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2011.12.27

シルヴァン・ショメ『イリュージョニスト』を見てきた

先日(23日),シルヴァン・ショメ監督,ジャック・タチ脚本のアニメーション『イリュージョニスト』をYCAMで見てきた。

Lillusioniste

【あらすじ】
1950年代。ロックやテレビの台頭によって,演芸の人気に陰りが見え始めた時代。
老手品師タチシェフはドサ周りを余儀なくされていた。パリを遠く離れ,スコットランドの離島にたどり着いたとき,タチシェフは,彼を魔法使いだと信じる少女アリスに出会う。島を離れ,再び旅に出るタチシェフをアリスは追う。タチシェフはアリスを放っておくことができず,エジンバラで共同生活を始める・・・。


  ◆   ◆   ◆


「ぼくの伯父さん」でおなじみのジャック・タチの幻の脚本をもとに作られたアニメーションである。

ショメの映像はノスタルジックでとても美しい。小生はヨーロッパを旅した経験はそれほど多くないが,そのときに感じた空気を,映像を通して再び感じることができたと思う。

このアニメーションの中には印象に残るお遊びがある。タチシェフが映画館に逃げ込むシーンがあるが,そのとき映画館のスクリーンに映し出されていた映画は「ぼくの伯父さん」だった。これはショメからジャック・タチへのオマージュなのだろう。

タチシェフの手品の小道具的として良く肥えたウサギが出てくるが,その動きが本物らしくて良い。ウサギというものは何を考えているのかわからない動物で,また凶暴でもある。そのユーモラスさ,凶暴さが良く描けていた。

アリスはタチシェフを魔法使いだと信じているほどのピュアな少女だが,それゆえ,流行のドレスやら靴やら,やたらといろいろな物を欲しがる。非常に金のかかる少女だが,その願いをかなえるため,タチシェフはエジンバラで非常に苦労する。そこまで尽くすのはなぜかというのは映画の最後にわかる。


  ◆   ◆   ◆


映画自体はものすごく良かった。だが,映画の中ごろで,YCAMの映写機が1,2分振れまくり,映像を見て酔いそうになったのは残念。

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2011.12.23

石上堅『折口信夫 歌がたみ 愛』を読む

先日に続けて折口関連書籍の紹介である。今回は石上堅編著『折口信夫 歌がたみ 愛』(宝文館出版,1970年)を読み終えた。

Utagatami

鳥居哲男『清らの人 折口信夫・釈迢空』の中でも度々引用されていたのが,本書である。

著者,石上堅は折口信夫の直弟子の一人である。石上堅の弟,石上順もまた折口に師事した。

本書は折口の歌を中心に,歌題に関連した思い出を綴った本である。

章立てを見ると,

  • 「幼な子よ」
  • 「若き子よ」
  • 「いとし子よ」
  • 「老いびとよ」
  • 「町びとよ」
  • 「村びとよ」
  • 「海 やまよ」
  • 「花よ 鳥よ」
  • 「物食みよ」

と,折口信夫=釈迢空が愛した様々な人や物が取り上げられており,最後に「先生点描」という石上堅弟子入りのいきさつ等が書かれている一章と,「先生周辺」という石上堅と山田野理夫の対談が収録されている。


  ◆   ◆   ◆


「幼な子よ」は折口信夫が幼児,とくに石上堅の子供たちに示した愛情を綴った一章である。終戦直後,石上夫妻に麁正,七鞘(折口が命名)という双子が生まれたのだが,母乳が止まり,代用品としての練乳も手に入り難い状況になった。そのとき,折口は心配して自分の手元にあった練乳の缶を分け与えたという。

五月の節句の頃,石上夫妻が麁正・七鞘と彼らの姉である布都代とを連れて,出石の折口邸を訪ねた折,折口は歌を詠んで子どもたちを祝った。その様子は次のように描かれている:

先生は,三人がチョコンと坐りならぶと「鼻筋がとおって,堅より品がよいね。」と,祝って下さった歌,
 男の子ごの こゑたけびつつ泣きかはす さつきの家の広きにぞ ゐる(昭和22)
布都代には,半切に,  あねむすめ いまだ幼し。をさなけれど,おとなさびして,いふことをきく
その右脇に,コケシ人形を描かれ,それに茶碗を一個かき添えられた。「お人形チャン,お茶ブね。」と,布都代はよころぶ。歌だけではなく,コケシ人形,それだけではなく,さらにあたたかくお茶を,供えられる先生――。(8~9ページ)

