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2011.10.31

Harun Farocki映画漬け

ここ数日間,YCAMに通って,映像作家というか実験的ドキュメンタリー作家のハルーン・ファロッキ (Harun Farocki)の作品をいくつか見てきた。

Ticketharunfarocki


見たのは

  • 「ルーマニア革命ビデオグラム(ある革命のビデオグラム) 」(1992年/106分)
  • 「隔てられた戦争」(識別と追跡)(2003年/58分)
  • 「リスクへの挑戦」(2004年/50分)

そして,ファロッキの作品ではないがファロッキが役者として登場する

  • 「アメリカ(階級関係)」(ジャン=マリー・ストローブ,ダニエル・ユイレ,1983-84年/126分)

の4作品である。

ファロッキは1944年1月9日,当時はドイツ第三帝国領のチェコスロバキア生まれ。1966年から1968年までドイツ映画テレビアカデミーベルリン(Deutsche Film- und Fernsehakademie Berlin)で学んだ。1974年から1984年まで雑誌"Filmkritik"の編集者として働き,その後は100本以上の映像作品を世に送り出している。2000年からはベルリン芸術大学(Universität der Künste Berlin)で,2004年からはウィーン芸術アカデミー(Akademie der bildenden Künste Wien)で教壇に立っている。


最初は「ルーマニア革命ビデオグラム」だけ見ようと思っていたのだが,YCAMに行ったところ,全作品を1000円で見られるということだった。なので,それ以外の作品も見ることにしたわけである。

以下は感想。


  ◆   ◆   ◆


「ルーマニア革命ビデオグラム(ある革命のビデオグラム) 」
Videogramme einer Revolution

1989年末の東欧革命の中で最も血が流されたと言われる「ルーマニア革命」を,一般の人々や当時のテレビ映像等をつなげて描き出した作品。

映画は「ティミショアラの虐殺」で負傷し病院に運ばれてきた国営デパートの店員が証言をする映像から始まる。そのあと,ティミショアラでビルの高層階から極秘に撮影された市民デモの映像,続いて12月21日にブカレストで開催されたチャウシェスク支持の官製デモの映像,というように時系列に沿って映像が切り替わっていく。

革命を指導する明確な組織も無く(一応,「救国戦線評議会」が結成されたが,反チャウシェスクという旗印でまとまった緩やかに過ぎる組織だ),市民側についた軍も誰と戦っているのか分からないまま市街戦を展開している。身元の良く分からない者は「テロリスト」すなわち大統領派と見なされ,軍や市民によって吊るし上げを食う。

チャウシェスク夫妻の裁判・処刑の映像がテレビで流されるところに至ってようやく事態の収束が暗示され,最後に革命後の市民インタビューで映画が締めくくられる。

この映画では「軍と戦っていたのは軍の特殊部隊で,軍に武勲を立てさせるための演出だった」という説が紹介されている。Wikipediaにも書いてあるが,ルーマニア革命は「民衆蜂起を利用したチャウシェスク政権内部の共産党官僚による宮廷クーデターだった」という説がある。「軍の演出による市街戦」説は「宮廷クーデター」説の傍証となる重要な情報だと思う。

全体的に見て,独裁者も市民も軍も状況を把握できず,混乱したまま革命が進展していくというのが興味深い。革命とはこういうものかもしれない。おりしも数日前,リビアでカダフィ大佐がリンチに遭って殺害されたが,リビア内戦とルーマニア革命にはなにやら重なるものを感じる。


  ◆   ◆   ◆


「隔てられた戦争」(識別と追跡)
Erkennen und Verfolgen

テクノロジー―ビデオゲーム―戦争という,ポール・ヴィリリオが大喜びしそうなネタを取り扱った,58分の映画である。工業の自動化の進展と軍事技術の発達が並行して進んでいることを,自動車工場の生産ラインや戦闘シミュレータの映像の組み合わせによって表現している。

電子部品の製造ラインを見てもわかるように,今や,ロボットのセンサーとマニピュレータの性能は人間の眼と手の性能を凌駕している。最新鋭の技術を応用することによって,先進国の兵器の識別・追跡能力は極めて高水準となり,戦場は指揮命令拠点から大きく隔てられるようになっている。

この作品は明確なメッセージを発しているわけではないが,兵器がスマートになることによって戦争のリアリティが希薄化することを訴えているのではなかろうか。ただし,兵器のスマート化の恩恵をこうむるのは先進国であって,戦場となる国々,とくに発展途上国では今までと同様に血が流されるわけである。

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  ◆   ◆   ◆


「リスクへの挑戦」
Nicht ohne Risiko

英語で言えば"Not without risk"ということになるが,実際の英語でのタイトル名は"Nothing Ventured"である。この英語タイトルの方が内容をよくあらわしている。

新型のトルクセンサーを開発した企業NCTEとベンチャーキャピタル・ブハナン社の二度にわたる資金調達契約交渉を記録した作品。ひたすら会議室の様子を記録しただけなのでベンチャー資金戦略に興味のない人には面白くない映画かもしれない。

NCTE側は75万ユーロの資金を必要としているが,ブハナン社はその代償として34%の株式を要求している。NCTEとしては株を20%以上手放したくないわけだが,ブハナン社は事業が上手くいかないというリスクに備えて(その場合にはNCTEの資産売却が行われるわけである),NCTEの支配権を握りたいわけである。

NCTEとブハナン社の交渉は日を改めて二度行われ,最終的には合意に至る。合意後,イタリアンレストランで両社が昼食をとるのだが,そのときNCTE側の代理人が「最終的に合意に至るのに何時間もかけるというのはどういうことなんでしょうね?」という疑問を呈するところで,この映画は終わる。

この作品,トルクセンサーの技術以外は,監督側からのコメントは一切なし。だが,見ていてわかるのは,資本主義というのは信頼関係が基礎だということ。リスクがあるのにお金を出すというのは信頼があってのことである。


  ◆   ◆   ◆


「アメリカ(階級関係)」
Klassenverhaltnisse
Class Relations

Classrelations

上述したように,これはジャン=マリー・ストローブ(Jean-Marie Straub)とダニエル・ユイレ(Danièle Huillet)の映画であって,ハルーン・ファロッキの映画ではない。
1984年の作品だが,全編白黒である。

舞台は第一次世界大戦と第二次世界大戦の間ぐらいの時代のアメリカだろうか? 両親から勘当されたドイツ人の青年,カール・ロスマンが渡米してからの顛末を描いている。米国の上流階級に属している伯父の下にいたかと思ったら,そこを離れて放浪し,ホテルのエレベーターボーイになり,悪友のせいで首になり,オクラホマの競馬場に再就職するため旅に出る・・・というように,とりとめなく物語が進む。カール・ロスマンを翻弄する悪友の1人を演じているのがハルーン・ファロッキである。

フランツ・カフカの"Amerika"をベースにした作品であるが,没個性的なことが逆に個性的なカール・ロスマンが米国の様々な階級に出入りすることによって,アメリカに存在する階級社会を強調して描き出しているのだと思う。

ハリウッド映画などと違って話に脈絡がないのもカフカ原作らしいかも。よくよく考えたら現実の世界には起承転結など無いのである。人生もなんとなく始まって突如終わる。それに味付けをして意味を見出して物語を紡ぎだしていくのはそれぞれの個人である。

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