じゃがたら文
今,ジャカルタにいるので,ジャカルタにちなんだ話を。
江戸時代,鎖国の開始とともに,日欧の混血児たちは海外に追放された。寛永13年(1636年)にはポルトガル人と混血児たち287名がアモイに,寛永16年(1639年)には11名の混血児たちがジャカルタに追放された。
ジャカルタに追放された日本人たちが望郷の念に駆られて日本に宛てて出した手紙のことを「じゃがたら文」という。
ジャカルタに追放された混血児の中に通称「じゃがたらお春」と呼ばれる少女がいた。お春が日本の知人に宛てて書いた手紙が長崎の蘭学者西川如見によって紹介されている:
お春からおつたへの手紙(西川如見『長崎夜話草』)
千はやふる神無月とよ うらめしの嵐や まだ宵月の空もうちくもり しぐれとともにふる里を出し その日をかぎりとなし 又ふみも見じあし原の 浦路はるかにへだたれど かよふ心のおくれねば
おもひやる やまとの道は はるけきも ゆめにまぢかく こえぬ夜ぞなき
<中略>
我が身事 今までは異国の衣しょう 一日もいたし申さず候 いこくにながされ候とも 何しにあらえびすとは なれ申べしや
あら 日本恋しや ゆかしや みたや みたや みたや
日本 おつた様 まゐる
じゃがたら はる より
「じゃがたらお春」の手紙の全文は次のブログで紹介されている:
「路傍の虫の声:あら日本恋しや じゃがたらお春」
このお春の手紙は少女とは思えない名文であり,江戸時代から偽作の疑惑。現在ではほぼ偽作であろうと断定されている。
日本に残っている確実な「じゃがたら文」としては「こしょろ」という女性からその乳母に宛てた手紙がある:
こしょろから乳母への手紙(平戸観光資料館(閉鎖)->松浦史料博物館,木田家所蔵)
日本こいしや かりそめにたちいでて 又とかへらぬ ふるさとと おもへば 心も こころならず なみだにむせび めもくれ ゆめうつつとも さらにわきまえず候共 あまりのことに 茶つつみひとつ しんじあげ候
あら にほんこいしや
うば様まゐる
こしょろ
この手紙はオランダ人によって日本に運ばれた袱紗の裏に書かれていたものであり,木田家に伝わっている。
こしょろの素性は全く不明であるが,日蘭混血の女性であろうと推定されている。
先に取り上げたお春の方は身元がはっきりしている。イタリア人航海士と日本人キリスト教徒の女性との間に生まれた女性である。
じゃがたら文だけを読むとお春は悲劇の主人公のような印象を受けるが,後にジャカルタ(バタビア)でオランダ東インド会社(VOC)職員(この男性は日蘭混血児)と結婚し,同地の特権階級として優雅に暮らしていたようである。
【参考】
「インドネシア専科:じゃがたらおはる」
「辻村寿三郎『創作人形の世界』:ジャガタラお春」
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コメント
今回の旅はいかがですか? 「ソト」美味しそうですね! 本場の味を楽しめるのはうらやましい限りです。
さて本題の「じゃがたら文」。おはるの文を紹介したのが江戸中期の天文学者、西川如見というのが面白いですね。
この人、中国天文学と蘭学の総合を試みた人物と以前聞いたことがありました。著作のタイトルをざっと見ただけでもすごく興味深いものがあります。そんな精力的野心的で優れた学者が「望郷の美少女」というイメージに耽溺したとすれば・・・何かと思うところありますが、またの機会に改めます。
それと、彼の「創作」を喝破したのが100%蘭学者の大槻玄沢というのがまた面白いなあ・・・
投稿: 拾伍谷 | 2012.03.20 18:49
西川如見についてWikipediaで調べたのですが,「暴れん坊将軍IXシリーズ第19話『江戸壊滅の危機! すい星激突の恐怖』」(笹野高史演ずる西川如見が彗星の軌道を計算する)という「ディープインパクト」・「アルマゲドン」meets「暴れん坊将軍」という迷作があるということがわかり,魂消ております。
投稿: fukunan | 2012.03.27 12:41
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
投稿: 職務履歴書の見本 | 2014.02.06 10:43