まれないであろうという危機感を持っている。

この危機感から生まれたのが,本書で紹介される「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」というアプローチである。中国少数民族(工藤は「原型生存型民族」と呼んでいる)の「生きている神話」や琉球の神歌を参考に口誦表現モデルを構成し,古事記の古層,つまり無文字時代の日本神話の姿を探る,という手法である。

本書の「おわりに」において,著者は「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」すなわち「モデル論的研究」を「ポスト国文学」の新たな可能性として位置付けている。

すなわち,本書は古事記研究が行き詰まりつつある中で,新たな研究手法を提案する「危機の時代の書」という意義を持っている。


古事記の古代的意義と現代的意義

本書の「結」「おわりに」の記述をもとに著者の考える古事記の古代的意義と現代的意義を展開すると以下のようになるだろう。

古事記自体もまた「危機の時代の書」である。古事記が編纂された時代は,律令制が整備されつつある時代で,いわば,古代における近代化(中国化)が推進されていた時代である。無文字時代から続く伝統文化は消滅の危機にあった。

この時,伝統文化消滅の危機意識を持つ太安万侶は,危機意識を共有する元明天皇の支持を受けて,神話的ユートピア志向の強い書物,古事記を編纂したのである。古事記によって,無文字時代からの伝統文化は保存された。これが古事記の古代的意義である。

近代に入ってからも古事記は同様の意義をもった。すなわち,幕末明治の近代化(西洋化)の流れの中で,日本の伝統文化,日本人としてのアイデンティティーを守るよすがとなったのが古事記である。ただ,古事記を貫く非リアリティ性は,やがて肥大し極端な国粋主義に転じ,第二次世界大戦に至ることとなる。

現代においても古事記は古代・近代に持っていたのと同じような意義を持つ。現在,日本はグローバル化の波に洗われ,アイデンティティー喪失の危機に陥っている。

そんな中で,古事記は「自然との共生,節度ある欲望,二項対立とは別な中間領域を許容する思考,本格宗教にのめり込みにくいアニミズム・シャーマニズム的感性,恋歌文化の柔らかな美意識」(287ページ)といった日本文化の特徴の結晶体として,日本人のアイデンティティーを保持する意義がある。

すなわち,古事記は古代・近代・現在のいずれの「危機の時代」においても,日本人のアイデンティティーを支えるという役割を担っている,というのが本書『古事記の起源』の主張である。

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2012.10.12

工藤隆『古事記の起源』を読む

広島への出張の合間に工藤隆の『古事記の起源』(中公新書1878)を読んだ。

神話の本来の姿は,メロディーに乗せ声に出して歌う歌だ,というのが本書の主張である。

そして,イ族・ヌー族・ハニ族・ペー族といった中国少数民族に残る「歌う神話」の調査をもとに,口誦(こうしょう)表現モデルを作り,古事記に記された神話の原型(古層)を推測しようというのが,本書の試みである。

古事記の起源―新しい古代像をもとめて (中公新書)古事記の起源―新しい古代像をもとめて (中公新書)
工藤 隆

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著者の考えに従えば,古代と言っても,縄文・弥生・古墳時代という無文字時代と飛鳥・奈良時代という漢字文化の時代に分けて考えなくてはならない。著者は

 古代の古代: 縄文・弥生・古墳時代(無文字)
 古代の近代: 飛鳥・奈良時代(漢字文化)

というように分けて考える。そして,古事記を「古代の古代」にあった「歌う神話」(別の表現では「生きている神話」あるいは古層)の部分と「古代の近代」に書かれた部分(表層)とに腑分けしながら,古事記の成立過程を把握しようと試みている。


従来の古事記に対するアプローチとしては例えば,構造主義的・記号論的アプローチがあった。

例えば,以前「西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)を読む」(2011年5月13日)で紹介したように,西郷信綱が『古事記の世界』で展開したのは,古事記・日本書紀等の言葉遣いについて注意を注ぎつつも,記述の細かな違いにとらわれるのではなく,それらに共通する「構造」の発見に努める,という手法であった。

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西郷 信綱

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また先月の記事「吉田敦彦『日本神話の源流』を読む」(2012年9月9日)で紹介したように,吉田敦彦はデュメジルの「三機能的構造」説を日本神話に適用して,日本神話とギリシャ神話・ナルト叙事詩との構造的類似性を示した。

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吉田 敦彦

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しかし,工藤隆が『古事記の起源』で示すのは全く新しいアプローチである。