なお,石上七鞘は後に民俗学の分野で大成し,平成19年には日本テレビ「世界一受けたい授業」に出演するほどの人物となっている。


  ◆   ◆   ◆


各章ごとに興味深いエピソードと歌が綴られているのだが,ここでは「若き子よ」「町びとよ」「物食みよ」に記されたごく一部のものだけ触れることとする。

「若き子よ」では巷間にとりざたされる「女嫌い」に対する反証とも言うべき短歌とエピソードとが紹介されている。

世俗の口まめの「みめ麗しく,才たけて」ということの近代風魅力――難波女の気の利いたまろやかな物言い,東京娘の才はじけた美しい姿態,沖縄処女の辛きに耐えぬく強靭さとは,先生の理想の一つひとつなのであった。(23ページ)

と石上堅は語る。


「町びとよ」では

五九童・日佐丸エンタツ・アチャコなど,椅子に凭れて,「良う言いおる」と,頷き笑いをされたものだった(69ページ)

と,折口信夫が関西の漫才・落語などの芸能を愛したことが書かれている。折口は弟子たちを相手に悪ふざけを繰り返していたのだが,そのことと併せて考えると折口の生活においてはユーモアというものが不可欠だったと言えるだろう。

同じく「町びとよ」では「人嫌い」と称される折口が,都会の喧騒を好む一面を持っていたことが記され,次の歌が付されている:

停車場の人ごみを来て,なつかしさ。ひそかに茶など飲みて 戻らむ――東京すていしよん(昭和2)
暑き日の ひねもすこもり,夕づけば,銀座に出でて,人を見むとす(昭和9)(79ページ)


「物食みよ」では折口の,金銭的には豊かでないがそれなりの食道楽ぶりが記されている。折口は妙な塩蔵品を作るのが好きだったようで,石上堅は少し困惑している:

御自分用には,どこでヒントを得られるのか,全く得体の知れぬ,アンチョビ・嘗物風のものなどを,作り楽しまれて,瓶詰にし蓋物にいれたりして,大事にかけて,たべて居られた。私どもにも,ほんの一箸ずつお裾分けをして下さった。ひいき目にたっぷりいただいては,全く途方にくれてしまう逸物ばかりであった。材料が知れぬので,舌にピリッときたりでもすると,いったいどうなるのか,ドキ,ドキドキしたものであった。このような事は,なくなるまで続いた。(128ページ)


  ◆   ◆   ◆


こうしたエピソード群は折口の人となりを知る上で非常に重要な証言であると思う。

作品・論文と人格とは別物であるという見方もあるのだが,折口信夫の場合,人格と創作・学術活動は不可分であると思う。ここでは折口の人格と歌作について石上堅が述べた一節を引用して稿を閉じようと思う:

先生の歌があふれる感動を,人に与えるのは,つまりは,理屈ぬきの愛情,奔放なる愛情の発露であるからなのだ。ために,潔癖性が手伝い,妬心がからまると,とめどなく怒り猛るのである。口惜しくても,情けなくても,寂しくてもボロボロ涙をおとして,泣かれる。真実,泣き死んでしまうのである。(144ページ)

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2011.12.19

鳥居哲男『清らの人 折口信夫・釈迢空』を読む

一年以上も前にオアゾの松丸本舗で購入しておきながら,手を付けずにいた『清らの人 折口信夫・釈迢空』を読んだ。

これは,折口信夫=釈迢空に対する,敬愛の念に満ちた論考だった。

清らの人―折口信夫・釈迢空 「緑縁のインク」の幻想
清らの人―折口信夫・釈迢空 「緑縁のインク」の幻想
鳥居 哲男

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折口信夫に対しては保守反動,人嫌い,女嫌い,同性愛者等の偏見が存在する。とくに加藤守雄『わが師 折口信夫』は肉体的行動を伴った同性愛者としての折口信夫像を決定的なものとした。

しかし,かつて国学院に学び,折口の直弟子達(西角井正慶,岡野弘彦,高崎正秀,倉林正次)の謦咳に接してきた著者・鳥居哲男にとって,同性愛者,人嫌い等のレッテルは受け容れ難いものだった。

昭和50年代,経済的な苦境の中で折口信夫の歌に再会した著者は,それ以後,折口の著作と折口に関する評伝・論文を渉猟し,論考を重ね,ついに著者なりの折口信夫像を見出した。

数々の偏見のレッテルを剥がした後に出てきたのは,世俗の価値基準を嫌い,男女の別なくどのような人に対しても精神の高みを求め続け,そしてまた幼いもの・純真なものに対しては細やかな愛情を注ぐ「清らの人=折口信夫」の姿だった。


