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2011.12.23

石上堅『折口信夫 歌がたみ 愛』を読む

先日に続けて折口関連書籍の紹介である。今回は石上堅編著『折口信夫 歌がたみ 愛』(宝文館出版,1970年)を読み終えた。

Utagatami

鳥居哲男『清らの人 折口信夫・釈迢空』の中でも度々引用されていたのが,本書である。

著者,石上堅は折口信夫の直弟子の一人である。石上堅の弟,石上順もまた折口に師事した。

本書は折口の歌を中心に,歌題に関連した思い出を綴った本である。

章立てを見ると,

  • 「幼な子よ」
  • 「若き子よ」
  • 「いとし子よ」
  • 「老いびとよ」
  • 「町びとよ」
  • 「村びとよ」
  • 「海 やまよ」
  • 「花よ 鳥よ」
  • 「物食みよ」

と,折口信夫=釈迢空が愛した様々な人や物が取り上げられており,最後に「先生点描」という石上堅弟子入りのいきさつ等が書かれている一章と,「先生周辺」という石上堅と山田野理夫の対談が収録されている。


  ◆   ◆   ◆


「幼な子よ」は折口信夫が幼児,とくに石上堅の子供たちに示した愛情を綴った一章である。終戦直後,石上夫妻に麁正,七鞘(折口が命名)という双子が生まれたのだが,母乳が止まり,代用品としての練乳も手に入り難い状況になった。そのとき,折口は心配して自分の手元にあった練乳の缶を分け与えたという。

五月の節句の頃,石上夫妻が麁正・七鞘と彼らの姉である布都代とを連れて,出石の折口邸を訪ねた折,折口は歌を詠んで子どもたちを祝った。その様子は次のように描かれている:

先生は,三人がチョコンと坐りならぶと「鼻筋がとおって,堅より品がよいね。」と,祝って下さった歌,
 男の子ごの こゑたけびつつ泣きかはす さつきの家の広きにぞ ゐる(昭和22)
布都代には,半切に,  あねむすめ いまだ幼し。をさなけれど,おとなさびして,いふことをきく
その右脇に,コケシ人形を描かれ,それに茶碗を一個かき添えられた。「お人形チャン,お茶ブね。」と,布都代はよころぶ。歌だけではなく,コケシ人形,それだけではなく,さらにあたたかくお茶を,供えられる先生――。(8~9ページ)

なお,石上七鞘は後に民俗学の分野で大成し,平成19年には日本テレビ「世界一受けたい授業」に出演するほどの人物となっている。


  ◆   ◆   ◆


各章ごとに興味深いエピソードと歌が綴られているのだが,ここでは「若き子よ」「町びとよ」「物食みよ」に記されたごく一部のものだけ触れることとする。

「若き子よ」では巷間にとりざたされる「女嫌い」に対する反証とも言うべき短歌とエピソードとが紹介されている。

世俗の口まめの「みめ麗しく,才たけて」ということの近代風魅力――難波女の気の利いたまろやかな物言い,東京娘の才はじけた美しい姿態,沖縄処女の辛きに耐えぬく強靭さとは,先生の理想の一つひとつなのであった。(23ページ)

と石上堅は語る。


「町びとよ」では

五九童・日佐丸エンタツ・アチャコなど,椅子に凭れて,「良う言いおる」と,頷き笑いをされたものだった(69ページ)

と,折口信夫が関西の漫才・落語などの芸能を愛したことが書かれている。折口は弟子たちを相手に悪ふざけを繰り返していたのだが,そのことと併せて考えると折口の生活においてはユーモアというものが不可欠だったと言えるだろう。

同じく「町びとよ」では「人嫌い」と称される折口が,都会の喧騒を好む一面を持っていたことが記され,次の歌が付されている:

停車場の人ごみを来て,なつかしさ。ひそかに茶など飲みて 戻らむ――東京すていしよん(昭和2)
暑き日の ひねもすこもり,夕づけば,銀座に出でて,人を見むとす(昭和9)(79ページ)


「物食みよ」では折口の,金銭的には豊かでないがそれなりの食道楽ぶりが記されている。折口は妙な塩蔵品を作るのが好きだったようで,石上堅は少し困惑している:

御自分用には,どこでヒントを得られるのか,全く得体の知れぬ,アンチョビ・嘗物風のものなどを,作り楽しまれて,瓶詰にし蓋物にいれたりして,大事にかけて,たべて居られた。私どもにも,ほんの一箸ずつお裾分けをして下さった。ひいき目にたっぷりいただいては,全く途方にくれてしまう逸物ばかりであった。材料が知れぬので,舌にピリッときたりでもすると,いったいどうなるのか,ドキ,ドキドキしたものであった。このような事は,なくなるまで続いた。(128ページ)


  ◆   ◆   ◆


こうしたエピソード群は折口の人となりを知る上で非常に重要な証言であると思う。

作品・論文と人格とは別物であるという見方もあるのだが,折口信夫の場合,人格と創作・学術活動は不可分であると思う。ここでは折口の人格と歌作について石上堅が述べた一節を引用して稿を閉じようと思う:

先生の歌があふれる感動を,人に与えるのは,つまりは,理屈ぬきの愛情,奔放なる愛情の発露であるからなのだ。ために,潔癖性が手伝い,妬心がからまると,とめどなく怒り猛るのである。口惜しくても,情けなくても,寂しくてもボロボロ涙をおとして,泣かれる。真実,泣き死んでしまうのである。(144ページ)

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