イ族・ペー族等の中国少数民族(工藤は「原型生存型民族」と呼んでいる)の「生きている神話」や琉球の神歌などをもとに,口誦表現モデルをつくり,古事記の古層を推測しようというのである。

本書の第二部,第4章から第10章は,口誦表現モデルによって古事記の古層を推測した実例集である。本記事では一例だけ紹介しよう。


  ◆   ◆   ◆


古事記本文は「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時,……」という言葉で始まり,このあと,アメノミナカヌシの神から始まってイザナギ・イザナミまで17柱の神々が登場する。

工藤隆は神田秀夫の「葦かびの序歌」をヒントとして,この神々の名前は実は天地創成の情景を擬人化(擬神化)したものではないかとみている。そしてまた,琉球やリス族の神歌における「同内容別表現の対」をヒントとして,神々の名は本来は対で登場しているのではないかと考えている。

こうしてできた口誦表現モデルによる古事記冒頭の部分の再現版が下の表である。ここで,「神」や「命」などの尊称は外している。また,神名A~D,表現A~Cは古事記の中では消滅している神の仮名や表現である。

セット 神名 意味
1 アメノミナカヌシ
神名A(例えば,クニノミナカヌシ)
真ん中に主のように
同内容別表現
2 タカミ ムスヒ
カミ ムスヒ
生れ出た
生れ出た
3 国稚(わか)く
表現A
大地が稚く
同内容別表現
4 浮きし脂の如くして
表現B
浮いている脂のようであり
同内容別表現
5 くらげなすただよえる
表現C
クラゲのように漂っていた
同内容別表現
6 葦牙(あしかび)の如く萌えあがる
ウマシアシカビ
葦の芽のように萌え出てきた
うるわしい葦の芽が
7 アメノ トコタチ
クニノ トコタチ
しっかりと立った
しっかりと立った
8 トヨクモノ
神名B(例えば,トヨカブノ)
根が豊かに組み合わさった
同内容別表現
9  ウヒヂニ
妹スヒヂニ
泥土に
泥土に
10  ツノグヒ
妹イクグヒ
杭を打ち込んだ
杭を打ち込んだ
11  オホトノヂ
妹オホトノベ
立派な門あるいは戸,または処(場所),または性器
立派な門あるいは戸,または処(場所),または性器
12  オモダル
妹神名C(例えば,オモテダル)
(建物あるいは顔)が整った(完成した)
同内容別表現
13  神名D(例えば,アナカシコネ)
妹アヤカシコネ
同内容別表現
なんとまあ畏れ多いことだ
14  イザナギ
妹イザナミ
いざ(さあ,どうぞ)
いざ(さあ,どうぞ)

古事記では,アメノミナカヌシ,タカミムスヒ,カミムスヒを三柱の独神(ひとりがみ),さらにウマシアシカビとアメノトコタチとを加えて五柱の別天つ神(ことあまつかみ),そしてクニノトコタチからイザナギ・イザナミに至る神々を神代七代(かみよななよ)とまとめている。

このように3, 5, 7という数字で整理するのは,古事記編纂の時代,つまり「古代の近代」に入ってきた陰陽思想に基づくものであろうという。

つまり,古事記編纂時には「同内容別表現の対」という口誦表現は厳密には守られなくなり,神々の名も整理統合され,「古代の近代」的な意識で神話が整理されたというわけである。


  ◆   ◆   ◆


本書のコアの部分は「口誦表現モデルによる古事記の古層推測」であり,それだけでも刺激的な内容であるが,本書の「はじめに」「序論」「結」「おわりに」では,古事記研究における本アプローチの意義,さらに古事記の古代的意義と現代的意義とが熱く語られている。その点については稿を改めて紹介したい。

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2012.10.09

『松丸本舗主義』届く

連休が明けたところで,注文していた『松丸本舗主義』が届いた。

本屋を支えるためには本屋で購入するべきなのだろうが,今回はアマゾンで予約注文したわけである。

本書はソフトカバーで500頁を超える大部である。

以下のような4章構成になっている:

第1章「松丸本舗の旋法」は松岡正剛による松丸本舗三年間の回顧録。

第2章「松丸本舗全仕事」は棚づくりやイベントなど,松丸本舗スタッフが試みた活動をまとめたもの。

第3章「気分は松丸本舗」は松丸本舗のファンだった各界著名人からのメッセージ集。隈研吾もいるし,華恵もいるし,小飼弾もいるし,森村泰昌もいる。

第4章「松丸本舗クロニクル」は松丸本舗1074日間の年表。

松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。
松岡正剛

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口絵,そして第1章と第2章の間には,在りし日の松丸本舗の店内の風景を写したカラー写真が飾られている。