  ◆   ◆   ◆


以前,折口信夫に関する別の論考,木村純二『折口信夫―いきどほる心』を読んだ(「【愛欲・残虐・猾智こそ神の本質】木村純二『折口信夫―いきどほる心』を読む【生涯不婚の決意】」)。

折口信夫――いきどほる心 (再発見 日本の哲学)折口信夫――いきどほる心 (再発見 日本の哲学)
木村 純二

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同書では,折口信夫が時折見せる,すさまじいばかりの怒りに注目した後,時として全てを破壊するような怒りを発する,人知を超えた非合理的な存在=神々を真摯に探求する者として折口を描き出す。そして,折口がそのような神々を探求する背景には,母の不義や同性愛の問題といった折口の負い目,暗い情念があったのではないかと推測している。

同書を読んだときはなるほどと思ったのだが,今回『清らの人』を読んだことにより,また別の側面に触れることができたと思った。すなわち,『折口信夫―いきどほる心』では怒りのパワーや折口の人生の暗黒面のみクローズアップされていたわけだが,『清らの人』によって,折口の人間性の幅の広さを知ることができたと思う。

学問における不誠実さや俗世間の価値観への迎合に対しては凄まじい怒りを発露する一方で,弟子の娘に対しては菓子を持たせ,歌で祝福するような細やかな愛情を注ぐ。

折口信夫は大いに怒り,大いに愛し,大いに遊び,大いに食べる。まるで古代の神々のようなおおらかさと多面性(著者は「八心思兼神(ヤゴコロオモイカネノカミ)」と表現している)を備えている。これはいささかの俗物性も持たない「清らの人」であることの証明なのだと,著者は述べている。

本書は従来の偏見に満ちた像から折口信夫を解き放つ論考である。

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2011.12.17

YCAMで坂本龍一を見てきた

昨晩(12月16日(金))はYCAM(山口情報芸術センター)で坂本龍一の「ダイアローグ&コンサート: 2050年から見る環境と芸術の未来」を見てきた。

YCAMで坂本龍一を見てきた

YCAMは2013年に開館10周年を迎える。来年4月,記念事業を監修するアーティスティック・ディレクターに坂本龍一が就任するということで,今回,このようなイベントが実施されることになった。毎日新聞によるとキョージュは15日に山口市の渡辺純忠市長を表敬訪問したらしい。田舎のビッグニュースである。


生のキョージュを見るのは初めてなのでワクワクしながらロビーで待っていると,会場で準備作業中のキョージュの後姿を見ることができた。

三枚のガラスを通過して見えるので,明確にはわかりにくいが,それでも白髪の人物が確認できる。

YCAMで坂本龍一を見てきた

さらに拡大したところ。坂本龍一キョージュがグランドピアノをのぞきこんでいる:

YCAMで坂本龍一を見てきた

「ダイアローグ&コンサート」は二部構成で,前半は京都造形芸術大学教授で文化人類学者の竹村真一氏(ちなみに政治評論家竹村健一氏の長男。以下敬称略)との対談(ダイアローグ),後半はSachiko Mとの協演である。


ダイアローグ:

竹村真一との対談は,対談のタイトルを忘れているぐらいのゆるーい感じで始まったが,「スコラ:音楽の学校」でもおなじみの「音楽150年周期説」の話をした後,「人類幼年期の終わり」とか,「地球と生物の共進化」とか,「interspeciesの対話」とか,「メルカトル図法からの脱却」とか,地球環境論と認識論とコミュニケーション論と進化論とを組み合わせた話題に熱が入り,大幅に予定時間をオーバー。

竹村慎一が「ここままだと12時を過ぎる」と苦笑したのに対し,坂本龍一は「今夜は飲もう!」と冗談を飛ばし,会場は笑いに包まれた。


コンサート:

Sachiko Mがサンプラーのテスト・トーン用サインウェーブとスイッチングノイズを使って演奏をするのに対し,坂本龍一はグランドピアノを使って内部奏法(弦をはじいたりこすったりして演奏する)と通常奏法(鍵盤で演奏)とで演奏していた。

演奏の後半,サンプラーのテスト・トーンが雅楽で使う笙の音のように聞こえてきて面白かった。


   ◆   ◆   ◆


「ダイアローグ&コンサート」自体は大変良かったと思う。あと,Ustreamを導入していて感心した。

しかしながら,スタッフによる入場時の観客の誘導の仕方は落第点。

「200番から300番の方」とか言って観客を集めた上で,また押し戻して200番から1人ずつ整列し直させたり,何してるんだろうと思った次第。レーンを作っておいて,「番号順に並んでください」とでも言って,客たちに任せておいた方がスムースだったんじゃないかと思う。

イベントと言うのは,内容に関するプロデュース&ディレクト能力だけではだめで,ロジスティック能力も必要なのだというのが改めてわかる。YCAMは芸術系の人材だけでなく,管理系の人材も集めたらどうか?

