エチオピア映画『テザ 慟哭の大地』を見てきた
最近,映画ばかり見ている。今回はYCAMでエチオピア映画『テザ 慟哭の大地』(ハイレ・ゲリマ監督,主演アーロン・アレフェ)。
2008年ヴェネチア国際映画祭 金のオゼッラ賞・審査員特別賞受賞作。
【あらすじ】
1990年。ベルリンで暴徒に襲われ,片足を失ったエチオピア人アンベルブルは安らぎを求め,故郷の村に戻る。アンベルブルは老いた母の下で生活し始めるが,故郷の村は,メンギスツ率いる軍事政権と反政府勢力との争いに巻き込まれていた。
アンベルブルは過去を回想し始める。
1970年代,アンベルブルは基礎医学を学ぶためにドイツに留学していた。留学生仲間のテスファエはドイツ人女性ギャビを妻に迎え,息子テオドロスを得ていた。アンベルブルもまたカサンドラというドイツ生まれの黒人女性を恋人としていた。当時,エチオピア人留学生たちは勉学の傍ら,皇帝ハイレ・セラシエの支配に反対する革命運動に身を投じていた。
革命によりハイレ・セラシエ皇帝が失脚した後,テスファエは妻子をドイツに残してエチオピアに戻る。テスファエの帰国から数年後,アンベルブルもまた,新しい国づくりに参加しようと帰国する。しかし,そこは軍事政権によって言論が抑圧された社会だった。アンベルブルを庇護していた親友テスファエは軍事政権を支持する過激な労働者たちに惨殺される。
アンベルブルは軍事政権の命によって東ドイツに渡る。そして西ベルリンに行き,テスファエがドイツに残してきた妻子,ギャビとテオドロスに再会する。テスファエの息子テオドロスはアンベルブルに黒人が白人社会で生きることの過酷さを伝える。一方,アンベルブルはテスファエの死を伝えることができないままだった。アンベルブルはベルリン滞在中にベルリンの壁の崩壊を目にするが,その後,有色人種を目の敵にする白人の暴徒に襲われ片足を失い生死を彷徨う……。
……というように,アンベルブルが片足を失った原因がわかったところで,1990年のエチオピアの村に舞台が戻り,アンベルブルとアザヌという女性の恋愛を軸にした物語が展開されるわけである。
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さて,感想。
この作品の中に描かれた問題の多さには頭を抱える。まず,軍事独裁,内戦,といった政治的な問題。次に,有色人種差別,知識人と労働者の対立,伝統社会と女性の権利,といった社会の問題。そして,貧困,医療,教育の問題。
これだけ多くの問題に直面したら,ふつうは絶望するしかない。実際,アンベルブルは故郷に帰った当初,絶望したまま腑抜けのような状態になっている。しかし,アザヌという女性と深い仲になって以降,アンベルブルは徐々に態度を変え,これらの問題に立ち向かうように変わっていく。よく言われるように,守るものがあることは人を強くするのであろう。
強いといえば,アンベルブルの母もまた強い人である。息子やアザヌを庇護し続け,周囲の圧力には決して屈しない。この老母は直接,エチオピアが抱える政治問題や社会問題を解決しようとしているわけではないが,問題に正面から取り組む人々を支えることによって,間接的に問題解決に貢献しているわけである。
アンベルブル一人ではエチオピアが抱える問題を解決することは不可能である。しかし,アンベルブルに続く人々が現れれば,問題解決に一歩近づく。
アンベルブルに続くのは,徴兵をまぬかれるために洞窟で生活する少年たち,学校で学ぶ幼い子供たち,そしてアザヌが生んだ赤ん坊であろう。これらの新しい世代はエチオピアの未来を照らす希望の光である。
絶望的な状況を描きつつも,最後に希望を持たせてくれるのがこの映画の良いところ。
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コメント
エチオピア映画って見たことないです、、興味深いですね。
投稿: 頭痛対処の★吉野 | 2012.10.01 17:53
ハリウッド映画とは違った面白さがあります。監督はワシントンの大学で映画学の教授をやっているエチオピア人です。
投稿: fukunan | 2012.10.01 18:16