これらの本棚やディスプレーの写真を眺めていると,こんな夢のような書店がついこの間まで存在したのだなぁ,という感慨に襲われる。

第3章「気分は松丸本舗」で町田康はこう言っている:

「稀有な書店であるが,これこそが書店であると思った。松丸本舗はそのような書店であった。そのような書店が一時的にせよあってそこで本を買った人が大勢いたことはよかったことだ,と私は底から思っている。うくく。」(本書456頁)

これまでに松丸本舗を訪れた人々も同じ思いだろう。


松丸本舗は本当に終わりなのか?

「あとがき」によれば,松岡正剛は松丸本舗はそのうちに姿を変えていくだろうと考えていたようだ。したがって,閉店を残念に思うと同時に,彼のプロジェクトの新たな段階への一区切りとしてもとらえているようである。

「松丸の起承転結はここで閉じるわけではないのだ。これはお茶や相撲でいう『中入り』なのだ」(本書513頁)

月並みな言い方だが,奇跡の三年の間にばらまかれた松丸本舗の種子は新たな場所で根を下ろし花を咲かせるのだろう。

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2012.10.07

中村禎里『胞衣の生命』を読む

胞衣と書いて「えな」と呼ぶ。胞衣とは後産として産み落とされる胎盤・羊膜・臍帯のことである。近年,美容・健康の分野でプラセンタがもてはやされているが,プラセンタとはこの胞衣のうちの胎盤のことである。

胞衣はけがれたものと見なされる一方で,母体内で胎児を守ってきたという経緯から,赤ん坊の分身,そして守護者とも見なされてきた。そんなアンビバレント(ambivalent)な存在であることから,胞衣の取り扱いには様々なバリエーションが生じた。

本書は,縄文時代から近代に至るまでの日本における胞衣の取り扱いや習俗などについてまとめた本である。

胞衣(えな)の生命(いのち)胞衣(えな)の生命(いのち)
中村 禎里

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平安時代から近代(大正時代)まで続く胞衣の取り扱い(胞衣納法)の基本形を簡単にまとめると次の通りになる:

1. 胞衣を洗う
2. 胞衣を容器に収める
3. しかるべき場所に胞衣を収納した容器を埋める

もちろん,時代・場所・階級によってこの基本形は大きく変化する。

例えば,崇徳天皇の胞衣の場合,多くの医師・陰陽師が胞衣の埋蔵を主張したにもかかわらず,陰陽師・加茂光平の意見により,家屋の高所に置くことが決定された。

また例えば,室町時代の足利将軍家は吉方の山中の日当たりの良いところに胞衣を埋蔵していたのに対し,江戸時代の庶民は敷居下・床下のような日当たりの悪いところに胞衣を埋蔵していた。

山中の日当たりの良い場所を胞衣の埋蔵場所に選ぶというのは,日陰,住居・門戸の近く等々を避けるという中国の医書の教えに従ったものだが,江戸時代の庶民の間ではこれに従わない埋蔵方法が広がっている。

敷居下・床下に埋蔵するというのは,新生児の分身ともいうべき胞衣の生命力によって新生児を守るという論理であると著者・中村禎理は解釈している。

江戸時代の庶民の間では,今述べたように敷居下・床下への胞衣の埋蔵が行われていたが,その他に,道端への埋蔵ということも行われていた。

道端は人々が踏む場所であり,江戸の医師たちは埋蔵場所として不適切であると主張していたが,庶民の間では「人々が胞衣の埋蔵場所を踏むことで,胞衣および新生児は人々の愛を受ける」という論理が広まっていたらしい。中村禎理はこの論理について,胞衣を遺棄する行動が先にあり,それを正当化するための後付けの論理として成立したものだとみている。

本記事のはじめに述べたことに戻るが,結局のところ,胞衣をけがれたものと見るか,神聖なものとして見るかという両極の間で人々の心は揺れ動き,ある者は胞衣を道端に遺棄して後付けの論理を構築し,ある者は赤ん坊の守護者として家屋のそばに埋蔵するのである。


  ◆   ◆   ◆


本書の後半では,アジア各地の胞衣納法との比較,胞衣納法と葬法の比較,縄文時代の胞衣納法など,興味深いテーマが展開されている。

ややショッキングな話題としては胞衣食の話が出ている(第九章「胞衣納法と葬法」)。

胞衣納法の第一段階として「胞衣を洗う」という作業があるが,アジア各地では単に水で洗うだけでなく,塩・灰・石灰・レモン汁の添加など胞衣の保存を目的とした作業が加わっている場合がある。日本でも平安時代から江戸時代にかけて水だけでなく,酒で洗うという,胞衣の保存を目的とした作業が行われていた例がある。

