清盛の父・祖父は大金持ちの軍人貴族
1990年12月1日,古河市の市制40周年を祝う講演会の中で,司馬遼太郎は,鎌倉幕府の成立以降が本当の日本の歴史だと語った※。
武士とはもともと庶民,武装した農場主で,その人々が支配権を握った鎌倉時代以降がわれわれ日本人の本当の歴史の始まりなのだと。
(※『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版II』(朝日新聞社,1997年)所収「鎌倉武士と北条政子」)
大河ドラマ「平清盛」の第一回を見て思ったのは,武士を庶民側の存在として強調して描いているということである。血みどろになって働かないといけないし,服はぼろぼろだし,家は質素だし。
とくに庶民の側だということがわかりやすく表現されているのは貴族との対比である。
清盛の父・忠盛(中井貴一),祖父・正盛(中村敦夫)は関白・藤原忠実(ただざね,演ずるは国村隼)の牛車の前ではヘコヘコせざるを得なかった。また,常日頃,「王家の犬」と呼ばれ,白河院に逆らったら誅滅されるのではないかという恐怖感の下で暮らしていた。
と,まあ,「貴族とその他」しかいない世の中で,武士は武力はあっても「その他」の一員に過ぎないんですよ,という描かれ方だった。
だが,海音寺潮五郎『武将列伝』の「平清盛」の章を読んでいると,また違った印象を受ける。
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当時の一般の武士に関しては,司馬の言うように庶民の一員,武装した農場主という側面が強かったのだろう。しかし,正盛・忠盛に関しては別だと思う。むしろ位は低くとも既に貴族の一員になっているという印象である。
清盛が生まれたのは1118年(元永元年)である。このときまでに祖父・正盛は隠岐守,若狭守,因幡守,但馬守,丹後守,備前守と国司を歴任しており,立派な中級貴族である。1117年(永久5年)には従五位上に昇っている。
また,忠盛も既に18歳の時に従五位下に昇っており,1117年(永久5年)には伯耆守兼右馬権頭となっており,これも立派な中級貴族である。
国司というのは非常に実入りの良い仕事である。中級貴族の間では国司任官を望む声が強かった。正盛・忠盛は国司を歴任することにより,大変な蓄財をしていたと思われる。その富を以って,白河院,鳥羽院に取入ったというのが,歴史家の唱えるところである。
大河ドラマがこれから平清盛をどのように描くか楽しみであるが,今述べたことをベースに考えると,祖父と父の軍事力と財力とコネを最大限に生かし,いわば三段ロケット方式で政治の頂点に至った人物というのが実態なのではないかと思う。
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コメント
清盛と同じ様な(それ以上の)三段ロケットを備えていたにも関わらず配流や刑死といった末路を迎えたあの時代の貴人達を思えば、やはり彼、清盛はスタート地点の有利を活かせる大きな才を持つ者だったと、そちらを強調したい気もしますね。
彼もまた「子治世之能臣乱世之奸雄」と言う印象がありますが、如何?
投稿: 拾伍谷 | 2012.01.10 02:09
たしかに,清盛以上の条件がそろっていながらダメになった同時代人は多いですね。条件を生かしきれたことが清盛の才能だとは思います。
投稿: fukunan | 2012.01.11 01:41
従来のゲームの規則が通用しない時代の到来に際し新しい規則の確立を求めるも道半ばにして人生を終えた人。ゆえに「奸雄」の評が定着したと言うところなのかな、などと思いました。
それにしても今期大河ドラマの評判悪いですね。いや、私は見てないので評する権利は無いのですが・・・
投稿: 拾伍谷 | 2012.01.11 15:48