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2011.12.15

児玉源太郎は二○三高地陥落にどのくらい貢献したか?(2):伝記に見る児玉源太郎の行動

先日の記事「児玉源太郎は二○三高地陥落にどのくらい貢献したか?:公式記録に見る児玉源太郎の行動」では,公式記録である参謀本部編「明治三十七八年日露戦史」には児玉の指揮介入を明確にするような記述が見られない,ということを述べた。

司馬遼太郎は昭和になって編まれた谷寿夫「機密日露戦史」通称「谷戦史」の記述をベースとして児玉の指揮介入説を唱えているが,昭和以前から児玉が旅順攻囲戦に積極的に介入したことを述べる書籍が存在する。主として児玉の伝記である。

例えば,明治41年に書かれた森山守次,倉辻明義「児玉大将伝」(星野暢,明治41年)にはこのような記述がある:

(明治37年11月)二十九日総司令官の命を奉じ,自ら第三軍方面の戦況視察に赴くに決し,必要あれば即時総司令官の命を以て戦闘を指導しうるの権能をも委託せらる。
(森山守次,倉辻明義「児玉大将伝」403頁。原文を現代仮名遣いに改めた)

ここでは明確に指揮に介入する権利を得ていることが記されている。

児玉の要請によって煙台にいた第八師団歩兵第十七連隊(満洲軍予備隊)が旅順に援軍に駆けつけたことは前の記事でも触れたが,「児玉大将伝」では第十七連隊の増援について記すとともに児玉が直接第三軍を指揮したことを述べている:

十一月下旬第三軍司令官はまたまた二○三高地を攻撃せんとするにあたり,児玉総参謀長は新たに第八師団の一個連隊を増援し,自ら軍を指揮してこれが攻撃に参与せり。
(森山・倉辻「児玉大将伝」408頁)

「児玉大将伝」の著者の一人,倉辻明義が記した「凡例」によれば,日露戦争時の児玉に関する情報は松川敏胤少将や田中国重大佐(日露戦争時は少佐)から得たという。松川も田中も満州軍作戦参謀で,児玉の腹心あるいは側近である。「近しい人が証言するのだから真実」とする立場をとれば,児玉が指揮介入したことは間違いない,ということになるが,それでよいのだろうか?


太平洋戦争時に書かれた伝記,宿利重一「児玉源太郎」(国際日本協会,昭和17年)にはよりヴィヴィッドな表現で児玉による指揮の様子が描かれている:

満洲軍総司令官代理として神速に,そして厳かに指揮,命令し,毫も仮借するところがなく,また自ら塹壕内を往復し,二○三高地の下に匍匐してつぶさに視察するという清廉さであり,この人の炯眼は,山嶺の西南角に十一月三十日の攻撃に第七師団の兵約百名が取つき頑張っていることを知ると同時に,
「左様か,それじゃ必ず旅順の港が俯瞰し得られるに相違ない。直ちに参謀を遣って実行してみよ!」
と命じ,即刻に満洲軍の国司伍七,第七師団の白水淡,海軍陸戦重砲隊の岩村俊武の各参謀が派遣せられ,結果は「港内に七隻の戦艦,巡洋艦と多数の船舶のいる」ことが明らかになったので,児玉将軍はその撃沈を命じた。 (宿利重一「児玉源太郎」666~667頁)

また同書では,児玉の側近,田中国重少佐が東京日日新聞に語った当時の回想を引用している。ここでその一部を引用(孫引き)してみよう:

その当時は第八師団の歩兵第十七連隊が到着中で,それを児玉大将が二○三高地の方に呼ばれ,総司令官の名を以てこの連隊を使用された。この連隊が第三軍司令官の指揮下に入ったのは十二月五日で,それまでは総参謀長が自ら握っておられたのである。
(宿利「児玉源太郎」668頁)

例の援軍,歩兵第十七連隊のことであるが,田中少佐の証言によると,なんと総参謀長自らが連隊レベルの指揮を行っているのである。

大企業で例えれば,副社長クラスの人が一事業部の一部署の指示をしていることになる。いくらなんでもやりすぎである。あるいは田中少佐が児玉を美化しすぎるあまり,無いことまで言ってしまったのではなかろうかとも思われる。


