梅棹『東南アジア紀行』の時代(2)
梅棹忠夫『東南アジア紀行』の第二章では資金調達の苦労が語られている。
大阪市立大学の調査隊が東南アジアへの調査旅行を行った1957年~1958年は「なべ底不況」と呼ばれるデフレーションの時期である。
当時,日本銀行は国際収支改善のため,金融引き締め策を採った。日本の外貨準備高は史上最低で海外での活動に必要なドルの割り当てには制限が加えられていた。
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梅棹忠夫たちは調査旅行の為に1日15ドルが必要だと考えていた。しかし実際に手にすることができた外貨枠は1日たったの4ドル,100日分だった。
これはあくまでも外貨枠であって,梅棹たちはそれに充当するための円貨を得なくてはならなかった。さらに調査のための資材調達等にも資金は必要だった。
梅棹たちは大阪市から50万円を得たものの,それだけでは足らず,様々な企業からの寄付を募ることとなった。
岩波映画製作所からは記録映画を撮るという名目で前金をもらい,さらにベル・ハウエルの16ミリ映写機を借りた。
朝日新聞社,朝日放送,中央公論社といったマスコミからも資金を得たが,その代わりに梅棹は「筆債」を追うこととなった。「筆債」というのはようするに帰ってから原稿を書くという約束である。
梅棹忠夫にとっては資金調達の苦労が一番つらかったようで,そのことについてはあまり書きたくないと述べている。しかし,資金集めのための活動を企業に対して積極的に行ったことは,現代の研究者たちも大いに見習うべき点ではないかと思う。
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