ワシリー・グロスマン『人生と運命』を読み始めた
ワシーリー・グロスマン著,齋藤紘一訳『人生と運命』を読み始めた。
人生と運命 1 ワシーリー・グロスマン 齋藤 紘一 みすず書房 2012-01-17 売り上げランキング : 58590 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「書評は読み終わってから書け!」という意見もあろうと思う。しかしこの本,なにしろ529ページもあるので,しかもそれは第一部に過ぎないので,読み始め時の感想を忘れないうちに書いておくべきだろうと思う。
◆ ◆ ◆
先日も少し触れたが,この大部の小説は独ソ戦最大の戦闘,スターリングラード攻防戦を舞台とした群像劇である。
物語はドイツの捕虜収容所の状況から始まる(第一部1~6章)。モストフスコイという古くからのソ連共産党員(ボリシェヴィキ)が捕虜収容所の話における主人公である。
ここで描かれるのは囚人が囚人を管理するという収容所の異様な光景である。本来同じ立場であるはずの囚人が管理する側とされる側に分かれ,管理する側の囚人は,管理される側の囚人の生死の決定にも関わる。
ナチズムの恐ろしさは,いかにも冷酷なSS将校が囚人の命を奪っていくというところにあるのではなく,普通の人々に過ぎない管理側囚人が,同じく普通の人々である被管理側囚人を淡々と処理していくというところにある。
本文を引用するとこういうことである:
モストフスコイがとくにゾッとするほど恐ろしく思ったのは,ナチズムは方眼鏡をかけて収容所にやってくるのではない,下士官のように横柄で人々にとっては無縁なものではないということであった。 <中略> それ(ナチズム)は普通の人のように冗談を言い,その冗談には誰もが笑った。それは平民出の人間のように飾らない態度を見せていた。それは自由を奪った相手の言葉も心も知恵も極めてよく知っていた。(8ページ)
つい20年ほど前に旧ユーゴスラビア内部で内戦がおこった。仲の良い隣同士の人々がある日を境に敵同士となり,時によっては虐殺すら行った。
普通の人が淡々と恐ろしいことを始める,というのが,ナチズムに限らず(スターリニズムも同様),時として発生するわけである。
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7章からは話が変わって,スターリングラード攻防戦に移る。ヴォルガ川西岸(右岸)を死守する第62軍司令部の面々,実在の人物であるチュイコーフ,クルイロフといった人物の奮闘が描かれる。
第62軍の人々にとってはどれだけちゃんとした掩蔽壕を作ることができるかということが,生き残るための手段となっている。ソ連軍兵士たちが人物を評するときには,その人物と掩蔽壕がセットになって評価されたり,からかわれたりする。掩蔽壕は作った人の分身でもあるのだ。
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さて,本記事の最後に,訳者のことを取り上げる。「齋藤紘一」という名前,聞いたことが無かったのだが,かつて通産省の審議官だったらしい。ISO日本代表委員も務めている。行政官としての能力だけでなく,翻訳者としての才能にも恵まれているらしい。
小生もロシア語を学んだ者であるが,こんな大作,原著を読むことも,日本語に訳することもできない。素晴らしい才能だと感嘆するばかりである。
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