「児玉の指揮介入」について論争が起こる原因の一つは,情報のチャンネルが限られていることにある。つまり旅順攻囲戦における児玉の言動に関する証言が,第三軍関係者から出ておらず,児玉の近辺,とくに田中国重少佐に限られていることにある。

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2011.12.13

児玉源太郎は二○三高地陥落にどのくらい貢献したか?:公式記録に見る児玉源太郎の行動

昨晩,BSプレミアムで映画「二百三高地」(1980年,東映)を放映していた。これで「坂の上の雲」と合わせて二日連続の「二○三高地」である。

スペシャルドラマ「坂の上の雲」でも,映画「二百三高地」でも,

1904年(明治37年)12月1日,児玉源太郎,第三軍司令部に到着->児玉が乃木を説得->児玉の指示で第三軍戦術転換->12月4日,203高地への猛攻->12月5日,203高地占領

という流れである。児玉到着以来,わずか数日にして勝敗が決したわけで,見る者は203高地陥落(さらには旅順陥落)は児玉の功績であるとの印象を受ける。

ドラマでも映画でも,児玉が司令部で指示を下す際,乃木は一言も口をはさむことがなかった。第三軍の指揮権を児玉が完全に掌握しているようにしか見えない場面だった。

だが,公式記録である参謀本部編「明治三十七八年日露戦史」(偕行社,明治45~大正4年)には児玉の旅順督戦に関する記述はあるものの,児玉の指揮介入を明確にするような記述は見られない。

児玉の到着,乃木との対面についてはあっさりとこれだけの記述である:

是日(12月1日)正午総参謀長児玉大将第三軍司令部に著し<総司令官は二十七日以来の戦況を知り憂慮する所あり児玉大将に旨を授けて派遣せしものなり>同軍司令官に会し之に伝うるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図を以てせり
(参謀本部編「明治三十七八年日露戦史」第九編「旅順要塞の攻略」第6巻526頁。原文を現代仮名遣いに改めた。また<>は原文の注釈)

あっさりとした記述であるからこそ,想像の余地があり,児玉が乃木を説得するという場面が生まれるのであろう。

ともあれ,「日露戦史」によれば,以後の作戦指示は全て軍司令官=乃木から発せられており,公式には児玉は指揮をしていない。

児玉が再び登場するのは,12月2日夜~3日早朝にかけて第七師団と第三軍司令部との間で議論が交わされた時である:

第七師団長(大迫尚敏中将)は前夜(2日夜)軍司令官より攻撃に関し下問を受け先爾霊山(203高地)西南部山頂を確実に占領し尋てその範囲を其範囲を拡張して東北部山頂に及ぼし最後に老虎溝山を攻略するを適当とし是日(3日)早朝此旨を復答し斎藤少将(第七師団長指揮下。203高地攻撃隊長)もまた児玉大将の下問に対し略師団長の考案と同一の意見を復申し共に其承認する所となれり
(参謀本部編「明治三十七八年日露戦史」第九編「旅順要塞の攻略」第6巻534頁)

つまり乃木と児玉がそれぞれ203高地の攻撃方針について現地指揮官たちに下問し,それらの回答内容を承認したという話である。

次に児玉が登場するのは日本軍が203高地占領後である:

当時軍司令官並に満洲軍総参謀長児玉大将は爾霊山(203高地)占領の確実なるを信ぜしも敵の慣用手段たる夜間の逆襲により再び之を失わんことを慮り軍司令官は午後四時第七師団長に命じ同山攻撃隊をして同山を死守しまた前日の轍を踏むことなからしむ
(参謀本部編「明治三十七八年日露戦史」第九編「旅順要塞の攻略」第6巻553頁)

このとき児玉の援軍要請によって第八師団歩兵第十七連隊(満洲軍予備隊)が旅順に来ていたのだが,児玉はこの第十七連隊の指揮権を乃木に引き渡す:

歩兵第十七連隊は午後五時四十分児玉大将の指示により軍司令官の使用に供せられ同司令官これを第七師団に増加しかつ命ずるに同連隊を以て爾霊山(203高地)の占領を確実にしかつ爾後における攻撃の進捗を用意ならしむべきを以てす
(参謀本部編「明治三十七八年日露戦史」第九編「旅順要塞の攻略」第6巻553~554頁)

「明治三十七八年日露戦史」に記述された203高地の戦いにおいて児玉が登場するのは上に引用した程度である。第三軍の指揮をしているのはあくまでも軍司令官たる乃木であって,児玉はアドバイザー的存在に過ぎない。