こうした胞衣の保存には,胞衣を薬とする,あるいは胞衣を食する目的があったという説もある(池田敏雄説)。中国・フィリピン・日本では胞衣食の事例が報告されている。

中村禎理は胞衣食から族内死人食を連想している。族内死人食とは,一族の死者の遺体を食べることにより死者が生者の血肉となって保存されるという考え(大林太良)に基づくものである。メラネシアでそういう習慣があることが知られているが,古くは東アジア・東南アジアにもそのような例があったという。

本記事のはじめの方に「美容・健康の分野でプラセンタがもてはやされている」と書いたが,よくよく考えれば,ヒトプラセンタの摂取もまた,胞衣食の現代版であるような気がする。


  ◆   ◆   ◆


『胞衣と生命』は日本人と胞衣の関わり合いをまとめた,非常に面白い本である。

残念なのは難しい漢字に振り仮名がないこと(例えば,「杙上家屋」という言葉は広辞苑にも載っていない。「杙」が「杭」であることが分かれば意味は分かるのだが……),引用した古文の現代語訳がないこと,索引がないこと等である。新しい読者を得るためには面倒でもそういった工夫が必要だろう。

とはいえ,そういった面倒事を差し引いても,読む価値のある本だと思う。

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2012.10.03

かつて「松丸本舗」という書店があった

2012年9月30日。東京駅近くのオアゾにあった松丸本舗が三年間の歴史に幕を閉じた。

【News】9月30日(日)『松丸本舗、千客万来』」(セイゴオチャンネル,2012年9月27日)

閉店に至る事情は新聞などで報道されているので,ここでは触れない。

松岡正剛プロデュースの前代未聞の本屋としていろいろな試みをしていた。小生が楽しんでいたのは本の詰め合わせセットである。

たとえば,ツマからクリスマスにもらった「天界物語八冊組」(松丸本舗ブックギフト・プロジェクト):

Seigow01

↑「【クリスマスプレゼント】天界物語八冊組【セイゴウ・セレクト】」(2010年12月23日)より


または,今年の正月に購入した杉浦康平による本の福袋:

松丸本舗・本の福袋:杉浦康平

↑「松丸本舗・本の福袋:杉浦康平」(2012年1月8日)


松丸本舗自体も本の詰め合わせ的なものだった。いやむしろ,本の詰め合わせセットの方が松丸本舗のミニチュアだったのかもしれない。松丸本舗では,どの棚にも「本をひとりぼっちにさせない」という「編集」の精神があった。

本を自分で選ぶのではなく,本の目利き達に任せてみるというのは,スリリングであるし,自分では思いつかないような新しい本との出会いがあって,とても楽しいことだ。こういう体験が無くなると思うと,とても残念である。

ビッグデータの分析結果によって本をリコメンドするといのは確率・統計の応用であって,そこには「編集」の精神は無い。マーケティング的にはその方が正しいのだけれど。


  ◆   ◆   ◆


松丸本舗では凝ったチラシやパンフレットを配布していたが,小生はこれが気に入っていて今も手元に置いている:

Img007

裏表紙(右半分)は松丸本舗の見取り図で,どの棚がどういう意図で設計されているかが読み取れる。

このパンフレット「松丸本舗 『千夜千冊 本殿』 虎の巻」のメインコンテンツは本のスタンプラリーである。

かの名高い「千夜千冊」で紹介された本のリストが再編集されていて,「千夜千冊」の文章と一緒に本をどんどん読んでチェックマークをつけていきましょう,という内容になっている。

下にリストの一部を示すが,上段が千夜千冊での番号と表題,中段が著者,下段が書名である。

Img008

千夜千冊」の該当する記事を読んだら上段をチェック,同じ著者の違う本を読んだら中段をチェック,同じ著書を読んだら下段をチェックするというしくみである。


小生が知らないだけで,他にも様々な試みがあったに違いないが,経済的な事情で閉じることになったようだ。

本ブログを書き始めたころ,青山ブックセンターが閉店したことに関して「本屋で本を買わう」(2004年7月21日)という記事を書いたことがある。いい本屋だと思ったら買い支えないとダメだな。


というわけで,松丸本舗様,三年間,ありがとうございました。

松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。
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