ボパナはS21で処刑された
Hout Bophana was killed at Security Prison 21 (S-21, which is called "Tuol Sleng").
カンボジアのモニュメントブックス空港店で買ったのがこの小冊子。
Elizabeth Becker, "BOPHANA: Love in the Time of the Khmer Rouge" (Cambodia Daily Press, $8)
端正な顔をしたこの女性はボパナといい,カンボジアの北西部の街で生まれ育った。父は教師だった。かつてカンボジアがフランスの植民地だったこともあり,ボパナはフランス文化の影響を強く受けていた。
16歳になった頃,ボパナは遠縁にあたるリ・シッタ(Ly Sitha)と婚約し,幸せの絶頂にいた。
しかし1970年3月,シハヌークの外遊中にロン・ノル将軍がクーデターを決行してから,彼女の人生は大きく変貌する。ロン・ノル政権と反政府勢力クメール・ルージュの間の戦いが激化し,彼女の町もまた戦場と化した。
混乱の中,ボパナは家族と離れ離れになり,2人の妹だけを連れて逃亡する。南へと避難する途上,ボパナはロン・ノル派の兵士に強姦され,妊娠するという悲劇にも見舞われる。しかし,彼女は妹たちを支えるため生き続ける。
やがてボパナたちはプノンペンにたどり着いた。ボパナは語学力を生かして米国の慈善団体で働き始めた。夫リ・シッタとの再会も果たした。
しかし,クメール・ルージュによる攻撃は激化し,プノンペン陥落の日が近づく・・・。
◆ ◆ ◆
著者エリザベス・ベッカーはカンボジア内戦時の戦争特派員である。そして,ボパナがトゥール・スレンで処刑されてから10年後,ベッカーはボパナに関する資料を同施設から発見し,世界に紹介した。
2006年,フランス政府の支援を受けてカンボジアに映像記録センターが完成した。このセンターの名はクメール・ルージュの支配下でも夫への愛を放棄しなかった女性の名をとって「ボパナ」と名付けられた。
※映像記録センター「ボパナ」についてはここを参照。
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