児玉の積極的介入を伝えるのは公式記録ではなく,児玉の伝記なのだが,それらについては稿を改めて述べる。

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2011.12.12

『坂の上の雲』第三部の主人公は乃木さんです

先週に続き,というか三年かけてスペシャルドラマ『坂の上の雲』を見ているが,現在放映中の第三部前半の主人公は乃木さんである。第10話と第11話では秋山真之と単に浮いているだけの連合艦隊を無理に出さなくていいと思った。

第11話「二○三高地」で激闘の末,日本軍第三軍は二○三高地を奪取,旅順艦隊撃滅を成功させるわけだが,ここで一つ問題が浮上する。

戦史通・近代史通は良くご存じの話だが,「乃木愚将」問題である。

旅順攻囲戦において歩兵突撃を繰り返し,大量の兵を戦死させた乃木さんは愚将であり,児玉源太郎への指揮権委譲によって二○三高地がようやく奪取できた,という説を『坂の上の雲』原作者の司馬遼太郎は唱えている。

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バルチック艦隊の興亡を描いた,吉村昭『海の史劇』も同じ説を採っており,児玉源太郎への指揮権委譲の話が出てくる。

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しかし,肝心の児玉源太郎への指揮権委譲のエピソードは司馬遼太郎の創作であるようだ。

そもそも児玉源太郎が督戦に来た事実はあるものの,第三軍の指揮をしたという事実は確認できないという。

また,第1回総攻撃の反省から第2回総攻撃以降は塹壕を掘り進めて損害を押さえる戦術に転換していることを見れば,乃木さんが愚将ではないことが明らかであるという。

そのような司馬説への反論をまとめているのが別宮暖朗『旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった』である。

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司馬遼太郎は博覧強記の人として良く知られているが,サービス精神が旺盛で,読者が理解しやすいように物事の構図を単純化する。また,話をおもしろくするために重要なシーンを創作で補ったりする。

フィクションなのだからそういったことは自由にやっていいのだが,筆力があるあまりに,それが災いして,読者はこの人の作品がフィクションであることを忘れてしまう。司馬遼太郎作品を史実だと思っている人は非常に多い。なんと罪作りな作家であることか。

とか言いながら,小生も司馬遼太郎作品は結構好き。

ちなみに小生が好きな司馬遼太郎作品は

  • 『北斗の人』
  • 『梟の城』
  • 『覇王の家』
  • 『空海の風景』
  • 『尻啖え孫市』

だったりする。なんとマイナーな。『空海の風景』以外は完全なエンターテイメント作品である。

小生は司馬遼太郎はエンターテイメント作家だと考えており,なにか人生の指針や意思決定のヒントを与えるような作品を書いている人だとは思っていない。なので,経営者の人が愛読書として司馬遼太郎作品を挙げるときは,どういう意図で挙げているのか?と疑問に思ったりする。

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2011.12.08

日本建築学会・総合論文誌,ひっそりと廃刊

日本建築学会がほぼ年一回のペースで刊行してきた「総合論文誌」が,2012年1月刊行の第10号をもって廃刊となることが決まった。

総合論文誌の廃刊について(日本建築学会)

かの偉大なるアニリール・セルカンの論文を掲載(総合論文誌第7号(2009年1月),110~113ページ)するという壮挙を成し遂げたことでも話題の論文誌だった。

建築学が抱える問題を学際的・総合的に論じるための論文誌として2003年1月に第1号が刊行された。

第1号のチーフエディター,村上周三氏(第49代日本建築学会会長)は第1号刊行にあたって次のように慶賀の弁を述べていた:

「建築学が抱える今日的問題を幅広い視野から総合的に論じることを目的にした本誌の開設は,新しい会員サービスであり,日本建築学会の活動を以前にも増して活性化するものと期待され,慶賀にたえない。」

「今後この総合論文誌が,建築学を総合的に語り,議論する場として,大きく発展することを期待してやまない。」

だが,会員の反響は芳しくなかったようである。第1号以降しばらく「建築雑誌」のおまけとして配布されていた間は問題は顕在化していなかったが,2011年1月刊行分から希望購読制へ移行した途端に,購読者・投稿者が極めて限られていることが判明した。

そもそも,日本建築学会には機関誌としては「建築雑誌」があり,論文集としては,いわゆる黄表紙:「日本建築学会(構造系/計画系/環境系)論文集」があり,さらに技術論文集としては,いわゆる白表紙:「技術報告集」がある。

総合的なテーマには機関誌,専門的なテーマには「論文集」「技術報告集」という受け皿が既にあって,「総合論文誌」の存在意義は不明確であったといえる。

アカデミズムにしてはわりと早い段階で撤退を決定したことは評価できる。

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2011.12.07

山本義隆『福島の原発事故をめぐって』を読む

かつて受験生だったころ,山本義隆といえば『物理入門』(駿台文庫)の著者だった。

小生が最後まで読みとおした参考書は『物理入門』と,高田瑞穂『新釈 現代文』(私はこれで共通一次(死語)国語198点を達成しました)の2冊だけだった。

チャート式とは全く異なる演繹的な記述,方程式の表している意味に関する深い洞察には感動さえ覚えた。だからといって物理の点数がメキメキ上がったわけではない。

新・物理入門 (駿台受験シリーズ)新・物理入門 (駿台受験シリーズ)
山本 義隆

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大学に入った頃,この人がかつては東大全共闘議長として伝説的な存在だったことを知った。この人は学生運動の後,研究者の世界(素粒子論)を去り,物理教育と科学史の専門家となった。


   ◆   ◆   ◆


先ごろ,この人が福島の原発事故に関する本を著し,それが大きな反響を呼んでいるという話を知った。そこで,小生も入手して読んでみた。

福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと
山本 義隆

みすず書房 2011-08-25
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8月に刊行された,本文100頁未満の小著である。小生が購入したものは既に8刷に達している。みすず書房の書籍としてはベストセラーの部類に入るのではないか?

福島原発事故の問題の本質は,技術や運営組織の欠陥にあるのではなく,核技術保有による国際的発言力の確保という意図の下,原発建設に伴って生じる様々な利権を保持しようと努める「原子力村」集団の存在にある,というのが本書の論調である。


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本書は三章に分かれる。それぞれ,国際政治,技術論,科学史の観点から今回の問題を論じている。

第一章「日本における原発開発の深層底流」では,戦後政治史の観点から,日本の原子力政策は経済や産業における必要性から生じたものではなく,「潜在的核保有国の状態を維持」(24ページ)し続けるという目的から生じたものである,ということが論じられている。

すなわち原子力政策は「外交・安全保障政策」の一部であり,経済的収益性や技術的安全性は二の次ということを指摘している。


第二章「技術と労働の面から見て」では,原発は極めて未熟な技術であり,しかも試行錯誤が許されないという特異な面があることを述べている。

機械工学にせよ,化学工学にせよ,電気工学にせよ,これまで様々な事故を経て安全性を高めてきた経緯はあるが,原子力の場合は,ひとたび事故が起これば,空間的・時間的規模において他の分野に類を見ないほどの被害が発生するという点で特異である。

有毒な化学物質は化学的に処理できるのに対し,放射性廃棄物を無害化する技術を人類はまだ手にしていない。廃棄物が無害化するまで数万年も待つしかないような技術は未熟技術としかいえないだろう。


第三章「科学技術幻想とその破綻」では,経験によって応用が広がっていった水力や火力などの動力と異なり,原子力は「完全に科学理論に領導された純粋な科学技術」(89ページ)であって,「優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティーの許容範囲」(同ページ)を超えた技術である,と論じている。

科学史的観点から見れば,自然を人間が完全にコントロールできると信じたベーコンの夢がこの3.11の震災によって打ち砕かれたわけであり,人類は自然に対する畏れの感覚を取り戻すべきであると主張している。


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国際政治のパワーゲームの一端を担う原発,原発を巡る利権集団「原子力村」の存在,経済性や技術的安全性の観点からの異論を許さない「原発ファシズム」といった話は,過去の雑誌や書籍でも取り上げられた話(左翼史観だとか陰謀史観だとか言われることもある)であり,目新しくないと批判することは可能である。

また,自然に対する畏怖を思い起こし,脱原発社会を目指す,という主張は具体性を欠く感情論にすぎないと批判することも可能である。

だが,100ページ未満のボリュームの中で,多数の文献を引用しつつ,戦後政治史,技術論,科学史といった複数の観点から原発の問題点を論じ切っている手腕には驚かされる。


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小生が唯一,気になったのは日本が核技術保有に固執していることを「アジアの諸国にはきわめて危険に映っている」(22ページ),「アジアに緊張をもたらす」(同ページ),「アジアの民衆に背を向けた」(93ページ)という表現している箇所である。まるでアジア諸国が平和を希求しているのに対し,日本だけが核技術を保有しアジア各国を脅かしている,というような印象を受ける表現である。

しかし現実には,アジア各国でも原発の建設は日本以上の勢いで推進されている。韓国では12基14.8GW,中国では45基51.7GW,インドでは29基24.5GW,ベトナム・タイ・インドネシアではそれぞれ2基ずつが建設あるいは計画中である(資源エネルギー庁「エネルギー白書2010」)。

福島原発事故をきっかけに日本の原子力政策について猛省すべきことは猛省すべきであるが,アジア各国に対しても同様に目を向けるべきではないだろうか。

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2011.12.04

『グリーン・エコノミー』を読む

吉田文和『グリーン・エコノミー』(中公新書2115)を読んだ。

グリーン・エコノミー - 脱原発と温暖化対策の経済学 (中公新書 2115)グリーン・エコノミー - 脱原発と温暖化対策の経済学 (中公新書 2115)
吉田 文和

中央公論新社 2011-06-24
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著者は「はじめに」において

「地球温暖化対策を行いながら『脱原子力発電』を目指すことは可能か」(iiiページ)

という問いかけをしているが,「脱原発」は本書の主要な論点ではない。「経済発展と温暖化防止の両立は可能か」というのが本書の本来の問いかけである。

東日本大震災によって,温暖化防止のための原発推進というオプションの選択が困難になったという認識の下,再度,「経済発展と温暖化防止の両立」の可能性を問い直しているのである。

著者はこの問いに対して「それはポリシー・ミックス(政策統合)によって可能となる」という肯定的な答えを示している。

ポリシー・ミックスとは環境・経済・福祉といった諸政策を個別ではなく統合して扱うことである。

本書第4章~第5章ではデンマーク・ドイツ・オーストリアにおけるポリシー・ミックスの先例が紹介されている。例えばドイツのバイオガス政策では,農業廃棄物によってバイオガスを生産する農家にボーナスが与えられる。この政策に対し著者は,農業廃棄物問題の解決だけに留まらず,再生可能エネルギー普及と農業振興も兼ね備えた「一石三鳥」の政策であると評価している。またドイツでは,環境政策は雇用政策の側面もあることが示されている。風力発電をはじめとする再生可能エネルギー分野において2007年~2009年の間に30万人の雇用が生み出されたという。

こうした先例を踏まえ,著者は終章において日本が取るべきポリシー・ミックスとして,

「地球温暖化対策税(炭素税)を本格実施し,省エネルギーと節電を促進し,二酸化炭素を減らすと同時に,その税を社会保障税や年金保険料(雇用者負担)を減らすために使う」(257ページ)

という環境税の一般財源化や,

「エネルギー環境政策と産業雇用政策を連携して,人減らしのための省力化投資よりも省エネルギーと再生可能エネルギーの開発,利用を推進する政策により雇用を増やす」(258ページ)

という政策を提案している。


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本書の残念なところは,おおまかな政策提案に留まり,政策の詳細な(量的な)検討には立ち入っていないことである。例えば,環境税が温暖化ガス排出量削減やエネルギー産業の構造変化に与える影響のシミュレーションであるとか,税収を福祉政策や雇用政策に回す場合の効果であるとか。本書は新書なので,そこまでは求めるべきではないかもしれないが。

他にも残念な部分がある。「温度変化により材料を調理する機器」(145ページ)や「原発をこれまで行ってきたことのコスト」(249ページ)等の妙な表現には戸惑わされる。また,詳しい説明が無いまま図表だけが表示されている不親切な部分も目立つ。


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というようにいくつか難点を挙げてはみたが,ポリシー・ミックスによる環境・雇用・福祉問題の同時解決という考え方を示した点では刺激的な本であると思う。

莫大な資料を渉猟しているので,本書巻末の参考資料一覧を手掛かりに,より詳しい資料を読み,環境経済学について深く学ぶこともできる。

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2011.12.02

某国際会議でまつもとゆきひろ氏の講演の司会をした件

先日、某国際会議でまつもとゆきひろ氏に基調講演をしていただいた。

演題は

"Ruby : Breakthrough by Open Source"

ルビー開発の経緯やオープンソース,オープンイノベーションに関する,まつもと氏の考えを紹介していただいた。

某国際会議でまつもとゆきひろ氏の講演の司会をした件

なるほどと思ったのは

innovation cannot be controlled
only thing you can do is.. avoid killing innovation

の件である。

イノベーションは起こそうと思って起こせるものではなく,またコントロールすることもできない。

われわれができるのはイノベーションを殺さないこと。

技術経営や研究開発マネジメントの専門家の中にも同様の主張をするものがいて,イノベーション,あるいはその源泉である創造性自体はコントロールできず,構成要素や環境のみ,コントロール可能であると言っているものがいる。

われわれがなすべきことはイノベーションないし創造性の障害を取り除くことである。


小生の拙い司会(英語)にもかかわらず,まつもと氏には快くサインをしていただいた。

某国際会議でまつもとゆきひろ氏の講演の司会をした件

こりゃ家宝ですね。

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